永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第13話 元婚約者の焦燥

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王宮で行われた講話会から数日後。  
リディアの名はますます王都の中心で語られるようになっていた。  
「王子に並び立つ唯一の女性」「新しい時代の象徴」「国の未来を導く才女」――。  
かつて“破棄された可哀想な令嬢”と呼ばれていた彼女の姿は、もはやどこにもなかった。  

同じ頃、噂を最も苦々しく聞いていた男がいた。  
アルベルト・クロフォード。  
かつて婚約者を捨て去り、今は父の不正の責任を問われ、爵位も職も半ば失った男。  

破棄劇の夜には、自分が正しいと思っていた。  
だが半年――いや、たった数週間でも、世界は一変した。  
彼が見切った女は、王国中の尊敬を集める存在となり、隣に立つのは第二王子。  
そして、自分は過去の残骸として扱われ、誰からも相手にされない。  

老いた公爵でさえ、もはや息子をかばおうともしなかった。  
家は摘発され、資産は凍結され、名門の威光は瓦解する寸前だ。  

アルベルトは一人、薄暗い書斎の中で机を叩いた。  
「なぜだ……俺は間違ってなどいなかった。あの時、俺は正しいと思っていたのに!」  
壁に掛かっていた肖像画が微かに揺れた。  
そこに描かれていたのは、かつて婚約していた頃のリディアだった。  
穏やかに微笑むその瞳は、もう彼を見てはいない。  

「笑うな、リディア……あの夜、お前が涙を流した顔を覚えている。  
 あれが、まさか……俺の終わりの始まりとはな」  

焦燥は怒りに、そして後悔に変わる。  
彼は椅子に崩れ落ち、額を押さえた。  

* * *  

一方、リディアは侯爵邸の図書室で新しい教育案の書面を作成していた。  
孤児院と貴族子弟を合同で教育する試み――誰もが待ち望んでいながら、誰も実現できなかった改革。  
「身分の壁を破るには、知の橋をかけること」  
それが彼女が信念として掲げる理想だった。  

部屋の隅でエリサが静かに紅茶を置いた。  
「お嬢様。殿下からお手紙が届いております」  
「まあ、またですか?一日に一通とは……勤勉な書状ですね」  
「お返事を書かねばますます増えるのでは?」  
リディアは苦笑し、封を開いた。  

“学術院の図面が確定しました。あなたの意見を取り入れ、新しい教場に子どもたちの庭を設けました。  
 花と書物のある空間なら、彼らはきっと学びたくなるでしょう。  
 次にお会いする時、あなたの笑顔がそこに咲くことを願っています。”  

手紙を読み終えると、頬が微かに熱くなる。  
オーウェンの文にはいつも優しさが滲んでいた。  
政治的な報告の裏に、ひとつだけ個人的な言葉が添えられている。  
そのささやかな一文が、なぜこれほど胸を揺らすのか――リディアは自分でもわからなかった。  

* * *  

夕暮れ。王都の西端にある小さな市場通りで、人々の間を抜ける男の影があった。  
アルベルト・クロフォードは変装もせず、人目を避けるように下を向いて歩いていた。  
今や彼の姿を見ても頭を下げる者はいない。  
それどころか、背中に冷笑を浴びせる者さえいる。  

「噂の“落ちた公子”だ……」  
「こんな市場にいるとはね。あのフェルナンド嬢を泣かせた報いよ」  
聞こえないふりをして歩きながら、拳が震える。  
だが、自分の手で失ったものの重さは、誰よりもわかっていた。  

ふと、露店の前で立ち止まる。  
花籠の中に白い百合が一輪だけ売られていた。  
半年ぶりに見るその花は、リディアがかつて好んで飾っていたものだ。  
無意識に手を伸ばしたが、ふと途中で止まる。  

「俺には、もう渡す資格がない」  
かろうじて握った指先に残るのは、花弁の冷たさではなく、指に滲む後悔の熱だった。  

* * *  

その夜、フェルナンド邸には予期せぬ訪問者が現れた。  
執事が慌てて駆け込み、リディアに告げる。  
「お嬢様……クロフォード家のアルベルト様が、門前に」  

リディアは一瞬だけまばたきした。  
過去を断ち切った相手――もう永遠に会うことはないと思っていた。  
だが、彼女は逃げなかった。  
「通してください。ただし、客間で」  

数分後、重い扉の向こうから、以前よりもやつれたアルベルトが姿を現した。  
頬はこけ、瞳の光は鈍い。  
彼は深く頭を下げた。  

「フェルナンド嬢……いや、リディア」  
「お久しぶりでございます、アルベルト様」  
「そんな呼び方を……俺に“様”など不要だ。もう何も残っていない」  

短い沈黙のあと、彼は苦しく言葉を絞り出した。  
「伝えたいことがひとつだけある。あの夜の俺は、確かにお前を愛していなかった。でも……今は違う。  
 どれだけ手を伸ばしても届かない場所へ行ったお前を、ようやく愛していると気づいた」  

リディアは静かに紅茶を置いた。  
「わかります。その言葉がどれだけ重いかも。……けれど、それを聞いても私は戻りません」  
アルベルトの顔に絶望が浮かぶ。  
「わかっている。わかっているんだ。それでも、言わずにはいられなかった。俺は、お前を地に落としたことで、自分をも落とした」  
「そうですね。あなたは、自分の罪で苦しんでいる。その痛みは、罰ではなく贖いです」  

その言葉に、アルベルトは涙をこぼした。  
初めて見る、弱い男の姿だった。  

「俺を、許してくれるのか」  
「憎みません。でも、もうあなたのために泣くこともありません」  
「……そうか」  

彼は立ち上がり、少しふらつきながら扉へ向かう。  
リディアはただ、その背を見送った。  
今度は本当の意味で、幕引きだった。  

* * *  

その夜遅く、オーウェンが訪れた。  
騎士を伴わない、私的な来訪だった。  
彼は門前に立つと、少し迷い、そして扉を叩いた。  

「殿下が直々に? 何かございましたか?」  
「いや、あなたの顔を見たかっただけです」  

リディアは驚きながらも、彼を客間へ通した。  
外の風が衣を揺らし、部屋の明かりが二人の影を重ねる。  

「……彼が、来たと聞いた」  
「ええ。終わりました、全て」  
「もう泣いていませんね」  
「泣かないと決めましたから。殿下が“もう二度と泣かせない”と言ってくださったから」  

オーウェンの瞳がわずかに揺れた。  
「あなたは……本当に強い」  
「そう見せかけているだけです。まだ弱いから、強くなろうとするだけ」  
「なら、私がその弱さを守りましょう。もう誰にも踏みにじられないように」  

一瞬だけ沈黙。  
そして、オーウェンが彼女の手を取った。  
リディアは抵抗せず、その温もりを受け入れた。  

「殿下」  
「うん?」  
「人は過去に縛られても、未来だけは自由に選べますわね」  
「ええ。あなたがその証です」  

窓の外で星が流れた。  
過去と未来が一瞬で重なり合い、ふたりの距離が静かに縮まる。  
もう二度と、彼女は誰かに傷をつけられることはない。  
そして――誰かを愛する時も、自分の意志で選ぶだろう。  

続く
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