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2章 帝国の呪い
2-58 その笑顔は嘘ではない
残酷な通告だ。
死ぬ間際に希望の糸を垂らされたら、誰だってそれに縋るに違いない。
俺は来年には薬師試験の受験資格である経験年数が足りる。
薬師試験は難しい試験だ。
経験年数が増えても合格しないし、実家がどれだけ帝国に寄与しても試験結果がすべてである。
本人の実力だけがものを言う試験である。
ファンは再来年、トータはその一年後に受験資格を得る予定である。
「ファンが憧れる気持ちはわかるが、薬師試験に落ち続けたらキミのボスはどう思うだろうか」
青年の言葉に、ファンがバッと顔を上げる。
ここぞとばかりに青年は畳みかける。
「ファンに対する失望かな。それとも、自分が教えなければ、という後悔の念に駆られるだろうか」
静かにゆっくりとした口調で、ファンに寄り添い語る。
じわりじわりと言葉がファンの内部に浸食していくのを目の当たりにする。
「それは、」
「キミのボスが僕に接触を許しているのは、おそらくその未来を辿らないようにという想いからかもしれない。心酔するのも良いけど、それはそれ、これはこれ。きちんと線引きをしないと呆れられる可能性も捨てきれない」
「うっ、そうだね。薬師試験の勉強は別のものとして区別する。部屋長に後悔なんてさせたくない」
ファンがグッと強く拳を握った。
そして、すでに冷えてしまった残ったパンを頬張った。
決意の表情がそこにある。
それは軌道修正。
ファンが望む未来へと。
それは青年が望む道ではないのではないか?
「、、、ファンが戦争に行って、お前の胸に飛び込むのを待っていた方が良かったんじゃないのか」
俺はあえて青年に聞く。
「んー、確かに僕はどんなファンでも受け入れるけど、絶望の淵に立っている姿を見るのは本意じゃない。僕の言葉でファンが幸せな人生を歩むのならそれもまた良し」
「ファンが他の誰かと幸せな人生を歩んだらどうするんだ」
青年の青い瞳が俺を見据えた。
「それはそれで良いんじゃないか。最後に思い出を話しながら余生を過ごすのも」
「ファンがお前の元に戻ってくると言いたげだな」
「うん」
ハッキリと肯定された。
当然といった顔でしっかりと頷かれた。
ファンがどんな人生を歩もうとも、この青年の元に戻ってくるのか。
それは決定事項なのか。
それは、もしも俺と人生を歩んだ後でも?
「それは、」
「おっつかれーっ。二人とも見学楽しかったー?」
元気良く更衣室に入ってきたのはトータ。
トータは扉を開けたまま、動きが止まる。
会話が途切れてしまった。
仕方ない。
いつか聞く機会があるだろうか。
俺は悠長にそんなことを考えていたのだが。
トータの目がファンの隣に座っている青年にロックオンした。
一瞬だった。
バッと飛んで、青年をつかまえようとするトータ。
しかし、そこには青年がいたはずのイスしかない。
「くっ、素早いっ」
トータが悔しがる。
青年はテーブルの向こう側にいた。
、、、いつの間に移動した?
「彫刻様ー、逃げなくても良いんじゃないですかー」
ジリジリジリと距離を縮めようとするトータ。
反対に、困った表情で青年はテーブルを挟んで距離を開けようとする。
トータはこの青年が彫刻だということ把握しているんだな。すでに人化した姿を見ていたのか。
「いや、キミはしっかりと返品したじゃないか。自分の人生をしっかりと歩んでくれ、是非とも」
「、、、トータはこの彫刻のこと好きなのか?」
「うんっ、大好きだよ」
ファンはトータの真っ直ぐな返答を聞いて。
「花嫁はトータじゃダメなのか」
、、、それをファンの口から言うのは残酷すぎないか?
ファンは自分の気持ちを大切にするが、他人の気持ちはけっこう蔑ろにしてないか。
「そいつは僕が好きなわけじゃなくて、人外と呼ばれるものが大好きなのっ。浮気したら、そっちの彫刻が泣くぞっ」
青年が指さした先には。
ちょこんと黒ワンコの上に座っている小さな彫刻の姿が。。。
小さな手が横に振られている。
いや、泣かないし、と言っているかのよう。
「うっわー、ごめんーっ。浮気する気はなかったんだーっ。俺はキミたちが大好きなんだよーっ」
トータはガバッと小さい彫刻を抱きしめた。一緒に抱き締められてしまった黒ワンコの前足がジタジタしている。
コレが人外相手にタガが外れる姿か。
ちょっと怖い。ちょっとじゃないか、トータの目がけっこう怖い。自分が人外でなくて本当に良かったと思えるほど。
「そっちの彫刻は人化しないのか」
「人化すると、的が大きくなるだけだ」
「的?」
つるんとトータの腕から抜け出し、トコトコと歩き出し、通りすがりの別の黒ワンコに乗る彫刻。
それを追いかけようとするトータ。
扉から出ていこうとする。
心配なので、声をかけておく。
「トータ、始業時間には戻るんだぞ」
「おうっ」
元気が良過ぎる。
更衣室から去っていったトータに、あからさまにホッとする青年。
「まあ、アイツはマイペースで、あのトータも流せるから安心だ」
「それは良いことなのか?」
「アイツはイタズラ好きでもないし、人間を地獄に突き落として楽しむタイプじゃないし、問題ないだろ。キミらのボスも放置しているのだから」
「、、、何で遠回しに部屋長のことをキミのボスとか言ったりするんだ?」
「、、、僕のボスではないし、僕が役職名で呼ぶ必要もないだろ」
「だったら、普通に名前で呼べばいいんじゃないか」
「名で呼ぶと召喚される危険が増すじゃないか」
召喚。。。
部屋長は化け物か、人外扱いか?
本気で苦手なのか?
「あ、噂をするとなんとやらってヤツ?」
「そんな生易しいものじゃない。人外が人の名を呼んだらこの場に現れる危険が増えるだけだ」
シエルド様の名前は普通に口にしていたから、他の者の名前も知らないわけじゃないのだろう。
「そういや、名前はあるの?トータは彫刻様って呼んでたけど」
ファン、話をしっかりと聞いていたか?
人外が名を呼んだら、ということは逆もしかりなんじゃないか?
「僕たちには名はない。祈りの間の彫刻のなかには名があるものもいないこともないが、僕たちのような小さい彫刻まで名をつける物好きはいない」
「けど、トータのように彫刻様って呼ぶのもなあ」
「じゃあ、ファンが呼びやすいように呼んでよ」
青年の申し出に、ファンの瞳が瞬く。
「え、あー、うーん」
唸った後、じっと青年を見た。
そして。
「、、、アジュール?」
トータが辛うじて聞こえる小さい声で呟く。
安易な、と言おうとして俺は口を塞ぐ。
青年のその瞳が、顔が、すべてが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑ったから。
「ありがとう、ファン。アジュールか、うん、いい名だ。わかりやすい」
アジュールがファンの手を両手で握って喜んでいた。
「そ、そっかなー、少し単純かなとも思ったんだけど、他にいいと思った名前があったら変えてもいいから」
「ファンが名付けてくれたのが一番だ」
アジュールの全身の喜びに、ファンの方が照れてしまうほど。
その喜びに、安易な、安直な、という他人の感想は必要ないことがわかる。
「俺、コップ洗ってくるっ」
ファンは俺たちが使っていたグラスを三つ持って、更衣室を後にした。
「ふふふ、可愛いなあ」
ついていくと思われたアジュールはそのままそこにいた。
ファンが確実に消えてから、ゆっくりと俺を見た。
「キミが胸の内を言わないでくれて良かった」
「安易、安直ってヤツか」
「そう、キミは一生呼び名もなく終わる者たちの想いなど知る術もないのだから仕方ないことだが、僕たちにとって名は特別で恋焦がれるものだ」
「それなら自分で名前つけて名乗りゃいいのに」
俺の言葉に、その瞳は本当に寂しそうに微笑った。
「それは何か意味あることなのか。名は他者から呼ばれなければ、何の意味もないのに」
「そ、それはそうだが」
名をつける親もいなければ、名を呼ぶ者もいない。彫刻同士では名を呼ぶ必要性はないのかもしれない。
アジュールがフッと笑う。
「およそ二年だよ」
「え、」
「キミが言わないでくれたお礼に教えてあげるよ。この薬部屋があるのは約二年。大教会の修繕工事もそれで終わる」
青い瞳が俺を見て言った。
その説明を、その二年を伝えた意味を教えてほしかった。
死ぬ間際に希望の糸を垂らされたら、誰だってそれに縋るに違いない。
俺は来年には薬師試験の受験資格である経験年数が足りる。
薬師試験は難しい試験だ。
経験年数が増えても合格しないし、実家がどれだけ帝国に寄与しても試験結果がすべてである。
本人の実力だけがものを言う試験である。
ファンは再来年、トータはその一年後に受験資格を得る予定である。
「ファンが憧れる気持ちはわかるが、薬師試験に落ち続けたらキミのボスはどう思うだろうか」
青年の言葉に、ファンがバッと顔を上げる。
ここぞとばかりに青年は畳みかける。
「ファンに対する失望かな。それとも、自分が教えなければ、という後悔の念に駆られるだろうか」
静かにゆっくりとした口調で、ファンに寄り添い語る。
じわりじわりと言葉がファンの内部に浸食していくのを目の当たりにする。
「それは、」
「キミのボスが僕に接触を許しているのは、おそらくその未来を辿らないようにという想いからかもしれない。心酔するのも良いけど、それはそれ、これはこれ。きちんと線引きをしないと呆れられる可能性も捨てきれない」
「うっ、そうだね。薬師試験の勉強は別のものとして区別する。部屋長に後悔なんてさせたくない」
ファンがグッと強く拳を握った。
そして、すでに冷えてしまった残ったパンを頬張った。
決意の表情がそこにある。
それは軌道修正。
ファンが望む未来へと。
それは青年が望む道ではないのではないか?
「、、、ファンが戦争に行って、お前の胸に飛び込むのを待っていた方が良かったんじゃないのか」
俺はあえて青年に聞く。
「んー、確かに僕はどんなファンでも受け入れるけど、絶望の淵に立っている姿を見るのは本意じゃない。僕の言葉でファンが幸せな人生を歩むのならそれもまた良し」
「ファンが他の誰かと幸せな人生を歩んだらどうするんだ」
青年の青い瞳が俺を見据えた。
「それはそれで良いんじゃないか。最後に思い出を話しながら余生を過ごすのも」
「ファンがお前の元に戻ってくると言いたげだな」
「うん」
ハッキリと肯定された。
当然といった顔でしっかりと頷かれた。
ファンがどんな人生を歩もうとも、この青年の元に戻ってくるのか。
それは決定事項なのか。
それは、もしも俺と人生を歩んだ後でも?
「それは、」
「おっつかれーっ。二人とも見学楽しかったー?」
元気良く更衣室に入ってきたのはトータ。
トータは扉を開けたまま、動きが止まる。
会話が途切れてしまった。
仕方ない。
いつか聞く機会があるだろうか。
俺は悠長にそんなことを考えていたのだが。
トータの目がファンの隣に座っている青年にロックオンした。
一瞬だった。
バッと飛んで、青年をつかまえようとするトータ。
しかし、そこには青年がいたはずのイスしかない。
「くっ、素早いっ」
トータが悔しがる。
青年はテーブルの向こう側にいた。
、、、いつの間に移動した?
「彫刻様ー、逃げなくても良いんじゃないですかー」
ジリジリジリと距離を縮めようとするトータ。
反対に、困った表情で青年はテーブルを挟んで距離を開けようとする。
トータはこの青年が彫刻だということ把握しているんだな。すでに人化した姿を見ていたのか。
「いや、キミはしっかりと返品したじゃないか。自分の人生をしっかりと歩んでくれ、是非とも」
「、、、トータはこの彫刻のこと好きなのか?」
「うんっ、大好きだよ」
ファンはトータの真っ直ぐな返答を聞いて。
「花嫁はトータじゃダメなのか」
、、、それをファンの口から言うのは残酷すぎないか?
ファンは自分の気持ちを大切にするが、他人の気持ちはけっこう蔑ろにしてないか。
「そいつは僕が好きなわけじゃなくて、人外と呼ばれるものが大好きなのっ。浮気したら、そっちの彫刻が泣くぞっ」
青年が指さした先には。
ちょこんと黒ワンコの上に座っている小さな彫刻の姿が。。。
小さな手が横に振られている。
いや、泣かないし、と言っているかのよう。
「うっわー、ごめんーっ。浮気する気はなかったんだーっ。俺はキミたちが大好きなんだよーっ」
トータはガバッと小さい彫刻を抱きしめた。一緒に抱き締められてしまった黒ワンコの前足がジタジタしている。
コレが人外相手にタガが外れる姿か。
ちょっと怖い。ちょっとじゃないか、トータの目がけっこう怖い。自分が人外でなくて本当に良かったと思えるほど。
「そっちの彫刻は人化しないのか」
「人化すると、的が大きくなるだけだ」
「的?」
つるんとトータの腕から抜け出し、トコトコと歩き出し、通りすがりの別の黒ワンコに乗る彫刻。
それを追いかけようとするトータ。
扉から出ていこうとする。
心配なので、声をかけておく。
「トータ、始業時間には戻るんだぞ」
「おうっ」
元気が良過ぎる。
更衣室から去っていったトータに、あからさまにホッとする青年。
「まあ、アイツはマイペースで、あのトータも流せるから安心だ」
「それは良いことなのか?」
「アイツはイタズラ好きでもないし、人間を地獄に突き落として楽しむタイプじゃないし、問題ないだろ。キミらのボスも放置しているのだから」
「、、、何で遠回しに部屋長のことをキミのボスとか言ったりするんだ?」
「、、、僕のボスではないし、僕が役職名で呼ぶ必要もないだろ」
「だったら、普通に名前で呼べばいいんじゃないか」
「名で呼ぶと召喚される危険が増すじゃないか」
召喚。。。
部屋長は化け物か、人外扱いか?
本気で苦手なのか?
「あ、噂をするとなんとやらってヤツ?」
「そんな生易しいものじゃない。人外が人の名を呼んだらこの場に現れる危険が増えるだけだ」
シエルド様の名前は普通に口にしていたから、他の者の名前も知らないわけじゃないのだろう。
「そういや、名前はあるの?トータは彫刻様って呼んでたけど」
ファン、話をしっかりと聞いていたか?
人外が名を呼んだら、ということは逆もしかりなんじゃないか?
「僕たちには名はない。祈りの間の彫刻のなかには名があるものもいないこともないが、僕たちのような小さい彫刻まで名をつける物好きはいない」
「けど、トータのように彫刻様って呼ぶのもなあ」
「じゃあ、ファンが呼びやすいように呼んでよ」
青年の申し出に、ファンの瞳が瞬く。
「え、あー、うーん」
唸った後、じっと青年を見た。
そして。
「、、、アジュール?」
トータが辛うじて聞こえる小さい声で呟く。
安易な、と言おうとして俺は口を塞ぐ。
青年のその瞳が、顔が、すべてが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑ったから。
「ありがとう、ファン。アジュールか、うん、いい名だ。わかりやすい」
アジュールがファンの手を両手で握って喜んでいた。
「そ、そっかなー、少し単純かなとも思ったんだけど、他にいいと思った名前があったら変えてもいいから」
「ファンが名付けてくれたのが一番だ」
アジュールの全身の喜びに、ファンの方が照れてしまうほど。
その喜びに、安易な、安直な、という他人の感想は必要ないことがわかる。
「俺、コップ洗ってくるっ」
ファンは俺たちが使っていたグラスを三つ持って、更衣室を後にした。
「ふふふ、可愛いなあ」
ついていくと思われたアジュールはそのままそこにいた。
ファンが確実に消えてから、ゆっくりと俺を見た。
「キミが胸の内を言わないでくれて良かった」
「安易、安直ってヤツか」
「そう、キミは一生呼び名もなく終わる者たちの想いなど知る術もないのだから仕方ないことだが、僕たちにとって名は特別で恋焦がれるものだ」
「それなら自分で名前つけて名乗りゃいいのに」
俺の言葉に、その瞳は本当に寂しそうに微笑った。
「それは何か意味あることなのか。名は他者から呼ばれなければ、何の意味もないのに」
「そ、それはそうだが」
名をつける親もいなければ、名を呼ぶ者もいない。彫刻同士では名を呼ぶ必要性はないのかもしれない。
アジュールがフッと笑う。
「およそ二年だよ」
「え、」
「キミが言わないでくれたお礼に教えてあげるよ。この薬部屋があるのは約二年。大教会の修繕工事もそれで終わる」
青い瞳が俺を見て言った。
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