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3-1.夜に走る
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しおりを挟む遼は部屋に戻ると、何もする気になれず、寝室に直行した。汚れたパーカーを脱いでベッド脇に放り投げ、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。部屋の灯りは付けずに、暗いままだ。シャワーを浴びて、明日の仕事に備えなければいけない。汚れてしまった服を洗わなければならない。頭ではわかっているのに、遼の身体は拒否し、身体は重く、ベッドに深く沈んだ。
遼は目をきつく閉じた。瞼の裏の暗い世界に、先程までの景色がフラッシュバックする。鼓動が跳ね、慌てて目を開けた。
飼っていた犬が死んだときのことを遼は思い出していた。犬は老衰で死んだが、幼い遼にとってはショックな出来事だった。すぐ近くにあった大事なものを失うという経験は、今でも遼の心に棘のように刺さっている。その棘が存在を主張するように、胸を痛めつける。このまま王輝が死んでしまったら、と嫌な想像が遼の頭をよぎる。ずきずきと胸が痛むのを紛らわせるように、遼は姿勢を変え、ベッドに仰向けになった。転倒したときにぶつけた肩が鈍く痛んだ。
一人で寝るには少し広くて、二人で寝るには狭いセミダブルのベッド。隣を見ても、王輝はいない。ずっと一人で眠っていたのに、隣で王輝が眠る心地よさを知ってしまったせいで、遼は心にぽっかりと大きな穴が空いた気分だった。
遼は自分の中の王輝の存在の大きさを自覚した。失ってしまうかもしれない恐怖、抑えきれない好きという気持ち、自分のものにしたい独占欲。混ざり合って、張ちきれそうになるそれらに、遼はどう対処していいかわからなかった。
遼は大きく息を吐いた。このままだと到底眠れそうにない。仕事に向けて気持ちを切り替えろと自分を叱咤する。まずシャワーを浴びて、何か食べれば、眠れるはずだ。遼は重い身体を無理矢理起こし、ベッドに座りこんだ。
ポケットからスマホを取り出す。画面に触れても反応がなく、遼は一瞬首を傾げた。遅れて、バッテリーが切れていることに気づく。ベッドサイドにある充電コードに繋ぐと、スマホは小さく震えて、画面から眩い光を放った。その光に浮かび上がった遼の表情は、ひどく疲れて、今にも泣きそうだった。
翌朝、岸は迎えのために、遼のマンションを訪れた。地下駐車場で待っていると、遼がエレベーターから降りてきて、助手席に乗り込んだ。
「おはよう」
「おはようございます」
いつも通り挨拶を返した遼だが、その顔は暗く、疲労や憔悴が滲む。尋ねなくても、昨日は眠れなかったことが岸にはわかった。こんなことなら、深夜だからと躊躇わず知らせてやればよかったと岸は後悔した。それほどまでに王輝の存在が大きいということにも、同時に驚く。
「今ヶ瀬さんのことだけど」
岸が切り出すと、遼は勢いよく顔をあげ、岸の顔を見つめた。
「あのあと三門から連絡あって、処置は深夜に無事終わったそうだ。まだ意識ないが、三門の見立てでは、すぐ目を覚ますだろうって」
岸の言葉を理解するのに時間がかかった遼だが、じわじわと理解が追いつき、ほっと息を吐きだした。
「よかった」
遼の口から本音が漏れ、その瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。安堵と嬉しさに、堰を切ったように涙が溢れる。止まらない涙を遼は手で涙を拭った。
それを見た岸は心底驚いたが、スーツのポケットからハンカチを出し、黙って遼に差し出した。遼は小さく「ありがとうございます」と言い、ハンカチに顔を埋めた。新しいハンカチを買わなければと岸はぼんやり考えて、シートに背中を預けた。まだ時間に余裕があるので、遼が落ち着いたら出発しようと決め、岸は目を瞑った。
遼は流れる涙を止める術を知らなかった。しかし不思議なことに、泣けば泣くほど頭がすっきりとする。まるで溢れる涙に不安や恐怖が溶け込んで流れ出ていくようだった。遼の涙が止まったのは、王輝に自分の気持ちを伝えることを決心したときだった。
王輝のことが好きだ。遼は心からそう思った。気持ちを無視した身体だけの関係ではなく、ちゃんと王輝と向き合いたい。お互い好きだと認めて、日々を過ごしたい。気持ちを伝えることでセフレ関係は終わり、二人の関係も終わってしまうかもしれないが、それでもいい。ちゃんと言葉にして伝えたい。遼は覚悟を決めた。
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