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あの日の理由

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ダミアーノとの面談翌日から瑛莉は早速救護院で治癒を行うことになった。

恐らく既に何人かの高位貴族に交渉済なのだろう。
彼らの治癒を早く行うためには、瑛莉が力を安定させなくてはならないのだから手配の速さも頷ける。

行先が平民を収容する救護院だったせいか、今回の護衛はジャンだった。警備上の理由ならともかく行先によって担当を変えるなんてと呆れる気持ちはあったが、瑛莉としては何かと心強いジャンのほうが有難かったため文句は胸の中にしまっておく。

到着した救護院はどこかじっとりとしたかび臭さがあった。建物自体にもところどころ修繕が必要な場所が目につき、昨日訪れた神殿との落差が激しい。
もう少しこちらに予算を回してやればいいのにと思うが、瑛莉が口出しするのは越権行為だろう。

「救護院って初めて来たけど、どこもこんな感じなの?」
言葉をぼかしたが、ジャンはすぐに質問の意図を察して小声で教えてくれた。

「こちらは神殿が近いので、まだ良いほうですね」

救護院に身を寄せているのは、事故や病気で日常生活を送るのに困難な怪我人や病人で、身寄りがない者が大半らしい。
家族がいる者でも、貴重な働き手を失くした家族は自分たちの生活で手一杯で面倒を見ることができず、救護院に入れられた者も少なくないと言う。
どこか荒んだ雰囲気なのは身体が不自由だからという理由だけではないようだ。

(元の生活に戻れるといいな)

少しだけ自分に重ねてしまったもとに気づいた瑛莉は、そっと深呼吸して意識を切り替える。まずは目の前のことに集中しなければ来た意味がないのだ。
治癒が成功したのか確認するため、救護院の担当医同席の元に瑛莉は治療を開始した。

「ありがとうございます、聖女様!」
「――良かったですね。お大事に」

感極まったように涙ぐむ姿に内心ほっとしながら声を掛ける。
半信半疑の目を向けられながら治癒を行うと、たちまち驚愕から歓喜へと目まぐるしく表情が変わる。

「大丈夫ですか?……初日ですし、あまりご無理はなさらないでください」
「ありがとう。――もう少しだけやってみるね」

躊躇いながらも声を掛けてくれたジャンが何を懸念しているかが伝わり、瑛莉はわざと明るい口調で返した。


『治ったからと言って今更家族の元へと行けない……俺はこれからどうすれば……』
午前中に治癒した患者の一人は、喜びよりも不安を吐露し同席していた医者が慌ててその場から連れ出すという出来事があった。

怪我が治り喜ぶ人だけではないのだと知って気分は落ち込んだが、仕事である以上途中で止めるつもりはない。そんな瑛莉をジャンが気に掛けてくれていることも嬉しいし、心強かった。
お昼休憩を挟みつつ、裂傷や骨折、下半身不随から難病まで治癒を続けた瑛莉は流石に疲労を覚えていた。

(コツはだいぶ掴めてきたかな)
状態の良し悪しよりも、治癒の範囲が広い病気のほうが負担が大きいように思う。

これまであまり気にしていなかったことだが、一体この力はどこから発生しているのだろうかと疑問を抱いた。何もないところから力が生まれるとは考えにくい。浄化の際にはあまり身体への影響は感じなかったが、治癒を行っているうちに何かを消費しているような感覚があった。

(体力だけならいいけど、命とか大事なものを削っていたらと思うと多用は避けたいところだ)

これまで読んだ書物の中に、聖女の力は神に与えられた恩寵あるいは奇跡としか記されておらず、また魔王を倒した聖女が王族と婚姻を結んだあとのことについて詳細に記したものはなかった。
不都合な事実があったのか、特筆すべきことがなかったのか分からないが、少し注意した方がいいだろう。

それから二人の患者を治癒し、今日はここまでにしようと救護院の出入り口に向かっていると、何か言い争うような声が聞こえてきた。


「妹が死にそうなんだ!頼むから助けてくれよ、何でもするから!」
「もう寝台は埋まっているんだ。薬だって安くないんだからくれてやるわけにはいかない。帰って休ませてやれ」

案内する職員が足を止めて何かを言いかける前に、瑛莉は声の方向へ向かっていた。見覚えのある顔が驚きに変わったのは一瞬で、すぐに懇願するようにこちらを見つめてくる。
少年の背中にはぐったりとした様子の少女が荒い息を吐いていて、肩ごしに少年のシャツを掴んでいた指先が耐え切れなくなったかのようにするりと解けるのが見えた。

「ジャン、あの子を診察室に運んで。――君も一緒においで」

不安そうに少女を託した少年は気まずそうに瑛莉から視線を逸らす。その様子からあの日少年がある程度の事情を知っていたのだと察したが、今は治癒が最優先だ。

医者はすでに帰宅しており、専門家ではない瑛莉には病状が分からない。そのため全身にまんべんなく治癒を施すことになる。幼く体力の落ちた身体に負荷がかからないようにゆっくりと時間を掛けて治癒の力を浸透させれば、苦しそうだった少女の呼吸が落ち着いていく。
やせ細った身体は治癒できないが、体調が良くなれば食事も摂れるだろう。

「ソフィア!」
少年の声にゆっくりと開いた瞳は綺麗な橙色で、戸惑ったように彷徨う視線が瑛莉の前で止まる。

「――聖女さま?」

ソフィアの呼びかけに無言で頷くと、その瞳から涙がこぼれた。動揺する少年をよそにソフィアはベッドに起き上がると、小さな身体を一生懸命低くして頭を下げる。

「……もう、死んじゃうかと思った……。お兄ちゃんが悲しむのは嫌だなって思ってたら急に温かくなって、苦しいのがなくなったの。聖女さま、助けてくれてありがとう」

瞳はまだ潤んでいたが、赤みが差した頬にはえくぼが浮かんでいる。

「ジャン、この子に食堂で何か飲ませてあげて。私は少し話があるから」

ジャンが何か言いたそうに口を動かしかけたものの、結局何も言わずにソフィアを連れて部屋から出て行った。心配してくれているのは分かっているが、瑛莉にはどうしても聞いておきたいことがあった。

「さて、フリッツだったかな?あの日のことで話を聞かせてもらおうか」
癒しの力が露見するきっかけとなった少年――フリッツに声を掛ければ、びくりと肩が揺れて小さな声が聞こえた。

「……知りたいことって、何?」
「あの怪我はディルクのせいだって聞いたけど、本当?」

瑛莉の言葉に注意深く耳を傾けると、フリッツは慎重な様子で質問に答えた。

「最初は、自分でしようとしたけど、治りやすいようにってディルクさんがやってくれた」
「あれ、骨折れてたんじゃないの?」

おかしな言い回しに瑛莉が指摘すれば、フリッツは首を横に振った。

「いや、肩を外しただけ。万が一治らなくても嵌めれば元に戻るから」

脱臼であれば確かに嵌めれば良いのだろうけど、あれはかなり痛いと聞く。あの痛がり方は演技ではなかったのだなと思いつつ、瑛莉はさらに深く問い詰めることにした。

「何であんなことをしようとしたの?」
隠していた力を暴くためとはいえ、そんな痛い思いをしなくても他に方法があったのではないか。

「ソフィアは――妹は小さい頃から病弱で俺が稼がないと薬もろくに買えないんだ。だからディルクさんは仕事を回してくれるし、それに聖女様ならソフィアを治してくれるかもしれないって教えてくれたから…………でも、騙してごめんなさい」

ディルクに加担した理由ではなくて、手段について訊ねたつもりだったが今更違うとは言いだしづらい。

(……わざわざ聞かなくても良いことかもしれないな)

瑛莉にとっては姑息だと思える手段でも、ディルクにとっては効率的だったのかもしれないし、すべてはディルクの指示によるものだのだと分かったのだから、それ以上は追及しなくても良いだろう。

「……ん、じゃあもういいよ。私が腹を立てているのはディルクだけだから、気にしなくていい。でもお前もこれからはあんまり身体を張るような仕事は安請け合いしないほうがいいぞ。ソフィアが悲しむからな」

らしくもない説教をしたのは、「先生」の影響だろう。十歳前後にしか見えないフリッツのような子供を巻き込んんだディルクに反感のような気持ちを抱いたこともあって、つい余計な言葉を掛けてしまった。
これで終わりだと話を切り上げたのに、フリッツはその場を動かずどこか責めるような眼差しを瑛莉に向けている。

「……ディルクさんのこと、悪く思わないでくれよ。あの人は、あれは聖女様のためにやったことなんだ」
どういうことだと視線で問えば、フリッツはもどかしそうに身体を揺らした。

「約束だから言えないけど、ディルクさんは聖女様を守ろうとしただけだから」
「待て、フリッツ!」

それだけ告げて部屋から出て行きかけたフリッツを瑛莉は制止した。その声に足を止めたフリッツだが、口を固く引き結びこれ以上は話さないと言う姿勢を見せる。

「さっき入口で助けてくれたら何でもするって言ってただろ?私のためとはどういうことだ?あの芝居が何故私を守ることになるのか、――知っていることを全部話せ」

完全な脅しではあるが、中途半端に知らされれば迷いや悩みに繋がってしまう。

(それに、この子は……優しい子だ)

妹の病気を瑛莉が治したことで感謝と同時に騙したことへの罪悪感が募ってしまっているようだ。それに秘密を抱えて生きるのは辛く苦しいことだと瑛莉は知っている。
しばらくして顔を上げたフリッツの瞳にはまだ迷いが残っていたが、はっきりとした口調で話し出した。

「このまま聖女様の力が開花しなかったら、連中は強硬手段に出るだろうってディルクさんは言ってた。人は必死になれば思わぬ力を発揮するから、あいつらはきっと聖女様に痛みや恐怖を与えて癒しの力を手に入れようとするから、その前に何とかしたいって俺に頼んできたんだ。痛い思いをさせてすまないって……貴族様で騎士様なのに俺なんかに頭を下げてまで……。だから聖女様、どうかディルクさんのこと嫌わないでくれ」

必死に頼み込むフリッツの言葉を呑み込みながら、瑛莉は重要なことを小声で訊ねた。

「連中って誰のこと?」
「……ここじゃ言えない」

それが答えだった。
フリッツを解放した瑛莉はベッドに腰を下ろし、深い溜息を吐く。

(神殿、おそらくはダミアーノの指示か。なかなかえげつないことを考える)

神殿の領域である救護院の中では滅多なことが言えないと、答えないことで瑛莉の欲しい答えをくれたフリッツは頭が良く、慎重な性格なのだろう。だからこそディルクは彼を重用しているのだと察しがついた。

(さて、どうしたものか)

考えなくてはならないのに思考が鈍く、心身ともに疲れ切っているようだ。頑張れたのは自室に辿り着くまでで、それから意識を失うようにベッドに倒れ込んだ瑛莉は熱を出して寝込むことになってしまった。
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