その捕虜は牢屋から離れたくない

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1章 敵国の牢獄

1-73 正当な評価、正当な対価

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 自分が考えている正当な評価というのは、たいてい他者とは乖離する。
 だが、ここまで大差があるのは珍しい。

 クロウの自己評価は限りなく低く、帝国からの評価は相当高い。

 いや、自己評価が低いわけではないか。
 自分の労働に対する対価に関する考えが低いだけなのか。
 リンク王国のせいで。

「クロウ、ここまで高い評価をしてもらっているんだから、この報酬をもらおうという考えはないの?」

「もう俺、若くないからさー。牢獄で細々と生きていくよー」

「はははっ、クロウの兄ちゃん、さすが。この世を牢獄で例えるなんて」

「違えねえ。確かに、この世は牢獄だ」

 ヒセ少年に他の客まで追随する。

 ここにいる誰もクロウが本当の捕虜だとは露ほども思ってない。
 そりゃ、自由に飲み屋に出入りする捕虜なんてこの世界にどこにもいない。
 いるわけがない。

 クロウが捕虜のままなのは、契約で囲い込めないのならまだ牢に入れておいた方が逃げられない、ということなのだろうか?

 外に出ているけど。
 ごくごく普通に出てるけど。
 クロウは普通に脱獄できるよねえ。どこまでも逃げられるよねえ。
 リンク王国にも出入りできるくらいだし。

 皇帝がこの状況を認めている時点で、クロウを本気で帝国から逃亡する気にさせないための自由は与えられているようだ。

「この店の料理は確かにうまい。常連客のなかには奥さんがいないから気を使って店に足を運ばないの者もいる」

「ああ、そういう人もいますか」

 けど、サザさんはごくごく普通に、話からすると普通以上に来ている気がするなあ。

「だが、奥さんが怪我したからって、店も生活も待ってくれるわけじゃねえ。何なら奥さんの怪我で、医師や薬師に払う金が増えるんだ」

「そりゃ、そうですよね」

 サザさんは私を馬鹿にしているのだろうか?
 説明されなくてもわかるよ、そのくらい。

「わかってないから説明されているんですよ、お貴族様。あ、ヒセ、枝豆追加ー」

 ぐっ。

 ヒセ少年がクロウに手をヒラヒラして合図を送る。
 今、ようやく気付いたが、クロウが注文しているのはヒセ一人でも用意できるつまみばかり。

「頭で知識としては知っていても、実際の状況をお前はわかっていない。貴族なら擦り寄って来る者もいるかもしれねえが、普通は助けなんて待っていても来ない。いつも以上に金は必要になるのに、客が減れば店が潰れるリスクも高くなる」

 それが現実。
 だからといって、抜けた穴を埋める従業員を雇う金はない。

「だから、ここに来る客はコイツらに遠慮せずに料理や酒を頼んでいるんだ」

「けど、サザさんなら」

 サザさんなら客として来なくとも救える。
 別に国民全員を救えと言っているわけではない。
 親しい仲なら。

「サザさんだってこの店がなくなるのは嫌でしょう」

「嫌だから、いつも以上に足繁く通っているんじゃないか」

「なら、奥さんの怪我を」

「お貴族様の施しの精神には、いつも辟易する」

 お貴族様と発言するのはクロウ。
 クロウは私の言葉を最後まで言わせなかった。

 顔は笑っている。笑っているが。

「ははは、そして、その対価を負担するのはそこの領民って話か」

 ぐぐっ。
 サザさんも笑いながら酒を飲む。

「代償を伴わないものに価値などない。無料で与えられることに慣らされたら、後は力があれば他人を踏み躙る行為をするだけだ」

「クロウ、それは話が飛躍し過ぎている」

「お前の施しなんていらない。俺たちは自分の足で立っていける」

 ぐぬっ。

 わかっている。
 彼が黒髪の平民だったことは。
 リンク王国でどれだけ虐げられてきたか。

 それは、知識として。知識として知っているだけだ。

 彼が本当はどれだけ貴族が嫌いで、貴族を頼らず生きていきたいとどれほど願っているのかなんて、語り合わなければわかるはずもない。
 けれど、そんなこと、クロウは語りたくもないのだ。
 だから、私の言葉を聞こえないフリをした。

「俺らがほんの少し手助けするのは、その者が本当に立ち上がれないときにだけだ。ごっそーさん、俺もつまみを頼もうかな」

 サザさんが三枚の皿を綺麗にした。
 え?三枚の大皿がいつのまにか綺麗になっているんですけどっ?
 私はまだ一品から小皿分しか取ってなかったんですけどっ?

「私、全然食べれてない」

「生存競争に生き残れないお貴族様がよくやる失敗だ。食べるときは食べる」

「社交界での晩餐会は食事がメインじゃないでしょう」

 食べるだけに集中できるのはそこまで多くないだろう。
 家族と一緒のときでさえ当たり障りのない会話を模索しなければならない。

「、、、招待された晩餐会に空腹で来てがっつく奴はいねえだろ。晩餐会では食事は出されるが、お前が言う通り食事のための席じゃない。マナーを重んじ、会話を重視する。だが、食えるときに食っておかなければならない戦時にそれをやったらただの馬鹿だ」

「くっ、注文お願いしますっ」

 大皿料理を食べてやるっ。
 店主の、あれほど忠告してやったのに、という視線が痛かった。
 サザさんは三皿食べたのに、さらにおつまみを大量に注文していた。お酒も追加していたが。

 クロウは酒もつまみもちびちびと飲み、食す。
 サザさんの豪快さに比べると、何もかも目立たないが。

「リーウセン、お前もこの帝国で生きるなら、お前にとっては施しであったとしても、正当な対価として相手に思わせるように渡せ。真っ当に生きている人間ほど施しは嫌うものだ」

「正当な対価、」

「ま、リンク王国のお貴族様のお坊ちゃんにはなかなか難しい話だけどなっ」

 白い歯キラリンっ。

 ぐぬうっ。
 サザさんも少しは良い話をすると思ったのに。
 そういうことを言うから他人は素直に話を聞けなくなるんだ。

「あ、そだ、忘れるところだった、クロウの兄ちゃん。母ちゃんがあのサンプルでもらった湿布と薬、買いたいってー」

 ヒセ少年が酒を持って来たときにクロウに言った。

「お、そうか。今ならまとめて買うとお安くできますぜー」

「おお、あくどい商人顔に」

 黒い笑顔だ。
 演技かな?演技だろうな。

「ふっふっふ、効果はお前の母ちゃんが身をもって証明してくれただろー?」

「そりゃ、そうだけど。他のヤツより痛みが和らぐって言ってた。よしっ、俺も男だっ。次回のサービス券をつけるから安くしてくれっ」

「ほほーう、それは大きく出たなあ。けど、ちゃんと店主の許可を取ってこい」

「父ちゃーんっ、薬の値下げ交渉にサービス券つけていいー?」

 大声で叫びながら厨房に飛んでいくヒセ少年。

「ヒセは人前では強がって父親のことオヤジと呼ぶけど、素は父ちゃん呼びなんだよ」

 サザさんのニヤニヤ顔。
 で、クロウは鞄も持ってないのに、どこからその飲み薬と湿布を出したんだよ。
 魔導士であっても偽装用の鞄くらい持てよ。

「いや、ヒセ、何言ってんだ。安くしてくれてるならちゃんと払え。完治するまで数は必要なんだから」

 店主が普通にお金を持ってきた。

「足りなければ、また購入をご検討くださーい」

「行動が悪徳商法の訪問販売にしか見えない」

 私がボソリと呟いた言葉に、サザさんが。

「それでいいんだよ、俺らは」

 クロウの作った薬が、この城下町で売られている薬と同等の価格なわけがない。
 同じ効果なわけがない。

 クロウは誰も真似できないほどの効果の魔力回復薬を作るのだから。

「、、、ああ、そういうことか」

 恩を着せずに正当な対価を支払ったように思わせる。
 施しではなく、できる範囲の手助けを。
 彼らはその手助けだけで立ち上がっていけるのだから。
 クロウはそれをごくごく普通にやってのけていたのか。


 私はサザさんがこの店に連れて来た理由をやっと悟ることができたのだった。
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