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02 レイチェルの初恋
しおりを挟む「エックハルト様、申し訳ありませんが、婚約解消の理由をもっと詳しく教えてくれませんか! ど、どうしてわたしよりもノラン子爵令嬢の方が伴侶に相応しいなんて言うんですか?!」
レイチェルが目の前でいちゃくつ二人に果敢にも声をかけると、フンとエックハルトは鼻を鳴らした。
「先ほども言っただろう。シャルロッテが美しいからだ」
「容姿だけの問題ですか? え、どうしてそうなるんです?! エックハルト様は努力する人が好きだから、そういう人を素晴らしと思うからと言って、わたしに婚約を申し入れてくれましたよね? それなのに容姿のことを理由に婚約解消するなんて……」
「おまえ、あんな言葉を信じたのか? なんておめでたいヤツなんだ」
やれやれ、とエックハルトが呆れたように肩を竦めた。
「あんなのは方便に決まっているだろう。俺はな、本当はおまえが絶世の美女になることを期待して婚約したんだ。なぜならレイチェル、おまえがカーリントン伯爵家の令嬢だからだ」
「!!」
「それなのに、二年経った今もおまえはブサイクなままだ。いい加減、愛想が尽きた。俺は美しいものが好きなんだ、醜女に用はない。だからこその婚約解消だ。どうだ、これで納得できたか?」
「そんな……まさか、エックハルト様がそんな人だったなんて……」
いつも明るくにこやかなイチェルの眉間に、珍しく深いシワが寄った。
エックハルトの言う通り、レイチェルの生まれたカーリントン伯爵本家に生まれる者の中には、言葉にできないほどの圧倒的美に恵まれる者が確かに多い。
しかも彼らは生まれた時は平凡な容姿をしているにも関わらず、十代半ばで蕾が開花するがごとく急に美しく覚醒するのだ。
とはいえ、すべてのカーリントンが美しいわけではない。
中には美の覚醒がなく、平凡な容姿のままの者もいる。
その場合、彼らは美しさの代わりに特別な才に恵まれることになる。
剣技に覚醒して若くして王立騎士団長に就任する者もいれば、魔術の才が開花して宮廷魔術師長になる者もいる。
商才に恵まれて巨万の富を手に入れる者もいれば、音楽や絵描きなどの芸術の神に愛される者もいる。
現にレイチェルの姉は社交界の百合姫と名高い絶世の美女で、近く隣国の王族に嫁ぐことが決まっているし、兄の一人は優秀な宰相補佐として腕をふるう文官だし、もう一人の兄は農作物の品種改良を行うことで収穫高を倍増させることに成功した著名な植物学者だ。
三人とも歴代のカーリントン本家子女と同じように、十五才前後で美や才能に覚醒している。
人材の宝庫であるカーリントンは、これまで多くの功績を国にもたらしてきている。
それでいて今も爵位が伯爵にすぎないのは、代々の当主に出世欲がなく、陞爵の話があっても辞退してしまうからだ。
とにかく昔からカーリントン家の者は金や名誉や出生に執着がない。
才能ゆえにそれらを手に入れることが多々あるものの、あくまでも結果論である。
レイチェルもそんなカーリントン本家に生まれた一人である。
未だ美への覚醒は起こっていない。
そして、目を瞠るほどの才能の発現もまだだった。
だからこそ、エックハルトはレイチェルが美しく開花する可能性があるとみて婚約を申し込んだらしい。
告白の時に言った、努力がなんちゃらとか慈悲深くてうんたらとか、それはすべてレイチェルの気を引くための嘘だったようだ。
「確かに頭は少しだけ良いようだが、首席に手が届くほどではない。薬草作りだって、所詮は趣味の範囲内だろう? 美しくもならず、才能もないとは……まったく、おまえなんかと婚約していたこの二年間、本当に時間の無駄だった。婚約破棄されずに解消ですませてもらえることに感謝するがいい」
「ハルト様ったら、そこまで言ってはレイチェル様がかわいそうですよ? いくら本当のことだと言っても、ね」
容赦なくレイチェルを侮蔑するエックハルト。
その腕に寄りかかるシャルロッテも、庇うようなことを言いながらも結局はレイチェルを嘲笑っている。
レイチェルはあまりのショックに顔色を蒼白にして黙り込んだ。
初恋だった。
初めて告白されて、努力を認めてもらえて褒められて、本当に嬉しかった。
だから婚約してからは、エックハルトにもっと好きになってもらいたくて、これまで以上に努力を重ねた。
より効能の高い薬をたくさん作り、多くの怪我人や病人を治すことに尽力した。
自分の努力が人を救うだけではなく、エックハルトからの想いに応えることにもなると思うと、それだけで嬉しかったしやる気もでた。
寝る間も惜しんで多種多様な薬をたくさん作っては、国に、王家に、国民や領民たちに全力で尽くしてきた。
エックハルトとシャルロッテとの噂を耳にしても、気にしなかった。
尊敬できる素敵な人だと言ってくれたエックハルトを、心の底から信じていたからだ。
でも、全部嘘だった。
レイチェルは好かれてなどいなかったのだ。
エックハルトが求めていたのは見た目の美しさだけで、レイチェル自身やその努力には、興味すら持っていなかったことが今日分かった。
悲しかった。
ただひたすら悲しかった。
美しい空色の瞳に涙が滲みそうになるのを、レイチェルは必死に堪えた。
なぜなら、泣いてしまうと大変なことになると知っているからだ。
「レイチェル、大丈夫かい?」
心配そうにレイチェルに声をかけたのはティモである。
元々、レイチェルがティモを含む数人の友人たちと楽しく昼食をとっていたところに、エックハルトが急に割り込んできて婚約解消を言い立てたのだ。
だからレイチェルの近くには友人たちがたくさんいた。
皆一様にエックハルトとシャルロッテに怒りの目を向けている。
中でも、最も憤慨していたのがティモだった。
婚約者同士の話だからと、しばらくは口を挟まずに黙っていたのだ、もう放ってはおけなかった。
普段は大人しく温厚な性格のティモには珍しいほど、頭の中がエックハルトへの怒りで満ちてしまっていたのである。
ティモはこれまで、婚約者への賞賛や惚気話をレイチェルから毎日のように聞かされてきた。
レイチェルがいかにエックハルトを大切に想っているかを、誰よりもよく知っていた。
だからこそ、公衆の面前でいきなり婚約解消を告げたエックハルトのデリカシーのないその態度に、レイチェルへの気遣いのあまりのなさに、怒りを覚えずにはいられなかったのだ。
「ヒューゲル殿、あまりにも酷くないですか?! 突然こんな場所で婚約解消を言い出しただけでなく、レイチェルを蔑む言葉の数々。彼女の友人として黙っていられません。今すぐレイチェルに謝って下さい!」
「黙れ、男爵家風情が生意気な!」
「学園では身分関係なく誰しもが平等のはず。それにレイチェルは名門カーリントン伯爵家のご令嬢です。こんな場所で恥をかかされていい存在じゃない! さあ、早くレイチェルに謝罪を!」
頑として譲らないティモの毅然とした態度に、エックハルトは眉を吊り上げる。
すると彼らの様子を見ていたシャルロッテが、楽しそうにこんなことを言い出した。
「あらあら、素敵なナイト様ですこと。もしかして、レイチェル様のことが好きなんですか? だからそんなに必死に庇ってるんじゃないの?」
「ああなんだ、そういうことか。はっ、おまえ、あんな女のどこがいいんだ? 色気のひとつもないみすぼらしい女だぞ?」
シャルロッテとエックハルトの言葉を聞いて、ティモがカッと顔を赤くする。
「なっ?! ち、違う。そうじゃない! 僕はただ友人として――」
「まあ、蓼食う虫も好き好きと言うしな。いずれにせよ、よかったじゃないか。俺たちの婚約は解消された。後は平凡で冴えない者同士、仲良くすればいい」
「平凡で冴えないなんて、そんなことはないっ! レイチェルはとても素敵な女性だ!」
「あら、やっぱり好きなんじゃない。まったくもう、素直になればいいのに。お二人、とってもお似合いよ? ねえ、ハルト様?」
「ああ、シャルロッテの言う通りだ」
「だから、今話しているのはそういうことじゃなくって……ああ、もうっ、会話がまったく通じない!」
噛み合わない会話にティモが頭を抱えていると、後ろで黙り込んでいたレイチェルが、ポンとティモの肩に触れた。
「ティモ、もういいわ。庇ってくれてありがとね」
「あ、ああ、うん。……レイチェル、大丈夫?」
「大丈夫かどうか分からないけど、少なくとも状況は理解できたし、冷静にもなれた。ティモがわたしの味方をして怒ってくれたおかげよ」
レイチェルはティモに小さく笑ってみせた。
その後でエックハルトに真っ直ぐ視線を向ける。
「エックハルト様、婚約解消の件、了承しました」
「ふん、当たり前だ。元々おまえに選択肢はないのだからな」
人を見下すエックハルトの失礼なその物言いに、レイチェルは小さくため息をついた。
そして、誰にも聞こえないような小さな声でブツブツと呟く。
「これはもう止める必要ないよね? うん……うん……え? それは……だめよ! うーん、じゃあ分かった。いいわよ、やりすぎない範囲でなら」
空を見ながら、まるで誰かと会話しているかのように小さく口を動かしているレイチェルを見て、エックハルトが、表情に怒りを滲ませた。
「なにをブツブツ言っているんだ、気色の悪い。言いたいことがあるなら、はっきりと言――」
と、次の瞬間、話していたエックハルトの鼻毛がズルリと床まで伸びた。
「「「「「「?!?!?!?!?!」」」」」」
堂中の生徒たちがあんぐりと口を開ける目の前で、今度はエックハルトの前髪がずるりと抜け落ちた。
額に立派なM字ハゲが姿を現して光り輝く。
「え? うわっ、なんだこれは?!」
慌てふためくエックハルトの鼻毛はボウボウ、額には煌めくM字ハゲ。
それをすぐ隣から見ているシャルロッテの目は、驚きのあまり点になっている。
突然の珍事に食堂内が騒めく中、レイチェルだけが「やれやれ」と訳知り顔で肩を竦めていた。
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