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第4章 苦海の章
第129話 東条城攻略に向けて
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永禄四年も六月となった。夏らしい暑さに心身が疲弊させられる中でも、三河では日々紛争が絶えなかった。
元康は竹千代を取り戻すために何ができるかを考えつつも、目の前の戦局をいかにして打開していくか。そちらにも目を向けなければならなかった。
その日、元康は阿部四郎兵衛忠政や還俗したばかりの大久保平右衛門忠員の三男・大八郎忠包らを伴って岡崎城から南へ向かい、青野の地へ入っていた。言わずもがな、青野松平家の居館にて東条城攻略に向けての軍評定を執り行わんがためである。
加えて、碧海郡土居郷の領主である元康家臣・本多豊後守広孝も評定に加わるべく参集し、居館は味方で溢れかえっていた。
そんな中を二十歳の若き当主・元康は二十二歳の若武者・大久保大八郎、齢三十となった弓の名手・阿部四郎兵衛。加えて、三十四と年長者であり、青野松平家当主の亀千代が叔母を正室としている本多豊後守を従えて屋敷の大広間へ堂々たる態度で入室した。
すでに広間には六ツとなった幼君・松平亀千代が上座を譲った状態で座しており、その傍らには亀千代の後見役である齢四十一と老境に差し掛かっている松井左近忠次が付き添っている。
他にも、大樹寺で一度会ったことのある少年・尾崎半平、昨年の今川義元による尾張侵攻時、青野松平家の陣代として参陣していた平岩権太夫元重と平岩矢之助基親の両名も出席するなど、重臣と呼べる人間が勢ぞろいしている様子であった。
「蔵人佐殿、此度ははるばる当家の屋敷までお越しくださり、かたじけのうござる」
「構わぬ。東条城攻略を成さねばならぬことはこの場におる皆が願いを同じくするところであろう。そのためならば、こうして集まることなど苦労のうちには入らぬ」
「はっ!そのお言葉が聞けて安堵いたしました。然らば、さっそく評定へ移りたく存じまするが、よろしいでしょうか」
元康がゆっくりと頷いたのを確認し、青野松平家家老・松井左近は尾崎半平に東条城付近の地図を床板の上に広々と広げさせる。
「まず、東条城南の幡豆郡寺部城を本貫とする小笠原安芸家の小笠原左衛門佐広重。加えて、欠城を本拠とする小笠原摂津守家の小笠原高安の両家を調略によって寝返らせることに成功いたしました」
「おおっ、それはまことか!」
「はっ!どうやら、赤羽根城の高橋政信滅亡と西尾城の酒井雅楽助殿が度々行われた侵攻が決め手となり、今川方離反を決めたとのこと」
元康としても南の幡豆郡にて抵抗勢力が二つも消失したことは朗報以外何物でもなかった。そこで、上機嫌の元康からも形原松平家のことで報告がなされる。
「我らが今川方を離反した折、ともに今川家を離反した形原松平であるが、深溝松平家の主殿助伊忠殿との所領争いで、わしが不利な裁定を下したことに不満を抱き今川方に与しておったことは皆も存じておろう。その形原松平じゃが、先月の中頃に同じ今川方である小笠原左衛門佐と所領争いをするようになり、帰順すると申し出てきており、わしはこれを承諾しておる」
元康が一体何を言いたいのか。察しの良い松井左近や土居の本多豊後守らにはすぐさま見当がついたようであった。
そう、元康に味方する深溝松平家と所領で揉めて今川方へ寝返っていた形原松平家は、隣接する幡豆小笠原家と所領絡みで諍いを起こして元康へ再び帰順した。
そして、今回松井左近が調略した小笠原左衛門佐こそ、その形原松平家と所領のことで諍いを起こしていた相手であるのだ。元康として困ったことになったのは、この両者の所領のことである。
「良いか、所領のことで不満を募らせて寝返った形原松平のことじゃ。おそらく、今なお所領の事で揉めておる小笠原左衛門佐が当家に従ったと聞けば、どう出るであろうか。分かるか、阿部四郎兵衛」
「はっ、またもや当家を離反するのではないかと」
「そうじゃ。それを防ぐには両者の所領について、この元康が両者の顔が立つように取りまとめなければ、いずれかがまたもや敵に回ることとなる。これは厄介なことであろう」
なあなあで済ませておけば、味方同士で所領をめぐって血みどろな内輪揉めを繰り広げるであろうし、下手な裁定を下せば、不服に思ったいずれかが再度今川方となり、敵対することは明白。
「これはちと厄介なこととなりましたな」
「なに、松井左近。調略を成したことを攻めておるのではない。両者が納得するように取り計らうのは、わしの役目じゃ。それに取りかかる前に弱いわしが愚痴をこぼしただけなのだと、左様に思うておればよい」
「はっ、ははっ!」
苦笑しながら返事をする松井左近。元康は場の空気を悪くしてしまったことを反省しながらも、評定の進行を担う松井左近へ柔和な眼差しを向ける。
「すまぬな、他ならぬわしが話題を逸らしてしもうた。松井左近、続きを頼む」
「ははっ!然らば、進めさせていただきまする。幡豆郡の小笠原家を味方としたことで、孤立を深めた東条城にございまするが、一挙に城を落とすのではなく、少しずつ東条領を確保する動き、すなわち付城を築城していくのがよろしいかと」
「ほう、付城か。良いではないか。松井左近、そなたは何処の地に築城するのが良いと考えるか。腹蔵なく申してみよ」
「はっ、その儀ならば東条城の南西、小牧の地に砦を普請するのがよろしいかと」
松井左近が人差し指で指し示した小牧の地。その立地に元康も満足げに頷き、続けて東条城南の二ヵ所を指さした。
「この津平と友国にも砦を築いてはどうか。敵が南へ逃げるのを阻止するのにうってつけであろう。加えて、二ヵ月前に善明堤にて深溝の松平大炊助好景らを討った富永伴五郎忠元が居城である室城も動けぬよう、砦を普請するのが良いと思う」
「殿。然らば、某は糟塚の地がよろしいかと存じまする」
元康は本多豊後守が指し示した糟塚が立地的に室城を抑えるのに適していると判断したため、この意見も容れられることとなった。
「よし、築く砦は小牧、津平、友国、糟塚の四ヵ所といたす!まずは小牧砦築城は譜代家臣である本多豊後守に命じる。築城後は兵三百で守備につくように」
「委細承知いたしましてございます!」
「うむ。津平と友国の普請は松井左近を筆頭とした青野松平家に担ってもらうことといたす。砦完成後は松井左近、兵二百ほどで守備につくのじゃ」
「御意!」
「最後じゃが、室城の抑えとなる糟塚砦は幡豆小笠原家より人夫を出させ、完成後は欠城の小笠原高安に兵二百ほどで守らせるとしようぞ。うむ、これならば東条城の者共も手も足も出まい」
蟻の這い出る隙間もない、と言えば嘘になる。されど、周囲から味方が悉く消失していく情勢の中で籠城を決め込む東条城の吉良勢にとって、またとない圧力となった。
「義昭様!一大事にございまする!」
血の気の失せた様子で東条城の広間へ駆けこんできたのは家老の富永伴五郎忠元であった。
「伴五郎!さように血相を変えていかがしたのじゃ!」
「それが、敵方が小牧、津平、友国、糟塚に砦普請を始めたのでございます!」
「なにっ!それでは、敵は我らを兵粮攻めにするつもりであろうか」
「そうではありますまい。陰湿な松平蔵人佐がことです!長期戦と見せて我らが油断したところを急襲してくるつもりにございましょう」
舌打ちしながら元康の狙いを看破したかのように主君へ己が意見を主張する吉良伴五郎。その言葉に、吉良義昭は大いに心を揺さぶられていた。
「うぬぬっ!そうなれば、勝ち目はあるのか!」
「籠城したままでは勝てませぬ。ここは砦が完成するのを待ち、我らは臆病風に吹かれて城から出てこぬと思わせておき、敵がのこのこと進軍して参ったところを出撃して殲滅いたしまする。無論、某が戦場へ赴き采配いたしまするゆえ、義昭様は東条城にて腰を据えて吉報をお待ちいただければよろしゅうございます」
「左様か!ならば、今しばらくは砦が完成するのを黙って待つことといたそうぞ!」
吉良義昭の決断を笑顔で肯定する富永伴五郎に対し、怪訝そうな面持ちでそれを見守っていたのは大河内金兵衛秀綱と大河内善兵衛正綱の両名であった。
「善兵衛殿、富永伴五郎殿が申していることが危ういとは思われませぬか」
「やはり金兵衛殿も左様に思われたか。拙者も同じことを考えておった。されど、ご主君は戦のことに関しては富永伴五郎殿に無二の信頼を置いておられる。到底我らの意見など聞き入れられまい」
「それもそうですな。されど、某には敵が富永伴五郎殿が大人しく籠城していられる性分でないこと、すでに見抜いておるように思えてならぬ」
富永伴五郎の進言に一抹の不安を抱く大河内金兵衛と大河内善兵衛の両名であったが、結局、吉良義昭へそのことを告げることはなく、時が過ぎていくのであった。
――そうして六月も時が過ぎていく。
十一日には作手亀山城の奥平監物丞定能が三河情勢を鑑みたうえで、改めて今川家への忠節を明確に表明。
さらに九日後の二十日には今川氏真の命によって牛久保城への在番衆にも事細かな指示が入り、牛久保城の守備はより強固に固められることとなった。
そんな氏真は駿府館にて刻一刻と悪化しつつある三河情勢への対応に苦慮していたのである。
弟分のように目をかけてきた元康が父・義元の仇である織田信長と同盟し、本格的に今川家に従属する国衆の領土を侵略し始めたなど、信じがたいことであった。
当初は元康の叛乱であると認識していた西三河での異変も、それに加担する国衆が出始めたことから、「三州過半錯乱」「三州錯乱」と認識を改めざるを得なかった。元康がどうして背いたのかと悩み続ける氏真のもとへ、北条助五郎氏規が訪ねてきていた。
「御屋形様。ご機嫌麗しゅうございます」
「助五郎!何がご機嫌麗しいものか!元康が!元康が裏切ったのじゃ!そのことを予が心穏やかにしておれると思っての発言か!」
「お、落ち着いてくださいませ!何もそのようなつもりで申したのではございませぬ!」
さすがに平静さを失った氏真を抑えることなど、北条助五郎であっても難儀する事柄であった。挨拶を途中で遮って激昂するなど、常の氏真からは考えられないこと。何より、目の下にできているクマが氏真の様子を表していると言っても過言ではなかった。
「元康が予を裏切るなど、あってはならぬのじゃ。あってはならぬ……」
「されど、逆心は事実にございまする。加えて、それに与する国衆らも現れた以上は、鎮圧するより他はございますまい」
「助五郎。関東がことは聞いておろうな」
「はっ、上杉弾正少弼政虎が越後へ帰国したことにございまするな。それを受けて、我が父北条左京大夫氏康も反転攻勢に出る支度を進めておるところにございますれば」
何ゆえに氏真が急に関東のことを話題と出そうとしたのか。北条助五郎ははじめ、元康のことを話題とするのが嫌になったのであろうと、左様に考えていた。それゆえに、高ぶった氏真の感情を鎮めるためにも、相槌を打ちながら関東のことへ話題をすり替えたのである。
だが、次の瞬間には北条助五郎でも理解が追いつかない速度で話が進展していく。
「人質はすべて処刑せよ」
「いっ、今、何と仰られましたか」
「吉田城におる予に背いた国衆どもの人質は皆処刑するのだ。そして、上杉弾正少弼を徳栄軒信玄殿と北条左京大夫殿が相手にしておる間に元康を屈服させる」
突如として関東情勢に触れたのは、上杉弾正少弼が動きを共通認識とするため。そして、上杉弾正少弼が関東におらぬ間に、元康とそれに与する国衆らを屈服させるというのが、氏真の考えであるらしかった。
「処刑するのは吉田城におる人質とおっしゃられましたが、どなたを処刑されるおつもりか、伺いおきたく存じまするが」
「うむ。竹谷松平備後守清善の妻と娘、形原松平薩摩守家広の妻とその次男の左近、野田菅沼新八郎定盈の正室、長篠菅沼貞景の妻、西郷弾正左衛門正勝が正室、水野藤兵衛の妻、大竹兵右衛門の妻、浅羽三太夫の妻、浅羽三太夫の娘、大竹麦右衛門の妻、設楽越中守貞通の正室の十三名じゃ。田峯菅沼よりの人質については作手亀山の奥平監物丞より今一度当家に従うよう説き伏せるゆえ待ってほしいと申し入れがあったゆえ、今しばらく待つこととする」
「なるほど。それを実行いたすは吉田城代の大原肥前守殿にございまするか」
「いかにも。その後に菅沼新八郎の野田城攻めを命じるつもりじゃ。そして、年内には予自ら征伐軍を率いて三河へ向かう!」
決然たる語調の氏真に、背筋が凍る想いで頭を下げる北条助五郎なのであった。
元康は竹千代を取り戻すために何ができるかを考えつつも、目の前の戦局をいかにして打開していくか。そちらにも目を向けなければならなかった。
その日、元康は阿部四郎兵衛忠政や還俗したばかりの大久保平右衛門忠員の三男・大八郎忠包らを伴って岡崎城から南へ向かい、青野の地へ入っていた。言わずもがな、青野松平家の居館にて東条城攻略に向けての軍評定を執り行わんがためである。
加えて、碧海郡土居郷の領主である元康家臣・本多豊後守広孝も評定に加わるべく参集し、居館は味方で溢れかえっていた。
そんな中を二十歳の若き当主・元康は二十二歳の若武者・大久保大八郎、齢三十となった弓の名手・阿部四郎兵衛。加えて、三十四と年長者であり、青野松平家当主の亀千代が叔母を正室としている本多豊後守を従えて屋敷の大広間へ堂々たる態度で入室した。
すでに広間には六ツとなった幼君・松平亀千代が上座を譲った状態で座しており、その傍らには亀千代の後見役である齢四十一と老境に差し掛かっている松井左近忠次が付き添っている。
他にも、大樹寺で一度会ったことのある少年・尾崎半平、昨年の今川義元による尾張侵攻時、青野松平家の陣代として参陣していた平岩権太夫元重と平岩矢之助基親の両名も出席するなど、重臣と呼べる人間が勢ぞろいしている様子であった。
「蔵人佐殿、此度ははるばる当家の屋敷までお越しくださり、かたじけのうござる」
「構わぬ。東条城攻略を成さねばならぬことはこの場におる皆が願いを同じくするところであろう。そのためならば、こうして集まることなど苦労のうちには入らぬ」
「はっ!そのお言葉が聞けて安堵いたしました。然らば、さっそく評定へ移りたく存じまするが、よろしいでしょうか」
元康がゆっくりと頷いたのを確認し、青野松平家家老・松井左近は尾崎半平に東条城付近の地図を床板の上に広々と広げさせる。
「まず、東条城南の幡豆郡寺部城を本貫とする小笠原安芸家の小笠原左衛門佐広重。加えて、欠城を本拠とする小笠原摂津守家の小笠原高安の両家を調略によって寝返らせることに成功いたしました」
「おおっ、それはまことか!」
「はっ!どうやら、赤羽根城の高橋政信滅亡と西尾城の酒井雅楽助殿が度々行われた侵攻が決め手となり、今川方離反を決めたとのこと」
元康としても南の幡豆郡にて抵抗勢力が二つも消失したことは朗報以外何物でもなかった。そこで、上機嫌の元康からも形原松平家のことで報告がなされる。
「我らが今川方を離反した折、ともに今川家を離反した形原松平であるが、深溝松平家の主殿助伊忠殿との所領争いで、わしが不利な裁定を下したことに不満を抱き今川方に与しておったことは皆も存じておろう。その形原松平じゃが、先月の中頃に同じ今川方である小笠原左衛門佐と所領争いをするようになり、帰順すると申し出てきており、わしはこれを承諾しておる」
元康が一体何を言いたいのか。察しの良い松井左近や土居の本多豊後守らにはすぐさま見当がついたようであった。
そう、元康に味方する深溝松平家と所領で揉めて今川方へ寝返っていた形原松平家は、隣接する幡豆小笠原家と所領絡みで諍いを起こして元康へ再び帰順した。
そして、今回松井左近が調略した小笠原左衛門佐こそ、その形原松平家と所領のことで諍いを起こしていた相手であるのだ。元康として困ったことになったのは、この両者の所領のことである。
「良いか、所領のことで不満を募らせて寝返った形原松平のことじゃ。おそらく、今なお所領の事で揉めておる小笠原左衛門佐が当家に従ったと聞けば、どう出るであろうか。分かるか、阿部四郎兵衛」
「はっ、またもや当家を離反するのではないかと」
「そうじゃ。それを防ぐには両者の所領について、この元康が両者の顔が立つように取りまとめなければ、いずれかがまたもや敵に回ることとなる。これは厄介なことであろう」
なあなあで済ませておけば、味方同士で所領をめぐって血みどろな内輪揉めを繰り広げるであろうし、下手な裁定を下せば、不服に思ったいずれかが再度今川方となり、敵対することは明白。
「これはちと厄介なこととなりましたな」
「なに、松井左近。調略を成したことを攻めておるのではない。両者が納得するように取り計らうのは、わしの役目じゃ。それに取りかかる前に弱いわしが愚痴をこぼしただけなのだと、左様に思うておればよい」
「はっ、ははっ!」
苦笑しながら返事をする松井左近。元康は場の空気を悪くしてしまったことを反省しながらも、評定の進行を担う松井左近へ柔和な眼差しを向ける。
「すまぬな、他ならぬわしが話題を逸らしてしもうた。松井左近、続きを頼む」
「ははっ!然らば、進めさせていただきまする。幡豆郡の小笠原家を味方としたことで、孤立を深めた東条城にございまするが、一挙に城を落とすのではなく、少しずつ東条領を確保する動き、すなわち付城を築城していくのがよろしいかと」
「ほう、付城か。良いではないか。松井左近、そなたは何処の地に築城するのが良いと考えるか。腹蔵なく申してみよ」
「はっ、その儀ならば東条城の南西、小牧の地に砦を普請するのがよろしいかと」
松井左近が人差し指で指し示した小牧の地。その立地に元康も満足げに頷き、続けて東条城南の二ヵ所を指さした。
「この津平と友国にも砦を築いてはどうか。敵が南へ逃げるのを阻止するのにうってつけであろう。加えて、二ヵ月前に善明堤にて深溝の松平大炊助好景らを討った富永伴五郎忠元が居城である室城も動けぬよう、砦を普請するのが良いと思う」
「殿。然らば、某は糟塚の地がよろしいかと存じまする」
元康は本多豊後守が指し示した糟塚が立地的に室城を抑えるのに適していると判断したため、この意見も容れられることとなった。
「よし、築く砦は小牧、津平、友国、糟塚の四ヵ所といたす!まずは小牧砦築城は譜代家臣である本多豊後守に命じる。築城後は兵三百で守備につくように」
「委細承知いたしましてございます!」
「うむ。津平と友国の普請は松井左近を筆頭とした青野松平家に担ってもらうことといたす。砦完成後は松井左近、兵二百ほどで守備につくのじゃ」
「御意!」
「最後じゃが、室城の抑えとなる糟塚砦は幡豆小笠原家より人夫を出させ、完成後は欠城の小笠原高安に兵二百ほどで守らせるとしようぞ。うむ、これならば東条城の者共も手も足も出まい」
蟻の這い出る隙間もない、と言えば嘘になる。されど、周囲から味方が悉く消失していく情勢の中で籠城を決め込む東条城の吉良勢にとって、またとない圧力となった。
「義昭様!一大事にございまする!」
血の気の失せた様子で東条城の広間へ駆けこんできたのは家老の富永伴五郎忠元であった。
「伴五郎!さように血相を変えていかがしたのじゃ!」
「それが、敵方が小牧、津平、友国、糟塚に砦普請を始めたのでございます!」
「なにっ!それでは、敵は我らを兵粮攻めにするつもりであろうか」
「そうではありますまい。陰湿な松平蔵人佐がことです!長期戦と見せて我らが油断したところを急襲してくるつもりにございましょう」
舌打ちしながら元康の狙いを看破したかのように主君へ己が意見を主張する吉良伴五郎。その言葉に、吉良義昭は大いに心を揺さぶられていた。
「うぬぬっ!そうなれば、勝ち目はあるのか!」
「籠城したままでは勝てませぬ。ここは砦が完成するのを待ち、我らは臆病風に吹かれて城から出てこぬと思わせておき、敵がのこのこと進軍して参ったところを出撃して殲滅いたしまする。無論、某が戦場へ赴き采配いたしまするゆえ、義昭様は東条城にて腰を据えて吉報をお待ちいただければよろしゅうございます」
「左様か!ならば、今しばらくは砦が完成するのを黙って待つことといたそうぞ!」
吉良義昭の決断を笑顔で肯定する富永伴五郎に対し、怪訝そうな面持ちでそれを見守っていたのは大河内金兵衛秀綱と大河内善兵衛正綱の両名であった。
「善兵衛殿、富永伴五郎殿が申していることが危ういとは思われませぬか」
「やはり金兵衛殿も左様に思われたか。拙者も同じことを考えておった。されど、ご主君は戦のことに関しては富永伴五郎殿に無二の信頼を置いておられる。到底我らの意見など聞き入れられまい」
「それもそうですな。されど、某には敵が富永伴五郎殿が大人しく籠城していられる性分でないこと、すでに見抜いておるように思えてならぬ」
富永伴五郎の進言に一抹の不安を抱く大河内金兵衛と大河内善兵衛の両名であったが、結局、吉良義昭へそのことを告げることはなく、時が過ぎていくのであった。
――そうして六月も時が過ぎていく。
十一日には作手亀山城の奥平監物丞定能が三河情勢を鑑みたうえで、改めて今川家への忠節を明確に表明。
さらに九日後の二十日には今川氏真の命によって牛久保城への在番衆にも事細かな指示が入り、牛久保城の守備はより強固に固められることとなった。
そんな氏真は駿府館にて刻一刻と悪化しつつある三河情勢への対応に苦慮していたのである。
弟分のように目をかけてきた元康が父・義元の仇である織田信長と同盟し、本格的に今川家に従属する国衆の領土を侵略し始めたなど、信じがたいことであった。
当初は元康の叛乱であると認識していた西三河での異変も、それに加担する国衆が出始めたことから、「三州過半錯乱」「三州錯乱」と認識を改めざるを得なかった。元康がどうして背いたのかと悩み続ける氏真のもとへ、北条助五郎氏規が訪ねてきていた。
「御屋形様。ご機嫌麗しゅうございます」
「助五郎!何がご機嫌麗しいものか!元康が!元康が裏切ったのじゃ!そのことを予が心穏やかにしておれると思っての発言か!」
「お、落ち着いてくださいませ!何もそのようなつもりで申したのではございませぬ!」
さすがに平静さを失った氏真を抑えることなど、北条助五郎であっても難儀する事柄であった。挨拶を途中で遮って激昂するなど、常の氏真からは考えられないこと。何より、目の下にできているクマが氏真の様子を表していると言っても過言ではなかった。
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「されど、逆心は事実にございまする。加えて、それに与する国衆らも現れた以上は、鎮圧するより他はございますまい」
「助五郎。関東がことは聞いておろうな」
「はっ、上杉弾正少弼政虎が越後へ帰国したことにございまするな。それを受けて、我が父北条左京大夫氏康も反転攻勢に出る支度を進めておるところにございますれば」
何ゆえに氏真が急に関東のことを話題と出そうとしたのか。北条助五郎ははじめ、元康のことを話題とするのが嫌になったのであろうと、左様に考えていた。それゆえに、高ぶった氏真の感情を鎮めるためにも、相槌を打ちながら関東のことへ話題をすり替えたのである。
だが、次の瞬間には北条助五郎でも理解が追いつかない速度で話が進展していく。
「人質はすべて処刑せよ」
「いっ、今、何と仰られましたか」
「吉田城におる予に背いた国衆どもの人質は皆処刑するのだ。そして、上杉弾正少弼を徳栄軒信玄殿と北条左京大夫殿が相手にしておる間に元康を屈服させる」
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「処刑するのは吉田城におる人質とおっしゃられましたが、どなたを処刑されるおつもりか、伺いおきたく存じまするが」
「うむ。竹谷松平備後守清善の妻と娘、形原松平薩摩守家広の妻とその次男の左近、野田菅沼新八郎定盈の正室、長篠菅沼貞景の妻、西郷弾正左衛門正勝が正室、水野藤兵衛の妻、大竹兵右衛門の妻、浅羽三太夫の妻、浅羽三太夫の娘、大竹麦右衛門の妻、設楽越中守貞通の正室の十三名じゃ。田峯菅沼よりの人質については作手亀山の奥平監物丞より今一度当家に従うよう説き伏せるゆえ待ってほしいと申し入れがあったゆえ、今しばらく待つこととする」
「なるほど。それを実行いたすは吉田城代の大原肥前守殿にございまするか」
「いかにも。その後に菅沼新八郎の野田城攻めを命じるつもりじゃ。そして、年内には予自ら征伐軍を率いて三河へ向かう!」
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フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
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対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
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