81 / 89
番外編*十五年目の煩悩
9
しおりを挟む「お疲れ」
「お疲れ様です!」と、勢いよくお辞儀をして言った。
「この前の……歓迎会では、ありがとうございました」
歓迎会……?
少しだけ考えたが、すぐに思い出した。
「ああ、いや」
「あの次の日、妻が美容室に行きたいって言うので、子供と留守番してたんです。そしたら、喜んでもらえました」
「そうか」
「はい。とは言っても、たった三時間なんですけど」と、青野は苦笑いする。
三時間を『たった』と言える彼は、奥さん想いのいい奴だと思う。
「それでも、奥さんは喜んでくれたんだろう?」
「はい」
「それなら、良かった」
「はい!」
エレベーターが到着し、扉が開く。
「青野はいい旦那だな」
「え?」
「俺はできなかったから」
「ええ!?」
偉そうに言ったのだから、当然俺自身の経験だと思っただろう。
黙っていてもいいのだが、なんだかフェアじゃない気がした。
「お疲れ」
「あ、はい! お疲れさまでした」
「お前も早く帰れよ」
扉が閉まる。
今日の昼休憩の時、女性社員が話しているのが聞こえた。
育休明けの女性で、仕事復帰しても旦那がこれまで通りで、家事も育児も手伝ってくれないとこぼしていた。いや、あれは怒っていた。
『誰の子供だと思ってんのよ! どうせ何もしないなら、いない方がずっと楽!』
耳が痛かった。
ついでに、食欲もなくなった。
人生、やり直せるなら由輝が生まれた後、ママママ期だと諦めずに子育てを手伝おう。いや、由輝が俺を拒むのなら、家事を手伝えば良かった。
いやいや、その前にプロポーズ……。
……の前に、初めてのセックスのやり直し……。
……の前に、広田と揃いの時計を……。
もう、いっそのこと、生まれ直したい。
だがそもそも、俺がこんな風に意識を改めたのは、妻のホンネを見たからだ。
それまで、夫婦仲が良いと思っていた自分を殴りたい。
同時に、嬉しかった。
純粋に、嬉しかった。
恥ずかしがり屋で甘え下手な柚葉が、あんなに熱いホンネを秘めていたのが驚いたし、嬉しかった。
妻がホンネを書き綴った紙を、俺は手帳に挟んでいつも持ち歩いている。
会社を出て、近くのコンビニに向かう。
そこで、待ち合わせしている。
狭い駐車スペースに我が家の車を見つけた途端、腹が鳴った。
我ながら、単純だ。
もっと単純なのは和葉で、いつもうるさい兄がいないのをいいことに、値の張る肉ばかり食べたがった。
柚葉はいつも同様、冷麺とユッケジャンクッパで迷う。
俺は、二つ頼んで分けたらいいと言った。
柚葉は喜び、和葉は意味ありげに笑った。
ともあれ、家族が笑っているのは、それだけで幸せだ。
和葉に釣られて食べ過ぎるほど食べて、その日は風呂に入ってすぐに寝た。
由輝がいないと、家の中が驚くほど静かで、柚葉も気が抜けたようだ。
翌朝も、俺はいつもより早く出社した。
午後は有休を取っているから、余裕をもってのことだ。
だが、近澤に頼んだ資料のデータが古いことがわかり、修正に時間がかかってしまった。
それでも、一時半には会社を出た。昼飯は食っていない。
どうせならと、柚葉の店の最寄り駅まで行き、住んでいた当時はなかったカフェで軽食を取った。
今日は、三時まで仕事だと言っていた。
俺はその時間を目がけて、店に行った。
「いらっしゃいませ!」と元気に迎えたのは、見知らぬ男。
大学生くらいだろうか。若い。
店内を見回しても柚葉の姿はなく、どうせならと俺はボールペンの替え芯を探した。
「永吉さん、上がりじゃないんですか?」と、先ほどの男の声が耳に入った。
「うん。検品だけしたら上がります」と、柚葉の声。
31
あなたにおすすめの小説
妖狐の嫁入り
山田あとり
恋愛
「――おまえを祓うなどできない。あきらめて、俺と生きてくれ」
稲荷神社の娘・遥香(はるか)は、妖狐の血をひくために狐憑きとさげすまれ、ひっそり生きてきた。
ある日、村八分となっている遥香を探して来たのは怨霊や魔物を祓う軍人・彰良(あきら)。
彼は陰陽師の名門・芳川家の男だった。
帝国陸軍で共に任務にあたることになった二人だったが、実は彰良にもある秘密が――。
自己評価は低いが芯に強さを秘める女が、理解者を得て才能を開花させる!
&
苦しみを抱え屈折した男が、真っ直ぐな優しさに触れ愛を知る!
明治中期風の横浜と帝都を駆ける、あやかし異能ロマンス譚です。
可愛い妖怪・豆腐小僧も戦うよ!
※この作品は、カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
雨降る夜道……
Masa&G
恋愛
雨の夜、同じバス停で白いレインコートの女性が毎晩、誰かを待っている。
帰ってこないと分かっていても、
それでも待つ理由がある――
想いが叶うとき――
奇跡が起きる――
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完結】時計台の約束
とっくり
恋愛
あの日、彼は約束の場所に現れなかった。
それは裏切りではなく、永遠の別れの始まりだった――。
孤児院で出会い、時を経て再び交わった二人の絆は、すれ違いと痛みの中で静かに崩れていく。
偽りの事故が奪ったのは、未来への希望さえも。
それでも、彼を想い続ける少女の胸には、小さな命と共に新しい未来が灯る。
中世異世界を舞台に紡がれる、愛と喪失の切ない物語。
※短編から長編に変更いたしました。
【完結】この胸に抱えたものは
Mimi
恋愛
『この胸が痛むのは』の登場人物達、それぞれの物語。
時系列は前後します
元話の『この胸が痛むのは』を未読の方には、ネタバレになります。
申し訳ありません🙇♀️
どうぞよろしくお願い致します。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる