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第2章
身の振り方
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ほんの五分タイミングがずれていれば、ヴィオラが生母であるルイーズに会うことはなかっただろう。
ルイーズに再度退出を促し、ヴィオラにも部屋に戻るよう伝えたセオドアの瞳には嫌悪が交じっていて、これまでセオドアがヴィオラに対して何の悪感情を抱いていなかったのだと実感した。
どうしてこんなに間が悪いのかと頭を抱えつつ、セオドアが見せた感情の意味を考える。不快だというような表情は煩わしさよりも侮蔑が色濃く表れていたように思う。
セオドアがレイからどの程度ヴィオラについて、聞かされているか分からない。引き取った経緯は伝えているのだろうが、実の母親についてはヴィオラもあまり詳しくなく、離縁する際に父はヴィオラを押し付けられたそうだ。
そのため実の母親には捨てられたと考えていた。
あくまでも伝聞であり真実は定かではないが、ヴィオラが家族の輪から弾き出されて師匠の元に身を寄せても、ルイーズから手紙の一つも届かなかった。
(それなのに、今になって訪ねてくるなんて……)
ルストールにはジェリロ商会という中堅の商会があり、そこがルイーズの生家であることを知っていた。以前ルストールに行った際に師匠が教えてくれたのだ。
『あちらがどういう反応を示すか分からない。だけど、いつか何かの縁につながるかもしれないから知っておきなさい』
師匠はヴィオラが一人になった時のことを考えていたのだろう。当時は気になったものの、結局訪問する勇気はなく、逃亡先としてルストール行きを決めた時もジェリロ商会を頼るつもりはなかった。
味方どころかあっさりヴィオラを売り渡す可能性が否めないと考えたからだ。
物心がついてからずっと絶縁状態だったのだから、関係性など推して知るべし。
親戚だからといって好意的なわけではないだろうし、ましてや相手は商人だ。高位貴族に睨まれれば仕事に差し支えがある。
ずっと関わるつもりはなかったのに、ルイーズが訪ねてきたのは何が目的なのだろう。冷たいのかもしれないが、単に娘との再会を望んでいたとは思えない。
さらに気になるのは、どうやってヴィオラがアスタン公爵家にいることを知ったのかということだ。
ルストール滞在中にヴィオラの姿をどこかで目にしたとしても、行き先を予測できるものではない。あのようなホテルでは貴人の情報は秘されるのが普通だし、護衛の人たちが漏らすとも思えない。
「……可能性としては、フィスロ伯爵、お父さん、ミラぐらいね」
裕福な商家だと聞いているが、他国の貴族の養子縁組に関する情報など容易に入手できる立場ではないだろう。
口論したまま別れたことが、今回のルイーズの訪問に繋がったのならと考えるだけで、胃が重くなる。言いたいことを言ってすっきりしたものの、その結果レイやセオドアに迷惑を掛ける羽目になった。
(……お金目当て、なのかな)
アスタン公爵家に引き取られたと知ったから、カイルの番に選ばれたと知ったから、母は会いに来たのだろうか。
セオドアも表情からして、きっとそんな風に考えたに違いない。
悲しいという気持ちより、申し訳なさが募る。
レイから娘になってほしいと言われて嬉しかった。だからせめて何か役に立ちたいと思うのに、迷惑を掛けてばかりならセオドアの言う通り出て行った方がいいのかもしれない。
アスタン公爵の娘ではなくて、レイの娘でいられればいい。一緒に住んでいなくても、たとえレイの娘でなくなったとしても時折会えれば十分だ。
一人暮らしは慣れているし、元より薬師として生きていくつもりだった。
(カイル様、心配するかな……。うん、絶対心配するから黙っておこう)
過保護なカイルが慌てる様が目に浮かぶようだったが、普通に生きていれば早々危険な目に遭うこともない。
公爵領内のどこか森が近くて薬師がいない場所であれば、受け入れてもらえそうな気がする。
少しだけ気分が上向いて、あれこれ頭の中で計画を巡らせていると、侍女が昼食を運んできた。
「セオドア様にお会いしたいのですが、ルドルフさんに伝えてもらえますか?」
わざわざ運んでくれたのだからきっと部屋を出ない方がいいのだろう、と判断したヴィオラがそう伝えると、侍女は労わるように微笑んで了承してくれた。
恐らく使用人にはヴィオラの母が訪ねてきたことは周知されているのだろうが、態度が変わらないことにほっとした。
彼らが仕えるのは公爵家であって、不利益をもたらす存在は嫌厭されても仕方がない。レイが大事にしてくれるから、彼らもヴィオラを丁重に扱ってくれるのだ。
夕食の席にはセオドアがいて、いつもと変わらない表情だったがその心情は読み取れない。
「セオドア様、本日はご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
「君のせいではない」
僅かに顔を上げて淡々と返す声に不愉快そうな響きはない。セオドアにはセオドアの言い分があってヴィオラが養女になることを反対しているのであって、決して感情的なものではないのだろうという確信を深めた。
「セオドア様のおっしゃる通り、私は公爵家に相応しくありません。アスタン公爵が戻られたら身の振り方を相談させていただこうと思っています」
「……そういう意味じゃない」
眉を顰めてセオドアがぽつりと呟くように言った。
「セオドア様、それはどういう意味ですか?私は何か勘違いをしているのでしょうか?」
言葉の意味だけではなく、もっとセオドアのことを知りたいと思って訊ねたが、セオドアは小さく首を振った。
「いや、何でもない。父上が戻られたら話をしよう」
その言葉から拒絶の意思が伝わってきて、ヴィオラはそれ以上続けることが出来なかった。
ルイーズに再度退出を促し、ヴィオラにも部屋に戻るよう伝えたセオドアの瞳には嫌悪が交じっていて、これまでセオドアがヴィオラに対して何の悪感情を抱いていなかったのだと実感した。
どうしてこんなに間が悪いのかと頭を抱えつつ、セオドアが見せた感情の意味を考える。不快だというような表情は煩わしさよりも侮蔑が色濃く表れていたように思う。
セオドアがレイからどの程度ヴィオラについて、聞かされているか分からない。引き取った経緯は伝えているのだろうが、実の母親についてはヴィオラもあまり詳しくなく、離縁する際に父はヴィオラを押し付けられたそうだ。
そのため実の母親には捨てられたと考えていた。
あくまでも伝聞であり真実は定かではないが、ヴィオラが家族の輪から弾き出されて師匠の元に身を寄せても、ルイーズから手紙の一つも届かなかった。
(それなのに、今になって訪ねてくるなんて……)
ルストールにはジェリロ商会という中堅の商会があり、そこがルイーズの生家であることを知っていた。以前ルストールに行った際に師匠が教えてくれたのだ。
『あちらがどういう反応を示すか分からない。だけど、いつか何かの縁につながるかもしれないから知っておきなさい』
師匠はヴィオラが一人になった時のことを考えていたのだろう。当時は気になったものの、結局訪問する勇気はなく、逃亡先としてルストール行きを決めた時もジェリロ商会を頼るつもりはなかった。
味方どころかあっさりヴィオラを売り渡す可能性が否めないと考えたからだ。
物心がついてからずっと絶縁状態だったのだから、関係性など推して知るべし。
親戚だからといって好意的なわけではないだろうし、ましてや相手は商人だ。高位貴族に睨まれれば仕事に差し支えがある。
ずっと関わるつもりはなかったのに、ルイーズが訪ねてきたのは何が目的なのだろう。冷たいのかもしれないが、単に娘との再会を望んでいたとは思えない。
さらに気になるのは、どうやってヴィオラがアスタン公爵家にいることを知ったのかということだ。
ルストール滞在中にヴィオラの姿をどこかで目にしたとしても、行き先を予測できるものではない。あのようなホテルでは貴人の情報は秘されるのが普通だし、護衛の人たちが漏らすとも思えない。
「……可能性としては、フィスロ伯爵、お父さん、ミラぐらいね」
裕福な商家だと聞いているが、他国の貴族の養子縁組に関する情報など容易に入手できる立場ではないだろう。
口論したまま別れたことが、今回のルイーズの訪問に繋がったのならと考えるだけで、胃が重くなる。言いたいことを言ってすっきりしたものの、その結果レイやセオドアに迷惑を掛ける羽目になった。
(……お金目当て、なのかな)
アスタン公爵家に引き取られたと知ったから、カイルの番に選ばれたと知ったから、母は会いに来たのだろうか。
セオドアも表情からして、きっとそんな風に考えたに違いない。
悲しいという気持ちより、申し訳なさが募る。
レイから娘になってほしいと言われて嬉しかった。だからせめて何か役に立ちたいと思うのに、迷惑を掛けてばかりならセオドアの言う通り出て行った方がいいのかもしれない。
アスタン公爵の娘ではなくて、レイの娘でいられればいい。一緒に住んでいなくても、たとえレイの娘でなくなったとしても時折会えれば十分だ。
一人暮らしは慣れているし、元より薬師として生きていくつもりだった。
(カイル様、心配するかな……。うん、絶対心配するから黙っておこう)
過保護なカイルが慌てる様が目に浮かぶようだったが、普通に生きていれば早々危険な目に遭うこともない。
公爵領内のどこか森が近くて薬師がいない場所であれば、受け入れてもらえそうな気がする。
少しだけ気分が上向いて、あれこれ頭の中で計画を巡らせていると、侍女が昼食を運んできた。
「セオドア様にお会いしたいのですが、ルドルフさんに伝えてもらえますか?」
わざわざ運んでくれたのだからきっと部屋を出ない方がいいのだろう、と判断したヴィオラがそう伝えると、侍女は労わるように微笑んで了承してくれた。
恐らく使用人にはヴィオラの母が訪ねてきたことは周知されているのだろうが、態度が変わらないことにほっとした。
彼らが仕えるのは公爵家であって、不利益をもたらす存在は嫌厭されても仕方がない。レイが大事にしてくれるから、彼らもヴィオラを丁重に扱ってくれるのだ。
夕食の席にはセオドアがいて、いつもと変わらない表情だったがその心情は読み取れない。
「セオドア様、本日はご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
「君のせいではない」
僅かに顔を上げて淡々と返す声に不愉快そうな響きはない。セオドアにはセオドアの言い分があってヴィオラが養女になることを反対しているのであって、決して感情的なものではないのだろうという確信を深めた。
「セオドア様のおっしゃる通り、私は公爵家に相応しくありません。アスタン公爵が戻られたら身の振り方を相談させていただこうと思っています」
「……そういう意味じゃない」
眉を顰めてセオドアがぽつりと呟くように言った。
「セオドア様、それはどういう意味ですか?私は何か勘違いをしているのでしょうか?」
言葉の意味だけではなく、もっとセオドアのことを知りたいと思って訊ねたが、セオドアは小さく首を振った。
「いや、何でもない。父上が戻られたら話をしよう」
その言葉から拒絶の意思が伝わってきて、ヴィオラはそれ以上続けることが出来なかった。
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