小さな国だった物語~

よち

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【2.初戦の裏側】

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戦勝の宴から逃れたロイズは、右手を小さく掲げて衛兵を労うと、城の最上階にある自室へと足を進めた。

トントンと軽快な足取りが、薄暗い螺旋階段を上がっていく。
端正な顔つきに興奮を浮かべた城主は、二つの重たい扉を押し開けると、灰白色の石壁に囲まれた居住区へと飛び込んだ。

「リア!」

居住区の中心で、半身になって屹立する伴侶の姿を捉えると、彼の両足は一目散に駆け寄った。

「上手くできたと思うよ!」

続いて両腕を広げると、小さな伴侶を上からガバッと抱き締めた――

リアの背丈はロイズの胸板辺りで、背後から見れば隠れてしまうほどである。

細い足首まで伸びた薄紅色のワンピースの裾が、ふわりと舞った――

「はいはい。見てましたよ。よくできました」

腕の中。伴侶はふっと目を細め、子供の成長を実感する母親のように労いの言葉を送った。

「だよね! 褒めてくれるよね!」
「はい。褒めてあげます」

腕をき、撫で肩を両手で掴んだロイズに対して、小さな伴侶は目尻の下がった微笑みを返した。

「今夜は、寝かさないよ!」

従順な姿に興奮をして、ロイズは上目遣いの瞳を真っ直ぐに見つめながら宣言をした。

「だめ、寝てください。先ずは、身体を清めてきてください」

しかし目尻の下がった優しい微笑みは、冷静に旦那をあしらうのだった――


「上手く、いきましたね…」
「そうね…」

すごすごと肩を落として扉を開けて、居住区を後にする伴侶を見届けると、残された彼女の元に、背丈は変わらずともロイズよりは細身と言うよりは貧弱そうな臣下が部屋の隅から寄ってきた。

「一つ言わせて頂くと、とても恥ずかしいのですが…」

螺旋階段を登ってくる城主の足音に気が付いて、彼は立ち位置を改めた。
開いた扉の死角となって、ロイズは気付かなかったのだ。

二人の逢瀬が始まって、彼は思わず背を向けた――
当然ながら、一連の彼の行動を、リアは視界に入れていた――

「ご、ごめんなさい…」

頬を赤くして視線を下げると、赤みの入った髪の毛が彼女の横顔を隠した――

「いえ…」

相変わらず、なんとも可愛らしい。
小さく俯いた姿を見下ろすと、薄い顔の臣下は温かな愛情と共に小さな濁りを胸に灯すのだった――



「なんで、戦うのかしらね…」

西側に設けた出口窓。
星明りを受け止める小さな席に腰を下ろすと、リアは溜め息混じりに吐き出した。

「そうですね…」

明瞭な答えが浮かばない――
太古から、命は命をむさぼっている――

表情に乏しい細目の臣下は、リアの発言を意外そうに受け止めた。

「それでも、抗うしか…」

平穏な日常の破壊に対しては、応戦するのが当然だ――
現実的に、それ以外の方法があるというのか――

今更といった感じで、臣下は呆れたように言葉を返した。

「勿論そうなんだけどね。相手のある事だし…」

尚書の困惑を眺めると、小さな公妃は両肘をテーブルについて、重ねた手首に顎を置いて、再びやるせない溜息を吐き出した――



「しっかし、騒がしいわね…」

明るいうちから始まった戦勝の宴は、夜を迎えても終わりそうにない。歓びの声は3階の居住区にまで届いている。

「それだけの事をしたのです。リア様」
「……」

届くと言っても、ガヤガヤとした低音で、会話が聞こえることはない。
右側に足を置いた臣下の見解を、リアは素直に受け入れた。

「そういえば、トゥーラに赴任して最初に行ったのが、ここの改修でしたね」
「そうだったかしら」

頭上からの発言に、リアは視線を上にした。

「そうですよ。着任の前にここを視察したリア様が、命じたのです。『ロイズ様のイビキが煩いから、螺旋階段を上ったところに新たな扉を作れ』 と…」
「あら、そんな理由だったかしら」

意外そうにリアがうそぶくと、乳白色の頬の表皮をふっと緩めた。

「理由なんて何でも良かったんだけどね。それは、悪い事をしたわね」

続けて真相を吐きながら、小さな背中を椅子の背もたれに預けた。

「私は、騙されましたけど…」
「あら、何が?」
「むしろ、イビキが凄かったのは、リア様の…ひ」

禁句であったか、その刹那、一瞬で彼の眼前にナイフが姿を現した。

キラリと光る鋭利な舞台で、篝火の炎が殺気を放って踊っている――

「失礼しました」

コホンと咳払いをして、臣下は改めて話を続けた。

「それにしても、今回の初陣、お見事でした」
「そうね。特に二人の将軍が、勅命通りに動いてくれた事が、一番の収穫ね」
「試したと?」
「言葉は悪いけど…そういう事になるわね」

新任の若い城主が、一枚の紙片で高圧的な指示をする――
反発心が生まれるのは当たり前。その上で、どんな行動を見せるのか――

結果として二人の将軍は、規律を優先してみせた――


「リャザンに報告しますので、此度の戦いを整理しても?」
「どうぞ」

ラッセルは尚書である。
穏やかな声色で、領主に伝える文面の確認を願い出た。

「勝因は埋伏の計。一旦進軍を止め、同時にカルーガへと兵を送って、民家へと潜ませた」
「……」
「オカ川を渡った相手に対して、住民を装った兵士が山頂の茂みの存在を指南。隊の分裂を図った――」

完勝の顛末を、薄い顔の臣下は訥々と語り始めた。

「他にも、間道が複数あったのですね。敵が山頂から襲うと同時に、潜ませた弓兵が後を追う」
「……」
「後は、仕掛けのタイミングですが…応戦により混戦とならぬよう、喇叭らっぱで気を引いて、時間を止めたのです」
「ラッセル、そこまでで良いわ」

公妃は右手を肩口に掲げると、そのまま赤みの入った髪の毛をスッと背中に回した。

「承知しました。ですが一つ、不可解がございまして…」
「何?」
「カルーガの住人が、協力しない可能性は考えなかったのですか? 裏切りに遭ったら、どうなっていたか…」

ラッセルには、どうしても解せない部分であった。

「そうね…そこは、信じるしかなかったわね…」

視線を落とすと、公妃は時間を使いながらぽつりと答えを渡した。

「はぁ。それはまた、壮大な賭けですね…」
「勿論、根拠はあったのよ?」
「根拠?」

それこそが、求める答えである。声を高くした細身の尚書は催促するように訊き返した。

「カルーガは、私の故郷なの…」

上目遣い。赤い唇が震えると、二人は一瞬だけ瞳を合わせた――
続いて背中を椅子に預けると、故郷を思い起こしたか、公妃は両手を膝にして、大きな茶褐色の瞳を静かに閉じた――

「なるほど。それは初耳です」

恐らくは、誰かが手引きをしたのだろう。
短い回答に、追加の質問は控えるべきだと臣下は悟った――


「なんだか、喋り過ぎたわね。飲み物を頂戴」

リアが命じると、ラッセルは顎を引いて小さく一礼をして、静かにその場を離れた――

「……」

椅子に残された小さな公妃は、窓から覗く西側の空を見やりながら、故郷の現在の姿を思うのだった――



「ロイズ様の事ですが…」

星明かりの注ぐテーブルに白く塗られた丸椀がことりと置かれると、ラッセルが重たい口を開いた。
口縁の広がった陶器の器には、温かいクワスと呼ばれる発酵飲料水に少量の蜂蜜と柑橘系のジャムを混ぜたものが注がれている。(*)

「無茶な命令は、ほどほどにして頂かないと…今回は、上手く行きましたが…」
「侵攻の一報に、グレン将軍が呼応して、ロイズが認可してしまった事?」
「そうです。懇願され、断れなかったと…」
「グレン将軍も、新しい城主に良いとこ見せたかったんでしょうね」
「……」

小さな椅子に腰掛けて、上目遣いで話す公妃の発言を、尚書は冷静に受け止めた。

「なに?」

言いながら、リアの小さな両手が丸椀を支えた。

「随分と冷静に話してますけど、リア様、慌ててましたからね?」

薄い顔の尚書は細い瞳で見下ろすと、当時を思い起こして指摘した――



「え? 行かせた?」

前日の正午前、二人の寝室。天蓋ベッド。
裸体で襲撃の報告を受けたリアの上半身が、思わず跳ね起きた。

「うん。攻めて来たら、迎え撃つのは当然でしょ?」

さも得意気な表情で、両手を広げながらロイズが語る。

「そりゃ、そうだけど…アンタね。作戦とか、グレン将軍に聞いたんでしょうね?」

今すぐ教えなさい。
寝起きの頭脳を叩き起こして、リアは鋭い目つきで問い掛けた。

「え? そんなの聞いて無いよ? リアに任せてるもん」
「ちょっと待って。任せてるって…私は何も言ってないわよ!?」

外の静寂に飛び起きて、彼女は寝室の窓から城下を見渡した。

「……」

がらんどう。茶色の地面が視界に映る。
遠くに視線を送ると城門は開いたまま。兵士の姿はどこにもなかった――

「もう、出陣させてるじゃねえか!」

口調が変わるほどに激高したリアは、急いでベッドのシーツで裸体を隠し、寝室から飛び出した。

「ラッセル!」
「はい。こちらに」

行動は想定内。
猫背の尚書は床に広げた戦況図の前へと公妃を促した。

「ペンを!」
「はい」
「指示通りに伝達!」

石床に四つん這いになって駒を動かして、次には胡坐をかいて腕組みをして、彼女は寝室を飛び出した姿のままで指示書を書き上げると、バツが悪そうにしているロイズに右腕を差し出した。

指示書を受け取ったロイズは急ぎ足を進めたが、居住区とを隔てる扉の前で一旦立ち止まると、大きく一息を吐き出した。
そして城主のキリッとした顔立ちに戻ってから扉を開けて、暗がりの螺旋階段へと両足を移した――

「ラッセル! 印も用意!」
「はい」
「今から言う一文を、勅命で前線に送って!」
「はい!」

初動の拙速せっそくを、リアの計略が補った――


「くくく…」
「笑い過ぎ」
「失礼しました」

瞳を無くしたラッセルを、公妃は流し目になってたしなめた。

「元はと言えばラッセル。あなたの報告が遅れたからよ!」

続いて口を尖らせると、両手で支えた白い丸椀を持ち上げた。

「当然迷いましたよ? ですけど、さすがに寝室へ入る訳には…お姿を拝見して宜しければ、今後は喜んで入らせて頂きます」
「…な、何か、伝達方法を考えておくわ!」

それでは裸体を晒す事になる。

伏し目で語る尚書の下で、頬を染めた公妃は紅茶を溢しそうになりながら、それでも白い丸椀へと唇を近付けた――


「ところで…」
「なに?」
「お聞きして良いのか、分かりませんが…」
「……」

リアが落ち着くのを待ってから、ラッセルは静かに尋ねた――

「何故に、ロイズ様なのですか?」
「……」

透き通った白い肌。少女の面影を残した顔立ちと、茶褐色の大きな瞳。
その上にはハッキリと一本描かれた眉を置き、少々癖の生まれる赤みの入った前髪が、ふわっと上から注いでいる――

顔の中心には小さな鼻と、ややぷくっと膨らんだ魅惑的な赤い唇――

撫で肩の、大人にはなりきれない身体つきは庇護欲をいざなって、狭い表皮に浮かぶ表情は、喜怒哀楽が激しくて愛嬌に溢れ、人を惹きつける――

そして何よりも、それらの魅力を凌駕する、明晰な頭脳…

失礼だとは百も承知でありながら、ラッセルの胸中は訊かずにいる事を拒んだ――


「そうね…」

言いながら、再び紅茶に手を伸ばす。

「たぶん、他の誰にもできないことが、あの人にはできるのよ…」

続いて白い丸椀を両手で支えながら、静かに口を開いた。

「それにね。あくまで、私の意見だけど…」
「はい」

前置きをした上で、彼女は一つを冷静に語った。

「男の人は、自由に動く事ができるけど、私たち女は、待つだけの事が多いでしょう?」
「そうですね…」
「それって、不安になるものよ?」
「……」

撫で肩の奥。小さな背中に垂れる赤みの入った髪先を僅かに揺らすと、リアは寂しそうな上目遣いで同意を促した。

「だから女性はね、愛されている方が、幸せだと思うの…」
「……」

彼女の視線は、ふたたび白に塗られた丸椀に注がれた。

「私はね、愛されてると、思わせてくれる人の側にいるだけ。それがたまたま、あの人だった…それだけの事かな」
「……」
「あ、勘違いしないでね。もちろんロイズの事は好きよ」
「……」
「え? あ、なんか今、恥ずかしい事言ってるね…」

沈黙するラッセル――

見下ろす視線に気付いたリアが頬を真っ赤にして狼狽えると、小さくなって俯いた。

(かわいい人ですね…ほんとに…)

主従の関係は別にして、ラッセルは溜め息交じりの素直な感情を胸に灯した――


「今、お幸せなのですね…」

リアが落ち着くのを待ってから、細い瞳を閉じたラッセルが、静かに言葉を渡した。

ロイズからの愛情を語ったが、彼女もまた、伴侶を想って背中を支えようとしている――

入り込む余地のない、二人の固い絆が見えた気がした。

「…うん」

赤ら顔のまま、小さく頷いてリアが認める。
なんだか責めているようで申し訳なかったが、ちょこんと小さくなった姿も、やっぱり可愛らしいと思うのだ――

「…ごちそうさまでした」

これ以上は、立場というものがある。
自制したラッセルは、静かに瞼を伏せて返答へのお礼を述べるのだった――


「あ、ロイズに言ったら殺すからね!」

尚書が一歩を下げると、思い出したようにハッとして、頬を赤く染めたままのリアが焦りながら訴えた。

「誰にも言いませんよ…」

瞳を更に細くしたラッセルは、語尾を落として蔑んだ――



-----
*クワス= 微量にアルコール分を含む、色付いた清涼飲料水。
      以降は水。ジャムを混ぜたものを紅茶と描写します。
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