あなたの罪はいくつかしら?

碓氷雅

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#11-②

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 皇帝との交渉は、さすがというべきか負けた気分を捨てきれないものとなった。如何せん、一度譲歩してしまうともう、ダメなのだ。反論の余地なく、皇帝の思惑通りに進んでしまう。条件をのむにあたり、優先順位をつけていたはずなのにそれさえも守れていない。

 ひとえに経験の差だった。

「参りました…」
「うはははっ!! 久々に楽しかったぞ、アーシェン嬢。世界のどこを探してもアーシェン嬢のような敏腕のはおるまい」
「…ありがたきお言葉でございます」

 敏腕と言われれば悪い気はしないが、『令嬢は』と言われてしまってはもろ手を挙げては喜べない。それはつまり、男性でなら会ったことがある、もしくはざらにいるレベルの交渉術だと言っているも同然なのだ。

「陛下。書類をまとめて参りました。ご確認を」
「うむ」

 宰相はアーシェンにも紙を渡し、空いたティーカップに紅茶を注ぐように侍女に言う。

 アーシェンが受け取った書類にはこう書かれていた。



 エレイナ公国の公妃としてアーシェンが嫁ぐことを前提に、帝国はエレイナ公国の建国の後ろ盾となり、その存在を認める。その交換条件として、カーン鉱石とケルア地域の織物の優先貿易権は帝国のみに帰属し、その希少性から市場はエレイナ公国内と帝国の帝都の一部に限ることにする。
 エレイナ公国が侵略の危機にさらされた際、もしくは侵略される恐れがあると公妃と公王両方に判断された場合、帝国は軍事的支援を惜しまない。侵略国を退けるに十二分の軍を派遣する。その時、帝国軍は一時的にエレイナ公国に帰属し、その指揮権はエレイナ公妃、公王に帰する。その交換条件として、エレイナ公国は穀物を毎年貯蔵し、帝国に飢饉による被害があった場合、上限なくその蔵を開放し帝国に提供すること。貯蔵量はエレイナ公国の人口に対し、3%を上限とする。品目は別紙に記載する。



 長々とあるが、要はエレイナ公国の建国にあたる後ろ盾と建国後の軍事的支援を帝国に求めたものだ。その見返りとして、エレイナ公国の特産物と食物を求めている。領土が果てしなく広い帝国だが、温暖な気候で植物が育ちやすい土地はそう多くない。逆にやせた土地の方が多く、さらに人口が増えているために食糧難になっている地域もあるのだ。今まで、備蓄や豊作の土地から食料を支援したり、植物自体を改良したりとしているが人口が増えるスピードの方が早かった。

 一方、エレイナ公国の地形は、帝国側にある大きな山脈が冬の寒波を防ぎ、南西に広がる海洋からは上昇気流により十分なほどの雨が降る。それらのおかげで育たない植物はないといわれるほどの土地が広がっている。

 しかしその土地は、カーン鉱石の採掘でほとんど荒れ地になってしまっている。

 皇帝は一時的な後ろ盾の見返りにカーン鉱石と織物を求め、永続的な軍事的支援には穀物を求めた。これはつまり、荒れ地になってしまった土地の再興を意味している。ただ単に帝国の利益となるように、ともとれるが、穏やかにほほ笑み長い白髭をさする皇帝の姿は、孫を可愛いがる祖父も同然だった。

「エレイナ公国がこれからどうなるか楽しみだな。為政者の手腕次第で生かすことも殺すこともできよう。相談役になるのもやぶさかではないぞ? 可愛い、アーシェン嬢のためならば、な」
「ふふ、ありがたく存じます。その折には避暑地をご用意いたしますわ」
「おお! そうかっ!」

 大口を開けて笑う皇帝は、ひどくご機嫌だった。それもそうだろう。国同士の契約は上手く転がり、エレイナ公国の有名な避暑地の使用権も得たのだから。以前のパルテン王国の王族でさえ限られた期間でしか使えなかったという避暑地。これは交渉必須か、とアーシェンはシュートに耳打ちした。

「避暑地の領主に連絡を。すぐにでも席を設けてちょうだい」
「はっ」

 サインを交わした後、定型文句を述べてアーシェンは皇帝の前を辞した。

 長い長い吹き抜けの廊下を歩いていると、人の気配がないことを確認してシュートがこそりと言う。「お嬢は浮気をどう思いますか」

「…愚問でなくて?」
「失礼しました。しかし、少しばかりお耳に入れておきたいことがございまして」
「…聞きましょう」

 庭園の中央には樹齢五百年と言われる、帝国建国前からの樹木がある。それを見上げながら、アーシェンは耳を傾けた。

「どうやらカミール様には秘密にしておきたいがおられるようです」
「根拠は」
「お嬢がカミール様につけた侍女に、カミール様は『出産に必要なもの』を聞いたようで、」
「出産? もう、子どもがいるというの? 話が変わってきてしまうわね…」

 アーシェンは顎に手をあて逡巡する。先ほど決めてきた皇帝との契約は、アーシェンが公妃になるということが大前提で進んでいる。そうでなければ帝国がエレイナ公国に干渉する大義名分がないからだ。ほかにも用意したものはあるが、アーシェンがエレイナ公国に嫁ぐ以上の理由はない。

 しかし、この時点でカミールに子供がいるというなら話はガラリと変わる。カミールの血を引いているのなら担ぎ上げようとする者が出てくる可能性がある。その芽を摘むためにその子供の母親を側妃として召し上げたとして、先に生まれるのは側妃の子供。これではパルテン王国の二の舞になりかねない。母親ともども消してしまうのが手っ取り早いが、母親と子供には罪はない。無駄な暗殺は避けたかった。

 アーシェンは頭を抱えた。

「どうしてかしら。考えがまとまらないわ」
「…お嬢、自分の胸に手をあててみてください」
「え?」
「何も感じませんか? もっとも、今ここで鏡を見てもらった方が早いかもしれませんが」
「シュート、あなた何を言っているの?」

 思考がうまく回らないことに苛立つアーシェンは、戯けたことを言うシュートを睨む。腰に手をあてたシュートは、はあ、と大きくため息をついて肩を落とした。

「お嬢。俺はまだ最後まで言ってませんよ。お嬢はいつもおっしゃってるじゃないですか。早とちりは遠回りの始まりだと」
「…」

 確かにそうだ。シュートは言いかけたまま、主であるアーシェンが言葉を口にしたから、言い止めただけで、すべてを報告したわけではなかった。

 そう気づいて、ふと疑問に思った。なぜ、すべて聞かなかった?

 何かを考えるならまずは深呼吸。アーシェンは胸を一杯に膨らませて、ゆっくり息を吐きだした。

 そうだ、『出産』という言葉に反応してしまったのだ。ほぼ脊髄反射のように、無意識のように。

「お嬢、もうお気づきで?」
「まだよ。まだわからない」
「何がです?」
「こんなことはこれまでもあったわ。それこそ、グリア様がそうだったわね。けれど、何年も婚約者だったのに、グリア様の時は何も感じなかった…」

 グリアの報告が上がった時は、クルート公爵家の格式を守ろうとグリアを諭そうとしたこともあったがすぐにあきらめた。それからは事務的な処理と、リストアップだけでやめろと言うこともなかった。

「いやね。こんなことにも気づかないなんて」
「お嬢は普段、老成していらっしゃるんですから、戸惑うのも一興ではありませんか?」
「それはあなたが楽しいだけでしょう?」
「そうとも限りませんよ」
「まあいいわ。続きを聞かせて」
「はい。カミール様の乳母の娘がこの度身ごもったようで、そのお祝いをと考えられたようです」

 ジトりとアーシェンはシュートを見る。拍子抜けの内容とは裏腹にいらだちは収まらなかった。

「シュート、あなた浮気がどうのと言っていたわよね? あれは?」
「はい。身ごもった娘の夫が浮気をしている疑いがあると報告が上がりまして。些細なことではありますがご報告させていただいた次第です」

 得意気に笑うシュートに、アーシェンはいよいよ我慢の限界を悟る。ちらりと視線だけで周りに侍女以外いないことを確認し、主人を笑う従者の腹に問答無用で拳を入れた。
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