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第一部
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薄暗いが豪奢な寝室。
強すぎる百合の香りに私の香水が交じり合う。
夜着に包まれた湯上りの肌は柔らかく火照っていた。
そんな私に覆いかぶさる男の顔は精悍で美しい。
しかしその青い瞳は氷のような冷たさで私を見下ろしていた。
これから初夜が始まる。胸が緊張と期待で早鐘を打った。
そんな時、彼の唇が開き吐息を感じる程の近さで言われる。
「お前は男遊びが激しいらしいから……乱暴に抱いても良いな?」
「いいわけないでしょ、どういう理屈よ」
その瞬間、私は前世を思い出し目の前の男を引っぱたいた。
◆◇◆◇
女性向け長編恋愛漫画「一輪の花は氷を溶かす」
ファンタジーを舞台とした健気な伯爵令嬢と人間不信な氷の公爵の物語。
ヒロインのエリカは伯爵家当主とメイドの間に生まれた娘だ。
何の気まぐれか伯爵はエリカを認知し次女として扱った。
それを気に入らない伯爵夫人と長女のローズはエリカを虐げ続けた。
彼女が男好きの悪女であるという噂を流したのも二人だ。
お手付きメイドの娘も同じように身持ちが悪いと、伯爵家のメイドたちまで面白半分に流布した。
そんなある日、伯爵家に縁談の話が飛び込んでくる。
相手は八年前に妻を亡くしたケビン・アベニウス公爵。
美しい容姿と高い身分を持つ彼にローズは食いつき、結婚を受け入れた。
しかし挙式が近づくにつれ領地が僻地にあることと、彼が全く愛想の無い人物であること。
ケビンの子供たちが新しい母候補を決して受け入れない事に耐えられなくなり結婚を拒否しだす。
そして両家が話し合った結果、妹のエリカが身代わり花嫁として嫁ぐことになった。
エリカがそれを知らされたのは式の前日だった。
彼女は姉の代わりとして誰にも祝福されない無感動な結婚式を挙げる。
そして初夜だ。エリカを悪女だと思い込んだケビンはなんとそれを理由に乱暴に抱くと宣言する。
可哀想なエリカはそのショックで気を失うのだった。そしてケビンに冷たくされたまま結婚生活が始まる。
姉の結婚拒否と悪女の噂のせいでアベニウス公爵邸の使用人たちはエリカに辛辣な態度をとる。
夫であるケビンとその子供たちも彼女を家族として認めない。
しかし優しく献身的なエリカはそれでも公爵家の為に尽くし、徐々に皆悪女の噂は嘘ではないかと気づき始めるのだった。
氷の公爵ケビンも子供たちに懐かれ使用人に慕われるようになったエリカに好意を抱き妻として愛するようになる。
そして幸せな初夜をやり直してハッピーエンドだ。
「冗談じゃないわ、見る目の無い男にそこまで尽くす理由無いもの」
私は私室に戻ると一人呟いた。
覆いかぶさってきた夫に、お前は悪女だから乱暴に抱いてもいいよなと言われた瞬間私は前世の記憶を取り戻した。
あの後、私に引っぱたかれると思わなかったケビンはポカンとした顔で固まった。
私はその隙にさっさと夫婦の寝室を後にして自室に戻って来た。
公爵家がお金持ちで良かった。夫婦用の寝室とは別に公爵夫人用の部屋がある。
ちなみにエリカの伯爵家での寝場所は使用人部屋よりも粗末な屋根裏部屋だった。
前世の記憶を思い出したけれど、エリカとしての記憶もちゃんと残っている。
だから実家に帰るという選択肢は無い。
少なくとも一人で生活できる程度の財産や基盤が出来るまでは公爵邸で暮すことになるだろう。
前世の私は息子に譲るまで女社長をやっていた。
結婚生活三年目で夫に先立たれた後に会社を継ぎ、女手一つで子供三人を育て上げた後に病死した。
亡くなるまで五年ほど入院していたが、今の私はその間に暇潰しで読んでいた漫画のヒロインらしい。
「漫画は沢山読んだけど、一番もやもやした娘に自分が生まれ変わっているとはね……」
溜息を吐く。
鏡台には水色の髪と紫の瞳を持つ儚げな少女が映っている。年齢は成人したばかり。
この世界なら大人として扱われ始めるが、前世の記憶が濃い私にはまだ子供にしか見えない。
幾ら噂が蔓延していたからといってこんな子供を男遊びの激しい悪女だとよく思えたものだ。
外見だけでない、私が記憶を取り戻す前までのエリカは内気で忍耐強く素朴な性格だった。
十分でもちゃんと話したらわかりそうなものなのに。
ケビンはその十分すらエリカ相手に惜しんだ。
「……本当に情けない男」
私は呆れた。ケビンは二十七歳だ。そして十歳を筆頭に子供が二人いる。
エリカとはかなりの歳の差婚だ。
貴族なら珍しくは無い。政略結婚もそれは同じ。
しかし年上なら年上らしい余裕を持って欲しい。
「あんな男、逆に男慣れしていないエリカだからこそ耐えられたのかもね」
でも私は健気に耐えるタイプの女が苦手だった。
正確に言えば理不尽な行為に「いつか理解してもらえる筈」と耐え続けるだけの女がだ。
だからエリカについては可哀想と思いつつも苛々しっぱなしだった。
それでも最終話辺りまで読んでしまったし今でも鮮やかに思い出せるのは作者の筆力のせいだろう。
長編連載漫画としてはよく出来ていた。
「だからって可哀想で健気なエリカのままでいるつもりは無いわ」
私は鏡に映る少女に向かってそう宣言した。
何故前世の記憶が急に戻ったかはわからない。
でも夫に愛されるまで耐えるだけの女には絶対にならない。
その決意だけは確かだった。
あんな夫の愛なんて私はいらない。
強すぎる百合の香りに私の香水が交じり合う。
夜着に包まれた湯上りの肌は柔らかく火照っていた。
そんな私に覆いかぶさる男の顔は精悍で美しい。
しかしその青い瞳は氷のような冷たさで私を見下ろしていた。
これから初夜が始まる。胸が緊張と期待で早鐘を打った。
そんな時、彼の唇が開き吐息を感じる程の近さで言われる。
「お前は男遊びが激しいらしいから……乱暴に抱いても良いな?」
「いいわけないでしょ、どういう理屈よ」
その瞬間、私は前世を思い出し目の前の男を引っぱたいた。
◆◇◆◇
女性向け長編恋愛漫画「一輪の花は氷を溶かす」
ファンタジーを舞台とした健気な伯爵令嬢と人間不信な氷の公爵の物語。
ヒロインのエリカは伯爵家当主とメイドの間に生まれた娘だ。
何の気まぐれか伯爵はエリカを認知し次女として扱った。
それを気に入らない伯爵夫人と長女のローズはエリカを虐げ続けた。
彼女が男好きの悪女であるという噂を流したのも二人だ。
お手付きメイドの娘も同じように身持ちが悪いと、伯爵家のメイドたちまで面白半分に流布した。
そんなある日、伯爵家に縁談の話が飛び込んでくる。
相手は八年前に妻を亡くしたケビン・アベニウス公爵。
美しい容姿と高い身分を持つ彼にローズは食いつき、結婚を受け入れた。
しかし挙式が近づくにつれ領地が僻地にあることと、彼が全く愛想の無い人物であること。
ケビンの子供たちが新しい母候補を決して受け入れない事に耐えられなくなり結婚を拒否しだす。
そして両家が話し合った結果、妹のエリカが身代わり花嫁として嫁ぐことになった。
エリカがそれを知らされたのは式の前日だった。
彼女は姉の代わりとして誰にも祝福されない無感動な結婚式を挙げる。
そして初夜だ。エリカを悪女だと思い込んだケビンはなんとそれを理由に乱暴に抱くと宣言する。
可哀想なエリカはそのショックで気を失うのだった。そしてケビンに冷たくされたまま結婚生活が始まる。
姉の結婚拒否と悪女の噂のせいでアベニウス公爵邸の使用人たちはエリカに辛辣な態度をとる。
夫であるケビンとその子供たちも彼女を家族として認めない。
しかし優しく献身的なエリカはそれでも公爵家の為に尽くし、徐々に皆悪女の噂は嘘ではないかと気づき始めるのだった。
氷の公爵ケビンも子供たちに懐かれ使用人に慕われるようになったエリカに好意を抱き妻として愛するようになる。
そして幸せな初夜をやり直してハッピーエンドだ。
「冗談じゃないわ、見る目の無い男にそこまで尽くす理由無いもの」
私は私室に戻ると一人呟いた。
覆いかぶさってきた夫に、お前は悪女だから乱暴に抱いてもいいよなと言われた瞬間私は前世の記憶を取り戻した。
あの後、私に引っぱたかれると思わなかったケビンはポカンとした顔で固まった。
私はその隙にさっさと夫婦の寝室を後にして自室に戻って来た。
公爵家がお金持ちで良かった。夫婦用の寝室とは別に公爵夫人用の部屋がある。
ちなみにエリカの伯爵家での寝場所は使用人部屋よりも粗末な屋根裏部屋だった。
前世の記憶を思い出したけれど、エリカとしての記憶もちゃんと残っている。
だから実家に帰るという選択肢は無い。
少なくとも一人で生活できる程度の財産や基盤が出来るまでは公爵邸で暮すことになるだろう。
前世の私は息子に譲るまで女社長をやっていた。
結婚生活三年目で夫に先立たれた後に会社を継ぎ、女手一つで子供三人を育て上げた後に病死した。
亡くなるまで五年ほど入院していたが、今の私はその間に暇潰しで読んでいた漫画のヒロインらしい。
「漫画は沢山読んだけど、一番もやもやした娘に自分が生まれ変わっているとはね……」
溜息を吐く。
鏡台には水色の髪と紫の瞳を持つ儚げな少女が映っている。年齢は成人したばかり。
この世界なら大人として扱われ始めるが、前世の記憶が濃い私にはまだ子供にしか見えない。
幾ら噂が蔓延していたからといってこんな子供を男遊びの激しい悪女だとよく思えたものだ。
外見だけでない、私が記憶を取り戻す前までのエリカは内気で忍耐強く素朴な性格だった。
十分でもちゃんと話したらわかりそうなものなのに。
ケビンはその十分すらエリカ相手に惜しんだ。
「……本当に情けない男」
私は呆れた。ケビンは二十七歳だ。そして十歳を筆頭に子供が二人いる。
エリカとはかなりの歳の差婚だ。
貴族なら珍しくは無い。政略結婚もそれは同じ。
しかし年上なら年上らしい余裕を持って欲しい。
「あんな男、逆に男慣れしていないエリカだからこそ耐えられたのかもね」
でも私は健気に耐えるタイプの女が苦手だった。
正確に言えば理不尽な行為に「いつか理解してもらえる筈」と耐え続けるだけの女がだ。
だからエリカについては可哀想と思いつつも苛々しっぱなしだった。
それでも最終話辺りまで読んでしまったし今でも鮮やかに思い出せるのは作者の筆力のせいだろう。
長編連載漫画としてはよく出来ていた。
「だからって可哀想で健気なエリカのままでいるつもりは無いわ」
私は鏡に映る少女に向かってそう宣言した。
何故前世の記憶が急に戻ったかはわからない。
でも夫に愛されるまで耐えるだけの女には絶対にならない。
その決意だけは確かだった。
あんな夫の愛なんて私はいらない。
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