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第4章 苦海の章
第140話 CLANDは人生
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牧野民部丞成定や牛久保六騎らが奮戦した甲斐もあって、元康率いる松平勢をあっさり撃退することに成功した東三河の今川方。
東三河における松平方劣勢という状況を挽回すること叶わず。そんな結果は東三河の今川方を勢いづかせることになっていく――
そうして無念の撤退となったかに見える元康であったが、その瞳から希望は失われていなかった。それは豊川八幡宮にて本多弥八郎正信の献策を受けてのことでもあった。
「殿、牛久保城よりも先に押さえるべきは上之郷城にございまする」
「上之郷城といえば、鵜殿藤太郎長照が城であろう。そこまで攻勢に出て参るわけではないゆえ、竹谷松平家や深溝松平家、形原松平家、五井松平家、寝返った大塚城で囲んでおるゆえ何もできぬ」
「いかにも。されど、鵜殿領を制圧できないがために、当家が牛久保城攻めのために平坂街道を利用できず、もっぱら東海道を進むのみ。これでは、牧野勢も松平勢は東海道を使って攻めてくることが容易に想定でき、此度のように迎撃されてしまいまする」
近侍の者たちに広げさせた絵図の上を人差し指で指し示しながら、元康や大久保七郎右衛門忠世といった周囲の者たちを引き込むように巧みな話術で話し続ける本多弥八郎。そんな彼の指は東海道をなぞった後、件の平坂街道へと移動する。
「されど、この上之郷攻略が成せた暁には無事に平坂街道を利用できまする。これまで鵜殿勢の監視に割いていた松平勢は無論のこと、わざわざ東海道を経由させねばならなかった幡豆郡の小笠原勢なども平坂街道を通し、牛久保城攻めへ回すことができましょう」
「それはそうじゃが……」
「殿はいささか性急すぎまする。この際言わせていただきまするが、無駄が多い。西三河にある兵力や同盟先、これらを余すことなく活かすことができなければ、到底東三河制圧は成せませぬ。ましてや、今川氏真を退けることなど、絵空事に終わりましょう」
無礼極まりない発言が次々に飛び出し、傍で聞いていた者の多くは今にも刀の柄に手をかけて、本多弥八郎を斬り捨てんとする。これを元康が制し、本多弥八郎に発言を続けさせていく。
「同盟先である織田家は美濃攻めに目が向いておりましょう。中でも、織田信長殿は殿がおれば三河制圧は成せると思うておられましょうが、今川氏真自らが出陣してくる気配があり、独力で防ぐことは叶わぬゆえ、援軍を派遣していただきたいと意地にならずにお伝えなされませ」
「援軍か。じゃが、美濃の一色家との戦局は一進一退と聞くゆえ、援軍など派遣する余力がどこにあると申すのか」
「知多半島にようけございましょう。温存された兵力が」
「あっ、水野か!」
「いかにもに。水野下野守信元殿は聡いお方。松平が崩れれば次は己であることはよくよくご承知のはず。従属先の織田から承諾が得られれば、織田家の援軍として水野勢がやって参ります。これに西三河にて従わぬ国衆どもを見張らせるなり、東三河へ投入するなりすれば、今よりも戦いは優位に運べましょう。その三家の軍事は密に連携するか否かを確かめるのにうってつけなのが、ここ、上之郷城であると本多弥八郎は考えまする。いかがでしょうや」
無礼な発言がいくつも放出されたが、元康としては耳の痛い意見ばかり。何より、手詰まり感のある以上、本多弥八郎が申した策の方が現状を打破する可能性は高い。いずれにせよ、大博打の始まりではあるが、元康は本多弥八郎の献策に賭けてみることを決めたのである。
十一月、岡崎城へ帰城した元康がまず出した指示は松井左近忠次に対してであった。上之郷城の南東に位置する松崎城の金田元政を降伏させるように、という内容のものであった。
加えて、鵜殿家についての情報収集を欠かすことなく行い、いかにして鵜殿領を攻略するかの策を練っていた。そんな折、酒井左衛門尉忠次と竹谷松平家当主・松平備後守清善、五井松平家の御隠居・松平太郎左衛門元心が連れ立って訪ねてきたのである。
「殿、此度お伺いいたしましたのは、某から報告したき儀が一つござること。加えて、これへおられる両名よりも報告があるとのことで同伴していただきました」
「なるほど。よし、ならば先に備後守殿と太郎左衛門殿の用件を伺うことといたそう。さっ、ご両名とも前へ」
元康に促される形で遠慮気味に数歩前へと進み出た松平備後守と松平太郎左衛門。齢八十一と高齢でもある松平太郎左衛門に代わり、齢五十七の松平備後守が発言する。
「然らば、某よりご報告いたしまする。柏原家の鵜殿長祐と鵜殿藤助長忠が調略、成せましてございます」
「なんと!鵜殿家の庶流筋の者を寝返らせたと!」
「はっ!実は、鵜殿長祐と養嗣子である鵜殿藤助の両名とは連歌を嗜む者同士、太郎左衛門殿ともども付き合いがございました。十七年前の西郡千句興行の折には善明寺堤で戦死した深溝松平家の大炊助殿も交えて、句会に参加したこともございます」
「なるほど、連歌を通じての交流とはまた風流な。じゃが、鵜殿藤助は上之郷の鵜殿藤太郎長照が実弟であったと記憶しておるが、よく調略が成せたものじゃ」
「実を申せば、もとより兄弟仲はよろしくございませぬ。ゆえに、所領さえ安堵していただけるならば、兄の上之郷城攻めでは先鋒を承りたいと」
本家を継いだ兄。分家へ養子に出された弟。兄は織田の大軍に囲まれても大高城で今川義元の援軍が来るまで粘ったほど今川家への忠義に厚い。
対する弟は兄ほどの忠誠心はなく、所領は松平方と隣接していることもあり、松平家に攻められては叶わないと思っているのだろうと、元康は推測した。
「なんにせよ、ご両名とも大手柄。これにて鵜殿領を攻めとることも容易くなろう」
「殿!某からも鵜殿攻めのことで報告したきことがございまする!」
「おう、左衛門尉の報告とやらも鵜殿に関わる事であったか。よし、申してみよ」
鵜殿氏の本家である上之郷城を攻略する前に、三つある下之郷家、柏原家、不相城の分家のうち、一つでも味方に取り込むことができたのは実に大きな成果であった。それを喜ぶ元康へ、酒井左衛門尉よりさらなる吉報がもたらされる。
「実は今朝方、松井左近殿より報せがあり、下之郷城の鵜殿長龍の調略が成せたとのこと。このことを至急取り次いでもらいたいと書状が届きましたゆえ、ご報告に上がった次第にございます」
「そうか!下之郷城の鵜殿長龍も寝返らせたか!三つある分家のうち、二つを押さえたは大きい。ならば、上之郷城攻めにおいて先鋒を務め上げたならば所領は安堵する旨を下之郷城の鵜殿長龍へ伝えよ。これで、攻略の道筋は経った。じゃが、もう一手欲しいところではある」
「然らば、松井左近殿より甲賀衆を用いてはどうか、との献策が届いておりまする」
「なに、甲賀衆じゃと」
「はい。酒井雅楽助殿が入っておられる西尾城に伴資家、伴盛陰、伴資定といった伴氏党類八十余人がおりますゆえ、それを用いてはいかがかと」
武士として甲賀衆の力を借りて城を落とすなど、あまり褒められたやり方ではない。
だが、ここで武士の意地だのにこだわっていては、上之郷城攻めにおいていたずらに犠牲を増やすのみ。それこそ、元康の本意ならざるところであった。何より、盟友・織田信長であれば如何にするかを考えれば、元康がどうするべきか、自ずと明らかになる。
「よかろう。その甲賀衆も城攻めに用いる。内密に彼らとも連絡を取り、どのような働きができるかを聞き取りし後、策を講じてみようぞ。左衛門尉はわしがそう申しておったこと、松井左近へしかと伝えておいてくれ」
「承知いたしました。柏原家と下之郷家の調略が成せたことを知れば、松井左近殿も松崎城の攻略が容易になったと喜ばれましょう」
かくして、酒井左衛門尉らからの報告も済み、元康は改めて敵味方の配置を記した絵図を見ながら情勢を見ていく。平坂街道を塞ぐ敵も、気がつけば鵜殿藤太郎長照が居城・上之郷城と分家の不相城の鵜殿家のみとなっている。
「やはり本多弥八郎が申しておったことは正しそうじゃ。東海道さえ開けば牛久保城を攻められると考え、平坂街道を後回しにしておったが、どちらの街道も通行できるに越したことはなさそうじゃ。あとは、織田家へ援軍を要請し、水野家の軍勢を呼び込むこと。これまでは同盟先の援軍を得ることを疎かにしていたが、今後はそうも言っておられぬし、本腰入れて取り組むこととしよう」
そうして元康が清洲城の織田上総介信長へ援軍を要請し、その援軍として水野下野守信元ら水野勢を送ってもらうよう調整を行う頃、京付近では三好義興と松永弾正久秀が六角承禎らと戦い、関東での戦局も上野を起点に変化が起ころうとしていた。
主家である山内上杉家が北条勢によって勢いを失った後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を六度に渡って撃退し、「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」と武田信玄を嘆かせた智将・長野業正が、十一月二十二日に死去したのである。
当然、武田信玄もこれを逃すまいと長野業正の跡を継いだ若年の長野業盛を攻め始める。同じく、北条左京大夫氏康もまた鉢形城で軍勢を整えると、松山城を奪還するべく家臣の上田朝直や大道寺重興らに城を包囲させる動きに出た。
そんな松山城から救援要請を受け、重臣の柿崎景家や上杉政虎の姉婿にあたる長尾政景が指揮する越後上杉軍が武蔵を目指すも、その途次を北条左京大夫自らが指揮する北条軍の奇襲を受けて敗退する生野山の戦いが勃発。
そのまま北条軍は撤退する上杉軍を追いかけるように上野武蔵境へ進出し、秩父高松城を降伏させ、五男・藤田氏邦の領国の回復を成功させる戦果を挙げるも、松山城の攻略には失敗してしまう。
しかし、生野山の戦いで上杉軍に勝利した勢いで、北条軍は西上野を攻める武田軍と協調しながら反撃を本格化させていく。
『敵の敵は味方』という言葉があるが、元康にとって越後の上杉弾正少弼政虎の存在は文字通り、そんな存在であった。しかし、関東方面で今川氏真の同盟先である北条家や武田家が戦を優位に進めていることは、その味方が苦戦している、すなわち元康にとってまったくもって凶報である。
小田原城を上杉政虎が包囲してより八ヵ月のうちに、北条勢は勢いを盛り返しつつある。それは今川氏真が東にばかり注力する必要がなくなったことは、元康にとって福と転じることのできない災いであった。
そんな上杉弾正少弼政虎が十二月に入り、将軍・足利義輝から一字を賜り、諱を「輝虎」と改めたのだが、関東情勢は芳しくない状況にあることは変わりない。
上杉弾正少弼輝虎の関東侵攻に同行した関白・近衛前久は依然として古河城に在していたが、味方の由良成繁に宛てて苦境を伝えるほど、武田・北条の巻き返しは恐ろしいものであった。
「殿。清康公が二十七回忌法要、ご苦労様にございました」
永禄四年十二月五日は元康の祖父・松平清康が死去して満二十六年という月日が流れたことを意味していた。
そんな法要が済んだことを家老・石川与七郎数正に労われる元康は瞼を閉じながら、心ここにあらずといった様子で頷き続け、突然、思いついたように想っていることを垂れ流し始める。
「祖父が亡くなってより、早二十六年。その折にまだ十であった我が父もすでに亡く、孫が宗家の当主に就いている。その孫が花倉の乱を制した今川義元の跡を継いだ嫡子と三河支配をかけて血みどろの争いを繰り広げ、あれほど祖父が倒したいと願っていた織田信秀の嫡子と同盟を結んでいようとは、黄泉にておじい様もさぞかし驚かれていような」
「はっ、まことに。当家の置かれた立場も随分を変わりました。殿をお支えする重臣も先々代の清康公を存じておる者は数えるほどしかおりませぬ」
「これより二十六年経過したならば、この元康も四十六。その頃にはここにはおらぬ嫡男竹千代も元服して二十九となっておるとは、想像もつかぬ」
「いかにも。竹千代君が二十九となられましたら、どれほど立派な武者になっておられることでございましょう」
「そなたも二十六年後には齢五十五となっていようが、変わることなく竹千代を補佐し、わしを支えてくれよ」
「無論にございまする。この石川与七郎、死ぬまで殿のもとを離れませぬ」
石川与七郎の言葉に元康は笑いながら、手あぶりで冬の寒さで冷え切った指先を温める。そんな長閑な雰囲気のまま永禄四年も暮れを迎え、永禄五年へ突入していくのであった――
東三河における松平方劣勢という状況を挽回すること叶わず。そんな結果は東三河の今川方を勢いづかせることになっていく――
そうして無念の撤退となったかに見える元康であったが、その瞳から希望は失われていなかった。それは豊川八幡宮にて本多弥八郎正信の献策を受けてのことでもあった。
「殿、牛久保城よりも先に押さえるべきは上之郷城にございまする」
「上之郷城といえば、鵜殿藤太郎長照が城であろう。そこまで攻勢に出て参るわけではないゆえ、竹谷松平家や深溝松平家、形原松平家、五井松平家、寝返った大塚城で囲んでおるゆえ何もできぬ」
「いかにも。されど、鵜殿領を制圧できないがために、当家が牛久保城攻めのために平坂街道を利用できず、もっぱら東海道を進むのみ。これでは、牧野勢も松平勢は東海道を使って攻めてくることが容易に想定でき、此度のように迎撃されてしまいまする」
近侍の者たちに広げさせた絵図の上を人差し指で指し示しながら、元康や大久保七郎右衛門忠世といった周囲の者たちを引き込むように巧みな話術で話し続ける本多弥八郎。そんな彼の指は東海道をなぞった後、件の平坂街道へと移動する。
「されど、この上之郷攻略が成せた暁には無事に平坂街道を利用できまする。これまで鵜殿勢の監視に割いていた松平勢は無論のこと、わざわざ東海道を経由させねばならなかった幡豆郡の小笠原勢なども平坂街道を通し、牛久保城攻めへ回すことができましょう」
「それはそうじゃが……」
「殿はいささか性急すぎまする。この際言わせていただきまするが、無駄が多い。西三河にある兵力や同盟先、これらを余すことなく活かすことができなければ、到底東三河制圧は成せませぬ。ましてや、今川氏真を退けることなど、絵空事に終わりましょう」
無礼極まりない発言が次々に飛び出し、傍で聞いていた者の多くは今にも刀の柄に手をかけて、本多弥八郎を斬り捨てんとする。これを元康が制し、本多弥八郎に発言を続けさせていく。
「同盟先である織田家は美濃攻めに目が向いておりましょう。中でも、織田信長殿は殿がおれば三河制圧は成せると思うておられましょうが、今川氏真自らが出陣してくる気配があり、独力で防ぐことは叶わぬゆえ、援軍を派遣していただきたいと意地にならずにお伝えなされませ」
「援軍か。じゃが、美濃の一色家との戦局は一進一退と聞くゆえ、援軍など派遣する余力がどこにあると申すのか」
「知多半島にようけございましょう。温存された兵力が」
「あっ、水野か!」
「いかにもに。水野下野守信元殿は聡いお方。松平が崩れれば次は己であることはよくよくご承知のはず。従属先の織田から承諾が得られれば、織田家の援軍として水野勢がやって参ります。これに西三河にて従わぬ国衆どもを見張らせるなり、東三河へ投入するなりすれば、今よりも戦いは優位に運べましょう。その三家の軍事は密に連携するか否かを確かめるのにうってつけなのが、ここ、上之郷城であると本多弥八郎は考えまする。いかがでしょうや」
無礼な発言がいくつも放出されたが、元康としては耳の痛い意見ばかり。何より、手詰まり感のある以上、本多弥八郎が申した策の方が現状を打破する可能性は高い。いずれにせよ、大博打の始まりではあるが、元康は本多弥八郎の献策に賭けてみることを決めたのである。
十一月、岡崎城へ帰城した元康がまず出した指示は松井左近忠次に対してであった。上之郷城の南東に位置する松崎城の金田元政を降伏させるように、という内容のものであった。
加えて、鵜殿家についての情報収集を欠かすことなく行い、いかにして鵜殿領を攻略するかの策を練っていた。そんな折、酒井左衛門尉忠次と竹谷松平家当主・松平備後守清善、五井松平家の御隠居・松平太郎左衛門元心が連れ立って訪ねてきたのである。
「殿、此度お伺いいたしましたのは、某から報告したき儀が一つござること。加えて、これへおられる両名よりも報告があるとのことで同伴していただきました」
「なるほど。よし、ならば先に備後守殿と太郎左衛門殿の用件を伺うことといたそう。さっ、ご両名とも前へ」
元康に促される形で遠慮気味に数歩前へと進み出た松平備後守と松平太郎左衛門。齢八十一と高齢でもある松平太郎左衛門に代わり、齢五十七の松平備後守が発言する。
「然らば、某よりご報告いたしまする。柏原家の鵜殿長祐と鵜殿藤助長忠が調略、成せましてございます」
「なんと!鵜殿家の庶流筋の者を寝返らせたと!」
「はっ!実は、鵜殿長祐と養嗣子である鵜殿藤助の両名とは連歌を嗜む者同士、太郎左衛門殿ともども付き合いがございました。十七年前の西郡千句興行の折には善明寺堤で戦死した深溝松平家の大炊助殿も交えて、句会に参加したこともございます」
「なるほど、連歌を通じての交流とはまた風流な。じゃが、鵜殿藤助は上之郷の鵜殿藤太郎長照が実弟であったと記憶しておるが、よく調略が成せたものじゃ」
「実を申せば、もとより兄弟仲はよろしくございませぬ。ゆえに、所領さえ安堵していただけるならば、兄の上之郷城攻めでは先鋒を承りたいと」
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対する弟は兄ほどの忠誠心はなく、所領は松平方と隣接していることもあり、松平家に攻められては叶わないと思っているのだろうと、元康は推測した。
「なんにせよ、ご両名とも大手柄。これにて鵜殿領を攻めとることも容易くなろう」
「殿!某からも鵜殿攻めのことで報告したきことがございまする!」
「おう、左衛門尉の報告とやらも鵜殿に関わる事であったか。よし、申してみよ」
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「実は今朝方、松井左近殿より報せがあり、下之郷城の鵜殿長龍の調略が成せたとのこと。このことを至急取り次いでもらいたいと書状が届きましたゆえ、ご報告に上がった次第にございます」
「そうか!下之郷城の鵜殿長龍も寝返らせたか!三つある分家のうち、二つを押さえたは大きい。ならば、上之郷城攻めにおいて先鋒を務め上げたならば所領は安堵する旨を下之郷城の鵜殿長龍へ伝えよ。これで、攻略の道筋は経った。じゃが、もう一手欲しいところではある」
「然らば、松井左近殿より甲賀衆を用いてはどうか、との献策が届いておりまする」
「なに、甲賀衆じゃと」
「はい。酒井雅楽助殿が入っておられる西尾城に伴資家、伴盛陰、伴資定といった伴氏党類八十余人がおりますゆえ、それを用いてはいかがかと」
武士として甲賀衆の力を借りて城を落とすなど、あまり褒められたやり方ではない。
だが、ここで武士の意地だのにこだわっていては、上之郷城攻めにおいていたずらに犠牲を増やすのみ。それこそ、元康の本意ならざるところであった。何より、盟友・織田信長であれば如何にするかを考えれば、元康がどうするべきか、自ずと明らかになる。
「よかろう。その甲賀衆も城攻めに用いる。内密に彼らとも連絡を取り、どのような働きができるかを聞き取りし後、策を講じてみようぞ。左衛門尉はわしがそう申しておったこと、松井左近へしかと伝えておいてくれ」
「承知いたしました。柏原家と下之郷家の調略が成せたことを知れば、松井左近殿も松崎城の攻略が容易になったと喜ばれましょう」
かくして、酒井左衛門尉らからの報告も済み、元康は改めて敵味方の配置を記した絵図を見ながら情勢を見ていく。平坂街道を塞ぐ敵も、気がつけば鵜殿藤太郎長照が居城・上之郷城と分家の不相城の鵜殿家のみとなっている。
「やはり本多弥八郎が申しておったことは正しそうじゃ。東海道さえ開けば牛久保城を攻められると考え、平坂街道を後回しにしておったが、どちらの街道も通行できるに越したことはなさそうじゃ。あとは、織田家へ援軍を要請し、水野家の軍勢を呼び込むこと。これまでは同盟先の援軍を得ることを疎かにしていたが、今後はそうも言っておられぬし、本腰入れて取り組むこととしよう」
そうして元康が清洲城の織田上総介信長へ援軍を要請し、その援軍として水野下野守信元ら水野勢を送ってもらうよう調整を行う頃、京付近では三好義興と松永弾正久秀が六角承禎らと戦い、関東での戦局も上野を起点に変化が起ころうとしていた。
主家である山内上杉家が北条勢によって勢いを失った後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を六度に渡って撃退し、「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」と武田信玄を嘆かせた智将・長野業正が、十一月二十二日に死去したのである。
当然、武田信玄もこれを逃すまいと長野業正の跡を継いだ若年の長野業盛を攻め始める。同じく、北条左京大夫氏康もまた鉢形城で軍勢を整えると、松山城を奪還するべく家臣の上田朝直や大道寺重興らに城を包囲させる動きに出た。
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そのまま北条軍は撤退する上杉軍を追いかけるように上野武蔵境へ進出し、秩父高松城を降伏させ、五男・藤田氏邦の領国の回復を成功させる戦果を挙げるも、松山城の攻略には失敗してしまう。
しかし、生野山の戦いで上杉軍に勝利した勢いで、北条軍は西上野を攻める武田軍と協調しながら反撃を本格化させていく。
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小田原城を上杉政虎が包囲してより八ヵ月のうちに、北条勢は勢いを盛り返しつつある。それは今川氏真が東にばかり注力する必要がなくなったことは、元康にとって福と転じることのできない災いであった。
そんな上杉弾正少弼政虎が十二月に入り、将軍・足利義輝から一字を賜り、諱を「輝虎」と改めたのだが、関東情勢は芳しくない状況にあることは変わりない。
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「殿。清康公が二十七回忌法要、ご苦労様にございました」
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「祖父が亡くなってより、早二十六年。その折にまだ十であった我が父もすでに亡く、孫が宗家の当主に就いている。その孫が花倉の乱を制した今川義元の跡を継いだ嫡子と三河支配をかけて血みどろの争いを繰り広げ、あれほど祖父が倒したいと願っていた織田信秀の嫡子と同盟を結んでいようとは、黄泉にておじい様もさぞかし驚かれていような」
「はっ、まことに。当家の置かれた立場も随分を変わりました。殿をお支えする重臣も先々代の清康公を存じておる者は数えるほどしかおりませぬ」
「これより二十六年経過したならば、この元康も四十六。その頃にはここにはおらぬ嫡男竹千代も元服して二十九となっておるとは、想像もつかぬ」
「いかにも。竹千代君が二十九となられましたら、どれほど立派な武者になっておられることでございましょう」
「そなたも二十六年後には齢五十五となっていようが、変わることなく竹千代を補佐し、わしを支えてくれよ」
「無論にございまする。この石川与七郎、死ぬまで殿のもとを離れませぬ」
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百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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