お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

夢に生きる

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「ふざけるな! 婚約破棄とは、どういうことだ!!」

 元日──結月が失踪が発覚した、その日の夜。
 餅津木もちづき家では、幸蔵こうぞうの怒号が響いていた。

 目の前にいるのは、洋介の秘書の黒澤くろさわだ。あの後、美結に指示された黒澤は、単身、餅津木家へにやってきた。

 幸蔵に、を申し出るために──

「結月様が、神隠しにあい失踪されました。お嬢様がいなくなった以上、このまま婚約を維持するのは、餅津木のためにもならないだろうと。こちらは、婚約破棄の慰謝料です。お納めください」

 淡々と話す黒澤は、ジュラルミンケースを机の上に置き、それを幸蔵の前に差し出した。

 そして、その光景を、餅津木家に集まった親族たちが、神妙な面持ちで見つめていた。

 幸蔵の妻の清香はふらつき、息子たちは蒼白し、そして、息子の妻たちが、困惑しながら、その光景を見つめる。

 いきなり阿須加家の秘書がやって来たかと思えば、婚約を破棄するというのだ。しかも、娘が神隠しにあったいうふざけた理由で。

「バカにしてるのか!?」

「そのようなことは、決してございません。ですが、お互いの今後を思えば、これが一番円満な解決法だと、旦那様たちも仰っておりました。どうか、ご納得ください」

 すると、ジュラルミンケースを置き去りにした黒澤は、その後、颯爽と餅津木家から出ていった。

 だが、それで、幸蔵が納得するはずはなく

「何なんだ、これは!? 娘が神隠しにあったから婚約破棄だ!? そんなこと、誰が納得できる! そうだ! 娘がいなくなったというなら、うちで探せばいい! 探偵を雇って、娘の所在をつきとめて! そうすれば、婚約破棄なんて」

「もう、いい加減にしろよ!」

 すると、その言葉を遮るように、冬弥の声が木霊こだました。

 豪華なうたげの最中、親族たちから離れ、一人ソファーに腰掛けていた冬弥は、その後、真っ直ぐに、父の元に向かってくる。

「神隠しにあった人間を、どうやって探し出すんだよ。それに、仮に結月が見つかったとしても、阿須加家は、もう二度と餅津木家と婚約なんて結ばねーよ!」

 反抗的な冬弥の態度に、場の空気が凍りついた。

 なぜなら、これまで、従順に言うことを聞いてきためかけの子が、父に刃向かっているのだ。

「冬弥……お前、何を言ってる?」

「だから、アンタらは、阿須加家に見限られたんだよ。この金だって、婚約破棄の慰謝料なんていってるが、ただの手切れ金だ! だって、俺が全部暴露したんだからな、餅津木家アンタらの思惑を!」

「は?」

 動揺した幸蔵が、短く声を発した。
 息子の放つ言葉の意味が、上手く繋がらない。

「暴露……だと?」

「そうだよ。餅津木家は、阿須加家の土地を狙ってるって、俺が阿須加夫婦に、手紙を書いたんだ」

「な!?」

 その瞬間、幸蔵が冬弥に掴みかかった。
 シワのある厳つい手が、冬弥の胸ぐらを掴む。

「暴露しただと!? ふざけるな! 俺が、阿須加家を手に入れるために、どれだけ手を尽くしたと思ってる! 8年、いや18年だ! 阿須加家に娘が産まれたと知った時から、洋介に取り入って関係を繋ぎ上げてきたんだ! それなのに、お前は!」

「何が手を尽くしただ! 全部、俺に押し付けて、高みの見物、決め込んでただけだろ!?」

 激高げきこうする幸蔵の胸ぐらを掴み返し、今度は、冬弥が反駁はんばくする。すると、一気に形成を覆された幸蔵は、苦しそうに冬弥に問いかけた。

「な、なんで、こんなことをした……結月さんとは、上手くいってただろ……クリスマスだって……っ」

「知りたいなら、聞かせてやるよ」

 すると、冬弥はスーツのポケットから、ボイスレコーダーを取りだした。そして、そのスイッチをオンにすると

『おいおい、なに怒ってんだよ、冬弥』

『やめとけ、夏樹。コイツ、俺が、結月ちゃん貸してくれって言ってから、機嫌悪いんだよ』

 そこから流れてきたのは、昨夜、兄たちが話していた会話だった。

 まるで、弟の婚約者を、物のように貸し借りしようとする、悪辣な兄たちの声。

 そして、それを聞いた瞬間、兄たちは顔を真っ青にする。

「と、冬弥! それ、今すぐ消せ!!」

 長男の春馬が叫ぶ。だが、兄たちの思いも虚しく、レコーダーの声は、止まることなく鳴り響いた。

『結月に、指一本でも触れてみろ。ぶっ殺すからな!』

『うわ。なんだよアレ、マジなやつじゃん』

『あーあー、可哀想に。本気で好きになった子を、俺らに食われちまうなんて』

『いいんだよ、別に。冬弥は、俺らのオモチャなんだから』

 次々と、いたぶる様な兄たちの声が、緊迫する広間に響きわたる。そして、その声が一通り流されたあと

「好きになった女が、兄貴たちに食われるのを、黙って見てるわけねーだろ」

 ボイスレコーダーのスイッチを止めながら、冬弥が、冷たく言い放つ。

 まるで、それが、冬弥が餅津木家を裏切り、阿須加家に秘密を暴露した理由だとでも言うように。

「お、お前たち! これは、本当なのか!?」

 すると、狼狽する幸蔵が、春馬たちに問いかけた。春馬たちは、青ざめたまま何も言わず、代わりに冬弥が話し続ける。

「本当だよ。兄貴たちは、に、結月を妊娠させるのをんだってさ。ホント反吐へどが出るよなー。自分の婚約者が、兄貴たちに犯されてるところを黙って見てろって言うんだぜ。妾の子である俺が、兄貴に妻を差し出すのは当然なんだってさ」

「うぐ…っ」

 父の胸ぐらを掴んでいた手に、一層力がこもった。

 散々、バカにされてきた。
 妾の子と言われ、20年も蔑まされてきた。
 だが、それも──今日で終わりだ。

「俺は妾の子になんて、生まれたくなかったよ! それでも、あんたには愛されてると思ってたから、今まで、どんな命令にも従ってきた! だけど、どれだけ尽くしても、俺はいつまでたっても妾の子だ! なんで、あんたが勝手に不倫して、勝手に産み落とされた俺が、ここまで苦しまなきゃならねーだよ!!」

 乱雑な声が響けば、冬弥の気迫に圧倒され、幸蔵は、ドサッと尻もちをついた。

 そして、それは一族中の注目を集め、羞恥を高める。だが、冬弥の言葉は、それで終わることはなく

「これ以上、アンタらに振り回されるのはゴメンだ。俺は下りる」

「下りる?」

「あぁ、どうせ、阿須加家との縁談も破棄されたんだし、俺はもう用済みだろ。また、別の令嬢を宛てがわれても困るし。これは絶縁状だ」

「ぜ、絶縁!?」

「あぁ、俺はもう、あんたを親だなんて思わないし、好きに生きる。それと、あんたらが、これまで、どんなことをしてきたかは、全部頭に入ってる。その情報をマスコミに売られたくなかったら、金輪際、俺の前に現れるな、いいな」

「……っ」

 鋭い視線で、絶縁状を叩きつければ、幸蔵は座り込んだまま呆然とする。楽しげな宴は、あっという間に色を変え、まるで、天国から地獄に落ちたかのようだった。

 そして、それは、まだ終わりを迎えることはなく、次の糾弾へと発展していく。兄の妻たちが、それぞれの夫に詰め寄り始めたからだ。

「ちょっとあなた! 今のは、どういうこと!?」
「弟の婚約者に、何する気だったのよ!」
「いや、これは!」

 更にそれは、妻だけにとどまらず、一族総出で、兄たちを責めはじめた。

 だが、もはや自業自得だった。
 全部、アイツらが撒いた種。
 それが、返ってきただけだけの話。

 はっきりいって、同情にすら値しなかった。

 冬弥は、阿鼻叫喚あびきょうかんにつつまれる広間から一人出ると、扉の前で、深く息をついた。

 これまで、逆らえなかった父や兄に、一矢むくいることができて、一気に肩から力が抜けた気がした。

 やっと『妾の子』ではなく、一人の『人間』になれる。

 なにより、今回の件は、餅津木家にとっては、大打撃だろう。阿須加家との繋がりが途絶え、土地を手に入れることも出来なくなった。

 そして、弟の妻に手を出そうとしていた兄たちの悪行を、義姉たちが許すとはおもえず、この後は、図らずとも離婚問題に発展するだろう。

「冬弥兄ちゃん!」
「……!」

 すると、その瞬間、子供の声が聞こえて、冬弥は視線を向けた。廊下の奥からは、幼い子供が走ってくるのが見えた。

 春馬の息子である、一馬かずまだ。

「一馬、寝てたんじゃないのか?」
「んー、目が覚めた」

 まだ、5歳の子供。大人たちの宴に付き合い、疲れたのか、一馬は、夕方から別室で眠ってしまった。だが、あの広間の惨劇を、一馬に聞かれずにすんだのは、ある意味、幸いだったかもしれない。

「一馬、部屋に戻れ。大人たちはみんな酔ってるから、遊んでくれるやつは誰もいないぞ」

「えー、冬弥兄ちゃんは?」

「俺も、もう遊んでやれない。餅津木家ここを出ていくことにしたから」

「え?」

 その言葉に、一馬が目を丸くする。

「なんで? 冬弥兄ちゃん、いなくなっちゃうの?」

「あぁ、兄ちゃんな、やりたいことが見つかったんだ」

「やりたいこと?」

「うん。一馬にはあるか? やりたいこととか、なりたいものとか、夢は……あるか?」

 腰を落とし、一馬の目線になって問いかける。
 すると一馬は

「……んー、あのね。パパは、社長になれっていうんだけど、ボク、ほんとうは、パイロットになりたいの!」

「パイロット?」

 それは、今まで聞いた事のない、一馬の夢だった。わずか5歳で人生のレールを敷かれてしまった一馬が、自分で選んだ夢。

 冬弥は、そんな一馬に、微笑みかけると

「そうか……じゃぁ、その夢、絶対に忘れるなよ」

 置き去りにしてしまう、この子の未来が、とても心配だった。

 親に決められた道は、なかなか変えられない。
 だからこそ、夢なんてみれなくなる。

 自分が、そうだったように──

 だけど、ほんの一握りでも、その夢を応援してくれる誰かがいれば、その夢は、消えることなく、その心に残り続けるかもしれない。

 あの日、結月が
 俺の未来を、願ってくれたように。

 自分の人生を生きて──と、背中を押してくれたように。

「一馬は、一馬のなりたいものになれ。だから、その夢、絶対叶えろよ」

 笑って頭を撫でてやれば、一馬は

「ボク、社長にならなくてもいい?」

「当たり前だろ。一馬の人生なんだから。それに、一馬のパパとママ、オレのせいで離婚するかもしれない」

「え? そうなの? でも、パパとママ、いつもけんかしてるし、いつかそうなるかもって、ママ言ってた」

「マジかよ。じゃぁ、俺のせいともいえないな。もし、どっちを選ぶか聞かれたら、絶対、ママについて行けよ」

「ママに?」

「あぁ、パイロットになりたいなら、ママの方がいいだろ。一馬のママ、銀行頭取の娘だし、金持ってるじゃん」

「そっか。じゃぁ、ぼくがママについてく! パパ、全然、遊んでくれないし。そうだ! ボクが、パイロットになったら、冬弥兄ちゃんも飛行機に乗っけてあげる!」

 一馬が、小さな小指を差しだす。まるで、約束とでも言うように。すると、冬弥は、その小さな指に、小指を絡めると

「あぁ、楽しみにしてる」

 二人で交わした小さな約束が、また未来へと繋がっていく。

 純粋な想いを乗せて

 いつまでも、どこまでも──



 その後、冬弥は、一馬に別れを告げ、餅津木家を去った。必要な荷物だけ手にし、冬弥は、真冬の空を見上げる。

「さて、どうするかな?」

 『行くところがなければ頼ればいい』と、結月に教えられた住所があった。なんでも、あの執事の友人の家らしい。

(とりあえず、そこに行ってみるか)

 この寒空の下、野宿は、あまりにもハードだ。
 ならば、一晩だけ世話になろう。

 それに、結月と執事が、その後、どうなったのかも気になった。

 冬弥は、教わった住所を頼りに、二人の友人の家へと向かう。

 元旦の夜は、それまでの騒動が嘘のように、静かにゆっくりと過ぎていった。

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