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最終話 そして幸せに暮らしましたとさ
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真っ白な馬車は今日の為に用意したキャリッジで、天井はない。二人でそこに座し、音を立てて開く門の間から注がれる光を浴びる。
「アーシェン、緊張しているかい?」
「まさか。わたくしはこの国の妃ですよ? ああ…でも」
「でも?」
「わたくしが唯一の妃でないと知ってしまっては、震えが止まりませんわ」
「ん? どういうこと?」
わざとらしく震わせる両手を組み、アーシェンは目を伏せて傷心を装った。そんな薄っぺらい演技など冗談と笑ってくれるのを待っていたが、降ってきた言葉は至極慌てたものだった。
「シェン?? 何が君を傷つけたんだい? それと唯一の妃でない?」
あわあわとして手持無沙汰な両手を持て余すカミールは、不安げに見つめる。
「偶然お見掛けしましたの。三日前、エレイナ公国に入国して、昨日は護衛騎士と一緒に街の散策をしておりまして、そこで。カミール様の下手な変装がわからないわけないでしょう? その隣にいらっしゃった方はもうお腹も大きくなってらっしゃいましたわ」
「それは違う!!」
アーシェンの組んだ手をカミールは両手で包み、ぐっと握る。手袋越しの体温は近いはずなのに、とても遠く感じた。
「彼女は俺の乳兄妹だ。不貞をしているのはむしろ彼女の夫の方で…あれ…?」
「どうかなさいまして?」
カミールは、頭の中の点と点が結ばれていくような気がした。悲しんでいたはずのアーシェンはいつの間にか美しい笑みを見せている。不敵なそれが、すべてを物語っていた。
「彼女は夫が浮気をしているんじゃないかと疑っていた。不安がって、それがお腹の赤ちゃんにも影響が出ていたんだ」
「ええ、そうですね」
「俺は慰めるだけで、旦那の方には何も言わなかった。いや、言わない方が彼女のためだと思ったんだ」
「賢明な判断だと思いますわ。一国の王が関わっては自ずと大きな問題になりますもの」
「彼女から今朝、手紙が来た」
「そうだったのですか?」
「夫が浮気を認めたうえで手を切ったと自ら告白してくれたと。謝り倒したうえで、愛をもう一度誓ってくれたと…」
ふふ、とカミールは笑う。やられたとばかりに空を仰いだ。「まさかシェンか?!」
アーシェンは黙ったまま満足げに笑い、人差し指を立てて弧をかく唇に当てた。
「これは気づかなかった。でも不安にさせてしまったんだね。ごめん」
「いいえ、これはわたくしが早とちりした結果でもありますし、だますような真似をしてこちらこそ…ごめんなさい」
カミールは抱きしめたい衝動をどうにか抑え、アーシェンの手を握る。あふれんばかりの愛情をどうやって渡そうかと甲にキスを落とした。
「俺の妃はシェンだけだよ。…君だけだ。忘れないで」
「ええ、心に刻みます」
そう言うアーシェンは、口づけされた左手を大事そうに胸に抱えた。「わたくしはもう、婚約破棄はこりごりでしてよ」
「ああ。そうはさせないさ」
御者の準備ができたと報告が入り、カミールが頷けば馬車はゆっくりと動き始める。王宮から神殿までの街道は今日の為に整備され、馬車道の両サイドにはエレイナ公国の国民が所狭しと集まっていた。
ひとたび手を振れば、わっと歓声が上がり、にこりと微笑めば歓喜に街が震える。
カミールはストレートな言葉で愛を伝えてくれた。家族からの愛情さえも足りない環境で育ってきたにも関わらず、だ。それはつまり、それらの言葉がカミール自身からのもの以外の何物でもないことを示している。
対して、アーシェンは自ら伝えきれなかったことを少しだけ悔いていた。
『婚約破棄はこりごり』だなどと、遠回しでしか言えない自分が嫌になりそうだった。曇りそうになる表情を淑女の矜持で堪えて笑顔を振りまく。
そっと、左手が握られる。それは慰めるようで、励ますようで、アーシェンはぐっと胸を熱くした。手を国民に振りながら、握られた手を握り返す。
言葉よりも何よりも、そこにある熱が二人の愛を顕著に物語っていた。
「アーシェン、緊張しているかい?」
「まさか。わたくしはこの国の妃ですよ? ああ…でも」
「でも?」
「わたくしが唯一の妃でないと知ってしまっては、震えが止まりませんわ」
「ん? どういうこと?」
わざとらしく震わせる両手を組み、アーシェンは目を伏せて傷心を装った。そんな薄っぺらい演技など冗談と笑ってくれるのを待っていたが、降ってきた言葉は至極慌てたものだった。
「シェン?? 何が君を傷つけたんだい? それと唯一の妃でない?」
あわあわとして手持無沙汰な両手を持て余すカミールは、不安げに見つめる。
「偶然お見掛けしましたの。三日前、エレイナ公国に入国して、昨日は護衛騎士と一緒に街の散策をしておりまして、そこで。カミール様の下手な変装がわからないわけないでしょう? その隣にいらっしゃった方はもうお腹も大きくなってらっしゃいましたわ」
「それは違う!!」
アーシェンの組んだ手をカミールは両手で包み、ぐっと握る。手袋越しの体温は近いはずなのに、とても遠く感じた。
「彼女は俺の乳兄妹だ。不貞をしているのはむしろ彼女の夫の方で…あれ…?」
「どうかなさいまして?」
カミールは、頭の中の点と点が結ばれていくような気がした。悲しんでいたはずのアーシェンはいつの間にか美しい笑みを見せている。不敵なそれが、すべてを物語っていた。
「彼女は夫が浮気をしているんじゃないかと疑っていた。不安がって、それがお腹の赤ちゃんにも影響が出ていたんだ」
「ええ、そうですね」
「俺は慰めるだけで、旦那の方には何も言わなかった。いや、言わない方が彼女のためだと思ったんだ」
「賢明な判断だと思いますわ。一国の王が関わっては自ずと大きな問題になりますもの」
「彼女から今朝、手紙が来た」
「そうだったのですか?」
「夫が浮気を認めたうえで手を切ったと自ら告白してくれたと。謝り倒したうえで、愛をもう一度誓ってくれたと…」
ふふ、とカミールは笑う。やられたとばかりに空を仰いだ。「まさかシェンか?!」
アーシェンは黙ったまま満足げに笑い、人差し指を立てて弧をかく唇に当てた。
「これは気づかなかった。でも不安にさせてしまったんだね。ごめん」
「いいえ、これはわたくしが早とちりした結果でもありますし、だますような真似をしてこちらこそ…ごめんなさい」
カミールは抱きしめたい衝動をどうにか抑え、アーシェンの手を握る。あふれんばかりの愛情をどうやって渡そうかと甲にキスを落とした。
「俺の妃はシェンだけだよ。…君だけだ。忘れないで」
「ええ、心に刻みます」
そう言うアーシェンは、口づけされた左手を大事そうに胸に抱えた。「わたくしはもう、婚約破棄はこりごりでしてよ」
「ああ。そうはさせないさ」
御者の準備ができたと報告が入り、カミールが頷けば馬車はゆっくりと動き始める。王宮から神殿までの街道は今日の為に整備され、馬車道の両サイドにはエレイナ公国の国民が所狭しと集まっていた。
ひとたび手を振れば、わっと歓声が上がり、にこりと微笑めば歓喜に街が震える。
カミールはストレートな言葉で愛を伝えてくれた。家族からの愛情さえも足りない環境で育ってきたにも関わらず、だ。それはつまり、それらの言葉がカミール自身からのもの以外の何物でもないことを示している。
対して、アーシェンは自ら伝えきれなかったことを少しだけ悔いていた。
『婚約破棄はこりごり』だなどと、遠回しでしか言えない自分が嫌になりそうだった。曇りそうになる表情を淑女の矜持で堪えて笑顔を振りまく。
そっと、左手が握られる。それは慰めるようで、励ますようで、アーシェンはぐっと胸を熱くした。手を国民に振りながら、握られた手を握り返す。
言葉よりも何よりも、そこにある熱が二人の愛を顕著に物語っていた。
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