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第三章
第121話 新たな地で始まる生活
しおりを挟むレースのカーテン越しに陽射しが差し込んでくる。
こんなふかふかのお布団、家にあったかしら?
あまりの寝心地の良さに寝返りを打つ。
すると、間近から重低音の穏やかな声が聞こえた。
『起きたか』
その声を耳にした瞬間、自分がどこに居るのか理解して飛び起きる。
枕元には体を横たえてこちらを眺めている琥珀色の瞳と視線がぶつかった。
「……メイス。おはよう」
ビロードのような艶やかな漆黒の毛並みに琥珀色の瞳を持つメイスは、今は愛らしい黒猫の姿で毛づくろいをしていた。
昨夜の事はまるで夢だったのではと錯覚してしまいそうになるほど通常と変わらない様子に、私は内心呆気にとられつつベッドから下りて身支度を整える。
階下のリビングに向かうが、まだ誰も起きていないようだ。
キッチンに向かい手を洗浄すると、朝食の準備に取り掛かった。
亜空間から食材を取り出して刻んでいく。
今までならメイスが食事の準備をしてくれていたが、これからはなるべくメイスに頼らずに自分に出来る事をしていきたいと考えている。
本格的な料理は随分と久しぶりな気がするけど、先ずは簡単な料理から挑戦していこう。
野菜を刻んで皿に盛り付ける。
そこにお手製マヨネーズをかければサラダの出来上がりだ。
スープは野菜たっぷりにしておいた。
たんぱく質も大事だけど、野菜もしっかり摂らないといけないからね。
フランスパンのように硬いパンは、軽く焼いて亜空間に収納した。
冷めたら歯応えが良くないからね。
うん。前世の記憶のおかげでスムーズに食事の支度は整った。
仕上がりに満足していたら、二階からバタバタと足音が聞こえてきた。
「おはよう!良い匂いがする。もしかして寝坊した?」
慌てて着替えたのか、ヒデさんの髪は寝癖がついたままだった。
私は笑みを零しながらヒデさんに向かって手をかざすと、清浄魔法で全身を綺麗にした。
「おはよう。別に慌てなくても良かったのに。寝癖ついたままだったよ」
笑顔で返されたヒデさんは、途端に恥ずかしそうにしながら頬をポリポリと指で掻いて答えた。
「……ありがとう。寝心地が良過ぎてさっきまで寝てたから慌てちゃった」
確かにあのベッドの寝心地は良過ぎる。
人を堕落させてしまうというか駄目にするというか、ベッドで一日過ごしたいくらい寝心地が最高過ぎる。
やはり、ある程度時間に余裕が出来たら買い直した方がいいかもしれない。
そんなことを考えていたらブロンの元気な声が聞こえた。
『おねえちゃん、おじちゃん、おはよう!』
パタパタと尻尾を振って足元に駆け寄って来たブロンを見て返事を返す。
「おはよう。ブロンは今日も元気だね」
もふもふの毛並みを堪能しながら頭を撫でると、ブロンの尻尾が更に勢いを増していく。
朝からご機嫌な様子のブロンに私もつられて笑顔になる。
いつもと変わらない日常が戻ってきた。
しかし、今日からはこの家を拠点にして新たな生活が始まる。
不安が無いわけではないが、それよりも期待や好奇心の方が遥かに大きい。
「皆、朝ご飯にしよう。席について」
笑顔で皆に呼びかけると、すでに定位置が決まっていたかのように皆が席につく。
食事をテーブルに並べていき、最後に亜空間に収納した焼き立てのパンを皿に載せると私も椅子に腰を下ろした。
皆に視線を合わせて手を合わせると口を開いた。
「いただきます」
「いただきます!」
『いただきま―す!』
『うむ、いただこう』
テーブルに並べられた料理を口にしたヒデさんが、懐かしそうに目を細めて呟いた。
「……美味しい。ばあちゃんが作ってくれた味に似てる。優しい味がして懐かしいな」
野菜たっぷりのスープを見つめて呟いたヒデさんの言葉を聞いて、私は何も言えずに黙々と食べ進めていた。
元の世界に帰れる保証は無いし、何を言っても気休めにもならないだろうと思ったから。
メイスなら帰る方法を知っているのではと考えて隣に視線を向ける。
しかし、今は食事に夢中で話しを切り出すどころではなさそうだ。
あとで話しを聞けば良いかと思った私は、気持ちを切り替えて朝食をゆっくりと堪能することにした。
こうしてこの地での新たな生活が始まった。
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