永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第12話 「もう二度と泣かせない」

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舞踏会の翌朝、王都の空は清らかだった。  
雨上がりの石畳が陽光を反射し、人々のざわめきの中で新しい噂が生まれていた。  

「第二王子殿下がフェルナンド令嬢と手を取って最後の曲を踊ったそうだ」  
「陛下もその光景をご覧になられて頷かれたとか!」  
「まるで次代を担うお二人の誓いのようだったわ」  

その噂は、春風に乗って王都中へ広がる。  
誰もが知っていた。昨夜の舞踏会は、ただの社交の場ではなかった。  
それは、かつて屈辱の底にいた令嬢が、自らの意志で未来を掴み取った夜だったのだ。  

* * *  

リディアは館のテラスでその報せを聞きながら、苦笑を浮かべていた。  
「人というのは、本当に伝えたいことより都合のいい物語を語りたがるものね」  
エリサが茶を注ぎながら答える。  
「良い話は良いままに受け取らせておけばよろしいのです、お嬢様。実際、昨夜のお二人は夢のようでしたから」  
「夢、ね。現実は案外、息も絶え絶えだったわよ」  
リディアは笑う。だが、その声には昨日の余韻がまだ澄んで残っていた。  

あの夜、月光の下で聞いたオーウェンの告白は、まだ耳の奥に響いている。  
“あなたに肩を並べて生きたい”――その言葉の重みは、まだ胸の奥に焼き付いていた。  

* * *  

昼過ぎ、騎士団の使者が一通の封書を届けた。  
封蝋は王家の紋章。送り主はオーウェン・ローゼンハイト。  
差出人の名を見ただけで、胸が少し高鳴る。  
封を切ると、丁寧な筆致で短い言葉が記されていた。  

“本日午後、王都南部の学術院にて講話会が開かれます。教育改革の件で、あなたにもぜひ同席いただきたい。”  

リディアはすぐに答えを出した。  
「……行きましょう」  

* * *  

学術院。  
そこは、古びた石造りの建物ながら、誰よりも未来を語る場所だった。  
貴族や学者、教育者が集い、新しい制度や思想を議論する場でもある。  
講話にはすでに多くの聴衆が詰めかけていた。  
壇上に立つオーウェンが彼女を見つけ、わずかに笑みを浮かべた。  

「皆さま。本日のテーマは“教育の意味”です」  
そう語る彼の声は堂々としていた。  
「学とは、生まれにかかわらず人を人たらしめるものである。貴族の子であれ庶民の子であれ、教えを受ける権利を持つ。  
 ――そして、それを実現した者がいます。リディア・フェルナンド嬢、あなたの名誉に敬意を表しましょう。」  

静まり返った会場が、一斉に拍手に包まれた。  
リディアは立ち上がり、穏やかに会釈をした。  
それは傲慢な誇りでも、照れ隠しでもない。  
ただ、歩んできた道の証としての礼だった。  

オーウェンは講話を続けた。  
「彼女は自らの悲劇を力に変え、教育と社会の橋を築いた。  
 この国が変わるとき、それを導くのは地位や血筋ではない、“信念”だ。――私はそう信じる」  

その声に、リディアの手が小さく震えた。  
まるで心の奥をまっすぐ掴まれた気がした。  

講話が終わり、参列者たちが退出していく中で、リディアは一人静かに立ち尽くしていた。  
そこへ彼が歩み寄る。  
「少し、時間をいただけますか?」  
「ええ」  

二人は学術院の中庭に出た。  
噴水の水音が流れ、初夏の日差しが優しく肌を包む。  

「……あなたは褒めすぎです、殿下」  
「事実を語ったまでです」  
「事実よりも優しい言葉を添えるのはお上手ですわね」  
「あなたを泣かせた過去の誰かとは違いますから」  

リディアは一瞬、息を詰まらせた。  
彼の目は真剣だった。茶化しも慰めもなく、ただまっすぐに見つめている。  

「リディア」  
「……はい」  
「私は二度と、あなたの涙を見たくありません。それが哀しみの涙であれ、孤独の涙であれ。  
 誰にも泣かされることなく、ただあなた自身の笑顔で前を向けるようにしてほしい」  

その言葉の温度に、胸の奥の堤が音もなく崩れていく。  
泣かないと決めていたはずなのに、涙が零れそうになるのを、必死に堪えた。  
「殿下……それは、あまりにも優しすぎます」  
「あなたが優しさを受け取らないなら、それは私の役目が足りないということだ」  

沈黙が流れる。  
風が花の香りを運び、噴水の水しぶきが陽光に虹を描いていた。  

リディアは小さく息を整え、笑みを浮かべた。  
「泣かせないと言われて、泣きそうになるのは困りましたわ」  
「泣くことは悪くありません。それでもいい、リディア。あなたが泣くのなら、今度はその涙を誰かの希望に変えてください」  

「誰かの希望……」  
「そう。あなたの歩みが、多くの人を支えている。それを忘れないでください」  

しばしの沈黙ののち、リディアは小さく首を振った。  
「私はまだ、殿下が見てくださるほど立派な人間ではありません。ただ――この手で何かを癒せるようになりたいとは思います」  
「その考えこそ、立派だと思いますよ」  

オーウェンは微笑み、ゆっくりと手を伸ばした。  
「あなたの決意、私も支える。だから、一人で抱え込まないでほしい」  

差し出された手。その温もりが、春の日射しよりも優しい。  
迷った末に、リディアはその手を取った。  
掌に伝わる温度に、心が静かに震える。  

「……殿下。私、笑うことを忘れたくないのです」  
「それなら約束しましょう。あなたが笑う限り、私はあなたを支え続ける」  

微笑み合ったその瞬間、遠くで鐘が鳴った。  
まるで新しい一日の始まりを告げるように。  

リディアはその音を聞きながら、心の中で小さく呟いた。  
――もう、誰にも泣かされない。けれどこの人の言葉にだけは、涙を流してしまいそう。  

噴水の水がきらめき、二人の影を重ねて揺らしていた。  

続く
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