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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
愛娘
しおりを挟む「阿須加家の土地も会社も遺産も、何もかも全てが、結月の、いえ──五十嵐のものになるのよ」
その言葉に、洋介は言葉を失った。
大旦那様(洋介の父)は、まだ健在だが、老いにより判断能力が鈍ると、後々厄介だということで、遺産は全て、洋介に生前贈与されていた。
当主として、今や阿須加家の全てを手にしている洋介。だが、その洋介には、子供が結月しかおらず、阿須加家の遺産を、ゆくゆく相続できるのは、実質、結月のみ。
だからこそ、結月には婿養子をとらせ、阿須加と名を変えた夫が、次期当主になるはずだった。
しかし、肝心の冬弥は、その婚姻を望んではおらず、なにより餅津木家は、阿須加の土地を意のままにしようとしていた。
それどころか、結月は好いた男と結婚したいといいだし、阿須加の名を捨てようとさえしていた。
そして、結月が結婚してしまえば、いずれ阿須加家は、全て、五十嵐家のものになってしまう。
そう、全て奪われるのだ。
遺産も、会社も、娘ですら、あの執事に──
「やられたわね。五十嵐は、結月のことは、なんとも思ってないって感じだったのに、まさか二人で、こんなことを画策していたなんて」
「二人で!? 二人じゃないだろう! きっと結月は、五十嵐に騙されてるんだ! この手紙も、無理やり書かされたに違いない! そうだ、今すぐ警察に届けて!」
「警察に届けたとして、無理矢理、書かされたなんてどうやって立証するのよ。それに、この証拠品はどうするのよ」
「……っ」
証拠品──そういわれ、洋介はトランクに入っていた書類やノートを、慌てて手に取った。
そこには、会社の内情が事細かに記録されたいた。不当解雇された者のリストや、労働環境の劣悪さなど、様々な情報が、書面の中に、書き連ねてあった。
それどころか、株主や大口に取引相手の情報まで、握られているのがわかり、洋介は震駭《しんがい》する。
この情報を、株主にリークされれば、阿須加家に投資する人間がいなくなる。そうなれば、業績は一気に傾き、存続すら難しくなってくる。
だが……
「はは、なんだ……大した証拠じゃないじゃないか……っ」
その瞬間、乾いた笑みが零れた。
「どれもこれも、小さな違反ばかりだ……! 重悪な犯罪に手を染めているわけじゃない! この程度の違反なら、大なり小なり、どこの会社でもやってることだ! なにより、こんな証拠、警察が来る前に処分してしまえばいい!」
手にした書類を破り捨てながら、洋介が反駁する。その光景を、美結たちは、まるで軽蔑するような眼差しで見つめていた。
たとえ、ここにある証拠品、全て抹消したとしても、それは全てコピーでしかない。
本物は、結月たちが手にしているのだろう。
それに、警察が来たとしても、身代金を要求されているわけではないし、娘が勝手に出ていったのなら、ただの家出人として処理されるだけ。
だが、頭に血が上っている洋介は、そんな事ですら、今は判断ができないのだろう。
「所詮は子供の浅知恵だ。親に盾つこうなんて100年早い! 今すぐ結月を連れ戻して、餅津木家がダメなら、他の男をあてがえばい! 阿須加家の娘と結婚したがってる男は、山ほどいるんだ! そして、連れ戻したら、もう二度と、親に逆らえないよう分からせて」
「分かってないのは、あなたの方でしょ」
「なッ……」
美結がきつい声で、洋介を睨みつけた。
「状況をわかってないのは、あなたの方。外を見てみなさいよ」
「外?」
美結にいわれ、洋介は、屋敷の外に視線を移した。
美結が、先程開けたカーテンの奥。
そこには、美しい園庭が広がっていた。
そして、その園庭の先、正門付近を見れば、先程よりも、人だかりができているのが見えた。
神隠しにあったと聞き、詰めかけてきた住民たちが──
「な、なんで、あんなに……っ」
「神隠しの噂が広まってるからでしょ」
「神隠しって、なんで、そんな話を信じてるんだ!?」
「そうよ。普通は誰も信じないはずなのよ」
「え?」
「でも、そんな馬鹿みたいな噂が、たった一晩で、ここまで広がってるの。つまり、今の結月には、これだけの拡散力を持った仲間がいるってこと」
「ッ……」
確かに、誰も信じないような噂が、この短時間でもここまで広がっていることに、違和感を覚えた。
なぜなら、親が知るよりも先に、広まっていたのだ。じゃぁ、この噂は、結月たちが意図的に広めた噂?
「……な、仲間だと?」
「そうよ。五十嵐一人で、ここまでできるとは思えないもの。なら、他にも仲間がいると考えるのが妥当よ。それに、人の噂ほど怖いものはないわ。確かに、私たちが犯しているのは、労働基準法に引っかかる程度の小さな違反よ。でも、そんな小さな違反に、尾ひれがついて町中に広まったら、どうなると思う」
人々は、勝手に憶測をつける。小さな噂を、面白おかしく騒ぎ立て、いずれ大きな噂へと発展させしていく。
そして、その好奇心は、止めようと思っても、止まることがない。
「あの子たちは、その気になれば、真実とはかけ離れた噂を、町中に広めることができるっとことよ。この神隠し騒動が広まってるのと同じように──そして、もし、その噂が、阿須加家が不利になるようなものだったら、その噂を鵜呑みにした人たちが、真っ先に非難の矛先を向けるのは、阿須加家の当主である洋介、あなたよ」
「……ッ」
その言葉に、洋介はゴクリと息を飲んだ。
阿須加家が、この町でふんぞり返っていられるのは、町の住人たちが逆らわないから。
だが、これまで傅いてきた者たちが、全て敵になったとしたら──?
「王様は、仕える人間がいるから、王様ではいられるの。もう分かるでしょ。私たちは、どう考えても詰んでるのよ。結月を連れ戻そうとすれば、この町の人間を全て敵に回すことになる。そうなれば、阿須加家は潰れるわよ」
「……っ」
まるで、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
結月は今、この町のうわさを、左右できるほどの力をつけている。そして、その結月の仲間が、この町に、どれほどいるのかも分からない。
それ故に、連れ戻そうとすれば、内部告発と同時に、町中に噂を拡散される。
だが、結月を連れ戻さなければ、いずれ結月は五十嵐と結婚し、阿須加家の全てが、五十嵐家のものになる。
「そ、そんな……っ」
ズルズルと崩れ落ちた洋介は、その後、地面に座り込んだ。
「なんで、こんなことに……お前は、いいのか……執事に、全部奪われても……っ」
「奪われていいとは思わないけど、五十嵐は、阿須加家を乗っ取る気は、全くないじゃない」
「え?」
「乗っ取る気なら、五年後に、遺産を放棄する書類を持って来るなんて、結月に書かせたりしないわ。あの子たちは、遺産なんてどうでもいいのよ。ただ欲しいのは、約束された平穏な生活と、残された従業員たちの安寧くらい」
「っ……なんで、そうまでして従業員を守る必要がある」
「知ってるからでしょ」
「知ってる?」
「虐げられる者の気持ちを、結月も五十嵐も、痛いくらいよく知ってるのよ。これまで私たちが、結月に、どれだけのことをしてきたか、忘れたわけじゃないでしょ」
「……っ」
すると、絶望する洋介に、美結が、改めて結月の手紙を差し出してきた。
洋介は、その手紙を、再度みつめる。
結月の字で書かれた、両親への最後の手紙。
そこには、もう限界だと書いてあった。
愛されたかったと書いてあった。
そして、最後には、生まれてきたことを謝っていた。
娘として生まれてきて、ごめんなさい。
失望させて、ごめんなさい。
あれほど傷つけられていながら、決して、両親を責めることなく、結月は、最後の最後まで、親の身体を心配していた。
『──結月。この子の名前は、結月にしよう』
すると、その瞬間、結月が産まれた時のことを思い出した。
18年前の4月14日。
月の綺麗な夜に、結月は産まれてきた。
何年と待ち侘びた、我が子だった。
初めて結月を抱いた時は、この上ない喜びに満たされた。
こんなにも幸せでいいのかと、生まれてきてくれたことを、何度も何度も感謝した。
それなのに……っ
「ゆ……結月……っ」
その瞬間、洋介の頬から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
そしてそれは、何度と頬を伝い、握りしめた手紙の上に落ちる。
「結月……なんで……会社を改善させたら……結月は、戻ってくるのか?」
「そう書いてあるでしょ」
「でも、どうやって、変えるっていうんだ。今更……っ」
「そうね。変えたいなら、まずは、ろくに働きもせず、上で威張りしらしてる役員共を一掃するべきなんじゃない?」
「なっ……でも、あの方たちは、お父様のご親友でッ」
「そのお義父様も、もう長くはないわ。洋介、いつまで、お義父様やお義兄様の言いなりになってるつもり? 結月が、してみせたように、あなたも親兄弟に楯突いてみなさいよ」
「……っ」
美結の言葉が、強く心に響く。
若くして当主になったからか、そのあとも実権を握っているのは父親で、結局、親や親類縁者たちの言いなりになり、生きるしかなかった。
上の人間にとっては、決して逆らわず従順な洋介は、実に扱いやすい当主だっただろう。
だが、そんな自分に憤りを感じていた。
自分はいつまで、言いなりでいればいいのかと。
すると、静かに泣き崩れる洋介の前に膝をつき、美結が、優しく洋介の手を握りしめた。
「親友に裏切られて、娘に捨てられて、もう、失うものなんてなにもないでしょ。なら、少しくらい反抗して見なさいよ。例え、それが地獄だろうが、茨の道だろうか、私はあなたの傍にいるわ。私だけは、どこまでも、あなたと一緒にいる。だから、戦って──この腐った一族を変えることが出来るのは、当主である洋介しかいないのよ」
「……っ」
久しぶりに繋がった手は、どこか懐かしい温もりに満ちていた。
あの頃は、幸せだった。
美結に恋をして、その結婚を、お父様に認めて貰った頃は──
優しい気持ちにも、明るい未来にも満ちていた。
それが、なぜ、こうなってしまったのだろう?
どこから、間違ってしまったのだろう?
愛せるはずだった娘を
自分たちは、なぜ
愛せなくなってしまったのだろう?
「結月……ゆづき……っ……結月……っ」
それは、懺悔か、悔悛か。
娘を呼ぶ洋介の声は、その後、しばらく響いていた。
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