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03 妖精の怒り

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「なんだ! 一体なにが起こっているんだ?!」

 半狂乱になったエックハルトが自分の額や鼻を触ってみても、状況はまったく良くならない。
 それどころかエックハルトの変化は更に続き、なんと、今度は体から悪臭を放ち始めてしまったものだから、これには傍観していた周囲の生徒たも顔色を青くした。
 ツンとした刺激ある臭いに涙目になりながら、生徒たちは鼻を摘まんで大声で叫ぶ。

「「「「「「「「くっさ!!!!!!」」」」」」」」

 エックハルトから最も近い場所にいるシャルロッテは、あまりの臭さに耐え切れずに嘔吐しながら失神した。エックハルトが慌ててシャルロッテを両腕で支える。


「どうした、シャルロッテ! めまいか?!」
「う、うぅ~ん……く……くさ、い……寄らな……で」
「??? くさい?」

 自分の発する異臭が分からないらしく、エックハルトがなんのことだと首を傾げる。
 そのかたわらでは、もう耐えられないと言わんばかりに生徒たちが食堂から逃げ出し始めた。

 ハンカチで鼻と口をふさぎながら走り出す生徒たちと一緒になって、レイチェルとティモも必死になって廊下に出ると、そのまま走り続けて中庭へ飛び出した。

「レイチェル、だ、大丈夫かい?」
「え、ええ。すごい臭いだったわね」

 無意識に新鮮な空気を求めたのだろう、食堂にいた生徒たちのほとんどが中庭に出たようだ。
 気分を悪くして地面に蹲る生徒の数もかなり多い。

 職員棟にいた教師たちや保健室の養護教諭も、中庭の異変に気付いたのだろう、建物から慌てて飛び出してきた。が、生徒たちの服や髪にこびりついた悪臭に気付くと、「うげっ」と顔をしかめて指で鼻を摘まんだ。
 女性教諭の中には残り香を嗅いだだけで気を失った者もいるようだ。

 この異臭騒ぎのせいで学園は休講となり、生徒たちは家に帰らされることになったのだった。



 カーリントン邸に戻ったレイチェルは自室で着替えを済ませると、すぐに執務室に出向いて伯爵父親に事の次第を報告した。

「そうか、婚約を解消されたのか」
「はい……申し訳ありません」

 肩を下げて俯くレイチェルを伯爵が優しく抱きしめる。
 そして、きっと眉を吊り上げた。

「申し訳ないなんてことあるか! レイチェルは被害者じゃないか! アイツめ、俺の娘を粗雑に扱いやがって……」

 許さんぞ、と歯軋りしながら自分のために怒り狂っている父親を見て、レイチェルの心がホッコリと温かくなる。

「いいんです、お父様。むしろ、あんな人と結婚せずにすんで良かったと思っています」
「でも、おまえはずっとエックハルト殿を慕っていただろう? 傷ついたんじゃないか」
「それは……はい。いきなり婚約解消を告げられて、その理由を知らされた時は本当に辛かったです。でも、代わりに妖精たちが仕返ししてくれたから、今はちょっとすっきりした気分になってます。ただ、さすがにやりすぎかな、とは思いますが」
「いや、自業自得だ。妖精に愛される一族であるカーリントン家の、しかも滅多に現れない妖精の愛し子であるレイチェルを悲しませたんだ。エックハルト殿は生涯ハゲと鼻毛と体臭に悩まされる人生を送ることになるだろうが……ふっ、当然の報いだな!」

 悪い顔をして笑う父親を前に、レイチェルも小さく苦笑した。


 さて、話は三百年前に遡る。

 カーリントン家の若き当主が恋をした。
 相手は妖精であり、二人は相思相愛だった。

 種族の違いから二人は結婚できなかったが、当主は生涯独身を貫いて弟の子を養子に迎えると、死ぬ寸前まで妖精との愛を育み続けた。

 当主が寿命で亡くなる時、悠久の時を生きる妖精は涙を流しながら約束した。
 未来永劫、カーリントン家の直系には祝福を贈り続けると。

 以後、カーリントン家の人間は妖精に愛される一族となった。
 直系に限り、生涯に一度だけ妖精から願いを叶えてもらえる祝福を得たのだ。

 カーリントン伯爵本家の子供たちが十代半ばで特別な才能を得たり、絶世の美男美女へと覚醒するのは、一生に一度だけの願い事を妖精に叶えてもらった結果だ。
 それはカーリントン家を栄えさせる上で大きな武器となった。

 カーリントン家の秘密については世間一般には秘匿されていて、知っているのは王家のみである。
 私利私欲にまみれた他家の人間から、カーリントン家の直系の子供たちに害が及ぼされることを防ぐためだ。

 もしもカーリントン家の子供が害されたら、妖精がどれほど怒り狂うことか。
 下手をすれば、国さえも滅ぼされかねない。

 実際に過去に一度、邪な目論見からカーリントン直系に手を出した貴族がいたが、妖精の怒りを買ったせいで不幸が降りかかり続け、結局は一族郎党すべて滅んだのだという。

 そのことを知っている王家の庇護を受けて、カーリントン家はこれまで政治利用されることなく好きなことだけをやって存続してきているのだった。

 そんな風に妖精に愛されるカーリントン家だが、祝福をくれる妖精以外にも、多くの妖精たちから溺愛される魂の持ち主が生まれることが稀にある。

 それが妖精の愛し子だ。

 愛し子は望めば何度でも妖精たちから願いを叶えてもらえる特別な存在だった。

 滅多に生まれることのない妖精の愛し子。
 それが今代当主の子に誕生した。
 約百年振りのことである。

 それこそがレイチェルなのだった。

 愛し子であるレイチェルは妖精を見ることもできるし、話をすることもできる。
 だからレイチェルは幼い頃、子供特有の無邪気さで、ありとあらゆる我儘を妖精たちから許され、願い事はどんな些細なことでも叶えられてきた。

 おかげでレイチェルは誰よりも美しく、多種多少な才能を持った超人的な幼児となった。

 しかし成長するにつれて、レイチェルは生きることに喜びを見いだせなくなっていった。
 願いさえすればどんなことでも望みが簡単に叶うのだ。
 生きる張り合いも目標も夢もなにも持てないのだから、それも当然だろう。

 十才になった時、レイチェルは努力なしに手に入れたあらゆる能力を、すべてなかったことにしてくれと妖精たちに頼んだ。

 見た目も能力も生まれたままの状態に戻ったレイチェルは、そこから努力し、懸命に励むことで自分の力で望みを叶えることに熱中するようになった。

 疲れるし多くの時間を費やすし、いくらがんばったところで努力が実らずに失敗することもある。

 それでもレイチェルは欲しいものを自分の力で手に入れる喜びを知ったことで、初めて生きることの素晴らしさを感じることができた。
 だからこそ、どんな苦労をも物ともせず、目標に向かって突き進むことができる人間へと成長できたのだった。

 レイチェルは天才ではない。
 だからどんなに努力しても、妖精に願い事を叶えてもらった超有能親族たちほど歴史的な成果を出せないのが現実だ。

 悔しかったり悲しかったり苦しかったりすることは多々ある。
 それでも、どんな小さなことでも自分の努力が実って出せた成果なら、レイチェルはそれだけで十分に満足できた。
 頑張った自分を誇らしく思えたし、もっと頑張ろうという励みにもなったからだ。

 そんなレイチェルだからこそ、エックハルトからの告白が胸が震えるほど嬉しかった。

 エックハルトはレイチェルの努力を誉めてくれた。
 素晴らしいと言ってくれた。
 薬を作るための血の滲むような努力を認めてくれて、そこが素晴らしいのだと、愛していると言ってくれたのだ。

 けれど、それはすべて嘘だった。
 エックハルトはレイチェルの努力など微塵も認めておらず、ただただ見てくれのいい女を求めるだけの目的で、レイチェルに求婚した。

 それを知ったレイチェルはもちろん悲しかった。
 が、それどころではない事態に焦るあまり、悲しみに浸る暇がなくなってしまった。

 なんと、レイチェルの受けた無礼を知った妖精たちが、尋常でないほど怒り狂い、恐ろしいほどの殺意をエックハルトに抱いていると気付いたからだ。

『殺す! アイツもう殺しちゃおうよ!』
『あたしたちのレイチェルを傷つけた、許せない!!』
『呪っちゃう?』
『生気を全部吸い取っちゃえばいいんじゃない?』
『いいね、それならすぐに干からびて死んじゃうもんね♪』

(だっ、だめよ、殺しちゃダメ!!)

『でも許せないよ!!』
『このままないもしないのは嫌っ』
『レイチェルのかたき討ちしたい!』
『どこまでならやってもいいの?』
『教えて、レイチェル』
『教えてくれないなら、殺しちゃうしかないよ~?』

 どうやら、なにか報復となるようなことを言わない限り、エックハルトが殺されそうな勢いである。

(え、ええーと、うーん、そうねぇ……恥をかかせる、とか? それくらいならいいかなぁ)

『恥かぁ……いいね!!』
『よし、分かったよ!』
『特大の恥をかかせてやる』
『死ぬまでずっと恥ずかしい思いをさせちゃおう!』
『死んだ方がマシってくらいのヤツがいいよね』

(えっ、死ぬまでずっと? 死んだ方がマシ? そ、それはちょっと、やりすぎじゃ――)

『『『『鼻毛とハゲと悪臭の呪いに苦しめ――――っっ!!!!!』』』』


 とまあ、そんな感じで。

 エックハルトはレイチェルを溺愛する妖精たちの逆鱗に触れた結果、鼻毛が床まで伸び(切ってもすぐに伸びる)、額は禿げあがり(産毛もない)、悪臭が発っする汚物へと成り下がってしまったのだった。


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