王子に求婚されましたが、貴方の番は私ではありません ~なりすまし少女の逃亡と葛藤~

浅海 景

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第1章

向き合う時

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悲鳴が聞こえたような気がしてヴィオラが顔を上げると、レイと目が合った。

「殿下が対処しているし、俺もそばにいるからな」

不安がっていると思われているようだったので、ヴィオラは大丈夫だという代わりに微笑んだ。少し神経を尖らせすぎているのかもしれない。

カイルがいるフロアではなく、一つ下の階でヴィオラはレイとともに待機していた。すべてカイル任せにしてしまうことは申し訳なかったが、これ以上ヴィオラを巻き込むわけにはいかないとカイルの固い意志の元、大人しく全てが終わるのを待つことになっている。

今回の元凶がヴィオラと二歳しか変わらない伯爵令嬢だと聞かされた時は驚いたものの、貴族にとって平民の命など取るに足りないものなのだろう。
悲しくはあったが、それがこの世界の現実だ。貴族と平民との間にそれほどの差があるのだから、本来であれば王族であるカイルと口を利くどころか目を合わせることもできないだろう。

(ちゃんと考えなきゃ……)

ただ流されるのではなく、自分がどうしたいのか。カイルの想いやレイの厚意にばかり目を向けるのではなく、自分の気持ちに向き合わなければならない。

「終わったよ。実行犯共々もうヴィオラに手出しはできないから安心してくれ」

少しだけ疲れた様子のカイルだったが、ヴィオラを見ると柔らかな微笑みを浮かべた。ふっと肩の力が抜けて、ヴィオラは無意識に息を詰めていたことに気づいた。

「ただ、これで万事解決とは言えないんだ。手配書を撤回したとはいえ、その事実を知らない者や知っていても報酬目的にヴィオラを狙う者も一定数存在するだろう」

それはヴィオラも薄々思っていたことだった。

「ヴィオラの安全を考慮するならば、フィスロ伯爵領内やその近隣で生活するのはしばらくの間避けたほうがいいだろう。もちろん俺にヴィオラの行動を制限する資格はないから、その場合は護衛を付けることだけは許してほしい」

寂しそうな表情にヴィオラは首を横に振った。巻き込まれた形になったとはいえ、カイルに責はない。フィスロ伯爵令嬢の執念や洞察力が悪い方向に働いただけなのだ。
カイルはヴィオラのために手を尽くしてくれた。だからヴィオラも誠実に答えなければならない。

「カイル殿下、私は――」

ノックの音にレイが扉に向かう。カイルは続きを待つようにヴィオラを見つめているが、できればレイにも聞いてほしいので待っていると、レイは眉間に皺を寄せたままの表情で切り出した。

「ヴィオの父親と妹が来ているそうだ。フィスロ伯爵と共に面談を望んでいるらしいが……ヴィオは会いたいか?」

ミラの言葉に動揺したせいで会いにきた理由を聞くことはできなかった。ミラだけでなく父親も来ているのは、よほどのことがあったからではないだろうか。

(あまり良いことではない気がするけど……)

もう逃げたくない。彼らはヴィオラの家族でもあるのだ。

「会います」

心配そうな眼差しを向けるとカイルとレイにヴィオラはお腹に力を入れて答えた。


「ヴィオラ……」

困ったように眉を下げた父親の横には唇を尖らせたミラが寄り添うようにして座っていた。そして一人掛けのソファーから立ち上がり、深々と頭を下げたのはフィスロ伯爵なのだろう。

「カイル王太子殿下、この度は娘が大変なご迷惑をおかけしたようで、心よりお詫び申し上げます」
「私ではなくヴィオラに謝罪するのが筋だろう」

ぴりっとした空気にフィスロ伯爵は慌ててヴィオラにも頭を下げるが、とってつけたような対応に良い印象は抱けない。

「ヴィオラ、伯爵様に頭を下げさせるなんて、お前は一体何様だ!謝りなさい!」

狼狽えたような父親は、カイルの発言を無視したような言葉を口走り、レイから冷ややかな眼差しを向けられている。

「お父さんとミラはどうしてルストールに来たの?」
「お前が勝手なことばかりしているからだろう。これ以上迷惑をかけるのは止めて村に戻るんだ。居場所がないなら家に戻ってきていいから」

師匠に引き取られることになった時は、悲しむどころか安堵の表情を浮かべていたというのに今更何を言っているのか。怒りと悔しさがこみ上げるものの、それをずっとヴィーが望んでいたことも知っている。

「聞けばその少女はまだ成人に達していないのだとか。そんな年齢の子供は親の庇護下にいるべきではないでしょうか?」

フィスロ伯爵は尤もらしい言葉を並べながらも、蔑んだ目でヴィオラを一瞥する。娘が犯した罪を庇うことができない代わりに、意趣返しとしてヴィオラをカイルたちから引き離そうとしているのではないだろうか。

(だからわざわざ伯爵はお父さんやミラを巻き込んだのね)

伯爵の行動が早いのは娘の企みを知って別の手段を講じようとした結果なのかもしれない。ミラや父親を人質として使いヴィオラに言うことを聞かせようとしたが、間に合わなかったと考えるのは不自然ではないだろう。

「ヴィオラ、いい加減分別がつかない年齢じゃないだろう。お前が言うことを聞かないなら、もう二度と家族として受け入れられない」
「っ……」

これまでだって似たような扱いだったし、家を出てから顔を合わせたことなんてほとんどない。それでも面と向かって言われた言葉に身体が震える。自分を蔑ろにする家族なんてと反発する気持ちとヴィーの願望を叶えるチャンスを永遠に失うことへの恐怖で心が揺らぐ。

「さっきから黙って聞いていれば、お前にヴィオラを非難する権利などない。ヴィオラの話を聞かず一方的に決めつけるなど親として失格だ。人としても最低だがな」

ヴィオラの前に立ち、怒りを露わにした口調で言い放ったカイルの言葉がすとんと胸に落ちた。
ミラも父もヴィオラに何があったのかと事情を尋ねることはなく、当然のようにヴィオラに非があるのだと考えている。たとえ一緒に暮らしたとしても、あの日家族の輪の中から弾かれたヴィオラはもうそこに戻れないのだ。

「……分かりました。受け入れていただかなくて結構です。私は、薬師として生きていきます」

一人でも生きていくのに必要なことは全部師匠が教えてくれた。家を失っても、家族を失っても、絶対に失わないヴィオラの大切なもの――血の繋がらない師匠が残してくれた知識は愛情そのものだ。

胸の奥が痛んでもヴィオラはまっすぐに背中を伸ばして、父から目を逸らさずに告げた。
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