243 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ① ~ 幸福 ~
しおりを挟む「にゃー」
真っ白なペルシャ猫が、女の元に駆け寄る。
窓辺のソファーに腰かけ、外を眺めていたのは、結月の母親である、阿須加 美結。
ふさふさの毛並みをした白猫は、ぴょんとソファーの上に飛び乗ると、美結の膝元までやってきた。
ぐるぐると喉を鳴らしながら、美結の膝の上で、うずくまれば、そんな白猫の背を細い手が撫でる。
ゆっくりと毛並みを撫でる手は、とても温かく優しい。だが、その美結の視線は、ずっと月に向けられたままだった。
そして、その月を見つめながら、美結が、ポツリと呟く。
「やっと……終わったわ」
小さく小さく、零れた言葉。
それは、吐息混じりの細い声。
だが、やっと終わった。
やっと、願いが叶った。
それなのに……
「奥様?」
瞬間、横から声がした。
呆然と月を眺めていた美結は、部屋にメイドがいたことを思いだした。
「……戸狩」
「そこは冷えます。それに、もう遅いですし、お休みになられては?」
「そうね。……でも、まだ眠れそうにないのよ」
夕方の騒動が嘘のように、今は、とても静かだった。
それに、娘がいなくなったからといって、今の生活が変わるわけでもない。なぜなら、もともと一緒には暮らしていなかったのだ。
仮に、普段と違うことがあるとすれば、それは、結月がいなくなったショックで、洋介が寝込んでしまったことくらい。
だが、その慌ただしい一日が、やっと終わるというのに、美結は、眠ろうとはしなかった。
そして、主人が『寝ない』と言うなら、メイドは従うのみ。
「……かしこまりました。では、ひざ掛けと温かい飲み物をお待ち致します」
その後、戸狩が一礼し、部屋から出て行けば、美結は、再び月を見上げた。
欠けた月が、歪に。
だが、美しく輝いていた。
そして、月を見れば、結月が産まれた日を思いだす。
月の美しい夜に、あの子は生まれてきた。
阿須加一族の期待を、一身に背負って──
「やっぱり……あの時、殺しておけば良かったわ」
ポツリと、二度目の呟きが溢れる。
神様は、残酷だ。
やっと願いを叶えたのに、まだ、幸せを掴ませてはくれない。
まるで一生、苦しめとでも言うように、次から次へと、絶望だけが飛び出してくる。
まるで、開けてはいけない箱を開けてしまった、パンドラのように──
「にゃー」
すると、また白猫が鳴いた。
美結は、やっとのこと、その愛猫に視線を落とすと
「私の癒しは、あなただけね──ユヅキ」
猫の名前を呼び、愛おしそうに、その背を撫でる。
「眠れないなら、また子守唄を歌ってあげるわ」
まるで、愛しい我が子に語りかけるように、美結は、猫の背をなでながら、子守唄を歌いはじめた。
───♩
それは、哀しい哀しい──愛の詩。
決して、我が子には届かない
────哀愁の子守唄。
『箱と哀愁のベルスーズ ① ~幸福~』
✣✣✣
「美結さん! 僕と、結婚を前提に、お付き合いして頂けませんか!」
時は、今から30年ほど前に遡る。
それは、結月が生まれる10年も昔の話。
まだ、若かった美結と洋介が、出会った頃の話。
「け、結婚を前提に……ですか?」
帰り際、強引に引き止めてきた洋介に、美結は目を見開いた。
二人の出会いは、異業種交流会として開かれたパーティーでのことだった。
様々な企業の子息や令嬢たちが出席するパーティー。それは、まさに、若者たちの出会いの場でもあった。
しかし、美結も一応、社長令嬢ではあったが、小さな文具メーカーの次女で、肩書き的には、庶民とそう大差なかった。しかも、両親が築き上げた文具店は、兄が継ぐことになっていたし、それ故に、美結は普通の一般企業に就職していた。
だからか、こんな庶民の娘など、眼中にないだろうと思っていたのだ。しかし、そんな矢先、パーティーで少しだけ話をした男が、突然、交際を申し込んできた。
「ほ、本気ですか?」
「もちろん、本気です! 美結さんとお話していた時が、一番楽しくて……だから、その……これっきりには、したくなくて……っ」
そのストレートな告白に、美結は赤くなった。
ちなみに、その頃の美結は、今のようなハデハデしさは一切なく、結月を生き写したかのような、お淑やかな女性だった。
髪も長く、言葉遣いも丁寧。そして、年齢も19歳と若く、23歳の洋介とは、年の差的にも問題はなかった。なにより美結自身も、洋介には、好意的な感情を抱いていた。
なぜなら、あんなにも沢山いたご令嬢たちの中から、しがない文具店の娘を選んでくれたのだ。それが嬉しくて、美結は、洋介の告白を快く受け入れた。
そして、交際をスタートさせてからは、とても、満ち足りた日々を過ごした。
二人だけの時間は、穏やかで楽しく、あっという間にすぎていった。
だが、洋介が、あの阿須加家の人間であることに変わりはなく、仮にこの交際が上手くいっていたとしても、結婚を認めて貰えるとは思えなかった。
なぜなら、阿須加家は、常に位の高い名家の娘しか娶っていなかったから。
だから、いつか引き離されてしまうだろう。
そう思うと、悲しくなることもあった。
しかし、そんなある日、二人に奇跡が起きる。
「本当ですか、お父様!」
洋介の父である阿須加 善次郎が、洋介と美結の結婚を認めてくれたのだ。
「あぁ。自分が好いた女子と結婚するのが一番じゃ」
「ありがとうございます、お父様……!」
それが、どれほど奇跡的なことだったか。
父に感謝する洋介の横で、美結も涙を流して喜んだ。
好きな人と結婚できる。
心を通わせた人と、共に人生を歩める。
だけど、思い返せば
あの頃が、一番幸せだったのかもしれない。
白無垢を着て、洋介と二人、神前で誓いを立てた。
あの頃が、一番輝いていた。
例えるなら、夜空に浮かぶ満月のように。
どこも欠けることなく、目に映る全てのものが、美しく輝いていた。
1
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
魚人族のバーに行ってワンナイトラブしたら番いにされて種付けされました
ノルジャン
恋愛
人族のスーシャは人魚のルシュールカを助けたことで仲良くなり、魚人の集うバーへ連れて行ってもらう。そこでルシュールカの幼馴染で鮫魚人のアグーラと出会い、一夜を共にすることになって…。ちょっとオラついたサメ魚人に激しく求められちゃうお話。ムーンライトノベルズにも投稿中。
義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。ユリウスに一目で恋に落ちたマリナは彼の幸せを願い、ゲームとは全く違う行動をとることにした。するとマリナが思っていたのとは違う展開になってしまった。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる