お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

文字の大きさ
254 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ⑫ ~ 子守歌 ~

しおりを挟む

 4月14日。
 結月は、月の美しい夜に産まれてきた。

 洋介は、当然の如く喜んでくれた。

 初めて抱く我が子は、ミルクのような優しい匂いがして、純白の産着に身を包んだ結月の可愛さに、洋介の頬は緩んでばかりだった。

「可愛いなぁ、結月は……美結、結月を産んでくれて、ありがとう」

 その姿は、まさに父親そのもので、そう言って、幸せそうに笑った顔は、今でもよく覚えている。

 親バカにでもなるんじゃないかってくらい結月を可愛がり、名前だって真剣に考えてくれた。

 でも、喜ぶ洋介を見れば見るほど、私は、罪悪感に押しつぶされそうだった。

(結月は……どっちの子かしら?)

 あの時、一度だけ関係を持ったホテルマンの子か、それとも洋介の子か?

 どちらでもありえる話で、だけど、10年も授からなかったからか、洋介の子である確率は限りなく低くて

 私は、顔では笑いながら、心で泣いていた。


 ✣✣✣


「ぁー、ぅ~」

 それでも、わが子である結月は、とても可愛かった。
 
 父親が、どちらかわからなくても、愛おしい気持ちに変わりはない。

 それは、触れ合う度に湧きあがり、私は、結月を抱きながら、よく子守唄を歌ってあげていた。

「結月は、私の子守唄が大好きね」

 妊娠中から、よく歌ってあげていたからか、泣いていても、こうして子守歌を歌ってあげれば、すぐに泣き止み、いつしか眠りにつく。

 そして、不思議なことに、メイドたちが同じように歌っても、泣き止まないそうで、この子は、私の声でだけ泣き止むのだと思うと、愛おしさに拍車がかかった。

(可愛い……)

 腕の中で眠る結月の頬に、そっと指を這わす。
 無意識に頬が緩むと、私は、幸せな時を噛み締めた。

 いつだったか『子供をちょうだい』と言った私に、戸狩やあの男が『何があっても、子供だけは手放せない』そう言っていたのを思い出した。

 あの時の彼らの気持ちが、今、やっとわかった気がした。

 よその子とは、全く違う。

 なにより、やっと授かった我が子だからこそ
 何年と待ちわびた、大切な子だからこそ

 母としての気持ちも、より強くなった。

 可愛くないわけがない。
 愛しくないわけがない。
 
 できるなら、一生、守り続けていきたい。

 そう思えるほど、結月は、私にとって大切な存在になった。

 でも──

(この子は、これから、どうなるのかしら……?)

 愛しい子だからこそ、その将来に不安を抱いた。

 結月が産まれてから、阿須加家の親類縁者たちが、代わる代わる祝福しに来た。

 出産祝いとして、ベビー服やオモチャなどを持参しながら、結月を『可愛いお嬢様だ』と褒めてくれた。

 だが、その後、誰もが口を揃えて言ってきたのは

『次は、男の子を産まなきゃね?』

 そんな脅迫じみた言葉だった。

 10年たって、やっと授かった子だと言うのに、そんなことは知らないとでも言うように、女の子が産まれたと知るや、次は男の子をと迫られた。

 結局、跡取りを産めと言う重圧も、役立たずな嫁というレッテルも、まだまだ続くのだと思った。

 だけど、二人目なんて、もう産める気がしない。
 不倫だって、二度としたくないし。

 だけど、私が男の子を産まなければ、この子はどうなるの?

 それは、美しい月を覆う不定ふじょうの雲のように、不安が渦になっと押し寄せた。

 そのせいか、胸の奥が、鉛のように重くなる。

 愛しい娘の将来に、暗雲しか立ち込めていないような気がした。

 なぜなら、結月は、当主である洋介の元に産まれた、たった一人の跡継ぎ。

 なら、この子はいずれ、阿須加家を背負って立つことになる。

 つまり、今、洋介が抱えている当主としての重圧と、私が抱えている跡取りを産めという苦悩を、同時に背負うことになる。

(……それって、幸せなの?)

 この小さな肩に、私たちの苦しみが、全て受け継がれてしまう。

 そう思うと、気が気じゃなかった。

 あんなにも苦しんで、こんなにも悩んで、この10年、生きた心地がしなかった。

 洋介だって、上からと下からの板挟みで、毎日クタクタになるまで、精神をすり減らしてる。

 そして、思った。

(……産むべきじゃ、なかったのかもしれない)

 今更気づいても遅いのに、その時になって、初めて後悔した。
 
 私は、子供を利用したのだ。

 自分が、この苦しみから逃れるためだけに、子供を産んだに過ぎず、生まれたあとの子供の未来なんて、何も考えてなかった。

 でも、こうして母になったからこそ、娘の将来を深く案じてしまう。

(こんな一族の中に産まれて、この子は、幸せになれるの?)

 子供の頃は、まだいいかもしれない。
 
 でも、年頃になれば、きっと婚約者を宛てがわれ、好きでもない男と結婚させられる。

 そして、そこに結月の意思はなく、その好きでもない男と、ひたすら子作りに励むことになる。

 男児を授かるまで、ずっと──

「……っ」

 ここにいても、この子は、幸せにはなれない。

 私と同じような、いや、私以上の苦しみを味わうかもしれない。

 そう思うと、結月を抱く腕に、微かに力がこもった。

(どうしよう……っ)

 義兄だって、まだ諦めてなかった。

 それに、私だけならまだしも、万が一、結月にまで危害が及んだら?

 いっそ、この子を連れて、ここから逃げようか?
 そんなことを思った。
 
 でも、結月は、阿須加家の跡取り娘で、そんな娘を連れて逃げればどうなるかなんて、簡単に想像がついた。

 きっと、私の両親や兄にも迷惑がかかるし、ありとあらゆる手を尽くして連れ戻される。

 なら、どうすればいいの?

「結月……っ」

 どんなに考えても、答えが見つからなかった。
 
 どうにもできない。
 弱い私には、この子を守る術がない。

 なにより、この一族で、女として、当主として産まれたことが、どういうことか?

 今になって気付かされた。

 産むべきじゃなかった。
 私は、子どもをほっするべきじゃなかった。

 でも、もう遅い。
 だって、この子は、もう生まれてしまったのだから。

「……っ」
 
 いっそ、ここで死んでしまった方が、楽なのかもしれない──そう、思った。

 苦しいだけの世界を歩むより、何も知らないまま、神様の元に帰った方が、幸せかもしれない。

 私は、眠る結月を、ベビーベッドの上にそっと下ろした。

 今、部屋には、私と結月しかいない。

 このまま、辛いだけの人生を歩むくらいなら、ここで眠らせてあげた方が、結月のためかもしれない。
 
 私は、結月の細い首に、そっと手をかけた。
 そして、その手に、ゆっくり力を入れていく。

 赤子の息の根を止めるなんて、きっと簡単なこと。
 でも──

「っ……」

 その瞬間、瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「でき、なぃ……っ」

 できるわけがなかった。

 例え、救うためだとしても、やっと授かった大切な子に、手をかけるなんて、できるわけがなかった。
 
「……う、うぅ……っ」

 それは、残酷な世界に産み落としてしまった懺悔なのか、私は、結月の首に手を添えたまま、ひたすら涙した。

 どうやったら、この子を守れるの?
 どうやったら、この子を自由にできるの?

 必死に考えるが、やはり、答えは出ず。
 でも、その時だった──
 
「奥様、何をなさってらっしゃるのですか!!」

 静かな室内に、メイドの声が響き渡った。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

冗談のつもりでいたら本気だったらしい

下菊みこと
恋愛
やばいタイプのヤンデレに捕まってしまったお話。 めちゃくちゃご都合主義のSS。 小説家になろう様でも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...