案山子の帝王

柚緒駆

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113 イレギュラー

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 世界政府庁舎が振動する。まるで爆撃でも受けたかのように。だが大統領執務室には、笑い声が響いている。

「ぬほほほほっ、我が輩が助けに出なくて本当に良いのかね」

 ウッドマン・ジャックはパイプを一口ふかした。それに感情のこもらぬ、抑揚のない声が応じる。

「おまえが力を使えば、狭い中庭が余計狭くなる」
「そんな厄介者みたいな扱いは不本意なのだけれど」

 また振動。壁が天井が、二度、三度と震える。

「この建物は大丈夫なのかね」

 ジャックはたいして心配などしていない風に見える。

「曲がりなりにも世界の中心だ。それなりの強度は期待できる」

 そう答えた3Jに、ジャックは笑った。

「根拠があまりに貧弱ではないかね」
「おまえはさらと繋がる事だけを心配しろ」

「もう繋がっているね」
「何と言っている」

「西から近付いて来る。物凄いスピードらしいのだけれど」

 3Jはパンドラのインターフェイスを呼び出した。

「ベル」
「はーい。ジンライに伝えればいいの?」

 耳元に聞こえる、コロコロと鈴の転がるような声にうなずく。

「急がせろ」


 輪になった空間をイ=ルグ=ルに投げつけるダラニ・ダラ。だがそれは相手が軽く腕を振っただけで砕け散った。その破片の向こうから飛び込んで来るガルアムは、鋼鉄を切り裂く爪を振るったものの、片手で受け止められる。

「すべては聞こえている」

 イ=ルグ=ルの言葉が終わるのを待たず、ガルアムの背中から小さな影が飛びだした。いままでどこに隠れていたのか、電光石火のズマの跳び蹴り。しかし首を傾けただけで、当たり前のようにかわされた。

「聞こえているのだ、『宇宙の耳』に」

 庁舎の壁に足を突き刺したズマが振り返ると、顔面をイ=ルグ=ルは――片手でガルアムの爪を受け止めたまま――裏拳で打った。ズマの体は上空高くに飛ばされる。上にはケレケレが口を開いていたが、慌てて顔を逸らした。その顎にズマの頭が突っ込み、歪むケレケレ。

 と、イ=ルグ=ルはケレケレの向こうの空を見上げる。微かな音に耳を澄ませるように。

「ほう、まだ余力があるか」


 高度八十キロを西から飛来する影。ユーラシアの中ほどで、ぐんと下向きに角度をつけたとき、『宇宙の目』は見た。進行方向に、見慣れた姿が待ち構えている。

 空を飛ぶ銀色のサイボーグ。だがいつもとは少し違う。灰色のポンチョを着ていない。代わりに黒い鎧を身に着けていた。

「恐るるに足らず!」

 叫ぶヌ=ルマナは黄金に輝く六本の腕を広げ、それぞれの手に戦斧を構える。一気に縮まる相対距離。走る黒い閃光。ジンライの黒い鎧から、六本の槍が伸びる。その動きは見えていた。そう、見えていたからこそ、ヌ=ルマナはすべてを同時に打ち払った。さらに言うなら、四つの超振動カッターが己が身に振るわれるであろう事まで見えていた。しかし見えてはいても、それを防ぐ技術がヌ=ルマナにはない。

 貫かれるか、斬られるか、どちらかを選ぶしかなかったのだ。

 ヌ=ルマナとジンライの体は、間一髪すれ違う。赤く輝く大空に、黄金の腕が四本飛んだ。


「クリア」

 ダランガンの教会の廊下で、洗濯かごを抱えたクリアが振り返ると、青白い男が立っていた。

「ちょっと出て来るよ」

 片腕のないワイシャツにスラックス姿で、白い息を吐く吸血鬼。クリアはハッと気付いて、かごを置いた。

「待ってください、どこに行く気ですか」
「あれ、外出許可証とか必要だっけ」

 ドラクルは微笑むが、クリアは誤魔化されない。

「世界政府に行くなら、やめてください」
「ここでじっとしていても仕方ないじゃないか」

「そんな事はありません。3Jはあなたを信頼しています。そのあなたに、ここで待つように言ったんです。だからここに居てください」

 困ったようにドラクルは一つため息をつく。

「信用されてる実感はあんまりないけどね」

「確かに、彼は感情表現が下手くそです。頭はいいけど、自分の気持ちを伝える方法を知りません。でも見ていればわかります。よく見ていれば、ずっと見ていれば、誰を受け入れて誰を信頼しているのか、私にはわかります」

 クリアの暖かい真っ直ぐな視線は、夜の王には眩しかった。だから思わず目をそらす。

「……イレギュラーが必要なんだよ」
「イレギュラー?」

「そう、誰も想定していないイレギュラーが。真正面からぶつかって体力勝負に持ち込まれれば、3Jはイ=ルグ=ルに勝てない」
「でも」

「知恵と度胸で何とかなるレベルの相手じゃない。でもイレギュラーが起これば、知恵と度胸は何倍にも力を増す」

 クリアは息を呑んだ。胸の奥が揺れている事は、その目に表れている。

「それ、本当ですか」

 しかしその声はクリアからではなく、ドラクルの背後から聞こえた。振り返れば、立っていたのは水色の髪の少女。ドラクルは、ほんの一瞬目が泳いだが、すぐに笑顔を浮かべた。

「こんな事で冗談を言う趣味はないね」
「そうですか」

 ローラは一つうなずくと、クリアに向かって微笑みかけた。

「では、私も一緒に行きます」
「えっ」

 クリアが驚き、ドラクルは愕然とした。けれどローラは平然とこう言う。

「イレギュラーは大きい方がいいんですよね」
「いや、待て、ちょっと待て」

 ドラクルが慌てて止める。ローラはキョトンとした顔で見つめた。

「小さい方がいいんですか?」
「そうじゃない。そうじゃなくて、何で君が」

「イ=ルグ=ルを倒さないと、私たちも滅びるんですよね」
「それは、それはそうだが、何も君が最前線に行く必要はないだろう」

「じゃあ、あなたが行く必要もないんじゃないですか」
「ボクは君たちとは違う」

「不死身の吸血鬼だから?」
「そうだ」

「力があるから?」
「ああ、そうだ」

「実は私も多少ですけど力が使えるんです」

 ローラは満面の笑みを見せた。ドラクルは絶句した。そのとき、廊下の奥から聞こえる声。

「楽しそうね、何の相談かしら」

 洗い終わった洗濯物を、かごに一杯詰め込んで、マダムが歩いて来る。その後ろには、かごを頭に乗せたウズメが、そして子供たちが続く。ローラはマダムに顔を向けた。

「マダム、私ちょっと出かけてきます」
「あらそう、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃいじゃない!」

 ドラクルは苛立たしげに声を荒げた。

「君たちも彼女を止めてくれないか」

 だがマダムたちは、笑顔でドラクルたちの横を通り過ぎて行く。

「何の話か知らないけど、その子が行くって言ったなら歩いてでも行くわよ」
「ローラはホント、言う事聞かないから」

 ウズメが楽しげに笑う。唖然とするドラクルにローラは言った。

「歩いてでも行きますし、言う事聞きませんから」
「いま思いついただろ」

 夜の王は頭を抱えた。


 闇の近付く空に大きく弧を描く二本の軌跡。ジンライとヌ=ルマナは、互いの後ろを取らんと宙を駆けていた。ジンライのまとう黒い鎧から、聞き慣れた声がする。

「おい、さっさと追いつけよ、情けねえぞ」

 強烈なGに体を振動させながら、苦しげな声が答える。

「重量物を身に着けているのでな」
「おまえ、絶対女にモテないだろ」

「大きなお世話だ」
「しゃあねえなあ、遊んでる場合じゃねえし、手助けしてやんよ」

 鎧の表面が波打ったかと思うと、触手が三本勢い良く飛び出した。緩やかにカーブしつつ、まるでミサイルのようにヌ=ルマナに向かって伸びて行く。相手は身をよじり、二本の戦斧で触手を二本斬ったものの、三本目に捕まった。そして触手は一気に縮まる。

「おら、コレで決めろ!」

 ジンライは四本の腕を振るう。ヌ=ルマナの二本の戦斧に食い止められるのは、超振動カッターが二つだけ。残りは一つがヌ=ルマナの胴を水平に切断し、さらに一つが両目を一直線に切り裂いた。

 声にならない叫びが上がり、斬り離された胴体から光が漏れる。閃光と爆発。ヌ=ルマナは火球に包まれ、轟音が空を鳴らした。

「安心すんじゃねえぞ」

 黒い鎧の表面に浮かんだリキキマの顔が言う。

「ヌ=ルマナはすぐ生き返る。まあ、あの金ピカボディは元通りにならんだろうけどな」
「それだけでも助かる」

 そう答えると、ジンライは急降下した。魔人が三人居て、そう易々と敗北する事はないはずだが、万が一の事もある。急がねばならない。


 特徴のない背格好に特徴のない顔。どこにでも居そうでどこにも居ないその顔面に、ガルアムの巨大な拳が迫る。しかしイ=ルグ=ルは片手で、いとも簡単に受け止めると、空を見上げてつぶやいた。

「敗れたか。急がねばな」

 その視線が地面に下りる。無数の細い影が、蛇のようにうねりながら高速で這っていた。ガルアムを影に向かってひねり倒したが、影たちはガルアムを迂回してイ=ルグ=ルの周囲を取り囲む。イ=ルグ=ルはガルアムの手を離すと、宙に身を浮かせた。

「逃がしゃしないよ!」

 ダラニ・ダラの声と共に無数の影は飛び上がり、イ=ルグ=ルの脚に巻き付いた。上空から輪になった黒い空間が舞い降り、イ=ルグ=ルの上半身に被さった。上半身と下半身を別々に締め上げる。

「ケレケレ!」
「おう!」

 ズマの声に応じた『宇宙の口』ケルケルルガの化身は、今度こそとばかりに大きく口を開いて、イ=ルグ=ルを飲み込まんとした。だが。

 締め付ける蛇のような影からも、輪になった空間からも、『中身』が不意に消え去った。それらを飲み込んだケレケレは、ダラニ・ダラを振り返る。ガルアムも、ズマもムサシも。魔女は慌てふためいていた。

「馬鹿な! 空間は閉じてあるんだよ、テレポートも空間圧縮も使えるはずがない」
「だとするなら、つまり」

 ここでその意味に気付いたのは、ケレケレ一人だけだった。
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