婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

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第17話 彼女を奪う者へ

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王都の夜が静まり返った。  
あの王太子の最期から三日。  
城の上空を覆っていた不穏な雲はようやく晴れ、ようやく人々は息をつくようになった。  
権力を握っていた王妃は、出家という形で辺境の修道院へ送られたと発表され、表向きは平穏が戻った。  
だが、ルミナス公爵邸の空気には重い沈黙が漂っていた。

アランは書斎の椅子にもたれ、包帯の巻かれた肩を押さえていた。  
傷口は深く、動かすたびに鈍い痛みが走る。  
彼の周囲には報告書や請願書の束があり、王国の再建を求める文が次々に届いていた。  
新しい政体を作り上げるため、彼の名は王都で最も重んじられていた。  
けれど、その報せとは裏腹に、アランの表情は晴れない。  

扉がノックされる音が響く。  
「公爵様、失礼いたします。」  
入ってきたのはマリーだった。  
その手には銀の盆。その上に白い封書が一通。  
彼女は慎重に机の上へ置いた。  
「差出人の印はグランベル侯爵家です。」  

アランの眉がわずかに動いた。  
「……レティシアの父親か。」  
「はい。どうなさいますか?」  
「見せろ。」  
マリーが下がると、アランは封蝋を割り、中の手紙を開いた。  
流麗な文字で書かれた文面は冷たいほど丁寧だった。  

『貴殿の尽力により、我が家の不名誉が晴れたこと心より感謝申し上げる。つきましては、娘レティシアを正式に王家における後見人とし、縁談の再興を願う貴族家が幾つか現れている。今後の安定のため、政治上の婚姻を早急に進めたい所存である。父として、娘にはより良い未来を選ばせたい。――エドモンド・グランベル』

紙を置いた指先がわずかに震えた。  
アランは短く息を吐く。  
「……愚か者が。」  
低く、鋭い声だった。  
あれほど娘を拒み、誤解を与えた張本人が、またも他人の都合で娘を差し出そうとしている。  
何より、その“政治的婚姻”という言葉が脳裏を刺した。  

扉の外で小さな足音がした。  
マリーが息を整えながら再び入ってくる。  
「公爵様……レティシア様が、外に出たいとおっしゃって。」  
「どこへ。」  
「王立の療養院です。被害に遭われた市民や兵たちを見舞いたいと。」  
「行かせろ。ただし護衛をつけろ。」  
「はい。」  

そう答えながら、アランの胸中には小さな不安が灯っていた。  
レティシアが外に出るたび、王都の民は彼女を称えた。  
だが、その称賛の裏には、思惑を秘めた者たちの目もあった。  
彼女を“利用”しようとする者たちが、すでに動き始めているのだ。

────  

午後、王都の療養院。  
レティシアは白い外套を羽織り、病床に立つ兵の手を握っていた。  
彼らはアランに忠誠を誓い、最後まで戦った者たち。  
戦の爪痕が残る空間で、彼女はひとりひとりに声をかけていた。  

「公爵様は必ず国を変えてくださいます。ですから、どうか回復の日を信じてくださいね。」  
彼女の声は穏やかで、しかし不思議なほどの力があった。  
その笑顔だけで、粗暴な兵たちも心を解かされていく。  
やがて院長が現れ、感謝の言葉を述べた。  
「あなた様はまるで聖女のようですな。噂以上だ。」  
「聖女だなんて。私はただ、過ちから目を逸らせなかっただけです。」  

外に出ると、街路樹の葉が揺れた。  
その陰から一人の男が現れた。  
漆黒の外套、鋭い眼差し、どこか人懐こい笑顔。  
「これは、レティシア・グランベル様。お噂はかねがね。」  
男は丁寧に頭を下げた。  
「私はクレヴァン・アーベルと申します。ロクス侯爵家の次男にございます。」  
「……存じませんわ。」  
「無理もない。政治とは縁遠い方ですから。ただ、私どもの家は最近、ルミナス公爵家と同盟の打診を受けております。」  
「同盟……?」  
男は穏やかに微笑み、手にした小箱を差し出した。  
「これは父からの贈り物です。ご受領ください。」  
レティシアが手を伸ばしかけた瞬間、後方から低い声が響いた。  

「下がれ。」  
アランだった。  
誰も気づかぬうちに彼は歩み寄り、その剣をわずかに抜いた。  
月光を映した刃が空気を震わせる。  
「ルミナス公爵閣下……い、いかがなされましたか。私はただ――」  
「“ただ”の人間が王都で奴隷の取引を操れるものか。ロクス家の裏を知らぬと思うか。」  
「……っ」  
クレヴァンの額に冷や汗が滲む。  
アランは静かに剣先を突きつけた。  
「二度と彼女に近づくな。」  
「お、恐れながら――婚姻の打診は正式な件で……!」  
「婚姻?」  
アランの瞳が冷たく光る。  
「お前たちは政治を理由に、彼女をまた鎖に繋ぐ気か。俺の前でそんな言葉を吐くな。」  
剣に力がこもる。  
周囲の空気が凍りついた。  
「立ち去れ。今この瞬間にな。」  

クレヴァンは青ざめながら一礼し、その場を逃げ出した。  
彼が見えなくなるまで、アランは剣を納めなかった。  

レティシアが呟く。  
「……公爵様。」  
「やはりな。」彼は吐息を洩らした。  
「俺が危惧していた通りだ。権力を欲する者たちは、今度はお前を“王妃の代わり”の象徴にしようとしている。」  
「わたくしを……王妃の代わりに?」  
「お前は民に慕われすぎている。もうただの令嬢ではない。人々の希望であり、血統と功績を利用したい者にとっては格好の標的だ。」  

レティシアは俯いた。  
「もしそれが……国の安定になるなら。」  
「やめろ。」  
アランの声が低く響いた。  
その顔は激情を抑えるように険しい。  
「お前が犠牲になる未来を、俺は二度と見たくない。」  
「ですが、あなたもこの国を背負うお方でしょう?」  
「背負うさ。ただし、それは“お前を失わない形”でだ。」  

一拍の沈黙。  
やがて、アランは一歩近づいた。  
「レティシア、俺はもう気づいている。お前という存在そのものが国を変える鍵なんだ。誰もがお前を奪おうとするだろう。だが――」  
その言葉に、レティシアの心臓が早鐘を打つ。  
アランの瞳が真っ直ぐに射抜くように見つめてきた。  
「奪わせはしない。例え王でもだ。」  

レティシアの唇が震えた。  
「……公爵様が、そこまで。」  
「当たり前だ。」  
アランは彼女の手を取り、その指先に唇を寄せた。  
「俺はこの国を救うために剣を取ったが――今はお前を守るためにその剣を振るう。」  
「……そんなことを言われたら……もう、何も言えません。」  

二人の距離が近づく。  
風が白薔薇を揺らし、月の光が彼らを包み込む。  
アランの声が静かに響いた。  
「どんな陰謀があろうと、誰が名誉を奪おうと、俺の名でお前を支配できる者はいない。この命を懸けても。」  

レティシアは目を閉じた。  
彼の言葉に嘘は一片もないと分かっていた。  
唇を噛みしめ、小さく呟く。  
「……あなたの信じる国に、私も生きていたい。」  

彼女の掌を包み、アランは頷いた。  
「ならば共に行こう。道は血で汚れているが、光は俺たちで作る。」  
レティシアが微笑む。  
それはもう、かつて嘆いていた令嬢の表情ではなかった。  

その夜、王都の空にまた白い雲が流れていった。  
風の底で、誰も知らぬ戦いの幕が再び上がろうとしていた。  
彼女を奪おうとする貴族たちとの、第二の戦いが――。  

続く
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