西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

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腐っていく果実、芽吹く悪夢(1)

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 長い、長い回想の旅から戻ってきた。


  お兄様は、暖炉の前のロッキングチェアで、浅い呼吸を繰り返している。  額には脂汗が滲み、うわ言のように那美の名前を呼んでいた唇は、乾燥してひび割れていた。


 あたしは、お兄様の身体を抱き上げた。  軽い。  羽毛布団のように軽くなっている。  中身(生命力)を、あたしという毒に食い荒らされて、空洞になりかけているのだ。


「……ん……世璃……?」

 ベッドに運ぶと、お兄様が薄く目を開けた。  その瞳は熱で潤み、焦点が定まっていない。  けれど、あたしを見る目だけは、確かな「認識」の光を宿していた。


「ごめんね……起こしちゃった?」 

「ううん。……夢を見ていたんだ」

 「那美の夢?」


 あたしが聞くと、お兄様は弱々しく微笑んだ。  否定しなかった。

「思い出したんだ。あの日、那美が最期に言った言葉を」

 ドクリ。  あたしの心臓が跳ねた。

  那美の最期の言葉。  『私が化け物をみんなやっつけてあげる』。


「……あの子は、僕を守ろうとしたんだね」

 お兄様の声が震える。  枯れた喉から絞り出すような、懺悔の声。


「両親という化け物と、自分の中に巣食った化け物……つまり、今の『君』を殺して。  僕だけを、人間の世界へ逃がそうとしたんだ」



 バレてしまった。  あたしは息を止めた。  

 お兄様が真実を知ってしまった。那美の本当の願いを知ってしまった。

  じゃあ、お兄様はあたしを拒絶する? 

 『那美の仇』だと言って、あたしをこの城から追い出す?  あるいは、警察に突き出す?


 あたしは、お兄様の手を離そうとした。  この手は、もうあたしが握っていていい手じゃない。  お兄様は「人間」を選んで、光の方へ行くべきなのだ。


 でも。  お兄様は逆に、あたしの手を強く握りかえした。  骨が軋むくらいに、強く。


「……でもね、世璃。  僕は、那美の願いを叶えてあげられない」


 お兄様が、あたしを見た。  その瞳に映っているのは、死んだ那美の面影じゃない。  目の前にいる、化け物のあたしだ。


「僕は、君がいない『人間の世界』なんていらない。  たとえ君が、那美を食い破って生まれた怪物でも。  君が僕の命を吸いとって、僕を腐らせていく毒だとしても。  ……僕は、君と一緒にいたい」



 それは、那美への裏切りだった。  命を懸けて兄を守った少女の祈りを、踏みにじる言葉だった。


  でも、あたしには、それが世界で一番あまい愛の言葉に聞こえた。  脳髄が痺れるような、背徳的なプロポーズ。


「お兄様……」 

「世璃。お願いがあるんだ」


 お兄様は、這うようにして上半身を起こした。  そして、自分の動かない左足を、愛おしそうに、そして憎々しげに撫でた。


「僕を、治してくれないか。  ……君のやり方で」

「え?」

「人間であることを辞めてもいい。  この足で立って、君と踊りたいんだ。  ……地獄の底まで、君と一緒に行けるように」


 お兄様の瞳には、狂気と、静謐な覚悟が宿っていた。  あたしは嬉しくて、喉の奥で音を鳴らした。  震えるほど嬉しい。  お兄様は、光ではなく、あたしとの闇を選んでくれた。



「わかった。……いいよ、お兄様」


 あたしはベッドの下から、大事に隠しておいた「箱」を取りだした。  

 中に入っているのは、数日前に山で見つけた「通り魔」のパーツだ。

  ニュースで騒がれていた、足の速い男。

  あたしが森で出会ったとき、彼はナイフを振りまわしてきたけれど、あたしが『お話』をしたら、最後には自分の左足をくれた。

  まだ新鮮だ。神経も血管も、生きているみたいにピクピクしている。


「準備はできてるよ。  ……痛いよ? 死ぬほど痛いよ?」

 「構わないさ」


 お兄様は、静かに笑った。  その笑顔は、那美が死んだ日と同じくらい、透き通っていた。
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