とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら

文字の大きさ
13 / 30

13

しおりを挟む
孤児院でのジェームズは、エラが今まで見たことないほどの堂々たる立ち振舞いであった。

今までの彼はこういう慈善活動を忌み嫌っているというのもあったが、普段の振る舞いにもどこか子供っぽさが抜けなく、垢抜けなかったものだが、今日の彼は落ち着いていて、初老の院長との会話もそつなくこなしている。

ジェームズと初めて直接対面した院長は間違いなくブラウン家長男の噂を聞いていたのだろう、目の前の立派な青年と、噂の自堕落な青年像との落差に相当驚いているに違いない。何回か訪れて顔見知りのエラに、ちらちらと視線を送ってきていたので、院長の混乱しているであろう心中は察するに余りある。

しかし、エラが心底驚いたのはその後であった。

孤児たちが集っている部屋に行くと、彼が躊躇いもなく寄ってきた幼い女の子を抱き上げたからだ。そして、その仕草は危なげないものではなく、とても慣れているようにエラには思えた。

「お兄さん、もっと高い高いして」
「仰せのままに、おちびちゃん」

彼は嫌がる顔ひとつ見せずに、女の子を抱き上げた。女の子がとても楽しそうに笑うので、その様子を見た孤児たちが次々にジェームズに寄ってくると、彼は嫌な顔を一つしないで相手をしてやっている。エラはその様子を呆然と見守っていた。エラの隣に院長がそっと寄ってきて、彼女に囁いた。

「ジェームズ様は、素晴らしい方ですね」

訝しげに彼を振り返ると、院長は頷く。

「普通義務を果たしに視察には来ても、上流階級の男性は触ると汚れるとでも思っているのか、孤児を抱き上げたりなんかしませんよ。彼は実にお優しい」

エラはぼんやりと孤児たちと戯れるジェームズに視線を向けた。





孤児たちはすっかりジェームズに懐き、お兄さんまた来てねと口々に別れを惜しんでくれた。ジェームズは、エラをエスコートしてまず馬車に乗せた。すると後ろから院長が彼を呼ぶので、ジェームズは御者に出発を待つように伝えると、彼のもとへ戻った。何か2言3言言葉を交わしているのが馬車の窓から見えた。ジェームズが、ぽんと院長の肩を叩くと、初老の男は微笑みながら頷く。それから夫がこちらに向かってくると御者に何かを伝えてから中に乗り込んできた。


馬車が走り出すと、エラは夫の顔を見た。彼と馬車に乗るのは初めてではないが、いつもエラがいないかのように足を伸ばし、だらしなく座ったものだった。しかし今日の彼は彼女が窮屈な思いをしないようにということだろうか、自分の長い足を曲げて、気を遣ってくれているようだ。

妻が取り組んでいる慈善事業に理解があり、子どもたちに好かれ、初めて会った院長にも好感をもたれる。妻にも気を配ることが出来て、優しくエスコートをしてくれる、美丈夫な夫。



今更、とエラは心の中でもう一度呟く。


「…先程、院長と何を話してらしたの」

珍しくエラから話しかけると、ジェームズはその美しい瞳を驚いたかのように見開いた。彼は2,3回瞬くと、表情を少しだけ緩めて彼女の問いに答えた。

「この近くに薔薇園があるそうなんだ。彼は、君がきっと気にいるだろうから帰りに寄るようにと言ったんだよ。折角だから、今向かっている」
「え?」
「あの孤児院に薔薇が咲いている一角があるだろう?君がいつもそこで目を留めているから、院長は君がきっと薔薇が好きなんじゃないかと思ったらしい」

ああ、とエラは思った。

薔薇というのは特殊な栽培法で、きちんと手入れをしないと綺麗に咲かない。あの孤児院には、職員の中に薔薇の栽培法を知っている人間がいて見事な薔薇を咲かすことが出来るのだ。

「俺がいると君は心からは楽しめないだろうが…まぁ行ってみよう」

ジェームズが静かに微笑んだ。
しおりを挟む
感想 230

あなたにおすすめの小説

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

元婚約者が愛おしい

碧井 汐桜香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。 留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。 フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。 リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。 フラン王子目線の物語です。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

処理中です...