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第5章 飛竜乗雲の章
第204話 織田家と浅井家の婚姻同盟締結に向けて
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足利義輝の弟・覚慶が興福寺を脱出し、諸大名へ協力を呼びかけている頃。家康の盟友である尾張国の織田上総介信長は一色龍興の治める美濃への侵攻を激化させていた。
「申し上げます!河尻肥前守様、丹羽五郎左衛門尉様が猿啄城を落城させたとの由!」
「でかした!」
難敵である西美濃三人衆がいる西濃、武田家に従属する国衆も存在し、武田の影響力が少なからず存在する東濃を分断するかのように信長は中濃へと出兵していた。
その中濃侵攻において、信長が猿啄城を攻めるよう命じたのは父の頃よりの家臣・河尻肥前守秀隆。そして、丹羽五郎左衛門尉長秀の両名であった。
両名は城主・多治見修理亮が地の利を生かして抵抗したのに対し、丹羽五郎左衛門尉が隣山を占拠して水源を絶つ役割を、河尻肥前守が猛攻を仕掛けて落城させるという分担しての城攻めを行い、見事に猿啄城を落城させたのである。
「肥前守と五郎左衛門尉へはでかしたと伝えておけ」
「ははっ!」
信長は伝令兵へ前線の両名へ短文ではあるが伝えたかったことを伝え、次の一手について思案を巡らせ始める。
「殿、何ぞお悩みにございましょうや」
「おう、三左衛門か。なに、次は何処を攻めるべきかと思案しておったのよ」
「然らば、猿啄城の次は堂洞城にございましょう」
「ほう、矛先を東へ転じるか。して、それは何故じゃ」
「単純なことにございます。東美濃を少しでも多く攻め取っておかねば、武田を肥えさせることになっても、我らを肥やすことにはなりませぬ」
「それもそうじゃな。目下、甲州屋形とは同盟を結ばぬかと打診しておるところよ。これが上手くいけば、武田との諍い事でいらぬ気を回さずとも良くなる」
先般の武力衝突を受けて、信長は甲斐の虎との同盟締結を目論み、動き始めていた。これが成立すれば、双方ともに東美濃へ深入りせずに済むのだから悪い話ではなかろう、という主旨で、である。
「されど、武田へ従属することなく、未だ一色へ従う城主どもは悉く成敗しておく必要もございましょう。ましてや、堂洞城一帯は東美濃から信濃へ抜ける街道を占める要衝にございますれば、武田よりも早く攻め取っておくに越したことはございませぬ」
「さもありなん。然らば、三左衛門。そなたも肥前守らと合流し、堂洞城攻めに当たるがよい。良いか、抜かるでないぞ」
「はっ!しかと肝に銘じておきまする!」
美濃攻めに積極的な姿勢を見せる森三左衛門可成が退出していくと、次に信長のもとを訪れたのは重臣・林佐渡守秀貞であった。
「佐渡守、いかがした」
「はっ、南近江の六角家より使者が到着してございまする」
「なに、六角家よりの使者とな?して、用向きは」
「はっ、なんでも縁組の仲介をしたいとのことで」
一体誰と誰の縁組というのか。そこがはっきりしないことには信長といえども判断しかねる状況だが、ひとまず近江の守護職にある六角家からの使者を待たせるわけにもいかず、対面することとした。
「使者殿、遠路はるばる尾州まで参られた。某が織田上総介信長にござる」
「これは織田様。某は六角承禎が命を受けて派遣されて参った者にございます」
「なんと、六角家当主でなく、御隠居よりの使者であらせられたか」
使者は六角家の前当主である承禎より派遣されてきた者。六角承禎は八年前に嫡男である右衛門督義治へ家督を譲ってはいたが、実権を掌握し続けていた。
そんな六角家当主・義治は現在信長と交戦中の美濃一色氏とは同盟関係を結んでおり、信長から見れば六角家は目下の敵との同盟関係にある敵方とも呼べる勢力。
しかし、隠居の承禎は成り上がりの美濃一色氏風情と同盟を結んだことを快く思っておらず、かつて美濃守護であった土岐頼芸に姉妹が嫁いでいる関係から、その土岐氏を追放して国主となった美濃一色氏を快く思っていなかった。
隠居と当主による二頭体制でありながら、父子で外交面で意見が割れている六角家はちょうど家康が三河一向一揆勃発に頭を悩ませているのと同時期に、当主・義治が最有力の重臣で人望もあった後藤賢豊を観音寺城内で惨殺する観音寺騒動を起こし、父子ともども家臣によって居城を追放される事件が発生するなど、往時の勢いは失いつつあったが、未だ周辺諸国へ強い影響を与える勢力であった。
「して、承禎殿は何故某へ使者を派遣されたのか」
「はっ、それは縁組を仲介するためにございます」
「ふむ、縁組とな」
「はい。かつて当家に従属しておりました北近江の浅井備前守長政殿との縁談にございます」
「浅井備前守が武名、遠く尾州にまで轟いております。なんでも五年前の初陣にて六角軍を打ち破ったと」
にやり、と笑みを浮かべる信長はまるで使者を試しているかのようであった。かつて、自軍が敗北した相手ではないかと言わんばかりの言葉に使者もこみ上げるものがありながらも、じっと信長を睨み返し、主より与えられた使命を全うしようとする。
「使者殿、あえて神経を逆なでするようなことを申したこと、お詫び申し上げる。して、浅井備前守殿との縁組となれば、当家からは姫を出すこととなろう。されど、生憎嫁がせる齢となる娘がおらぬ。長女は今年で八ツになったばかり、七ツになる次女はすでに三河への輿入れが決まっておりますゆえ」
「娘である必要はございますまい。なんでも織田様にはそれはもうお美しい妹君がおられるとか」
「於市のことか。あれは今年で十九ともなる」
「はい。浅井備前守殿は齢二十一にございますれば、良き縁組ともなりましょう」
北近江の浅井家との同盟。これは信長にとっても望ましいことであった。何せ、美濃の一色氏を南と西から挟撃することが可能となり、美濃一色氏との戦いをより優位に進められるのだから。
「有り難き申し出、尾張守は快く承知したと承禎殿へお伝えあれ」
信長が浅井家へ妹を嫁がせることを承諾したことに安堵したのか、使者は腹の底から息を吐き出していた。
「されど、使者殿。何ゆえ、承禎殿は当家と浅井家の縁組を仲介するようなことをなされるのか。その真意が掴めませなんだ」
「これは織田様ゆえお伝えいたしまするが、実は先の将軍足利義輝公が弟、覚慶様の上洛に協力するべく野洲郡矢島に迎え入れる支度を進めているのでございます」
「ほう、左様にございましたか。某も覚慶様ご上洛に力添えしたいとは考えておりますが、何分にも美濃にてそれを阻む不届き者がおりますれば。それを成敗せねば、助力することも叶いませぬ」
「そのこと、我が主も承知しております。それゆえ、一刻も早く美濃との争いを終わらせ、上洛へお力添え願いたく」
信長はここへ来て、ようやく六角承禎の考えが読めた心地がした。
目下、停戦中の浅井家と織田家の間に婚姻同盟が締結できるよう仲介することで恩を売れば、浅井家との戦をする必要がなくなるどころか、織田家からも支援を引き出せる。
すでに美濃一色氏とも同盟を結んでため、これにて背後を気にせず、三好や松永へ戦を挑むことが出来るようになる、それすなわち背後固めが完成することを意味していた。
「然らば、使者殿。江州へ帰還なされたら、浅井備前守殿へお伝え願いたき儀がござる」
「承りまする」
「此度の縁組、まことめでたきこと。それゆえ、結婚にかかる費用一切を当家が負担すると」
「な、なんと!?」
当時のしきたりでは姫を迎える側、今回で言えば浅井家が結婚にかかる費用を負担するものであった。それを姫を送り出す織田家が全額負担するというのだから、使者が驚くのは無理もないことである。
「しょ、承知いたしました。然らば、その旨、主に伝えましたうえ、改めて浅井家へ使者を派遣いたしまする」
「お頼み申し上げる」
結婚にかかる費用は決して安くはない。しかし、信長にとって、これが美濃攻めの足掛かりともなるのならば、安い出費だと考えていたのであった。
そうして六角家の使者が信長の返答を胸に小牧山城を出立すると、入れ替わるように三河よりの使者が到着した。
「殿、左近将監にございます。岡崎より石川与七郎数正殿が到着。殿へ面会を求めておりまする」
「ほう、蔵人佐殿からの使者か。よい、これへ通せ」
「ははっ!」
松平家との取次を務める滝川左近将監一益もすっかり織田家臣として家中に馴染み、着実に実績を積み上げていた。そんな彼は信長をそう待たせることなく、石川与七郎を伴い、広間へと戻ってきたのである。
「殿、石川殿をお連れいたしました」
「ご苦労。石川殿、入られよ」
「ははっ!」
信長の許しを得て、石川与七郎は広間の内へと歩を進め、信長の正面に着座し一礼。滝川左近将監もまた、石川与七郎が着座したのを見届けてから髭を蓄えた厳めしい面で広間の隅に着座するのであった。
「突然の訪問となりましたこと、お詫び申し上げます」
「構わぬ。おれと蔵人佐殿との仲じゃ。口上は良いゆえ、さっそく用向きから伺おう」
「ははっ、まずは尾張一統が成せたこと、我が主は心底より喜んでおりますことをお伝え申し上げまする」
「蔵人佐殿に喜んでもらえること、この信長は誰に喜ばれるよりも嬉しき限りじゃ」
はじめ、石川与七郎は信長の言葉は建前であろうと思った。しかし、面を上げて信長の表情を拝してみれば、無邪気な少年のように笑っていたのだ。それが、紛れもない織田信長という男の本心なのだと、強制的に理解できた。
「次に、東三河攻めのことにございますが、残るは牛久保城のみとなりましてございます」
「ほう、吉田城を奪回し、渥美郡制圧まで成せたか。して、牛久保城は落とせたか」
「いえ、五月に公方様お討ち死なされたことを受けて、正親町天皇も弔意を示される意向であると耳にし、包囲を解き、全軍撤退と相成りました」
「そうか、蔵人佐殿も律儀なものよ。では、三河一統はまだまだ時を要するか」
「はっ!されど、牛久保城の牧野氏はこれ以上抗うつもりはなく、交渉にて決着する見通しにございますれば」
「それは祝着至極」
家康が東三河平定に苦戦していることは信長も知っていることであった。それだけに、あと少しで三河一統が成せる見通しが立ったことは、同盟者としてもこれ以上なく喜ばしいことであった。
「そうじゃ、先ほど六角家より使者が参った」
「なんと、近江守護よりご使者とは……!して、いかなる使者にございましたか」
「うむ、当家と北近江の浅井家の婚姻同盟の斡旋じゃ」
「然らば、来る美濃攻めも優位に立ちましょう。されど、何ゆえ、六角家が絡んで参ったのでございましょうか?」
「おそらく、先の公方様のご令弟であらせられる覚慶様ご上洛へ協力するための背後固めであろうと、おれは見ておる」
信長のこの一言で聡い石川与七郎は周辺を取り巻く情勢の大半を掴んでいた。無論、それほどの傑物であろうことは、信長も理解したうえで情報を共有していたのであるが。
「では、織田家は覚慶様ご上洛へ協力なされるご所存で」
「うむ。そのつもりじゃが、蔵人佐殿はいかがいたすつもりか」
「我が主も同意見にございましょう。されど、当家へは何の要請も入っておりませぬゆえ、協力のしようもございませぬが」
「ふっ、そうか。されど、要請さえ入れば表明する用意はある、と蔵人佐殿は申しておったのだな」
「はい。それゆえ、織田殿がいかがなされるか、そのお考えを承りたく、こうして某が派遣されたのでございます」
信長は家康の慎重さに思わず笑みがこぼれた。しかし、同盟先と足並みを揃えようという心がけは同盟先としては有り難いことこの上なく、同盟相手として実に信用に足る行為であった。
「よく分かった。それに、覚慶様ご上洛へ協力することを表明するのは当家にとっても松平にとっても必ずや良き方向へ働くであろう」
「して、その御心は……?」
「良いか、当家と松平家が覚慶様ご上洛へ協力するとなれば、今川家はいかがする」
「駿府屋形は覚慶様ご上洛へ協力しないまでも、協力する意志を鮮明にすることはありますまいかと」
「そうじゃ。そして、その行為は先の公方様殺害に承服しかねると立ち上がられた覚慶様に同意しない、すなわち三好や松永が行いを否定しないと解釈される。これは覚慶様が上洛なされて幕府将軍となられた暁には、どのように働くであろうか」
信長の真意を察した石川与七郎はぞっとした。目の前にいるこの傑物は、一体どこまで先を見通しているというのか。
改めて、ものすごい傑物と同盟を結んだものだと驚嘆しながら岡崎への帰路へつく石川与七郎なのであった――
「申し上げます!河尻肥前守様、丹羽五郎左衛門尉様が猿啄城を落城させたとの由!」
「でかした!」
難敵である西美濃三人衆がいる西濃、武田家に従属する国衆も存在し、武田の影響力が少なからず存在する東濃を分断するかのように信長は中濃へと出兵していた。
その中濃侵攻において、信長が猿啄城を攻めるよう命じたのは父の頃よりの家臣・河尻肥前守秀隆。そして、丹羽五郎左衛門尉長秀の両名であった。
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「肥前守と五郎左衛門尉へはでかしたと伝えておけ」
「ははっ!」
信長は伝令兵へ前線の両名へ短文ではあるが伝えたかったことを伝え、次の一手について思案を巡らせ始める。
「殿、何ぞお悩みにございましょうや」
「おう、三左衛門か。なに、次は何処を攻めるべきかと思案しておったのよ」
「然らば、猿啄城の次は堂洞城にございましょう」
「ほう、矛先を東へ転じるか。して、それは何故じゃ」
「単純なことにございます。東美濃を少しでも多く攻め取っておかねば、武田を肥えさせることになっても、我らを肥やすことにはなりませぬ」
「それもそうじゃな。目下、甲州屋形とは同盟を結ばぬかと打診しておるところよ。これが上手くいけば、武田との諍い事でいらぬ気を回さずとも良くなる」
先般の武力衝突を受けて、信長は甲斐の虎との同盟締結を目論み、動き始めていた。これが成立すれば、双方ともに東美濃へ深入りせずに済むのだから悪い話ではなかろう、という主旨で、である。
「されど、武田へ従属することなく、未だ一色へ従う城主どもは悉く成敗しておく必要もございましょう。ましてや、堂洞城一帯は東美濃から信濃へ抜ける街道を占める要衝にございますれば、武田よりも早く攻め取っておくに越したことはございませぬ」
「さもありなん。然らば、三左衛門。そなたも肥前守らと合流し、堂洞城攻めに当たるがよい。良いか、抜かるでないぞ」
「はっ!しかと肝に銘じておきまする!」
美濃攻めに積極的な姿勢を見せる森三左衛門可成が退出していくと、次に信長のもとを訪れたのは重臣・林佐渡守秀貞であった。
「佐渡守、いかがした」
「はっ、南近江の六角家より使者が到着してございまする」
「なに、六角家よりの使者とな?して、用向きは」
「はっ、なんでも縁組の仲介をしたいとのことで」
一体誰と誰の縁組というのか。そこがはっきりしないことには信長といえども判断しかねる状況だが、ひとまず近江の守護職にある六角家からの使者を待たせるわけにもいかず、対面することとした。
「使者殿、遠路はるばる尾州まで参られた。某が織田上総介信長にござる」
「これは織田様。某は六角承禎が命を受けて派遣されて参った者にございます」
「なんと、六角家当主でなく、御隠居よりの使者であらせられたか」
使者は六角家の前当主である承禎より派遣されてきた者。六角承禎は八年前に嫡男である右衛門督義治へ家督を譲ってはいたが、実権を掌握し続けていた。
そんな六角家当主・義治は現在信長と交戦中の美濃一色氏とは同盟関係を結んでおり、信長から見れば六角家は目下の敵との同盟関係にある敵方とも呼べる勢力。
しかし、隠居の承禎は成り上がりの美濃一色氏風情と同盟を結んだことを快く思っておらず、かつて美濃守護であった土岐頼芸に姉妹が嫁いでいる関係から、その土岐氏を追放して国主となった美濃一色氏を快く思っていなかった。
隠居と当主による二頭体制でありながら、父子で外交面で意見が割れている六角家はちょうど家康が三河一向一揆勃発に頭を悩ませているのと同時期に、当主・義治が最有力の重臣で人望もあった後藤賢豊を観音寺城内で惨殺する観音寺騒動を起こし、父子ともども家臣によって居城を追放される事件が発生するなど、往時の勢いは失いつつあったが、未だ周辺諸国へ強い影響を与える勢力であった。
「して、承禎殿は何故某へ使者を派遣されたのか」
「はっ、それは縁組を仲介するためにございます」
「ふむ、縁組とな」
「はい。かつて当家に従属しておりました北近江の浅井備前守長政殿との縁談にございます」
「浅井備前守が武名、遠く尾州にまで轟いております。なんでも五年前の初陣にて六角軍を打ち破ったと」
にやり、と笑みを浮かべる信長はまるで使者を試しているかのようであった。かつて、自軍が敗北した相手ではないかと言わんばかりの言葉に使者もこみ上げるものがありながらも、じっと信長を睨み返し、主より与えられた使命を全うしようとする。
「使者殿、あえて神経を逆なでするようなことを申したこと、お詫び申し上げる。して、浅井備前守殿との縁組となれば、当家からは姫を出すこととなろう。されど、生憎嫁がせる齢となる娘がおらぬ。長女は今年で八ツになったばかり、七ツになる次女はすでに三河への輿入れが決まっておりますゆえ」
「娘である必要はございますまい。なんでも織田様にはそれはもうお美しい妹君がおられるとか」
「於市のことか。あれは今年で十九ともなる」
「はい。浅井備前守殿は齢二十一にございますれば、良き縁組ともなりましょう」
北近江の浅井家との同盟。これは信長にとっても望ましいことであった。何せ、美濃の一色氏を南と西から挟撃することが可能となり、美濃一色氏との戦いをより優位に進められるのだから。
「有り難き申し出、尾張守は快く承知したと承禎殿へお伝えあれ」
信長が浅井家へ妹を嫁がせることを承諾したことに安堵したのか、使者は腹の底から息を吐き出していた。
「されど、使者殿。何ゆえ、承禎殿は当家と浅井家の縁組を仲介するようなことをなされるのか。その真意が掴めませなんだ」
「これは織田様ゆえお伝えいたしまするが、実は先の将軍足利義輝公が弟、覚慶様の上洛に協力するべく野洲郡矢島に迎え入れる支度を進めているのでございます」
「ほう、左様にございましたか。某も覚慶様ご上洛に力添えしたいとは考えておりますが、何分にも美濃にてそれを阻む不届き者がおりますれば。それを成敗せねば、助力することも叶いませぬ」
「そのこと、我が主も承知しております。それゆえ、一刻も早く美濃との争いを終わらせ、上洛へお力添え願いたく」
信長はここへ来て、ようやく六角承禎の考えが読めた心地がした。
目下、停戦中の浅井家と織田家の間に婚姻同盟が締結できるよう仲介することで恩を売れば、浅井家との戦をする必要がなくなるどころか、織田家からも支援を引き出せる。
すでに美濃一色氏とも同盟を結んでため、これにて背後を気にせず、三好や松永へ戦を挑むことが出来るようになる、それすなわち背後固めが完成することを意味していた。
「然らば、使者殿。江州へ帰還なされたら、浅井備前守殿へお伝え願いたき儀がござる」
「承りまする」
「此度の縁組、まことめでたきこと。それゆえ、結婚にかかる費用一切を当家が負担すると」
「な、なんと!?」
当時のしきたりでは姫を迎える側、今回で言えば浅井家が結婚にかかる費用を負担するものであった。それを姫を送り出す織田家が全額負担するというのだから、使者が驚くのは無理もないことである。
「しょ、承知いたしました。然らば、その旨、主に伝えましたうえ、改めて浅井家へ使者を派遣いたしまする」
「お頼み申し上げる」
結婚にかかる費用は決して安くはない。しかし、信長にとって、これが美濃攻めの足掛かりともなるのならば、安い出費だと考えていたのであった。
そうして六角家の使者が信長の返答を胸に小牧山城を出立すると、入れ替わるように三河よりの使者が到着した。
「殿、左近将監にございます。岡崎より石川与七郎数正殿が到着。殿へ面会を求めておりまする」
「ほう、蔵人佐殿からの使者か。よい、これへ通せ」
「ははっ!」
松平家との取次を務める滝川左近将監一益もすっかり織田家臣として家中に馴染み、着実に実績を積み上げていた。そんな彼は信長をそう待たせることなく、石川与七郎を伴い、広間へと戻ってきたのである。
「殿、石川殿をお連れいたしました」
「ご苦労。石川殿、入られよ」
「ははっ!」
信長の許しを得て、石川与七郎は広間の内へと歩を進め、信長の正面に着座し一礼。滝川左近将監もまた、石川与七郎が着座したのを見届けてから髭を蓄えた厳めしい面で広間の隅に着座するのであった。
「突然の訪問となりましたこと、お詫び申し上げます」
「構わぬ。おれと蔵人佐殿との仲じゃ。口上は良いゆえ、さっそく用向きから伺おう」
「ははっ、まずは尾張一統が成せたこと、我が主は心底より喜んでおりますことをお伝え申し上げまする」
「蔵人佐殿に喜んでもらえること、この信長は誰に喜ばれるよりも嬉しき限りじゃ」
はじめ、石川与七郎は信長の言葉は建前であろうと思った。しかし、面を上げて信長の表情を拝してみれば、無邪気な少年のように笑っていたのだ。それが、紛れもない織田信長という男の本心なのだと、強制的に理解できた。
「次に、東三河攻めのことにございますが、残るは牛久保城のみとなりましてございます」
「ほう、吉田城を奪回し、渥美郡制圧まで成せたか。して、牛久保城は落とせたか」
「いえ、五月に公方様お討ち死なされたことを受けて、正親町天皇も弔意を示される意向であると耳にし、包囲を解き、全軍撤退と相成りました」
「そうか、蔵人佐殿も律儀なものよ。では、三河一統はまだまだ時を要するか」
「はっ!されど、牛久保城の牧野氏はこれ以上抗うつもりはなく、交渉にて決着する見通しにございますれば」
「それは祝着至極」
家康が東三河平定に苦戦していることは信長も知っていることであった。それだけに、あと少しで三河一統が成せる見通しが立ったことは、同盟者としてもこれ以上なく喜ばしいことであった。
「そうじゃ、先ほど六角家より使者が参った」
「なんと、近江守護よりご使者とは……!して、いかなる使者にございましたか」
「うむ、当家と北近江の浅井家の婚姻同盟の斡旋じゃ」
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「おそらく、先の公方様のご令弟であらせられる覚慶様ご上洛へ協力するための背後固めであろうと、おれは見ておる」
信長のこの一言で聡い石川与七郎は周辺を取り巻く情勢の大半を掴んでいた。無論、それほどの傑物であろうことは、信長も理解したうえで情報を共有していたのであるが。
「では、織田家は覚慶様ご上洛へ協力なされるご所存で」
「うむ。そのつもりじゃが、蔵人佐殿はいかがいたすつもりか」
「我が主も同意見にございましょう。されど、当家へは何の要請も入っておりませぬゆえ、協力のしようもございませぬが」
「ふっ、そうか。されど、要請さえ入れば表明する用意はある、と蔵人佐殿は申しておったのだな」
「はい。それゆえ、織田殿がいかがなされるか、そのお考えを承りたく、こうして某が派遣されたのでございます」
信長は家康の慎重さに思わず笑みがこぼれた。しかし、同盟先と足並みを揃えようという心がけは同盟先としては有り難いことこの上なく、同盟相手として実に信用に足る行為であった。
「よく分かった。それに、覚慶様ご上洛へ協力することを表明するのは当家にとっても松平にとっても必ずや良き方向へ働くであろう」
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「良いか、当家と松平家が覚慶様ご上洛へ協力するとなれば、今川家はいかがする」
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「そうじゃ。そして、その行為は先の公方様殺害に承服しかねると立ち上がられた覚慶様に同意しない、すなわち三好や松永が行いを否定しないと解釈される。これは覚慶様が上洛なされて幕府将軍となられた暁には、どのように働くであろうか」
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歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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