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第25話 涙の告白、揺らぐ心
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ルクレシアの青空は、王都のそれよりも澄んでいた。
冷たくも清らかな風が吹き、遠くの鐘楼が響く。
そして今、リリアーナ・エルヴェールはその街の中心、白大理石の議事堂で一人立っていた。
王国とルクレシアの通商条約締結会議。
歴史的な一日になるはずだった。
だが、彼女の胸の中は穏やかとは程遠かった。
「……アラン、届いたかしら。あの手紙。」
小さく呟く声は、誰にも届かない。
胸もとにしまったペンダントを握ると、ほんの一瞬、微かな鼓動のような魔力の波が伝わる。
転生の夜にもらった力。その源は、彼女がここに在る理由であり、彼を想う証でもある。
会場の扉が開き、各国の代表が入ってくる。
重厚な絹衣をまとう外交官たちは、複雑な視線で彼女を見つめた。
「これが、あの“英雄令嬢”か」「若いが、確かに気品がある」――そんな囁きが聞こえてくる。
リリアーナは微笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げた。
今日、この場で彼女は王国の代表として発言する責任を負っている。
そして、壇上の中央。
進行役であるマクシミリアン・クロウフォードが姿を現した。
涼やかな灰の瞳が一瞬彼女を見た。
その視線に、奇妙な安心感と同時に小さなざらつきが胸に生まれる。
彼の目には誠実さがある。だが、その奥には何かを隠している気配もあった。
交渉は予定通り始まった。
ルクレシア側が提示する条件は予想より厳しく、王国の負担は大きい。
誰もが苦悩の表情を浮かべていたが、リリアーナだけは静かに議論を進めた。
時折、彼女の言葉に相手方の顔色が変わる。
まるで緊張と柔らかさを同時に操るように。
結果として条約は有利な形でまとまりかけた。
だが――その平和な空気は、ひとつの報告で崩れる。
ひとりの使者が乱れて駆け込み、手にした書簡を振り上げた。
「反対派の決起軍が動きました! 王都にて、エルヴェール家の旧領が炎上!」
会場がざわめきに包まれる。
リリアーナの指先から力が抜けた。
「嘘……」
彼女は立ち上がり、駆け寄るように報告書を奪い取った。
そこには詳細が記されていた。
――王都の一部貴族が蜂起し、旧エルヴェール家の領地を奪取。
目的は「伯爵令嬢が反逆者であることの証明」。
「どうして……まだ終わっていないの?」
唇が震え、視界が滲む。
あの夜に燃え尽きたはずだった。
公爵家が滅び、王の裁决が下され、すべてが終結したはずだったのに。
まるで過去が追いかけてくるように――再び炎が、彼女の名を焼こうとしている。
その瞬間、誰かが彼女の腕を強く掴んだ。
マクシミリアンだった。
「リリアーナ殿、今は動くな。感情で判断すれば、敵の思うつぼだ」
「放してください! 私が戻らなければ、領民が……!」
「戻って何をする? 一人の行動が国を混乱させる」
「見殺しにしろと?」
「違う。守り方を間違えるなと言っている」
睨み合う二人の間に、会場中の視線が集まった。
リリアーナは荒い呼吸を抑え、静かにマントを握りしめる。
「……あなたには分からない。私は、この国であの土地を守るためにすべてを失ったのに」
「分からないと決めつけるな」
マクシミリアンの声が低く響く。
「俺もかつて、同じように“理想のために失った者”だ」
リリアーナの心が止まった。
彼の瞳の奥――そこに、だれかを弔うような哀しみが確かにあった。
冷たい仮面の裏に、深く抑え込まれた痛み。
そう、アランが時折見せたあの“無言の優しさ”と同じもの。
「……あなたも、誰かを?」
「妹を。彼女は戦の最前線に立ち、守るべき人々に裏切られた」
短い言葉だった。けれど、そこに宿る傷の重さは計り知れなかった。
リリアーナは息を呑む。
「だから君が苦しむことを見ていられない。君は、彼女に似ている」
「似ている……?」
「愚直に正義を信じ、誰よりも優しい。だが、その優しさに自分が壊されていることに気づかない」
マクシミリアンが、そっと両手で彼女の肩を包む。
「リリアーナ。どうか、もう一度“誰かを信じる”ことを、自分に許してくれ」
「信じる?」
「信じたいと思う心を、恐れないことだ」
彼の言葉は刃のように鋭く、そして暖かかった。
リリアーナは唇を噛んだけれど、涙が一筋、頬を伝って落ちていく。
「私は……もう二度と、同じ過ちを繰り返したくないの」
「それでも、君のためなら人は動く。俺も、そしてあの王国に残した誰かも」
「……アラン」
彼女の喉の奥から、その名が零れた。
マクシミリアンは短く頷く。
「君のことを、俺に託して出発を許した。あの男は、信頼できる者だけに頼む性格だ」
「あなたに……?」
「そうだ。あの時すでに、彼は君がまた運命に挑むことをわかっていた」
すべてが繋がった。
あの旅の最中、道が不自然に整備され、敵勢が襲わなかった理由。
国境を越える旅路が不思議なほど安全だったわけ。
それは――アランが、彼の人脈を使い、道を守っていたから。
「彼は君の力を信じている。だからこそ、君は信じて生きなければならない」
マクシミリアンが一歩離れ、手を差し出した。
「一人ではもう、抱えきれないなら。今度は俺を信じろ」
差し伸べられた手が、光に照らされる。
迷いの底に沈んでいたリリアーナの瞳に、その手の輪郭が映った。
思い出す。
アランが最後に囁いた声。“君が笑う未来を、俺は見届けたい”――
あの時も、同じ温もりだった。
リリアーナはゆっくりとその手を取り、頷いた。
「……お願い。私をもう一度、信じさせて」
「それができれば、君はもう一度歩き出せる」
「ええ、運命なんて怖くない。あなたたちがいてくれるなら」
会場の外では夕陽が沈み、長い影が床に伸びていた。
そしてその影の中、リリアーナ・エルヴェールの瞳に再び光が宿る。
彼女の使命はまだ果たされてはいない。
けれど、ここに確かに救いがあった。
――もう、自分を責めるのではなく、自分を信じるための旅が始まる。
(続く)
冷たくも清らかな風が吹き、遠くの鐘楼が響く。
そして今、リリアーナ・エルヴェールはその街の中心、白大理石の議事堂で一人立っていた。
王国とルクレシアの通商条約締結会議。
歴史的な一日になるはずだった。
だが、彼女の胸の中は穏やかとは程遠かった。
「……アラン、届いたかしら。あの手紙。」
小さく呟く声は、誰にも届かない。
胸もとにしまったペンダントを握ると、ほんの一瞬、微かな鼓動のような魔力の波が伝わる。
転生の夜にもらった力。その源は、彼女がここに在る理由であり、彼を想う証でもある。
会場の扉が開き、各国の代表が入ってくる。
重厚な絹衣をまとう外交官たちは、複雑な視線で彼女を見つめた。
「これが、あの“英雄令嬢”か」「若いが、確かに気品がある」――そんな囁きが聞こえてくる。
リリアーナは微笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げた。
今日、この場で彼女は王国の代表として発言する責任を負っている。
そして、壇上の中央。
進行役であるマクシミリアン・クロウフォードが姿を現した。
涼やかな灰の瞳が一瞬彼女を見た。
その視線に、奇妙な安心感と同時に小さなざらつきが胸に生まれる。
彼の目には誠実さがある。だが、その奥には何かを隠している気配もあった。
交渉は予定通り始まった。
ルクレシア側が提示する条件は予想より厳しく、王国の負担は大きい。
誰もが苦悩の表情を浮かべていたが、リリアーナだけは静かに議論を進めた。
時折、彼女の言葉に相手方の顔色が変わる。
まるで緊張と柔らかさを同時に操るように。
結果として条約は有利な形でまとまりかけた。
だが――その平和な空気は、ひとつの報告で崩れる。
ひとりの使者が乱れて駆け込み、手にした書簡を振り上げた。
「反対派の決起軍が動きました! 王都にて、エルヴェール家の旧領が炎上!」
会場がざわめきに包まれる。
リリアーナの指先から力が抜けた。
「嘘……」
彼女は立ち上がり、駆け寄るように報告書を奪い取った。
そこには詳細が記されていた。
――王都の一部貴族が蜂起し、旧エルヴェール家の領地を奪取。
目的は「伯爵令嬢が反逆者であることの証明」。
「どうして……まだ終わっていないの?」
唇が震え、視界が滲む。
あの夜に燃え尽きたはずだった。
公爵家が滅び、王の裁决が下され、すべてが終結したはずだったのに。
まるで過去が追いかけてくるように――再び炎が、彼女の名を焼こうとしている。
その瞬間、誰かが彼女の腕を強く掴んだ。
マクシミリアンだった。
「リリアーナ殿、今は動くな。感情で判断すれば、敵の思うつぼだ」
「放してください! 私が戻らなければ、領民が……!」
「戻って何をする? 一人の行動が国を混乱させる」
「見殺しにしろと?」
「違う。守り方を間違えるなと言っている」
睨み合う二人の間に、会場中の視線が集まった。
リリアーナは荒い呼吸を抑え、静かにマントを握りしめる。
「……あなたには分からない。私は、この国であの土地を守るためにすべてを失ったのに」
「分からないと決めつけるな」
マクシミリアンの声が低く響く。
「俺もかつて、同じように“理想のために失った者”だ」
リリアーナの心が止まった。
彼の瞳の奥――そこに、だれかを弔うような哀しみが確かにあった。
冷たい仮面の裏に、深く抑え込まれた痛み。
そう、アランが時折見せたあの“無言の優しさ”と同じもの。
「……あなたも、誰かを?」
「妹を。彼女は戦の最前線に立ち、守るべき人々に裏切られた」
短い言葉だった。けれど、そこに宿る傷の重さは計り知れなかった。
リリアーナは息を呑む。
「だから君が苦しむことを見ていられない。君は、彼女に似ている」
「似ている……?」
「愚直に正義を信じ、誰よりも優しい。だが、その優しさに自分が壊されていることに気づかない」
マクシミリアンが、そっと両手で彼女の肩を包む。
「リリアーナ。どうか、もう一度“誰かを信じる”ことを、自分に許してくれ」
「信じる?」
「信じたいと思う心を、恐れないことだ」
彼の言葉は刃のように鋭く、そして暖かかった。
リリアーナは唇を噛んだけれど、涙が一筋、頬を伝って落ちていく。
「私は……もう二度と、同じ過ちを繰り返したくないの」
「それでも、君のためなら人は動く。俺も、そしてあの王国に残した誰かも」
「……アラン」
彼女の喉の奥から、その名が零れた。
マクシミリアンは短く頷く。
「君のことを、俺に託して出発を許した。あの男は、信頼できる者だけに頼む性格だ」
「あなたに……?」
「そうだ。あの時すでに、彼は君がまた運命に挑むことをわかっていた」
すべてが繋がった。
あの旅の最中、道が不自然に整備され、敵勢が襲わなかった理由。
国境を越える旅路が不思議なほど安全だったわけ。
それは――アランが、彼の人脈を使い、道を守っていたから。
「彼は君の力を信じている。だからこそ、君は信じて生きなければならない」
マクシミリアンが一歩離れ、手を差し出した。
「一人ではもう、抱えきれないなら。今度は俺を信じろ」
差し伸べられた手が、光に照らされる。
迷いの底に沈んでいたリリアーナの瞳に、その手の輪郭が映った。
思い出す。
アランが最後に囁いた声。“君が笑う未来を、俺は見届けたい”――
あの時も、同じ温もりだった。
リリアーナはゆっくりとその手を取り、頷いた。
「……お願い。私をもう一度、信じさせて」
「それができれば、君はもう一度歩き出せる」
「ええ、運命なんて怖くない。あなたたちがいてくれるなら」
会場の外では夕陽が沈み、長い影が床に伸びていた。
そしてその影の中、リリアーナ・エルヴェールの瞳に再び光が宿る。
彼女の使命はまだ果たされてはいない。
けれど、ここに確かに救いがあった。
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(続く)
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