召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景

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夏の記憶

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(熱い……くらくらする)
重い瞼をこじ開ければ、部屋の中は暗くまだ夜なのだと分かった。

こめかみがズキズキと痛み、身体を動かすのもだるい。
緊張と疲労で身体に負荷が掛かってしまったのか、力の使い過ぎなのか判断できなかったが、風邪と同じような症状なのでいずれにせよ身体を休めることで良くなるだろう。

(早く治さなきゃ……)

無力な状態であることが、弱さを晒していることが、昔の自分を思い出すから嫌だった。意識が揺れる中、聞こえてくるのはうるさいほどの蝉の声だ。



(暑い……お母さん、まだかな)

いつもは遅くとも昼前には帰ってくるのに、その時間はとっくに過ぎている。もしかしたら家に寄らずそのまま仕事に行くつもりなのかもしれない。
そう思えばお腹が大きな音を立てて、空腹感が募った。

戸棚に残っていたカップ麺は昨日のお昼に食べてしまい、他に食べ物は残っていない。母が戻ってくれば食事かお金を渡してくれるはずだった。
全開にした窓からはむわりとまとわりつくような熱気しか入ってこず、瑛莉は諦めて出かけることにした。


(冷たくて気持ちいい……)

日の当たらない校舎の壁に張り付いていると、汗が少し引いた気がする。夏休みの学校はいつもの騒々しさが嘘のように静まり返っていて、辺りに人の気配はなくほっとした。

こんなところを見られたら恥ずかしいし、万が一母の耳に入ったら叱られるに決まっている。何も買わないのにスーパーやコンビニなどに入ることも同様で、みっともないことだと叱られたことがあったのだ。
しばらくここで涼んでいようと思って目を閉じた時、不意に近くから声が掛かった。

「お前、何してんの?」

驚いて顔を上げれば隣のクラスの先生が立っていた。怒られると思って咄嗟に逃げようとして立ち上がった途端、くらりと視界が歪み真っ暗になった。

(ここ、どこ?)

天井と明かりがついてない蛍光灯が視界に映り、顔を動かすと白いシーツが目に入る。身体を起こすとここが保健室であることに気づいた。
そっとベッドから下りて衝立の向こうを覗けば、先生と目が合った。

「起きたか。熱はなかったみたいだが、痛みとか気持ち悪さとかあるか?」
「大丈夫です。……すみません」

謝りながら瑛莉はどうやったら何事もなくこの場を立ち去れるか必死に考えていた。

(隣のクラスだから顔も名前も知らないかもしれない。でももし聞かれたらお母さんに連絡されちゃうかも……)

いつも疲れている母を煩わせてはいけない、そんな焦りにも似た気持ちでいっぱいの瑛莉に先生は声を掛けた。

「もうちょっと休んどけ。あ、あとお前飯食ったか?」
「……はい」

そう答えた途端に瑛莉の意思に反してお腹が大きな音を立てた。

「ははっ、成長期だからな。ほら、これやるから食え」

そう言って先生が鞄から取り出したのはお弁当箱だ。どこにでもあるような紺色の布に包まれていることから、それが手作りのお弁当なのだと予想が付いた。

「大丈夫です」
反射的に答えた声が思っていた以上に大きくて、瑛莉は恥ずかしさに俯いた。

「子供が遠慮するな。特別に麦茶もつけてやろう」
「本当にいらないです。それは……先生のために作られたものだから先生が食べなきゃ駄目です」

がさごそと戸棚をあさり、紙コップを取り出した先生はそこで動きを止めた。他人の物を欲しがるなんてみっともないことだ。他人のお弁当を奪ったなんて母に知られたら、怒られるだけでなくがっかりされるだろう。

(だから我慢しないと駄目)

もうこのまま出て行ったらいいんじゃないかという考えは、先生の言葉にかき消された。

「これは俺が作ったんだよ。だから他人にあげても大丈夫なやつだ」

しゅるりと包みを解いて蓋を開けると、白いご飯の上にはつやつやとした鶏の照り焼きがどんと乗っていて、卵焼きやひじきの煮物などがバランス良く詰められている。

(美味しそう……だけど)

それでも躊躇う瑛莉の心情を読み取ったかのように、先生は軽い口調で続けた。

「卵焼きには自信がある。あと照り焼きも今回はよく出来たと思うんだが、自分じゃ分からないからな。

(……先生はきっと気づいているんだ)

押し寄せて来る感情に呑み込まれそうになりながら、先生の向かいに腰を下ろす。言葉もなくお弁当の横に置かれたコップに許可をもらった気がして、卵焼きに箸を伸ばした。
市販品のようにつるりとした黄色ではなく、きつね色の焼き色がついた卵焼きは優しい甘さでずっと口の中に入れておきたくなる。

「美味しいです……とっても美味しい」

(だから食べちゃ駄目だったのに――)

心のどこかでそんな風に思いながら、また一口卵焼きを噛みしめる。しっかり覚えていたいのに涙でぐちゃぐちゃになった視界はぼやけてよく見えない。

ずっと憧れていて、ずっと欲しかったもの。嬉しさと悲しさが入り混じった感情に苦しくなる。文句を言いながらも母親の手作り弁当を食べる友達がずっと羨ましくて仕方がなかった。

「ちょっと一服してくるから、ゆっくり食ってろ」

そう言って席を外してくれた先生の優しさにますます涙が止まらなくなったが、一口ずつ大切に食べ進めていき、お弁当が空になった時には涙もすっかり止まっていた。先生が戻ってきた時には落ち着いていたが、今度は泣いていた理由をどう説明すれば良いのかと頭を悩ませていたのだ。

「お、全部食ったか。――

頭を撫でられてまた目頭が熱くなる。その言葉で先生は瑛莉が何故あの場所にいたことも、ご飯を食べていなかったことも全てを理解しているのだと思えて、瑛莉は必死で言葉を紡いだ。

「先生、お弁当美味しかったです。――ありがとうございました」
「意外と料理上手だっただろう?」

ドヤ顔で自信満々に言う姿に瑛莉は声を立てて笑った。

この日から隣のクラスの先生は、瑛莉にとって特別で唯一の「先生」になったのだ。


(先生……)

分からないことや悩みを相談した時、「先生」は答えをくれないけど、いつも一緒に考えて道筋を示してくれる。話したいことがたくさんあるのに、こんなに遠く離れてしまったことが寂しくて心細くて仕方がない。

(……先生)

心の中でもう一度呼び掛ければ、あの日のように優しく頭を撫でられたような感触があり、不安が溶けていく。
近くにいなくても「先生」と過ごした時間は自分を護ってくれるのだと改めて実感した瑛莉は、力を抜いて再び眠りへと落ちて行った。
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