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たった一つの願い
しおりを挟むエルヴィラはウルスラを売った。
その少し前にウルスラの足首に嵌めた足輪に魔力を注ぎ込み、その能力の殆どを我が娘フューリズに行くようにした。
それからは、ウルスラの顔を見る度に怒りが湧いてきた。前まではそんなに気にならなかった事でも苛立つようになった。
一緒に住んでいるのが屈辱的に思えて、殴っても蹴っても罪悪感が無くなった。前は同じように殴っても罪悪感がすごくあって、そして後悔もした。
夜ウルスラが眠る顔を見て、なんて可哀想な事をしてしまったんだと日々反省した。
けれど能力を多く奪ってからは、ウルスラを可愛いと思うことは以前よりも無くなった。
あの憎きブルクハルトの顔を思い出させるウルスラが腹ただしく感じて仕方がなくなった。
それから程無くして街や村は食糧難になり、いつも売れていた魔道具は売れなくなってしまった。
稼ぐ事が出来なくなり、仕方なくこウルスラを売ろうと思った。売ってやろうと思った。
売る先は裏組織の男達に。あの村に売りに行く事にした。
そうしてエルヴィラはウルスラを売ったのだ。
これで気が晴れると思った。復讐できたと思った。自分は報われたと思った。
だけど何一つ変わらなかった。
一人の家はひどく広く感じた。ここに来た頃からずっと二人だったのを、こうなって初めてエルヴィラは気がついた。
幼いあの娘の存在が疎ましいと思っていた。何も知らずに自分を親だと思い微笑んでくるその無神経さが腹立たしかった。
自分がしてしまった事だとはいえ、産んだばかりの我が娘と離れてしまったのは、ウルスラが存在したからだと憎むようにもなっていた。
だから売ってやった。極悪非道とも言えるあの村の奴等に。
だけど、村を出るときに聞いたあの声が脳裏にこびりついて離れない。
喋るなと言った自分の言葉を守り、ウルスラは声をなるべく出さないように心掛けていた。それなのにあんな大きな声で、自分をお母さんと叫んだのだ。
後ろ髪を引かれる思いがした。一瞬心が揺れた。だけど聞こえない振りをしてその場を離れた。自分が受けたあの屈辱を思い起こせば、足を止める事なく去っていけた。だからこれで良かったのだ。そう思った。
それからは一人で過ごした。
朝、いつもウルスラが水を汲んできてくれたけれど、それを自分がしなければならなくなった。食事も掃除も洗濯も買い物も、全て自分が一人でしなくてはならなかった。
分かっていたつもりだったが、分かっていなかった。
毎日、嫌な顔一つせずにあの娘は言われる前にしていたのだ。それがこんなに助かっていたのを、いなくなって改めて感じてしまった。
そして、何故か一人で暮らすようになってから、自分の体調が悪くなってきたように感じた。何をするにも体が怠く酷く疲れ、すぐに息が切れる。食欲も無くなっていき、食べることすら億劫になってくる。
それでも生きていく為に魔道具を作り家事をこなさなければならない。
酷く疲れる体で何とか日々の生活をこなしていく。そんなふうに一人でこの家で暮らしていると、思い出されるのはウルスラとのありふれた日常だった。
幸せだと感じた事は一度もない。それよりも、自分は不幸だとずっと思っていた。
しかし何をしてもいじける事なく、健気に自分に微笑みかけるウルスラに癒されていたのだと、エルヴィラはその存在がなくなってから気づいてゆく。
こうやって思い知らされる事が多くあって、その事にもエルヴィラは苛立った。
一度どうしているか見に行ってみよう。遠くから様子を確認するだけでもいいから、元気にしているのか見に行こう。
そう思い立ってあの村に行ってみた。それはウルスラを売ってから10日程経った頃だった。
そして見た光景に驚愕を覚えた。
村であった場所は、その姿をとどめていなかった。家屋は原型がなく朽ち落ちていて、獣か何かに食い荒らされたように、人であったような残骸がそこかしこにあった。
至る所に血の痕と思われるものが飛び散っていて、その匂いも凄かった。
なにがあってこうなったのか……
目にした村の惨状に目眩を起こしそうになった時、不意に森の中で異様な呻き声があちこちから聞こえてきた。
何か得たいの知れないモノがいるのかも知れない……エルヴィラは震える足で、慌ててその場から逃げ出した。
あぁなっては、もうウルスラは助かっていないと考えられる。裏組織なのだから、敵も多かったのだろう。別の組織との抗争があったのか、それとも獣に襲われたか盗賊に襲われたか……
なんにせよ、もうウルスラの命はないのかも知れない。そう考えるのが当然で、エルヴィラはそうなって初めて自分がしてしまった事をひどく後悔した。
何も知らずに、自分を母だと言ってくれた。いつも優しく笑っていた。自分の言うことに反抗一つせず、なんでも従ってくれた。村に連れていく時に手を繋いだら、嬉しそうに何度も自分を見上げて笑っていた。
母親だというだけで、無条件で愛してくれた。
そんな存在を自ら手離してしまった。その事実にエルヴィラは狼狽えた。赤子の頃から自分が育ててきた。娘の代わりに育てるしかなかったが、そこに全く愛情がなかった訳ではない。
その存在が無くなってしまったのだ。
それからエルヴィラはウルスラを悼みながら生きてきた。自分のしてしまった事を反省してももう遅い。そんな時に思うのは、自身がお腹を痛めて産んだ実の娘のフューリズの事だった。
自分にはもう誰もいない。残っているのはフューリズだけだ。自分にはフューリズしかいない。日々そんな事を思っていると、どうしてもある思いが募るようになってくる。
一目我が子を見たい。会いたい。抱きしめたい。
もう二度と後悔したくない。一目で良いから成長した姿をこの目に焼き付けたい。その思いは日に日に強くなっていった。それと同時に、エルヴィラの体の調子は日に日に悪くなっていった。
このまま会えずにこの世を去るのだけは嫌だ。なら会いに行こう。
そう決心し、エルヴィラは一人家を出た。
それからエルヴィラは辿々しい足取りで、王都メイヴァインへと一人歩いて進んでいった。作った魔道具や回復薬を出先で売りながら日銭を稼いで、ゆっくりと時間をかけて王都を目指した。
体調が思わしくない為、なかなか進めなかったり何日も宿で寝込んだりしたが、それでもエルヴィラは諦めなかった。
そうして何年もかけて、やっと王都メイヴァインにたどり着いたのだ。
門番に止められそうになったのを、変化の魔道具を使い貴婦人に見えるようにして入り込む事ができた。
その頃にはエルヴィラは、長旅で体は疲れはて、食事もまともに摂れなかったから痩せ細り、身なりは貧しさを象徴するような状態だった。
王城へ赴き、庭で掃き掃除をしていた使用人にフューリズに会いたいと伝えるが、当然のように門前払いされる。
何度も何度も、毎日のようにエルヴィラはそこにいるかも分からないフューリズと面会をさせて欲しいと懇願しに行った。そして毎日邪険に扱われた。
しかしある日、そこで別の使用人達が話しているのを聞く。
フューリズがこの国の王太子と結婚すると言うことを。
それを聞いてエルヴィラは嬉しくなった。自分の娘がこの国の王子様の妃となれるという事が誇らしかった。まるで童話や夢物語のようだと思った。
そうして何日間か、エルヴィラは王都でフューリズに会える事を願いながら王城へ行き、体よくあしらわれて追い払われ続けた。
黒髪で黒眼の女の子なんて他にはいないから、一度見たら必ずすぐに分かる筈だ。
そう思って、日中は何処へ行くでもなくフューリズを求め、フラフラと王都中をさ迷い歩いた。
そうしてやっと見つけたのだ。
その姿を見た時、若かりし頃の自分を見ているようだとエルヴィラは思った。綺麗なドレスに身を包み、髪は綺麗に纏められ、美しく自然な化粧を施され、それは何処の貴婦人よりも美しく輝いて見えた。
その頃にはエルヴィラの意識は朦朧としていたのかも知れない。フューリズの立場や環境、思い等考えられずに、自分の会いたいと言う思いしか頭に無い状態だったのかも知れない。
だから戸惑うことなく自分が母親だと名乗ってしまった。もう一度だけ、フューリズを抱きしめたかったのだ。ただそれだけだったのだ。
しかしそんな願いは儚く潰えた。
「ローラン! この女を叩き斬りなさい!」
「はい」
その一言で、ローランは迷う事なく剣を奮った。
横薙ぎに一太刀。
それはあっという間の出来事。
一瞬のうちにエルヴィラの首は体から離れて血飛沫と共に飛んだ。
その首は落ちて弾んで、フューリズの足元まで転がってゆく。
いきなり目の前の景色が慌ただしく回転していって、エルヴィラはフューリズを見上げるような状態になった。
エルヴィラが最後に見たのはフューリズの自分を蔑むように見る瞳。それは汚ないモノでも見るような目だった。
だけどエルヴィラはフューリズをその目に映し、いつまでも愛しい我が娘の顔を見据えていた。
優しく微笑んだままの状態で。
その腕に焦がれた娘を抱きしめる事は叶わず、エルヴィラは息絶えたのだった。
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