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5.知りたがりとやりたい事
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*
「え?私の事を、ですか?」
「そうよ。この一週間貴女に講義を行って来たけれど…どうも普通の人間の娘では無いわよね。だからアリスは知りたい。今まで何を学び何をして生きて来たのか。コリーン貴女の事をもっと知りたい。もっともっと知りたい」
「……っ」
第六執務室にて歴史の授業中にアリスカーラ女史がそう問いかけてきた。執務室とは言っても実際は空きのある本棚と大きな机と数脚の椅子くらいしかない閑散とした勉強部屋だ。当然授業を受けているのでそれ以上の物は必要ないとは思っている。
大陸より気温の高いバムダの外気はこの王宮では無縁で、魔法で適温に保たれていると聞いた。つまり私はいつでも快適でこの王宮での生活はノンストレスに近い。
広い窓から差し込む日差しと遠くに見える海と蒼い空に飛ぶ鳥が視界に入れば、あの不快な侯爵家での日々からは想像出来ぬ程自由で…空は繋がっている筈なのに全く違う世界にいる錯覚を覚える。
だがこの問いかけに含まれるのは過去の自分だ。超の付く知りたがりのアリスカーラ女史が疑問に思うと言う事は、私の婚約者が他の女性と結婚しそれを知って国から逃げ出して来た事はウィンダム王子から知らされてはいないのだ。
生まれてこれまで歩んできた私の人生。生活、生き方、愛した人。それを終わった事だと昔話として耐えられるほど能天気でもない。今はまだ触れたくないし囚われている。アリスカーラ女史を信頼していないわけではないけれど…どこまで返答したものか…
「……そんな、大した人間ではありませんよ。語学は好きで覚えました。勉学は、学ぶ事は嫌いではありません。運動は苦手ですが体力はあるので徹夜も平気です。…都合で事業に携わっていたので…」
「その歳で事業?なるほど、計算は早いし理解度も最高水準。語学は八カ国語の読み書きを習得済み。アリスも脱帽よ。つまりあなた平民ではないわよね。親御さんはどうしてるの?何があったの?どうして一人でバムダに?どうやって?」
「…え、えっと…それは…」
コツコツッコツコツッ
私が適当な嘘もつけずモゴモゴ言いあぐねていると海側の窓から固いものを鳴らす小さな音が聞こえてきた。ふと見るとそこには一羽のカラスが。
「あらこんな場所に…ん?」
窓枠の出っ張った縁に佇むのは何の変哲もない真っ黒いカラスだった。しかしよく見ると嘴に何かを咥えているようだ。カラスは光るものが好きとよく聞くのだが、確かにそれはキラリと光を反射している…鱗?
「何かしら…鱗にしては大きいけど、虹色で…割れた貝かな?」
するとそれを見たアリスカーラ女史が口をあんぐりと開け放ちブルブル震え出した。
「…え?あれ?女史?」
「ア…アア…っ」
そう呻きながらフラフラと窓にじり寄って行くアリスカーラ女史。その後方から足早にサササッと私の専属である犬とバクの獣人侍女達が走り寄り手早く窓の扉をパタンと開け放った。同時にむっとした熱い外気が一気に部屋の中に流れ込んできた。
「え?え?何?」
「さ、さ、コリーン様。どうぞこちらへ」
「え?う?うん」
何がどうなっているのか分からないまま侍女達にヒョイッと軽く担がれささっと離れた扉側に運ばれる。その瞬間、後方で一度聞いた事のあるあの雄叫びが部屋の中を木霊したのだ。
「ヴバァ─────ッ!!それっそれはミミルキーの耳鱗───っ!」
「!!?」
「耳鱗を寄越しなさ─────いっっ!!」
そう叫んだアリスカーラ女史は窓に向かって行き勢いよく走り出した。そしてあろう事かカラスに向かってその強靭な足でダイブし掴み掛かったのだ!
「ええぇ──っ!?」
私が驚きで声を上げる傍ら、カラスはまるで慣れているかのようにサッとアリスカーラ女史を避け、羽ばたきながら嘴にくわえていた物をフイッと空中に放り投げた。それを足より長い腕を伸ばしキャッチする女史。流石オランウータン獣人。凄い跳躍だ!しかしそこは窓から飛び出した何も無い空間…つまり、空中!当然その後は落ちるのみだ!
「ヴバァ─ッ耳鱗ゲット─オォォォ…ォ…」
「ぎゃ──っ女史───っ!!」
急いで窓に駆け寄るとクルクルと身体を回転しながら奈落に吸い込まれるアリスカーラ女史の小さくなっていく姿が見える。
「え?え?た、たい、大変!!お、おち、おちてっ!」
アワアワと混乱する私を他所に侍女達は横からチラッと下を覗き込みうんうんと頷いたかと思ったら何事も無かったように窓のガラス扉をゆっくり閉めていった。その様子に「え!」っと困惑して固まっていると犬獣人の侍女がこちらに振り向きニコリと微笑みながら手をペイペイと振る。
「あ、コリーン様大丈夫ですよ~城の下は汽水湖なのでその内魚人か貝魚が陸にあげてくれますから。よくある事なんですワン」
汽水湖とは海水と淡水が混じり合っている湖沼の事だ。魚人?貝魚?いや、それよりも…
「こんな事、よくあるの?」
「ええあのカラスですワン。あれ王太子様のカラスなんです。でもしょっちゅうイタズラしては王宮の者を湖に落としてしまうので…あ、でもその対価にその人が『欲しい物』をああしてくれるので誰も文句言わないんですワン。だから意外とイタズラを待ってる者も居るんですよ、ふふ」
「さあ、授業もなくなっちゃったのでお部屋に戻ってオヤツでも食べましょうバオ」
そう言って二人はいそいそとお茶の用意をしに出て行ってしまった。
そう言えばアリスカーラ女史もミミルキーのジリンがどうとか叫んでいたっけ…ジリンって何?耳輪?いや、それよりも危なっ!こんな高い所から水に落ちるなんて身体能力の高い獣人じゃなかったら無理でしょ…て、城に居る人間なんて私くらいか。窓を開けたのもこうなる事が分かっていたからなのね…
私は窓越しにハァ~~ッと深い安堵と疲労の溜め息を吐いた。突然で心臓が飛び出るくらいビックリしたが…まあ、アリスカーラ女史の質問攻めからは免れたし結果的には良かったのかな?あのカラスには感謝?しないと。
「ジリンかぁ…なんか…謎がまた増えたわね。ミミルキーの事前情報を確認したいな」
*
「やあ!コリーン。楽しんでる?」
そう言って自室にいた私に声を掛けて来たのはウィンダム王子だ。彼と会うのはカラスのイタズラ事件以後四日ぶりになる。
彼は王宮に住む事になった私を一日に一度は様子を見に来てくれていたのだが、ここのところ忙しいのか姿を見る事がなかった。
ちなみにアリスカーラ女史は無事湖から回収されたようで、しっかりと手には耳鱗を握っていたらしい。彼女はあの後研究室に籠ってしまい、代わりにチャロ先生が文化の授業と合わせて歴史を教えてくれている。ついでにミミルキーの耳鱗の事も少し聞いたり。
「彼奴はミミ(ルキー)を心底愛し過ぎて婚期を逃した程のミミ(ルキー)ジャンキーじゃからの。まあ、一片の後悔も無いようじゃからそれが救いじゃわい。基本自由過ぎるんじゃ、コリ(ーン)も気にせんで良いぞ」
そう言いながらメェメェと笑う相変わらず名前を二字しか呼ばないチャロ先生の顔が思い出される。
「それと、すまなかったなコリーン。アリスカーラ女史はその…熱血でな。悪意は無いんだけど無遠慮なところもある。…嫌な思いをさせたんじゃないか?」
「え?」
「あ…うん…侍女から報告があってな。君の事は今回発足したミミルキーの調査隊の一人で魔力耐性があるってくらいにしか伝えてなくて、女史が君に興味を示すのは分かっていたのに…どこまで伝えて良いか悩んでたんだ。急遽王宮から離れる用事があってその間に後手に回ってしまった…すまん」
ウィンダム王子はそう言うとペコッと頭を下げた。適当な経歴で誤魔化してくれても良かったのに私の事で悩んでたんだなこの人…
「ふふふ。いえ、頭を上げてください王子。衣食住の面倒も見てもらってるし侍女や先生まで付けて頂いてます。十分良くしてもらってますのでこれ以上の過保護は必要ないですよ」
「…過保護、なつもりは無いし、まだまだ足りないくらいなんだけどな…」
「え?何か?」
「あ、いや何でもない。とにかく君は俺が旅先で出会った貴族で事業家のたまたま魔力耐性のある娘で、家業の手伝いをしていたところを今回、観光も兼ねて調査に協力してもらう事になったって事にした。…まあ、嘘と言えば嘘だが誰も困らない程度だ。どうかな?」
「はい、それでお願いします。流石に女一人でふらふら船旅をして来たとは言えませんしね」
「本当…無事で良かったよ。町や船上で粗暴な男共に目をつけられなかったなんて事は奇跡に近いんだぞ。君は可憐でとても目立つ容姿なんだからな」
「……え?私が?まさか。そんな事初めて言われましたよ」
「は?なに!?どうして!」
「どうしてって?…さあ?あまり容姿で褒められた事はありませんね。大陸ではこんな銀髪も珍しくないですし、そもそも生家もあまり裕福ではなかったので必要最低限しか身なりを整えていませんでしたから。あ、ちゃんと石鹸は使ってましたよ?良い匂いの石鹸は母しか使えなかったんですけどね」
「…っ、なんて事だ…あり得ない…」
「香油は年に一度年始にだけ髪に付けてもらいました。毎年それが楽しみで…」
そこまで話してふとウィンダム王子を見上げると、何故か口をギュッとへの字に曲げて可笑しな顔をしている。
「だから…学校の中等部を卒業したら家の再建に携わろうとしていたんです。でも知らぬ間に侯爵家と縁談が進んでいて、十五の歳になってすぐ少ない持参金で厄介払いされてしまいました。私には幼い弟がいたのであの子にお金を掛けたかったんでしょう」
私がいくら勉学を頑張っても所詮は女。いずれ他家に嫁ぐならとあまり大事にはされなかった。早めの花嫁修行だと侯爵家に引き取られたが、待っていたのは失敗した事業の損失を補う為の追加融資の相談や、大型事業の売却や事業譲渡の検討。負債を圧縮し、持参金で新たに小規模の事業からの再スタートを一から取り組むというとんでもない難題だった。始めは協力的だった侯爵も次第に丸投げして来るし…だが任されているのだとありったけの知識と情報を集め時間を費やして漸く再起を果たしたが、気付けば私はまた厄介者扱いをされていたのだ。
親にも唯一の希望で大切だった婚約者にも捨てられた。それが今の私なのだ…正直少し感情自体壊れてしまっているのかもしれない。
私はもう泣く事すら出来なくなっていた。
「……コリーン。この国はどうだ?」
「え?」
「君の居場所に相応しいかな?いや、まだまだ知らない事が多いだろうしな……追々だ。うん、まずは…これからは楽しい事だけをしよう。そうだコリーン!君のやりたい事は何だ?」
やりたい事?……やりたい事と言えば子爵家の財政を立て直す事だった。でもそれは本当にやりたい事だったのだろうか。その前は、どうだったかな…もっと子供の頃は…
「あ…そうだ…私色々な国の本が読みたくて…でも結局忙しくて読む暇がなくなって。だから読みたいです、沢山の本を!」
祖父が扱っていた商品である外国の本をこっそり盗み見していた幼少期。知らない字で書かれたそれをつまらないとは思えなかった。何が書いてあるかを知りたかった。そこから始まる世界に触れたかった。いまだ見ぬ世界に手を伸ばしたかった。
だから小さな私は本を読みたいだけに語学を勉強したのだ。
「そうか!なら王宮にも図書室があるぞ。他国の読み物は俺も多少は所有してるし、第七の島ナルーナには世界の希少な古代語の書物を研究機関が保管している資料塔もある。建物自体も面白いし俺と一緒なら中も観覧出来るから興味があるなら訪れよう」
そうニコニコしながら椅子の背にもたれ腕を組む、オレンジの髪の王太子。彼の前にはいつの間にか淹れたての香りの良い紅茶が…って、いや、王太子よね?次の王様よね?あまりに気安いので忘却していたが今更ながらこれは不味い様な気がして来た。
「ウィンダム王子…あの、良いのですか?私は唯の人間ですよ?高位貴族でもありませんしメリット、と言うかこんなにしてもらっても…返せるものがありません」
「気にするな。俺が勝手にやってるだけだよ」
「いえ、その…でも…」
「ふむ。まあ、聞いてくれ。五年前ミミルキーが密猟されたのは話したろ?マサラヤマン島は俺が王太子になってから王より引き継いだ島の一つでね…だが異様に魔力を帯びているあの島の動植物の扱いは難しくて時折り様子見する程度で調査らしい調査も出来ず仕舞いだったんだ。しかもあの事件の時は外遊に数ヶ月出ていて…気付いたのは随分後だった。まあ、これは言い訳なんだけどな」
そう紅茶のカップを持ち上げ音も立てずグイッと飲み干す姿は何処か乱暴で、自傷気味に見える。
「俺は彼らを危険に晒したく無い。その為にあらゆる手を尽くそうと誓ったんだ。君は俺を偶然出会っただけのお節介な奴だと思うだろうが、こうして関わったのは偶然ではない。俺が君を引き入れたんだ。だから君を護るのも気に掛けるのも当然で…えっと、ほら!俺達はこれからミミルキーの謎を解き明かす同志になったんだ。もうこれは友達と言っても問題無い!…だからコリーンにはここにいる間は楽しんでもらいたい。その為のサポートをさせてくれないか?」
「友達?」
「そう、言っただろ?友達から始めようって。友達に損得は関係無いからな」
かなり無茶な自前理論だが、でも…
「……はい、嬉しいです。私友達と呼べる人は居なかったから…じゃぁウィンダム王子は私の初めてのお友達ですね」
何だが照れ臭くてでも胸が少しキュッと締め付けられる。彼から与えられる善意が有難くてじんわりと温かい。思わず口角がふわりと緩んだ。
「…ああ、俺も嬉しいよ…それで良い。今はな」
「え?私の事を、ですか?」
「そうよ。この一週間貴女に講義を行って来たけれど…どうも普通の人間の娘では無いわよね。だからアリスは知りたい。今まで何を学び何をして生きて来たのか。コリーン貴女の事をもっと知りたい。もっともっと知りたい」
「……っ」
第六執務室にて歴史の授業中にアリスカーラ女史がそう問いかけてきた。執務室とは言っても実際は空きのある本棚と大きな机と数脚の椅子くらいしかない閑散とした勉強部屋だ。当然授業を受けているのでそれ以上の物は必要ないとは思っている。
大陸より気温の高いバムダの外気はこの王宮では無縁で、魔法で適温に保たれていると聞いた。つまり私はいつでも快適でこの王宮での生活はノンストレスに近い。
広い窓から差し込む日差しと遠くに見える海と蒼い空に飛ぶ鳥が視界に入れば、あの不快な侯爵家での日々からは想像出来ぬ程自由で…空は繋がっている筈なのに全く違う世界にいる錯覚を覚える。
だがこの問いかけに含まれるのは過去の自分だ。超の付く知りたがりのアリスカーラ女史が疑問に思うと言う事は、私の婚約者が他の女性と結婚しそれを知って国から逃げ出して来た事はウィンダム王子から知らされてはいないのだ。
生まれてこれまで歩んできた私の人生。生活、生き方、愛した人。それを終わった事だと昔話として耐えられるほど能天気でもない。今はまだ触れたくないし囚われている。アリスカーラ女史を信頼していないわけではないけれど…どこまで返答したものか…
「……そんな、大した人間ではありませんよ。語学は好きで覚えました。勉学は、学ぶ事は嫌いではありません。運動は苦手ですが体力はあるので徹夜も平気です。…都合で事業に携わっていたので…」
「その歳で事業?なるほど、計算は早いし理解度も最高水準。語学は八カ国語の読み書きを習得済み。アリスも脱帽よ。つまりあなた平民ではないわよね。親御さんはどうしてるの?何があったの?どうして一人でバムダに?どうやって?」
「…え、えっと…それは…」
コツコツッコツコツッ
私が適当な嘘もつけずモゴモゴ言いあぐねていると海側の窓から固いものを鳴らす小さな音が聞こえてきた。ふと見るとそこには一羽のカラスが。
「あらこんな場所に…ん?」
窓枠の出っ張った縁に佇むのは何の変哲もない真っ黒いカラスだった。しかしよく見ると嘴に何かを咥えているようだ。カラスは光るものが好きとよく聞くのだが、確かにそれはキラリと光を反射している…鱗?
「何かしら…鱗にしては大きいけど、虹色で…割れた貝かな?」
するとそれを見たアリスカーラ女史が口をあんぐりと開け放ちブルブル震え出した。
「…え?あれ?女史?」
「ア…アア…っ」
そう呻きながらフラフラと窓にじり寄って行くアリスカーラ女史。その後方から足早にサササッと私の専属である犬とバクの獣人侍女達が走り寄り手早く窓の扉をパタンと開け放った。同時にむっとした熱い外気が一気に部屋の中に流れ込んできた。
「え?え?何?」
「さ、さ、コリーン様。どうぞこちらへ」
「え?う?うん」
何がどうなっているのか分からないまま侍女達にヒョイッと軽く担がれささっと離れた扉側に運ばれる。その瞬間、後方で一度聞いた事のあるあの雄叫びが部屋の中を木霊したのだ。
「ヴバァ─────ッ!!それっそれはミミルキーの耳鱗───っ!」
「!!?」
「耳鱗を寄越しなさ─────いっっ!!」
そう叫んだアリスカーラ女史は窓に向かって行き勢いよく走り出した。そしてあろう事かカラスに向かってその強靭な足でダイブし掴み掛かったのだ!
「ええぇ──っ!?」
私が驚きで声を上げる傍ら、カラスはまるで慣れているかのようにサッとアリスカーラ女史を避け、羽ばたきながら嘴にくわえていた物をフイッと空中に放り投げた。それを足より長い腕を伸ばしキャッチする女史。流石オランウータン獣人。凄い跳躍だ!しかしそこは窓から飛び出した何も無い空間…つまり、空中!当然その後は落ちるのみだ!
「ヴバァ─ッ耳鱗ゲット─オォォォ…ォ…」
「ぎゃ──っ女史───っ!!」
急いで窓に駆け寄るとクルクルと身体を回転しながら奈落に吸い込まれるアリスカーラ女史の小さくなっていく姿が見える。
「え?え?た、たい、大変!!お、おち、おちてっ!」
アワアワと混乱する私を他所に侍女達は横からチラッと下を覗き込みうんうんと頷いたかと思ったら何事も無かったように窓のガラス扉をゆっくり閉めていった。その様子に「え!」っと困惑して固まっていると犬獣人の侍女がこちらに振り向きニコリと微笑みながら手をペイペイと振る。
「あ、コリーン様大丈夫ですよ~城の下は汽水湖なのでその内魚人か貝魚が陸にあげてくれますから。よくある事なんですワン」
汽水湖とは海水と淡水が混じり合っている湖沼の事だ。魚人?貝魚?いや、それよりも…
「こんな事、よくあるの?」
「ええあのカラスですワン。あれ王太子様のカラスなんです。でもしょっちゅうイタズラしては王宮の者を湖に落としてしまうので…あ、でもその対価にその人が『欲しい物』をああしてくれるので誰も文句言わないんですワン。だから意外とイタズラを待ってる者も居るんですよ、ふふ」
「さあ、授業もなくなっちゃったのでお部屋に戻ってオヤツでも食べましょうバオ」
そう言って二人はいそいそとお茶の用意をしに出て行ってしまった。
そう言えばアリスカーラ女史もミミルキーのジリンがどうとか叫んでいたっけ…ジリンって何?耳輪?いや、それよりも危なっ!こんな高い所から水に落ちるなんて身体能力の高い獣人じゃなかったら無理でしょ…て、城に居る人間なんて私くらいか。窓を開けたのもこうなる事が分かっていたからなのね…
私は窓越しにハァ~~ッと深い安堵と疲労の溜め息を吐いた。突然で心臓が飛び出るくらいビックリしたが…まあ、アリスカーラ女史の質問攻めからは免れたし結果的には良かったのかな?あのカラスには感謝?しないと。
「ジリンかぁ…なんか…謎がまた増えたわね。ミミルキーの事前情報を確認したいな」
*
「やあ!コリーン。楽しんでる?」
そう言って自室にいた私に声を掛けて来たのはウィンダム王子だ。彼と会うのはカラスのイタズラ事件以後四日ぶりになる。
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ちなみにアリスカーラ女史は無事湖から回収されたようで、しっかりと手には耳鱗を握っていたらしい。彼女はあの後研究室に籠ってしまい、代わりにチャロ先生が文化の授業と合わせて歴史を教えてくれている。ついでにミミルキーの耳鱗の事も少し聞いたり。
「彼奴はミミ(ルキー)を心底愛し過ぎて婚期を逃した程のミミ(ルキー)ジャンキーじゃからの。まあ、一片の後悔も無いようじゃからそれが救いじゃわい。基本自由過ぎるんじゃ、コリ(ーン)も気にせんで良いぞ」
そう言いながらメェメェと笑う相変わらず名前を二字しか呼ばないチャロ先生の顔が思い出される。
「それと、すまなかったなコリーン。アリスカーラ女史はその…熱血でな。悪意は無いんだけど無遠慮なところもある。…嫌な思いをさせたんじゃないか?」
「え?」
「あ…うん…侍女から報告があってな。君の事は今回発足したミミルキーの調査隊の一人で魔力耐性があるってくらいにしか伝えてなくて、女史が君に興味を示すのは分かっていたのに…どこまで伝えて良いか悩んでたんだ。急遽王宮から離れる用事があってその間に後手に回ってしまった…すまん」
ウィンダム王子はそう言うとペコッと頭を下げた。適当な経歴で誤魔化してくれても良かったのに私の事で悩んでたんだなこの人…
「ふふふ。いえ、頭を上げてください王子。衣食住の面倒も見てもらってるし侍女や先生まで付けて頂いてます。十分良くしてもらってますのでこれ以上の過保護は必要ないですよ」
「…過保護、なつもりは無いし、まだまだ足りないくらいなんだけどな…」
「え?何か?」
「あ、いや何でもない。とにかく君は俺が旅先で出会った貴族で事業家のたまたま魔力耐性のある娘で、家業の手伝いをしていたところを今回、観光も兼ねて調査に協力してもらう事になったって事にした。…まあ、嘘と言えば嘘だが誰も困らない程度だ。どうかな?」
「はい、それでお願いします。流石に女一人でふらふら船旅をして来たとは言えませんしね」
「本当…無事で良かったよ。町や船上で粗暴な男共に目をつけられなかったなんて事は奇跡に近いんだぞ。君は可憐でとても目立つ容姿なんだからな」
「……え?私が?まさか。そんな事初めて言われましたよ」
「は?なに!?どうして!」
「どうしてって?…さあ?あまり容姿で褒められた事はありませんね。大陸ではこんな銀髪も珍しくないですし、そもそも生家もあまり裕福ではなかったので必要最低限しか身なりを整えていませんでしたから。あ、ちゃんと石鹸は使ってましたよ?良い匂いの石鹸は母しか使えなかったんですけどね」
「…っ、なんて事だ…あり得ない…」
「香油は年に一度年始にだけ髪に付けてもらいました。毎年それが楽しみで…」
そこまで話してふとウィンダム王子を見上げると、何故か口をギュッとへの字に曲げて可笑しな顔をしている。
「だから…学校の中等部を卒業したら家の再建に携わろうとしていたんです。でも知らぬ間に侯爵家と縁談が進んでいて、十五の歳になってすぐ少ない持参金で厄介払いされてしまいました。私には幼い弟がいたのであの子にお金を掛けたかったんでしょう」
私がいくら勉学を頑張っても所詮は女。いずれ他家に嫁ぐならとあまり大事にはされなかった。早めの花嫁修行だと侯爵家に引き取られたが、待っていたのは失敗した事業の損失を補う為の追加融資の相談や、大型事業の売却や事業譲渡の検討。負債を圧縮し、持参金で新たに小規模の事業からの再スタートを一から取り組むというとんでもない難題だった。始めは協力的だった侯爵も次第に丸投げして来るし…だが任されているのだとありったけの知識と情報を集め時間を費やして漸く再起を果たしたが、気付けば私はまた厄介者扱いをされていたのだ。
親にも唯一の希望で大切だった婚約者にも捨てられた。それが今の私なのだ…正直少し感情自体壊れてしまっているのかもしれない。
私はもう泣く事すら出来なくなっていた。
「……コリーン。この国はどうだ?」
「え?」
「君の居場所に相応しいかな?いや、まだまだ知らない事が多いだろうしな……追々だ。うん、まずは…これからは楽しい事だけをしよう。そうだコリーン!君のやりたい事は何だ?」
やりたい事?……やりたい事と言えば子爵家の財政を立て直す事だった。でもそれは本当にやりたい事だったのだろうか。その前は、どうだったかな…もっと子供の頃は…
「あ…そうだ…私色々な国の本が読みたくて…でも結局忙しくて読む暇がなくなって。だから読みたいです、沢山の本を!」
祖父が扱っていた商品である外国の本をこっそり盗み見していた幼少期。知らない字で書かれたそれをつまらないとは思えなかった。何が書いてあるかを知りたかった。そこから始まる世界に触れたかった。いまだ見ぬ世界に手を伸ばしたかった。
だから小さな私は本を読みたいだけに語学を勉強したのだ。
「そうか!なら王宮にも図書室があるぞ。他国の読み物は俺も多少は所有してるし、第七の島ナルーナには世界の希少な古代語の書物を研究機関が保管している資料塔もある。建物自体も面白いし俺と一緒なら中も観覧出来るから興味があるなら訪れよう」
そうニコニコしながら椅子の背にもたれ腕を組む、オレンジの髪の王太子。彼の前にはいつの間にか淹れたての香りの良い紅茶が…って、いや、王太子よね?次の王様よね?あまりに気安いので忘却していたが今更ながらこれは不味い様な気がして来た。
「ウィンダム王子…あの、良いのですか?私は唯の人間ですよ?高位貴族でもありませんしメリット、と言うかこんなにしてもらっても…返せるものがありません」
「気にするな。俺が勝手にやってるだけだよ」
「いえ、その…でも…」
「ふむ。まあ、聞いてくれ。五年前ミミルキーが密猟されたのは話したろ?マサラヤマン島は俺が王太子になってから王より引き継いだ島の一つでね…だが異様に魔力を帯びているあの島の動植物の扱いは難しくて時折り様子見する程度で調査らしい調査も出来ず仕舞いだったんだ。しかもあの事件の時は外遊に数ヶ月出ていて…気付いたのは随分後だった。まあ、これは言い訳なんだけどな」
そう紅茶のカップを持ち上げ音も立てずグイッと飲み干す姿は何処か乱暴で、自傷気味に見える。
「俺は彼らを危険に晒したく無い。その為にあらゆる手を尽くそうと誓ったんだ。君は俺を偶然出会っただけのお節介な奴だと思うだろうが、こうして関わったのは偶然ではない。俺が君を引き入れたんだ。だから君を護るのも気に掛けるのも当然で…えっと、ほら!俺達はこれからミミルキーの謎を解き明かす同志になったんだ。もうこれは友達と言っても問題無い!…だからコリーンにはここにいる間は楽しんでもらいたい。その為のサポートをさせてくれないか?」
「友達?」
「そう、言っただろ?友達から始めようって。友達に損得は関係無いからな」
かなり無茶な自前理論だが、でも…
「……はい、嬉しいです。私友達と呼べる人は居なかったから…じゃぁウィンダム王子は私の初めてのお友達ですね」
何だが照れ臭くてでも胸が少しキュッと締め付けられる。彼から与えられる善意が有難くてじんわりと温かい。思わず口角がふわりと緩んだ。
「…ああ、俺も嬉しいよ…それで良い。今はな」
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