永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第14話 優しさの裏にある痛み

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夜明け前の空は、まだ蒼い。  
王都の屋根の端から小鳥が鳴き始め、フェルナンド邸の庭に柔らかな光が差し込んでいた。  
その光の中、リディアは眠れぬまま書きかけの手紙を前にしていた。  
封筒の上に残る宛名は、まだ書くことができないでいる。  

“オーウェン・ローゼンハイト殿下へ”  

ただその一行を書く勇気が出ずに、ペンが止まっていた。  
胸の奥のどこかでは、何かを言葉にしてしまえば、もう戻れない気がしていたのだ。  

静寂の中、扉を叩く音がした。  
「お嬢様、殿下のお使いが参りました」  
エリサの声が告げる。  
「殿下が今朝方、北の孤児院へ向かわれるそうです。お嬢様も同行してほしいとのこと」  

リディアはため息をつき、そっと立ち上がる。  
熱を帯びた胸の鼓動を鎮めるように、ゆっくりと髪をまとめた。  

「またお忙しい方ですね。休むことを知らないみたい」  
「お嬢様もそうですよ」  
エリサが苦笑を浮かべて言う。  
二人の会話の間を、朝の光が滑るように通り抜けていった。  

* * *  

馬車が北へ向かう道を進む。  
窓の外を流れる景色を見つめながら、リディアは殿下の横顔を盗み見た。  
オーウェンは目を閉じて何かを考えているようだった。  
いくつもの問題を抱える国の中心に立ちながら、それでも彼は穏やかな気配を纏っていた。  

「殿下」  
「はい?」  
「……今も、時々考えるんです。どうして私は“破棄された婚約者”という烙印を受けなければならなかったのかって。  
 でも、今はそれすらも私の一部だと感じています」  

オーウェンは目を開け、柔らかく頷いた。  
「人は傷を避けては強くなれない。あなたの痛みは、あなたを形づくる力になっている」  
「そうなら、いいんですけれど……」  
「あなたは強い。でも時々、その強さの裏でとても無理をしているように見える」  
「……そんなふうに見えますか」  
「ええ。優しさを前に出す人ほど、裏で痛みを抱えているものです。あなたも同じだ」  

その言葉に、胸の奥が少し震えた。  
リディアは知らず知らずのうちに、微笑みで自分を隠す癖がついていたのかもしれない。  

* * *  

孤児院に着くと、子どもたちが歓声を上げて駆け寄ってきた。  
「リディア様!」「殿下だ!」  
彼らの笑顔は純粋で、無垢な光にあふれていた。  
リディアは髪を撫でられるたびに膝をつき、優しく抱きしめた。  

「皆、元気にしていましたか?」  
「うん!ほら、殿下が新しい庭を作ってくれたんだ!」  
少年が誇らしげに指さす。新設された花壇には、色とりどりの花が並んでいた。  
白いチューリップに紛れて、小さな百合の花が咲いている。  
その花を見た瞬間――心の奥がひときわ熱くなった。  

リディアがかつて愛した花。  
失意の夜、枯れた庭に落ちた花弁を思い出す。  
それを、ここで再び見ることになるなんて。  

「……このお花、殿下が選ばれたのですか?」  
「ええ。聞いたことがあるんです。ある人がこの花を好んでいたと」  
いたずらっぽい笑みを浮かべるオーウェンを見て、リディアはふと目を逸らした。  

「覚えていらしたのですね」  
「忘れようとしても、忘れられませんから」  

短い沈黙がふたりを包んだ。  
子どもたちの笑い声が遠くで響く。  
オーウェンの視線が少しだけ柔らかくなり、リディアの肩に日差しのように落ちていく。  

「あなたは、常に誰かのために動いている。でも、その行為の半分は自分の痛みを癒すためでは?」  
リディアは驚き、言葉を失った。  
「……そんなふうに見えるんですか?」  
「ええ。優しさには裏表があります。誰かを救うふりをして、本当は自分を救っている。  
 それは悪いことではありません。けれど、私はあなたの痛みをあなた自身だけのものにしておきたくない」  

その言葉の重さに、胸の奥がじんと熱を帯びた。  
優しさ――そう、リディアは誰かにそう言われて嬉しかったことが何度もあった。  
だが、優しいと言われる時、自分の心の奥にある“傷”を覆い隠しただけだったこともまた、よく知っていた。  

「もし、その痛みを見せたら……嫌いになりますか?」  
オーウェンの目が少しだけ驚き、そして真っ直ぐに彼女を見た。  
「痛みを見せたあなたこそ、誰よりも美しいと思う」  
「……そんな言葉、ずるいですわ」  
「ずるいのは、心でしょう。それを閉じ込めるあなたの方です」  

リディアは小さく息を吐き、微笑んだ。  
そう言われるのが、怖くもあり嬉しくもある。  

* * *  

夕方。  
孤児院の仕事を終えたふたりは、西に傾く太陽の下、丘の上を歩いていた。  
風は穏やかで、空は茜色に染まっていた。  

「この景色を見ると、すべてが少し許せる気がします」  
「許せる、というのは?」オーウェンが問う。  
「人も、時も、自分さえも。過去の失敗も裏切りも、すべてがこの一瞬のためにあったと思えるんです」  
「それは、優しさではなく知恵です。人は痛みを経て、ようやく他人に優しくできる」  
「殿下も痛みをお持ちなのですね」  
「ええ。王家という鎖の中で何を決めても、誰かが傷つく。笑顔の裏で、私も多くの涙を見てきた」  

その声音に、初めて彼自身の弱さを感じた。  
リディアは立ち止まり、静かに彼を見た。  
「殿下……その優しさが、いつかあなたを苦しめるかもしれません」  
「苦しんでもかまいません。私が選んだ道です」  
「そんなふうに言わないでください。私は……殿下に笑っていてほしい」  

オーウェンがゆっくりと振り返る。  
「それは、あなたが誰かに求めていた言葉では?」  
その一言に、リディアの目が揺れた。  
かつて、アルベルトに愛を乞うたあの日。彼女は同じ言葉を口にしていた。  
「あなたに、笑っていてほしい」と。  
だが、あの想いは拒絶され、壊れて消えた。  

「確かに……昔、そう願ったことがありました」  
「その思い出も、今のあなたを形づくる。けれど私は、その続きを書き換えたい。  
 あなたが誰かのためではなく、自分のために笑う日を見たい」  

リディアは胸の奥に広がる熱を感じ、口を開いた。  
「もしその日が来たら、殿下――もう一度、私を名前で呼んでください」  
「リディア、それは約束のようなものですね」  
「ええ。約束です」  

太陽が沈む瞬間、空に金と紅が交わった。  
ふたりの影は長く伸び、寄り添うように重なった。  

リディアは心の中で呟いた。  
――優しさの裏に痛みがあるのなら、私はそれを抱えて生きていく。  
その痛みを、もう誰のせいにもせず、誇りとして。  

続く
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