婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

exdonuts

文字の大きさ
20 / 30

第20話 優しさが痛みに変わる夜

しおりを挟む
凍結谷の聖堂は、長い間誰の祈りも届かぬ場所だった。  
天井の一部は崩れ、そこから吹き込む風が雪を運んでくる。白い粉がゆっくりと床を覆い、古い祭壇を冷たく包んでいた。  
二人は松明を掲げて静まり返った堂内を進む。  
足音が響き、その下で氷のような気配が応える。  

「……ここまで人の気が途絶えているなんて。」  
レティシアの声が微かに震える。  
アランは周囲を見回しながら短く答えた。  
「この谷全体が呪われた土地だ。昼夜の区別もなく、雪風が吹けば方角を失う。誰も容易には近づけん。」  
「王妃は……そんな場所に自らを隠したのですね。」  
「隠したのではない。待っているのだ。」  
アランが進む足を止めた。祭壇の奥、黒い扉がある。そこからは冷気ではなく、奇妙な“熱気”が漏れている。  
「賢者とやらは、この下だ。」  

重い扉を押すと、地下への階段が現れた。  
古の聖堂の下に、こんな通路があるとは誰も知らなかっただろう。  
二人は松明を手に下りていく。  
やがて奥から、低い祈りにも似た人の声が聞こえてきた。  

闇の中、青白い灯がいくつも瞬く。  
それは魔法陣の光だった。  
石造りの大広間に設けられた巨大な円陣。壁一面には、王家の紋章や異国文字が刻まれている。  
その中央に、黒い法衣を纏った老人が立っていた。  

「来たか……ルミナス公爵。」  
「俺を知っているのか。」  
「当然だ。王妃陛下はお前を最も恐れていた。」  

老人の声は低く、空気を震わせるような響きを持っていた。  
その手には王妃の紋章が刻まれた古い本がある。  
「貴様が“賢者”か。」  
「その呼び名は好かぬな。ただの“記録者”だ。」  
老人は笑い、背後の壁を指差した。  
壁には血のような赤で描かれた絵――王妃が戴冠式で人々を従える姿。そして、その足下には苦しむ民、さらには王子の影。  

レティシアの喉が乾く。  
「これが……陛下の罪ですか。」  
「罪? 違う。志だ。」  
老人の瞳が異様な光を帯びる。  
「陛下はこの国を純化しようとした。汚れた血を清め、神に近い王を創るために。わしはその計画の片腕に過ぎん。」  

アランが剣に手をかけた。  
「そのためにどれだけの命を奪った。」  
「犠牲こそ進化の証だ!」  
賢者は叫ぶように答える。  
「たとえ陛下が倒れようとも、私はこの国の“理想”を成し遂げる。新たな血脈を生み出すまでな!」  

次の瞬間、魔法陣が不気味に光った。  
床の隙間から、氷を割るような音が響く。  
アランがとっさにレティシアを後ろにかばった。  
「離れるな!」  

青白い光が爆ぜ、地面の下から氷の槍が無数に突きあがる。  
アランの腕が掠め、血が飛び散った。  
しかしそれでも怯まず、彼は前へ躍り出る。  
「止めろ!」  
「止める? ならばこの魔で貴様らごと葬ってくれよう!」  

賢者の声と同時に陣の輝きが強まり、空気が歪んだ。  
重力そのものが乱れるような圧迫感に、レティシアの身体が揺れる。  
彼女は思わずアランの名を叫んだ。  
「アラン様――!」  

その声で、アランの瞳に火が宿る。  
彼は剣を抜き、一閃の光を放つ。鋼の音と共に魔法陣を縁取る符文が断ち切られた。  
轟音。地鳴り。  
魔力の奔流が暴発し、老人が悲鳴を上げて膝をつく。  
アランの背に爆風が襲う。壁の破片が吹き荒れ、レティシアの方へ飛ぶ。  
「危ない!」  
アランが彼女を抱き寄せる。次の瞬間、衝撃が走った。  

石の破片が肩に当たり、温かい血が舞った。  
「アラン様、傷が――!」  
「構うな。無事か。」  
「わたくしは……でもあなたが!」  
「問題ない。」  
そう言いながらも、アランの腕からは血が滴り落ちていた。  

賢者は倒れ込みながら笑い声をあげる。  
「遅かったな、氷の公爵……お前がいくら剣を振るおうと、真実はもう動き出している。」  
「何を言う。」  
「陛下は……すでに“王の印”を次代へ託した。王国の血は止まらんのだ!」  

その言葉が終わる前に、アランは老人の胸倉を掴んだ。  
「どこだ。」  
「……はは、答えを知るには代償を払え。お前にその覚悟があるか?」  
アランが剣を構え、喉元を突こうとした瞬間、レティシアがその手を掴んだ。  
「もういいのです!」  
「だが――」  
「この人を殺しても、何も戻りません!」  
レティシアの叫びがこだまする。  
その声にアランの肩が微かに揺れた。  

震える息を整えながら、彼女は老人に歩み寄った。  
「あなたは哀れです……王妃陛下の理想に縋り、命を燃やすしかなかった。」  
「……愚かな娘よ。お前に何が分かる。」  
「分かります。わたくしも同じでした。憎しみに囚われ、誰かの言葉を信じることでしか生きられなかった。」  
レティシアは静かに頭を垂れた。  
「でも今は違います。真実は“血”ではなく、“選ぶ心”にある。」  

老人の瞳が一瞬だけ揺れた。そのまま息を吐き、小さく笑った。  
「……愚かで美しい女だ。まさに王妃殿下の写しよ。」  
「いいえ、わたくしは母に似たと言われたいです。」  
レティシアの声に、アランが目を細めた。  

その瞬間、賢者が最後の力を振り絞って呪印を押した。  
地面が赤く光り、魔法陣が再び脈動する。  
「やめろ!」アランが叫ぶが間に合わない。  
炎と氷が交じり合う爆光。世界が白く染まった。  

短い悲鳴。  
気が付くと、レティシアの視界には雪の欠片が舞っていた。  
アランの腕の中に包まれ、自分が守られていることを理解する。  
だがその体温が、急速に冷たくなっていくのを感じた。  
「アラン様! しっかり――!」  
「……大丈夫だ。」  
彼は僅かに微笑んだ。  
しかし、彼の背中には深い傷が走り、血が雪に落ちて蒸気を上げていた。  

「どうして……どうしていつも、わたくしを庇うのですか。」  
涙が溢れる。  
アランは震える手で彼女の頬を撫でた。  
「俺の優しさは、いつも人を傷つけた。だからもう、誰にも渡さないようにしているだけだ。」  
「そんなの……優しさではありません!」  
「……そうだな。」  
彼は苦笑し、赤く染まる雪を見た。  
「けれど、お前に触れていると、この痛みでさえ……ただの証になる。」  

レティシアの心が潰れそうだった。  
「お願いです、話すのをやめて。傷が……!」  
「平気だ。剣を持つ者の宿命だ。」  
「そんな宿命いりません! あなたがいなければ、私には……この国の未来も意味がないっ。」  
アランの瞳が微かに揺れた。  
「お前は強い。お前がいれば、この国は立ち直る。」  
「いりません。強くなんてなりたくない。あなたがいれば、それで十分でした……」  

静かな雪の音だけが、二人の間を満たした。  
アランの手が彼女の髪を撫でる。  
その温もりは痛いほど優しかった。  

「……泣くな。」  
「泣いてばかりの女で、ごめんなさい。」  
「いい。俺はそんなお前が好きだ。」  

その一言がレティシアの胸に深く落ちた。  
言葉の温度が涙と共に彼女を包み、痛みが優しさに変わる。  
彼の体はまだ熱を宿している――生きている証。  
レティシアは震える指で、彼の血を止めながら小さく呟いた。  
「この夜を忘れません。あなたの痛みも、あなたの優しさも、全部。」  

外では風が止み、雪がやんでいた。  
砕けた魔法陣の光は消え、静寂が聖堂を包んだ。  
遠くで、夜明けの鐘が鳴り始める。  

凍える朝の光が差し込んだその時、アランは目を閉じた。  
レティシアの震える声が、祈りのように響いた。  
「どうか、この命にまだ……あなたの望む明日が与えられますように。」  

彼女の言葉を最後に、聖堂は再び沈黙を取り戻した。  
外の雪は光を帯び、まるで亡き者たちの魂が空を昇っていくように白く舞った。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】捨てられた皇子の探し人 ~偽物公女は「大嫌い」と言われても殿下の幸せを願います~

ゆきのひ
恋愛
二度目の人生は、前世で慕われていた皇子から、憎悪される運命でした…。 騎士の家系に生まれたリュシー。実家の没落により、生きるために皇宮のメイドとなる。そんなリュシーが命じられたのは、廃屋同然の離宮でひっそりと暮らすセレスティアン皇子の世話係。 母を亡くして後ろ盾もなく、皇帝に冷遇されている幼い皇子に心を寄せたリュシーは、皇子が少しでも快適に暮らしていけるよう奮闘し、その姿に皇子はしだいに心開いていく。 そんな皇子との穏やかな日々に幸せを感じていたリュシーだが、ある日、毒を盛られて命を落とした……はずが、目を開けると、公爵令嬢として公爵家のベッドに横たわっていた。けれどその令嬢は、リュシーの死に因縁のある公爵の一人娘……。 望まぬ形で二度目の生を享けたリュシーと、その死に復讐を誓った皇子が、本当に望んでいた幸せを手に入れるまでのお話。 ※本作は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さんにも投稿しています。 ※表紙画像はAIで作成したものです

悪役令嬢としての役目を果たしたので、スローライフを楽しんでもよろしいでしょうか

月原 裕
恋愛
黒の令嬢という称号を持つアリシア・アシュリー。 それは黒曜石の髪と瞳を揶揄したもの。 王立魔法学園、ティアードに通っていたが、断罪イベントが始まり。 王宮と巫女姫という役割、第一王子の婚約者としての立ち位置も失う。

あなたが「いらない」と言った私ですが、溺愛される妻になりました

有賀冬馬
恋愛
「君みたいな女は、俺の隣にいる価値がない!」冷酷な元婚約者に突き放され、すべてを失った私。 けれど、旅の途中で出会った辺境伯エリオット様は、私の凍った心をゆっくりと溶かしてくれた。 彼の領地で、私は初めて「必要とされる」喜びを知り、やがて彼の妻として迎えられる。 一方、王都では元婚約者の不実が暴かれ、彼の破滅への道が始まる。 かつて私を軽んじた彼が、今、私に助けを求めてくるけれど、もう私の目に映るのはあなたじゃない。

見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。

有賀冬馬
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。 選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。 涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。 彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。 やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。

追放された悪役令嬢、辺境で植物魔法に目覚める。銀狼領主の溺愛と精霊の加護で幸せスローライフ!〜真の聖女は私でした〜

黒崎隼人
恋愛
「王国の害悪」として婚約破棄され、魔物が棲む最果ての地『魔狼の森』へ追放された悪役令嬢リリア。 しかし、彼女には前世の記憶と、ゲーム知識、そして植物を癒やし育てる不思議な力があった! 不毛の地をハーブ園に変え、精霊と友達になり、スローライフを満喫しようとするリリア。 そんな彼女を待っていたのは、冷徹と噂される銀狼の獣人領主・カイルとの出会いだった。 「お前は、俺の宝だ」 寡黙なカイルの不器用な優しさと、とろけるような溺愛に包まれて、リリアは本当の幸せを見つけていく。 一方、リリアを追放した王子と偽聖女には、破滅の足音が迫っていて……? 植物魔法で辺境を開拓し、獣人領主に愛される、大逆転ハッピーエンドストーリー!

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

縁あって国王陛下のお世話係になりました

風見ゆうみ
恋愛
ある日、王城に呼び出された私は婚約者であるローク殿下に婚約を破棄され、姉が嫁ぐことになっていた敗戦国シュテーダム王国の筆頭公爵家の嫡男の元へ私が嫁ぐようにと命令された。 しかも、王命だという。 嫁げば良いのでしょう、嫁げば。 公爵令嬢といっても家では冷遇されていた私、ラナリーは半ば投げやりな気持ちでルラン・ユリアス様の元に嫁ぐことになった。  ユリアス邸の人たちに大歓迎された私だったけれど、ルラン様はいつもしかめっ面で女性が苦手だと判明。 何とかコミュニケーションを取り、ルラン様と打ち解けていくと、義理の父からもうすぐ6歳になる国王陛下の臨時のお世話係を任されてしまい―― ※史実とは異なる異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました

蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。 家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。 アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。 閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。 養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。 ※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。

処理中です...