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第18話 燃える手紙、砕ける誓約
しおりを挟む朝の陽射しがやわらかく差し込む机の上で、一通の封書が光っていた。
王家の紋章が押されたその手紙を、リリアーナは黙って見つめていた。
内容は短く、簡潔にして容赦ないものだった。
――「王の正式な命により、伯爵エルヴェール家の地位を一時保留とする」
つまり、功績を称えた直後の“冷遇”。
理由は書かれていない。だが彼女には分かっていた。
改革派の残党が動いているのだ。
セレナたちが撒いた火は、まだ完全に消えてはいない。
「……王も、結局は恐れているのね。女が権力を持つことを」
リリアーナは苛立ちも見せずに封書を閉じ、机の上に置いた。
自身の成果が認められたのも束の間、またしても見えない陰が手を伸ばしてくる。
転生してまで、この世界の“歯車”を壊そうとした彼女に、運命が再び試練を与えようとしている。
ミリアが紅茶を運びながらおそるおそる言った。
「お嬢様……その、どうかご無理をなさらず。今は一度お休みを……」
「休める時間などないわ。動かなければ、動かされるだけ」
「ですが……王の命には逆らえません」
「逆らうのではなく、“選ぶ”のよ」
リリアーナの声は静かだった。だがその瞳には氷より冷たい決意が宿っている。
「私という石を外したまま、この王国が動くと思っているなら、思い知らせてあげる」
アランが部屋に入ってくると同時に、彼女の机上の手紙に気づいた。
「……来たか。王の判断は早い」
「早すぎるわ。まるで、最初から決まっていたかのよう」
「君を排除しておけば都合の良い者たちが動きやすくなる。政治なんてそういうものだ。善意より恐怖で成り立っている」
「ええ、だからこそ正義を語る者ほど滑稽なの」
アランはため息をついた。
「君までそんな言い方をするなんて」
「現実を受け入れただけよ。でも私は屈しない」
リリアーナの声が一段低くなる。
「アラン、城の書記官室に残っている王命書の写しを手に入れて。あれで“文書すり替え”の証拠が掴めるはず」
「危険だ。王命文書に触れる行為は、それこそ謀反と見なされる」
「そうね。でも悪意を暴くのに清い手のままでは届かない」
彼女の微笑みは、まるで断罪の女神のようだった。
***
その夜、リリアーナは灯りを落として、たった一人で書斎に残っていた。
机の上には彼女がしたためた書簡が五通。
それぞれに封印を施し、届け先ごとに色分けされた印章を押した。
王都の議会代表、学園長、商務令嬢連盟、そして一通は――エドモンド宛て。
最後の封筒を手にしたとき、胸の奥が少しだけ疼いた。
この男にはもう何も求めていない。
けれど、彼がいなければ今の彼女もまた存在しなかった。
それだけは、記憶の底で認めざるを得ない。
リリアーナは息を整え、筆を走らせた。
『これが最初で最後の手紙です。
憎しみというものは、愛の影にしか生まれない。
だから、私はようやくあなたを憎むことをやめました。
どうかあなたも、過去に縛られぬよう生きてください。
――リリアーナ・エルヴェール』
書き終えた瞬間、手からペンが滑り落ちた。
「……書いてしまえば、本当に終わるのね」
自分に聞かせるように呟いて、封筒に火を移した。
炎が赤く揺らめきながら、紙を舐めるように燃えていく。
熱が頬を照らし、目をつぶると昔の声が蘇る。
――“リリアーナ、幸せになろう。君ならきっとどんな未来でも笑える。”
「笑える? そんな言葉、信じるには遅すぎたのよ」
立ちのぼる煙が夜の空気に溶けていく。
燃え尽きた灰は舞い上がらず、机の上に落ちた。まるで彼の手のひらのように。
***
城下を覆う風が、翌朝には冷たく変わっていた。
アランが戻り、泥の付いた封筒を差し出す。
「手に入れた。だが、厄介なことになった。王命書の筆跡が、一部違う」
「やはりね。誰かが文面を改ざんして、エルヴェール家への処分を早めたのよ」
「書記長か、それとも宰相か」
「まだ決めつけません。ただ、これで証明できた。私は“王命違反者”ではなく、“偽命の被害者”だと」
彼女は書類の束を丁寧に整えた。
「これを持って明日の議会に出る。公に晒すわ」
「危険だ。彼らは黙っていない」
「構わない。生き延びるための選択は、もう済ませたの」
アランは唇を結び、やがて頷いた。
「……分かった。俺も同行する」
「駄目よ。今回は私一人で行く」
「また自分ひとりで背負う気か?」
「違う。これは私のけじめよ」
二人の間に、長い沈黙が落ちた。
パチパチと暖炉の音が響き、火の粉が空へ散る。
「終わったら――君は何を望む?」
アランの問いに、リリアーナはほんの少しだけ微笑んだ。
「“平穏”を。どんな権力も富もいらない。ただ、誰の名にも縛られずに生きてみたい」
「君ならきっとできる」
「いいえ。平穏を手にするには、まだ歯車を壊さなければならないもの」
***
夜が更け、再び独りになったリリアーナは、残された灰を掌にすくい上げた。
それはかつて燃やした手紙の残骸。
手のひらで擦ると、黒い粉が指に染みていく。
まるで記憶そのものが皮膚に刻まれるみたいだった。
彼女は窓を開け、手の中の灰をそっと外に放つ。
風がその粒を拾い、月の光の中から消してゆく。
「さようなら、私の過去」
微かに笑い、声を重ねる。
「次に燃やすのは、偽りの誓約書――運命そのものよ」
灰の舞う夜空に月が明るく照り返す。
リリアーナはその光に照らされながら、胸の奥で静かに誓った。
“私はもう、愛で動く女ではない。意志で、この世界を変える”
そして、誰もいない部屋に向かって囁く。
「アラン、待っていて。あなたの信じた私を、今度は本当に証明してみせるから」
ペンダントの宝石が小さく光り、部屋全体が淡く照らされた。
それはまるで、燃え尽きた手紙が新たな炎に生まれ変わるように。
彼女の第二の人生は、もう“生き残る戦い”ではない。
“生まれ直すための戦い”になっていた。
(続く)
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