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しおりを挟むそのBLゲーム“極天”では、レイヴンの他にも攻略対象はいて、宰相令息や騎士団長令息、幼馴染から侍従に暗殺者見習い、果ては王子まで攻略出来た。
主人公ラシェルは有用なスキル【治癒】をファントム侯爵に認められて救い上げられ、選んだ攻略対象と仲を育んでいく。
最初に選んだ攻略対象の婚約者がディディアとなるので、攻略が完了となれば、卒業と同時にディディアとの婚約は破棄されるのだ。そのためプレイヤーは、ディディアの断罪劇を何度も見る羽目になった。
(攻略対象との好感度によって、変わるんだったか。平民落ち、奴隷落ち、娼館行き、重くて国外追放……。処刑とかあんまり惨いものは、無かったはず)
多種多様な断罪があった。何故ならディディアは生意気そうな猫目の美人であり、それを泣かせる断罪シーンはそれなりの人気を博していた。それも製作陣の思惑の一つだったのだろう。
「うぐッ……」
急に声帯を使おうとした罰なのか、ゲホゲホと咳き込んだ。水がない。水が飲みたい。
窓辺の水差しは、カラカラだった。空のコップは当然ながら乾き切っており、自分で水を貰いにいかなければならないのだ。伸ばした指先はか細く、かつての体と骨格から違う。
(僕は……立派な成人男性だった。でも、ディディアとして生きてきた記憶もちゃんとある。なんだこの感覚は……)
不思議な感覚だ。体を轟々と燃やすような魔力を感じる。それに、魂に刻み付けられたスキルが、ちゃんとあるではないか。
ディディアがスキル無しと判断されたのは、おそらく、【清泉の守人】というスキルのレベルが高すぎて読めなかったのではないかと考えられた。
それに、これまでのディディアにはプレイヤーだった記憶もなく、複雑な派生スキルの使い方も分からなかったと。
しかし今ならわかる。
「………………湯、生成」
スキルを行使する。水差しには白湯がみるみる注がれていく。息を吸うように、自然に。
「……使えた」
一口飲む。ほんのりと甘く美味しい水だ。身体の感覚からすればその他にも使えるスキルは山ほどあり、それはゲームで使いに使った主人公のスキルであった。
(…………ぅん?ちょっと待った。僕は、“悪役令息”のディディアなのに……?)
“極天”主人公だけは、特殊なスキルを持っていた。【治癒】スキルが、レベルアップと共に変化し、成長をする。通常生まれ持ったスキルが変わることはないのに、主人公だけは違った。
妹も引くほどやりこんだ結果、【治癒】スキルは【清泉の守人】と言う最高位スキルまで成長していた。その時に芽生えた派生スキルも含めて、今のディディアは使えるらしい。
たしか、悪役令息としてのディディアは【水生成】という、極々一般的なものだったのだが、それも【清泉の守人】の派生スキルにあるので吸収されてしまった模様。
(……やり込んどいて良かった~!最悪逃亡出来る!)
このスキルであれば、断罪も怖く無い。何故なら今のディディアはスキル無しで有名であり、断罪する側も油断しまくっているに違いなかった。
それから数日、体が動かせない間、ディディアは少しずつ現実を受け入れていった。
前世では日本人だったこと。どういうわけか、悪役令息ディディアに転生していること。それも、ゲームで鍛え上げたスキルを持って。
ゲームとは違い、まだ学園生活の残っている時期に婚約破棄イベントが発生しているのは理解できない。“極天”では、ディディアとの婚約破棄は必ず卒業パーティーだった。
しかし実際、レイヴンからは婚約破棄の文言が出ている。
ラシェルが相当に上手いことをやって、断罪イベントが早まったのか。しかし執事から何の報告もないことから、何か手続きに手間取っているのかもしれない。
(まだ僕は、レイヴンと婚約したまま、……か)
あれだけ情熱を捧げていたレイヴンだが、正直どうでも良くなっていた。
ラシェルを選ぶのならどうぞ、くれてやる。日本人の時の好みから言えば、線の細いレイヴンより、もっと逞しい体つきの男が良い。顔などはついていればいい。
BLゲームのせいで性癖は歪められたものの、経験するには至らなかった。元々奥手であったし、ゲイ同士のコミュニティに手を出すには、ある種の勇気がいる。
それに女性にも興味がない訳でもなく、つまるところ、自分の性的嗜好が分からないまま、まごついていたのだ。性欲が薄かったこともあり、特に問題はなかったのである。
派生スキルには元々主人公の持っていた【治癒】も、当然ある。自分の体に使ってみると、みるみるうちに痛みは引いていった。そこではた、と気付く。
レイヴンはスキルなしのディディアを、殊更見下していたが、もし。
(……スキルがあるとバレたら、婚約破棄されないのでは?)
ディディアは思う。婚約者が階段を転げ落ちるのに、全く手を差し出さなかった野郎――――レイヴンが、『これなら使える』と、万が一、思うかもしれない。
レイヴンは魔術士団長令息であり、非常に有名なスキル【空間魔術】のスキルを持っている。そしてそのことを非常に鼻にかけている。
今はラシェルの【治癒】スキルあるいは可愛らしい顔に惹かれているが、【清泉の守人】というこちらの世界で発現されたことのないスキルが物珍しくなって、粘着されると面倒だ。
(断罪されたとしても逃げ切る自信がある。それより、あのレイヴンと婚約したままの方が嫌だな……)
そういう魂胆で、ディディアは自身の治癒は最低限にすることにしたのであった。
*
一応はまだ婚約者であるはずのレイヴンは、一度も見舞いに来ない。ディディアに会いに来るのはお爺ちゃん医師だけだった。
「若さとは素晴らしいのう、ディディア様。あと数日もすれば学園へ行けますぞ」
「そうですか……」
気が重い。学園に行きたくはない。
ディディアは授業を先取りして学習していたため、学業に滞りは無い。そこは問題はないのだが……。
(結構やらかしてたな、僕…………)
日本人の記憶が蘇った今、ディディアの行動はゲームの悪役令息に似ていることに気付いた。レイヴンのストーカーもさることなら、ラシェルへの激しい嫉妬。
レイヴンはイジメだと言っていたが、ディディアには友達が居ない上、侯爵家もラシェルの味方。
家族も取られ、レイヴンに近付くラシェルが憎くて憎らしくてたまらず、出来ることはマナーや知識に関してチクチクと嫌味を言ったりすることくらい。
(……あれ?そうだよね……僕は別に、物や体に手を出したりはしてない)
改めて考えれば、至極真っ当なことを言っているんじゃないだろうか。気性が激しく猪突猛進なだけで、実は境遇としては割と冷遇されている。それは婚約者に望みを託す訳だ。
そして新生ディディアは、もう完全に家族と婚約者に見切りをつけた。もはや興味がない。早く【清泉の守人】スキルを上手く使って、のんびりスローライフを送りながら、あわよくば好みの体格の男を鑑賞しつつ酒でも飲めれば最高である。
医師が帰ると、ディディアの部屋はしんと静まった。ここは屋敷の東側の端に位置してあり、使用人たちの居住区。
一方、両親や兄、ラシェルは西側の方に部屋を有しており、ここの窓から少しだけ見えるのがなんともいやらしい。ディディア不在の家族の姿を見せつけているようだ。
と言ってもディディアはそこまで目が良くなかったため、気付かなかったが……。
視力を【治癒】し、さらに【身体強化】で強めると、家族団欒の姿が見えた。それも、レイヴンの姿がある。
(屋敷には来ているのに…………よほどディディアを嫌っているらしい)
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