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第15話 かつての友、今は敵
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春の朝、王都の街を包む光は柔らかく、まるで昨日までの事件をすべて洗い流すように澄んでいた。
しかしその静けさの裏では、次の陰謀が芽吹いていた。
レインフォード公爵家の失墜とともに、取り巻きの多くが地位を失い、今度は“次に落ちる者”を探している。
貴族社会とは、常に罪を誰かに押しつけることで安定を保つ世界だ。
そして、狙われる順番は常に最も目立つ者から。
つまり――今のリリアーナである。
屋敷の玄関前でミリアが慌てた声を上げた。
「お嬢様!客人がいらっしゃいました!」
「こんな朝早くに?」
「はい、しかも……セレナ様です!」
リリアーナは扇を止めたまま動じなかった。
「来たのね。負けを認めるために、あるいは――まだ諦めていないのか」
ミリアが不安そうに唇を噛む。
「お会いになりますか?」
「もちろん。戦場を選ばれたのはあちらなのだから」
応接間で待っていたセレナは、一見穏やかに見えたが、その瞳の奥には確かな負の炎が宿っていた。
以前のような華やかさは消え、磨かれた宝石のような冷たい美しさに変わっている。
「ご無沙汰ね、リリアーナ」
「ええ。本当に久しぶりですわ、セレナ様」
二人は礼儀正しく頭を下げ、笑みを交わした。
だが、空気は張り詰めている。
すでに互いに武器を構えているのと変わらない。
「あなたの力、驚いたわ。まさかあそこまでやってのけるとは」
「偶然が重なっただけです」
「偶然?いいえ、必然よ。あなたみたいに上手に人を操れる人、そうそういないもの」
「褒め言葉として受け取っておきます」
セレナは微笑んだ。けれどそれは、かつて学園時代に見せた親愛の笑みとは違う。
その口元の笑みの形が、刃のように鋭かった。
「ねえ、リリアーナ。どうしてあの時、私たちを許してくれたの?」
「許したつもりはないわ。ただ、罰は勝手に訪れるものだと思ったから」
「それでも、あなたは私を潰さなかった。だから、また立ち上がれた……」
セレナの瞳に浮かぶのは悔しさとも恨みともつかない光。
「でもね、あなたが立たせてくれたなら、今度は私が取り戻す番なの」
「取り戻す?」
「ええ、“王城における地位”を――そして、アラン様の信頼も」
リリアーナの瞳がわずかに揺れた。
「……あなたが目をつけたのは、彼なのね」
セレナは微笑みを深め、足を組んだ。
「あなたがどんな正義を掲げようと、最後には愛の争いになるんじゃない? それはあなたの一番の弱点でしょ」
「愛なんてものに私は縛られないわ。もう二度と」
「本当に? その割に、あの人の前では随分、女らしい顔をしていたけれど」
挑発的な言葉。しかしリリアーナは一切表情を動かさなかった。
心の奥では小さな棘が刺さったように痛んだが、それを悟られることだけは絶対に避けた。
「あなたが何を言おうと構いません。けれど一つだけ忠告をしておくわ」
「忠告?」
「アランを利用するのなら、その刃はあなた自身を傷つけることになる。あの人は、あなたが思うより正直で、誠実な人よ」
「そんな男、いずれ飽きるわ」
「ええ。あなたのような人なら、きっとそうね」
セレナが立ち上がり、すれ違いざまに囁く。
「あなたの“幸福”を奪う時が楽しみだわ」
「幸福なんて、とうの昔に捨てたの。今の私は、ただの亡霊」
セレナは一瞬だけ眉を動かし、何も言わずに去っていった。
扉が閉じると、ミリアがそっと現れる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。懐かしいわね。昔もこんなふうに言い合っていたわ」
「でも今回は、なんだか違いました……あの方、本気です」
「そうね。人は追い詰められるほど、美しく狂うもの。でも、久々に面白くなるわ」
リリアーナは微笑しながら言った。それはどこか闇に滲むような笑みだった。
***
その日の夕刻。
アランが王都から戻り、書斎に姿を見せた。
「セレナが君に接触したと聞いた」
「ええ。あなたにも話が行っていたのね」
「彼女は新しい保護先を得た。“王城改革派”を名乗る新興貴族の後ろ盾だ」
「改革派?皮肉ね。罪を免れたい者ほど“理想”を掲げる」
アランは黙って肩を竦めた。
「君に忠告する。彼女はもう一度、王家を巻き込んだ争いを仕掛けてくる」
「知っているわ。彼女は生まれながらの野心家。沈むよりは燃える道を選ぶでしょう」
「止められないのか?」
「いいえ。止める必要はないの」
リリアーナは机の上の白い花を指先で撫でた。
それは先日の夜、庭園で摘んだ“涙草”だった。
「どんな悪意も、いずれ自分で枯れるものだから」
「……君はそれでいいのか?」
「これが私の選んだやり方よ。争わずに勝つ方法」
アランは一瞬目を伏せ、それから思い切ったように言った。
「君がそうして自分を壊していくのを見るのは、辛い」
リリアーナは息を止めた。
その声に宿る痛みが、まるで自分の鼓動に重なる。
「心配はいらないわ。私はもう、壊れるようなものは残っていないから」
「嘘だ。君はまだ泣く」
「泣かない。あの夜で、涙は全部捨てたの」
「それでも、誰かが君を抱きとめてくれる時を望んでいるはずだ」
「……あなたは、どうしてそんなに優しいの?」
「たぶん、それが俺の唯一の強さだから」
リリアーナの心の奥に、小さな波紋が広がった。
怖いほどに真っ直ぐなその言葉は、心の防壁を静かに叩いていた。
「アラン。もしあなたが私の過去を知っても、それでも信じられる?」
「君がどんな過去を持っていようと関係ない。俺が見ているのは“今”の君だ」
その瞬間、何かが胸の奥で温かく弾けた。
涙にも似た感情が、すぐ喉もとで溶ける。
リリアーナは微笑みながら、静かに言葉を紡いだ。
「ありがとう。でも私は――“今”を未来に変えるために生きているの」
アランは頷き、そっと背を向けた。
去り際に言う。
「俺は君の敵にはならない。どんなに君が孤独を望んでも」
扉が閉まる音が静かに響く。
リリアーナは長く息を吐き、白い花を手に取った。
セレナとの対立、アランの告白、そして迫りくる新たな嵐。
かつて“友”と呼んだあの女が再び敵として現れた時、世界は再び軋み始めるだろう。
「いいわ、セレナ。今度こそ終わらせましょう。あなたの嫉妬も、私の過去も全部」
春風が窓を震わせた。
涙草の花弁が一枚、風に乗って舞い落ちる。
夜の帳の中で、それはまるで決別の誓いのように散っていった。
(続く)
しかしその静けさの裏では、次の陰謀が芽吹いていた。
レインフォード公爵家の失墜とともに、取り巻きの多くが地位を失い、今度は“次に落ちる者”を探している。
貴族社会とは、常に罪を誰かに押しつけることで安定を保つ世界だ。
そして、狙われる順番は常に最も目立つ者から。
つまり――今のリリアーナである。
屋敷の玄関前でミリアが慌てた声を上げた。
「お嬢様!客人がいらっしゃいました!」
「こんな朝早くに?」
「はい、しかも……セレナ様です!」
リリアーナは扇を止めたまま動じなかった。
「来たのね。負けを認めるために、あるいは――まだ諦めていないのか」
ミリアが不安そうに唇を噛む。
「お会いになりますか?」
「もちろん。戦場を選ばれたのはあちらなのだから」
応接間で待っていたセレナは、一見穏やかに見えたが、その瞳の奥には確かな負の炎が宿っていた。
以前のような華やかさは消え、磨かれた宝石のような冷たい美しさに変わっている。
「ご無沙汰ね、リリアーナ」
「ええ。本当に久しぶりですわ、セレナ様」
二人は礼儀正しく頭を下げ、笑みを交わした。
だが、空気は張り詰めている。
すでに互いに武器を構えているのと変わらない。
「あなたの力、驚いたわ。まさかあそこまでやってのけるとは」
「偶然が重なっただけです」
「偶然?いいえ、必然よ。あなたみたいに上手に人を操れる人、そうそういないもの」
「褒め言葉として受け取っておきます」
セレナは微笑んだ。けれどそれは、かつて学園時代に見せた親愛の笑みとは違う。
その口元の笑みの形が、刃のように鋭かった。
「ねえ、リリアーナ。どうしてあの時、私たちを許してくれたの?」
「許したつもりはないわ。ただ、罰は勝手に訪れるものだと思ったから」
「それでも、あなたは私を潰さなかった。だから、また立ち上がれた……」
セレナの瞳に浮かぶのは悔しさとも恨みともつかない光。
「でもね、あなたが立たせてくれたなら、今度は私が取り戻す番なの」
「取り戻す?」
「ええ、“王城における地位”を――そして、アラン様の信頼も」
リリアーナの瞳がわずかに揺れた。
「……あなたが目をつけたのは、彼なのね」
セレナは微笑みを深め、足を組んだ。
「あなたがどんな正義を掲げようと、最後には愛の争いになるんじゃない? それはあなたの一番の弱点でしょ」
「愛なんてものに私は縛られないわ。もう二度と」
「本当に? その割に、あの人の前では随分、女らしい顔をしていたけれど」
挑発的な言葉。しかしリリアーナは一切表情を動かさなかった。
心の奥では小さな棘が刺さったように痛んだが、それを悟られることだけは絶対に避けた。
「あなたが何を言おうと構いません。けれど一つだけ忠告をしておくわ」
「忠告?」
「アランを利用するのなら、その刃はあなた自身を傷つけることになる。あの人は、あなたが思うより正直で、誠実な人よ」
「そんな男、いずれ飽きるわ」
「ええ。あなたのような人なら、きっとそうね」
セレナが立ち上がり、すれ違いざまに囁く。
「あなたの“幸福”を奪う時が楽しみだわ」
「幸福なんて、とうの昔に捨てたの。今の私は、ただの亡霊」
セレナは一瞬だけ眉を動かし、何も言わずに去っていった。
扉が閉じると、ミリアがそっと現れる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。懐かしいわね。昔もこんなふうに言い合っていたわ」
「でも今回は、なんだか違いました……あの方、本気です」
「そうね。人は追い詰められるほど、美しく狂うもの。でも、久々に面白くなるわ」
リリアーナは微笑しながら言った。それはどこか闇に滲むような笑みだった。
***
その日の夕刻。
アランが王都から戻り、書斎に姿を見せた。
「セレナが君に接触したと聞いた」
「ええ。あなたにも話が行っていたのね」
「彼女は新しい保護先を得た。“王城改革派”を名乗る新興貴族の後ろ盾だ」
「改革派?皮肉ね。罪を免れたい者ほど“理想”を掲げる」
アランは黙って肩を竦めた。
「君に忠告する。彼女はもう一度、王家を巻き込んだ争いを仕掛けてくる」
「知っているわ。彼女は生まれながらの野心家。沈むよりは燃える道を選ぶでしょう」
「止められないのか?」
「いいえ。止める必要はないの」
リリアーナは机の上の白い花を指先で撫でた。
それは先日の夜、庭園で摘んだ“涙草”だった。
「どんな悪意も、いずれ自分で枯れるものだから」
「……君はそれでいいのか?」
「これが私の選んだやり方よ。争わずに勝つ方法」
アランは一瞬目を伏せ、それから思い切ったように言った。
「君がそうして自分を壊していくのを見るのは、辛い」
リリアーナは息を止めた。
その声に宿る痛みが、まるで自分の鼓動に重なる。
「心配はいらないわ。私はもう、壊れるようなものは残っていないから」
「嘘だ。君はまだ泣く」
「泣かない。あの夜で、涙は全部捨てたの」
「それでも、誰かが君を抱きとめてくれる時を望んでいるはずだ」
「……あなたは、どうしてそんなに優しいの?」
「たぶん、それが俺の唯一の強さだから」
リリアーナの心の奥に、小さな波紋が広がった。
怖いほどに真っ直ぐなその言葉は、心の防壁を静かに叩いていた。
「アラン。もしあなたが私の過去を知っても、それでも信じられる?」
「君がどんな過去を持っていようと関係ない。俺が見ているのは“今”の君だ」
その瞬間、何かが胸の奥で温かく弾けた。
涙にも似た感情が、すぐ喉もとで溶ける。
リリアーナは微笑みながら、静かに言葉を紡いだ。
「ありがとう。でも私は――“今”を未来に変えるために生きているの」
アランは頷き、そっと背を向けた。
去り際に言う。
「俺は君の敵にはならない。どんなに君が孤独を望んでも」
扉が閉まる音が静かに響く。
リリアーナは長く息を吐き、白い花を手に取った。
セレナとの対立、アランの告白、そして迫りくる新たな嵐。
かつて“友”と呼んだあの女が再び敵として現れた時、世界は再び軋み始めるだろう。
「いいわ、セレナ。今度こそ終わらせましょう。あなたの嫉妬も、私の過去も全部」
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