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第1章
謝罪と否定
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失望された。嫌われた。
どうしていつも私は――愛されないの?
不明瞭な視界のせいで何度も人にぶつかりながら、人気のない路地裏へと突き進んでいく。もう誰にも会いたくない。
自分の荒い呼吸がうるさいぐらいに頭に響いていて、苦しくて堪らないのに足を止めることなど出来なかった。
『いつかヴィオラを大切にしてくれる人が現れるからね』
師匠はそう言ってくれていたが、そんなはずがない。愛されるのはいつだってミラのような明るく愛らしい少女なのだ。
もしくはヴィーのように素直でいじらしい性格であれば、レイは信じてくれたかもしれない。
(私は何の取り柄もなくて、誰からも必要とされない人間だから――)
空回ってばかりで前世の記憶があっても何の役にも立たない。
何処にも居場所なんてないのに、どうして逃げているのだろう。足がふらつき限界を感じて隠れるように薄暗い路地裏で蹲った。
「ヴィー……ヴィー、ごめんね……私じゃもう、駄目なの……」
幸せにしてあげたかった。護ってあげたかった。それなのに現実は無力感ばかりが募って、自分が何も出来ないことを思い知らされる。
「あ……」
ヴィーの大事なぬいぐるみを部屋に置いたままだと今更ながらに気づく。何一つ持たないまま逃げ出したのだから当然だ。
(本当に碌なことをしないわね、私は)
たとえレイがヴィオラのことを快く思わずとも、王子の番を放置できるはずがない。勝手な行動をして迷惑を掛けたことで、また一つ嫌われる要素を増やしてしまった。
レイに合わせる顔はないが、戻るしかないだろう。お金や荷物は諦められてもぬいぐるみだけは手放せない。
顔を上げると何かが物陰にさっと隠れるのが視界を掠めた。一瞬だけだったが、動物などではなく人間だったような気がする。
そっと身体を起こし、早足で歩きだすと背後から物音とともに人の足音が聞こえて、ヴィオラは直感的に走り出した。
後ろから迫ってくる怒声は明らかに自分を狙っているのだと理解させられる。
振り向くことも出来ないが、背後に迫ってくる足音は一つではないようだ。先ほどくたくたになるまで走り続けた疲労はまだ回復しておらず、既に息が切れている。
せめて少しでも人通りがあるほうにと思うが、表通りからどれほど奥に入り込んでしまったのかなかなか辿り着けないし、方向自体合っているのか自信もない。
強い力で左腕を掴まれた反動で身体がのけ反り、首から下げていた笛が胸元から飛び出した。何も持たないと思っていたのにレイがくれたお守りを咄嗟に右手で掴む。
緊急時だと言うなら今がその時だろう。
そのまま息を吹き込むと、甲高い音が響き渡ったがすぐにガツンと衝撃を感じて地面に倒れ込んだ。顔がかっと熱を持ちじんじんと遅れて痛みがやってきた。
頭上から聞こえる苛立たしげな舌打ちが不安と恐怖を増幅させる。
「余計なことしてんじゃねえよ」
荒々しい暴力の気配と駆け寄ってくる足音に、もう一度笛に手を伸ばすことが出来ない。抵抗しなければもっと酷い目に遭うと理解しているのに、向けられる悪意に身体が竦んでしまう。
(ヴィー、ごめんね)
助けてあげるどころか傷付けてばかりだ。
ざっと地面を蹴り上げる音にきつく目を瞑った。鈍い音と呻き声の後、わあっとどよめきが起こりまた何かが地面に倒れる音がする。覚悟していた痛みがこないことを不思議に思うと同時に声が落ちた。
「ヴィオラ、すまない。遅くなった」
痛ましげな表情でヴィオラの側に膝を付いたのは、一度しか会ったことのないロドリニア国の王太子だ。その瞳に悔恨と安堵が浮かんでいるのを見て、ヴィオラはまた逃げ出したくなるが、そんな体力も気力も残っていない。
「……ごめんなさい」
謝って済むことではない。カイルの大事な番であるヴィーの身体を傷付けてしまったばかりか、奪ってしまったのかもしれないのだ。だが当然ながらそれを知らないカイルは、ヴィオラの謝罪を違う意味で捉えた。
「ヴィオラのせいではない。俺の迂闊な言動で君を危険な目に遭わせてしまったのだから、全ては俺の責任だ。痛い思いをさせた。すぐに治療させよう」
そっと壊れ物のように抱きかかえようとしたカイルを、ヴィオラは咄嗟に両手で押し止めた。目を瞠ったカイルが僅かに眉を下げたことで傷つけてしまったのだと余計に罪悪感が膨らむ。
「ごめんなさい。殿下の番は…私ではありません。私は、ヴィオラじゃないんです」
ぼろぼろと涙が溢れてそれ以上言葉にならないのがもどかしい。最初からしっかり説明しなければ、カイルを困惑させてしまう。
それなのに堪えることができず、まるで子供のようだと思う冷静な自分がいる。
こんなに弱かっただろうか。それとも優しい人に甘えることにすっかり慣れてしまったのだろうか。
「……そうか。それでも、目の前で怪我をしたレディを見捨てるのは紳士としてあるまじき行為だ。不愉快だろうが、少しだけ我慢してくれ」
ヴィオラの言葉を否定することなく、そう言ってカイルは軽々とヴィオラを抱き上げた。
自分で歩けると止めようとしたヴィオラだったが、カイルがあまりにも寂しそうに微笑むから、それ以上何も言えなくなってただ俯くことしか出来なかった。
どうしていつも私は――愛されないの?
不明瞭な視界のせいで何度も人にぶつかりながら、人気のない路地裏へと突き進んでいく。もう誰にも会いたくない。
自分の荒い呼吸がうるさいぐらいに頭に響いていて、苦しくて堪らないのに足を止めることなど出来なかった。
『いつかヴィオラを大切にしてくれる人が現れるからね』
師匠はそう言ってくれていたが、そんなはずがない。愛されるのはいつだってミラのような明るく愛らしい少女なのだ。
もしくはヴィーのように素直でいじらしい性格であれば、レイは信じてくれたかもしれない。
(私は何の取り柄もなくて、誰からも必要とされない人間だから――)
空回ってばかりで前世の記憶があっても何の役にも立たない。
何処にも居場所なんてないのに、どうして逃げているのだろう。足がふらつき限界を感じて隠れるように薄暗い路地裏で蹲った。
「ヴィー……ヴィー、ごめんね……私じゃもう、駄目なの……」
幸せにしてあげたかった。護ってあげたかった。それなのに現実は無力感ばかりが募って、自分が何も出来ないことを思い知らされる。
「あ……」
ヴィーの大事なぬいぐるみを部屋に置いたままだと今更ながらに気づく。何一つ持たないまま逃げ出したのだから当然だ。
(本当に碌なことをしないわね、私は)
たとえレイがヴィオラのことを快く思わずとも、王子の番を放置できるはずがない。勝手な行動をして迷惑を掛けたことで、また一つ嫌われる要素を増やしてしまった。
レイに合わせる顔はないが、戻るしかないだろう。お金や荷物は諦められてもぬいぐるみだけは手放せない。
顔を上げると何かが物陰にさっと隠れるのが視界を掠めた。一瞬だけだったが、動物などではなく人間だったような気がする。
そっと身体を起こし、早足で歩きだすと背後から物音とともに人の足音が聞こえて、ヴィオラは直感的に走り出した。
後ろから迫ってくる怒声は明らかに自分を狙っているのだと理解させられる。
振り向くことも出来ないが、背後に迫ってくる足音は一つではないようだ。先ほどくたくたになるまで走り続けた疲労はまだ回復しておらず、既に息が切れている。
せめて少しでも人通りがあるほうにと思うが、表通りからどれほど奥に入り込んでしまったのかなかなか辿り着けないし、方向自体合っているのか自信もない。
強い力で左腕を掴まれた反動で身体がのけ反り、首から下げていた笛が胸元から飛び出した。何も持たないと思っていたのにレイがくれたお守りを咄嗟に右手で掴む。
緊急時だと言うなら今がその時だろう。
そのまま息を吹き込むと、甲高い音が響き渡ったがすぐにガツンと衝撃を感じて地面に倒れ込んだ。顔がかっと熱を持ちじんじんと遅れて痛みがやってきた。
頭上から聞こえる苛立たしげな舌打ちが不安と恐怖を増幅させる。
「余計なことしてんじゃねえよ」
荒々しい暴力の気配と駆け寄ってくる足音に、もう一度笛に手を伸ばすことが出来ない。抵抗しなければもっと酷い目に遭うと理解しているのに、向けられる悪意に身体が竦んでしまう。
(ヴィー、ごめんね)
助けてあげるどころか傷付けてばかりだ。
ざっと地面を蹴り上げる音にきつく目を瞑った。鈍い音と呻き声の後、わあっとどよめきが起こりまた何かが地面に倒れる音がする。覚悟していた痛みがこないことを不思議に思うと同時に声が落ちた。
「ヴィオラ、すまない。遅くなった」
痛ましげな表情でヴィオラの側に膝を付いたのは、一度しか会ったことのないロドリニア国の王太子だ。その瞳に悔恨と安堵が浮かんでいるのを見て、ヴィオラはまた逃げ出したくなるが、そんな体力も気力も残っていない。
「……ごめんなさい」
謝って済むことではない。カイルの大事な番であるヴィーの身体を傷付けてしまったばかりか、奪ってしまったのかもしれないのだ。だが当然ながらそれを知らないカイルは、ヴィオラの謝罪を違う意味で捉えた。
「ヴィオラのせいではない。俺の迂闊な言動で君を危険な目に遭わせてしまったのだから、全ては俺の責任だ。痛い思いをさせた。すぐに治療させよう」
そっと壊れ物のように抱きかかえようとしたカイルを、ヴィオラは咄嗟に両手で押し止めた。目を瞠ったカイルが僅かに眉を下げたことで傷つけてしまったのだと余計に罪悪感が膨らむ。
「ごめんなさい。殿下の番は…私ではありません。私は、ヴィオラじゃないんです」
ぼろぼろと涙が溢れてそれ以上言葉にならないのがもどかしい。最初からしっかり説明しなければ、カイルを困惑させてしまう。
それなのに堪えることができず、まるで子供のようだと思う冷静な自分がいる。
こんなに弱かっただろうか。それとも優しい人に甘えることにすっかり慣れてしまったのだろうか。
「……そうか。それでも、目の前で怪我をしたレディを見捨てるのは紳士としてあるまじき行為だ。不愉快だろうが、少しだけ我慢してくれ」
ヴィオラの言葉を否定することなく、そう言ってカイルは軽々とヴィオラを抱き上げた。
自分で歩けると止めようとしたヴィオラだったが、カイルがあまりにも寂しそうに微笑むから、それ以上何も言えなくなってただ俯くことしか出来なかった。
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