お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ① ~ 幸福 ~

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「にゃー」 

 真っ白なペルシャ猫が、女の元に駆け寄る。

 窓辺のソファーに腰かけ、外を眺めていたのは、結月の母親である、阿須加 美結みゆ

 ふさふさの毛並みをした白猫は、ぴょんとソファーの上に飛び乗ると、美結の膝元までやってきた。

 ぐるぐると喉を鳴らしながら、美結の膝の上で、うずくまれば、そんな白猫の背を細い手が撫でる。

 ゆっくりと毛並みを撫でる手は、とても温かく優しい。だが、その美結の視線は、ずっと月に向けられたままだった。

 そして、その月を見つめながら、美結が、ポツリと呟く。

「やっと……終わったわ」

 小さく小さく、零れた言葉。
 それは、吐息混じりの細い声。

 だが、やっと終わった。
 やっと、願いが叶った。

 それなのに……

「奥様?」

 瞬間、横から声がした。

 呆然と月を眺めていた美結は、部屋にメイドがいたことを思いだした。

「……戸狩とがり

「そこは冷えます。それに、もう遅いですし、お休みになられては?」

「そうね。……でも、まだ眠れそうにないのよ」

 夕方の騒動が嘘のように、今は、とても静かだった。

 それに、娘がいなくなったからといって、今の生活が変わるわけでもない。なぜなら、もともと一緒には暮らしていなかったのだ。

 仮に、普段と違うことがあるとすれば、それは、結月がいなくなったショックで、洋介が寝込んでしまったことくらい。

 だが、その慌ただしい一日が、やっと終わるというのに、美結は、眠ろうとはしなかった。

 そして、主人が『寝ない』と言うなら、メイドは従うのみ。
 
「……かしこまりました。では、ひざ掛けと温かい飲み物をお待ち致します」

 その後、戸狩が一礼し、部屋から出て行けば、美結は、再び月を見上げた。

 欠けた月が、いびつに。
 だが、美しく輝いていた。

 そして、月を見れば、結月が産まれた日を思いだす。
 月の美しい夜に、あの子は生まれてきた。

 阿須加一族の期待を、一身に背負って──


「やっぱり……あの時、殺しておけば良かったわ」
 
 ポツリと、二度目の呟きが溢れる。

 神様は、残酷だ。

 やっと願いを叶えたのに、まだ、幸せを掴ませてはくれない。
 
 まるで一生、苦しめとでも言うように、次から次へと、絶望だけが飛び出してくる。

 まるで、開けてはいけない箱を開けてしまった、パンドラのように──
 
「にゃー」

 すると、また白猫が鳴いた。
 美結は、やっとのこと、その愛猫に視線を落とすと

「私の癒しは、あなただけね──ユヅキ」
 
 猫の名前を呼び、愛おしそうに、その背を撫でる。

「眠れないなら、また子守唄を歌ってあげるわ」

 まるで、愛しい我が子に語りかけるように、美結は、猫の背をなでながら、子守唄を歌いはじめた。


 ───♩


 それは、哀しい哀しい──愛のうた

 決して、我が子には届かない



 ────哀愁の子守唄ベルスーズ
 


 






          

   『箱と哀愁のベルスーズ ① ~幸福~』











 ✣✣✣


「美結さん! 僕と、結婚を前提に、お付き合いして頂けませんか!」

 時は、今から30年ほど前に遡る。

 それは、結月が生まれる10年も昔の話。
 まだ、若かった美結と洋介が、出会った頃の話。

「け、結婚を前提に……ですか?」

 帰り際、強引に引き止めてきた洋介に、美結は目を見開いた。

 二人の出会いは、異業種交流会として開かれたパーティーでのことだった。

 様々な企業の子息や令嬢たちが出席するパーティー。それは、まさに、若者たちの出会いの場でもあった。

 しかし、美結も一応、社長令嬢ではあったが、小さな文具メーカーの次女で、肩書き的には、庶民とそう大差なかった。しかも、両親が築き上げた文具店は、兄が継ぐことになっていたし、それ故に、美結は普通の一般企業に就職していた。

 だからか、こんな庶民の娘など、眼中にないだろうと思っていたのだ。しかし、そんな矢先、パーティーで少しだけ話をした男が、突然、交際を申し込んできた。

「ほ、本気ですか?」

「もちろん、本気です! 美結さんとお話していた時が、一番楽しくて……だから、その……これっきりには、したくなくて……っ」

 そのストレートな告白に、美結は赤くなった。

 ちなみに、その頃の美結は、今のようなハデハデしさは一切なく、結月を生き写したかのような、お淑やかな女性だった。

 髪も長く、言葉遣いも丁寧。そして、年齢も19歳と若く、23歳の洋介とは、年の差的にも問題はなかった。なにより美結自身も、洋介には、好意的な感情を抱いていた。

 なぜなら、あんなにも沢山いたご令嬢たちの中から、しがない文具店の娘を選んでくれたのだ。それが嬉しくて、美結は、洋介の告白を快く受け入れた。

 そして、交際をスタートさせてからは、とても、満ち足りた日々を過ごした。

 二人だけの時間は、穏やかで楽しく、あっという間にすぎていった。

 だが、洋介が、あの阿須加家の人間であることに変わりはなく、仮にこの交際が上手くいっていたとしても、結婚を認めて貰えるとは思えなかった。

 なぜなら、阿須加家は、常に位の高い名家の娘しか娶っていなかったから。

 だから、いつか引き離されてしまうだろう。
 そう思うと、悲しくなることもあった。

 しかし、そんなある日、二人に奇跡が起きる。

「本当ですか、お父様!」

 洋介の父である阿須加 善次郎ぜんじろうが、洋介と美結の結婚を認めてくれたのだ。

「あぁ。自分が好いた女子おなごと結婚するのが一番じゃ」

「ありがとうございます、お父様……!」

 それが、どれほど奇跡的なことだったか。
 父に感謝する洋介の横で、美結も涙を流して喜んだ。

 好きな人と結婚できる。
 心を通わせた人と、共に人生を歩める。

 だけど、思い返せば
 あの頃が、一番幸せだったのかもしれない。

 白無垢を着て、洋介と二人、神前で誓いを立てた。
 あの頃が、一番輝いていた。

 例えるなら、夜空に浮かぶ満月のように。

 どこも欠けることなく、目に映る全てのものが、美しく輝いていた。
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