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第一部
12.
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ケビンに無理やりキスされた瞬間、真っ先に浮かんだのは私(エリカ)の母親の事だった。
彼女もこんな風に無理やり伯爵の物にされたのかと思った瞬間、悲しみと怒りがわいた。
だからケビンに噛みついたのだ。こんな奴の思い通りになんてなりたくないと。
だが血に濡れた唇で楽しそうに笑うケビンを見て、鳥肌が立つ。
自分は彼にとって玩具でしかないのかと。しかし恐怖を気取られたくなかった。
深呼吸をすると背筋を伸ばし告げる。
「……私に母親の役目を放棄するなと仰るのなら、貴方も父親の役目を放棄しないで」
「していないが?」
平然と返す男の本心は読めない。
どの口がと叫びたくなったが私のドレスの裾を震える手が掴んでいることに気付いた。
レオだ。彼の顔は青く瞳は怯えに潤んでいる。
当然だ。父親が女性に性暴力をふるう場面を間近で目撃させられたのだから。
そして同時に、青褪める姿に彼はまだ矯正出来るとも思った。
レオがケビンと同じような笑みを浮かべていないことだけがこの場で唯一の救いだった。
この子供はまだ父親ほど堕ちていない。
「妻は夫の欲望を満たす道具ではありません。子供に間違った姿を見せないでください」
「綺麗ごとを言う。お前はそうでないと誰よりも知っているだろう?」
歪んだ笑みで言われる。
無理やり愛人にされたエリカの母。結婚を嫌がる姉の身代わりとして差し出されたエリカ。
ケビンはそのどちらも知って、私にその事実を笑いながら突きつけてくる。
彼の狂気と支配欲と、どこか自傷を孕んだ瞳に私は目の前が暗くなった。
もし私が原作通りに振舞っていれば、こうはならなかったのだろうかと。
無邪気で無垢で健気で優しいエリカでいられれば、ケビンは優しい眼差しをしていたのだろうかと。
思って、後悔して、その後悔に意味は無いと腹を括った。
「いいえ、綺麗ごとは必要です。レオ様は次期アベニウス公爵でこれから社交界や公の場にどんどん出て行かれるのですから」
「俺が……?」
レオが掠れた声で聞き返す。私は頷いた。
「王族にも高位貴族にも女性は当然いらっしゃいます。その前で女は男の為の道具に過ぎないと公言したらどうなるでしょうね」
この国は前世よりもずっと男尊女卑の風潮が色濃い。
だが同時に身分の格差も激しい。だからエリカの父は美しいメイドを好きに蹂躙し罪に囚われなかったのだ。
「同じように弟は奴隷だと発言するのも大問題です」
長男が絶対の権限を持っている国だからと言ってそれは長男以外を馬鹿にして良いという訳ではない。
エリカは異母姉に散々に虐げられていたしアベニウス公爵家の子供たちも歪んだ兄弟関係だ。
でも「一輪の花は氷を溶かす」には仲の良い兄弟姉妹がサブキャラとして何人も居た。
つまりエリカのオルソン伯爵家もケビンやレオたちのアベニウス公爵家も、この国でもまともな家族の形では無いのだ。
「弟という存在への蔑みを王族の方々が自分や身内への侮辱だと捉えればレオ様やアベニウス公爵家が処罰される可能性が有ります」
ぎょっとしたようにレオが私を見つめてくる。こんなことも知らないのだ。
ケビンが支配下に置きながら無関心に放置していたアベニウス公爵家という箱庭でマーベラ夫人に王様だと持ち上げられ来た子供は。
「その口の上手さで、男を思い通りにしてきたのか?」
「私は当然のことしか申し上げておりません。何でもすぐそちらに結び付けるのは止めてください」
欲求不満なんじゃないのかとレオが居なければ口にしていたのかもしれない。
大体思い通りになんて出来ていたら父によってこの家に生贄の様に差し出されてなどいない。
私が睨みつけているとケビンの表情から狂気と蔑みが抜けた。やりとりに飽きたのかもしれない。
「……つまらんな、もういい」
元々子供自体には興味が無いのだろう。
マーベラ夫人に激怒したのも前妻の死を馬鹿にされたからだろうし。
そこまで愛した妻が産んだ長男に対し、何故ここまで冷淡な態度なのか理解できないが。
「ならお前が子供らをまともに躾けろ。お前にそれが出来るならな」
「なら私に権限を下さい。レオ様たちの新たな家庭教師を選ぶ権限を」
蔑みか挑発かわからない言葉を無視し、私は自分の要望を告げる。
これはケビンの選択眼は当てにならないから代わりに選ぶと言っているも同然だ。
しかし彼は肩を竦め鼻で笑うだけだった。
「そんなもの最初から公爵夫人の権限に含まれている」
「その権限については誰に確認すれば宜しいですか?」
親切丁寧にケビンが教えてくれるとは全く思わない。
彼は完全に興味が失せた顔で口を開いた。
「ホルガーに聞け」
面倒そうに名前だけ告げられる。私はそれを脳内で反芻した。
ホルガーとは確か漫画内で早々に退場した家令の名だ。ぎっくり腰が悪化したとかで引退し息子が後任としてやってきた。
老執事めいたホルガーの容貌と一緒に理知的な雰囲気の美青年の顔も浮かぶ。
(ホルガーの息子はカーヴェルって名前で……エリカの初恋相手だったわね)
カーヴェルは赤い髪に緑の瞳の眼鏡が似合う美青年で読者人気も高かった。
文官として働いていたのに突然アベニウス公爵家の家令に起用された彼は、登場当初は公爵家の他の使用人たちと溝が有った。
そこをエリカが取り持ったり励ました結果カーヴェルは彼女の優しさや前向きな性格に惹かれ淡い恋心を抱く。
エリカも同じで、しかし決してお互いに好意を口に出すことは無かった。彼女は公爵夫人でカーヴェルは家令なのだから当然だ。
それに「一輪の花は氷を溶かす」でエリカはケビンと恋仲になる為彼の想いは決して叶わない。
カーヴェルは湖で溺れるエリカを助けて代わりに死ぬのだ。
ヒロインを庇って死ぬことで彼女と読者の心に強く印象が刻み込まれる薄幸キャラだった。
彼女もこんな風に無理やり伯爵の物にされたのかと思った瞬間、悲しみと怒りがわいた。
だからケビンに噛みついたのだ。こんな奴の思い通りになんてなりたくないと。
だが血に濡れた唇で楽しそうに笑うケビンを見て、鳥肌が立つ。
自分は彼にとって玩具でしかないのかと。しかし恐怖を気取られたくなかった。
深呼吸をすると背筋を伸ばし告げる。
「……私に母親の役目を放棄するなと仰るのなら、貴方も父親の役目を放棄しないで」
「していないが?」
平然と返す男の本心は読めない。
どの口がと叫びたくなったが私のドレスの裾を震える手が掴んでいることに気付いた。
レオだ。彼の顔は青く瞳は怯えに潤んでいる。
当然だ。父親が女性に性暴力をふるう場面を間近で目撃させられたのだから。
そして同時に、青褪める姿に彼はまだ矯正出来るとも思った。
レオがケビンと同じような笑みを浮かべていないことだけがこの場で唯一の救いだった。
この子供はまだ父親ほど堕ちていない。
「妻は夫の欲望を満たす道具ではありません。子供に間違った姿を見せないでください」
「綺麗ごとを言う。お前はそうでないと誰よりも知っているだろう?」
歪んだ笑みで言われる。
無理やり愛人にされたエリカの母。結婚を嫌がる姉の身代わりとして差し出されたエリカ。
ケビンはそのどちらも知って、私にその事実を笑いながら突きつけてくる。
彼の狂気と支配欲と、どこか自傷を孕んだ瞳に私は目の前が暗くなった。
もし私が原作通りに振舞っていれば、こうはならなかったのだろうかと。
無邪気で無垢で健気で優しいエリカでいられれば、ケビンは優しい眼差しをしていたのだろうかと。
思って、後悔して、その後悔に意味は無いと腹を括った。
「いいえ、綺麗ごとは必要です。レオ様は次期アベニウス公爵でこれから社交界や公の場にどんどん出て行かれるのですから」
「俺が……?」
レオが掠れた声で聞き返す。私は頷いた。
「王族にも高位貴族にも女性は当然いらっしゃいます。その前で女は男の為の道具に過ぎないと公言したらどうなるでしょうね」
この国は前世よりもずっと男尊女卑の風潮が色濃い。
だが同時に身分の格差も激しい。だからエリカの父は美しいメイドを好きに蹂躙し罪に囚われなかったのだ。
「同じように弟は奴隷だと発言するのも大問題です」
長男が絶対の権限を持っている国だからと言ってそれは長男以外を馬鹿にして良いという訳ではない。
エリカは異母姉に散々に虐げられていたしアベニウス公爵家の子供たちも歪んだ兄弟関係だ。
でも「一輪の花は氷を溶かす」には仲の良い兄弟姉妹がサブキャラとして何人も居た。
つまりエリカのオルソン伯爵家もケビンやレオたちのアベニウス公爵家も、この国でもまともな家族の形では無いのだ。
「弟という存在への蔑みを王族の方々が自分や身内への侮辱だと捉えればレオ様やアベニウス公爵家が処罰される可能性が有ります」
ぎょっとしたようにレオが私を見つめてくる。こんなことも知らないのだ。
ケビンが支配下に置きながら無関心に放置していたアベニウス公爵家という箱庭でマーベラ夫人に王様だと持ち上げられ来た子供は。
「その口の上手さで、男を思い通りにしてきたのか?」
「私は当然のことしか申し上げておりません。何でもすぐそちらに結び付けるのは止めてください」
欲求不満なんじゃないのかとレオが居なければ口にしていたのかもしれない。
大体思い通りになんて出来ていたら父によってこの家に生贄の様に差し出されてなどいない。
私が睨みつけているとケビンの表情から狂気と蔑みが抜けた。やりとりに飽きたのかもしれない。
「……つまらんな、もういい」
元々子供自体には興味が無いのだろう。
マーベラ夫人に激怒したのも前妻の死を馬鹿にされたからだろうし。
そこまで愛した妻が産んだ長男に対し、何故ここまで冷淡な態度なのか理解できないが。
「ならお前が子供らをまともに躾けろ。お前にそれが出来るならな」
「なら私に権限を下さい。レオ様たちの新たな家庭教師を選ぶ権限を」
蔑みか挑発かわからない言葉を無視し、私は自分の要望を告げる。
これはケビンの選択眼は当てにならないから代わりに選ぶと言っているも同然だ。
しかし彼は肩を竦め鼻で笑うだけだった。
「そんなもの最初から公爵夫人の権限に含まれている」
「その権限については誰に確認すれば宜しいですか?」
親切丁寧にケビンが教えてくれるとは全く思わない。
彼は完全に興味が失せた顔で口を開いた。
「ホルガーに聞け」
面倒そうに名前だけ告げられる。私はそれを脳内で反芻した。
ホルガーとは確か漫画内で早々に退場した家令の名だ。ぎっくり腰が悪化したとかで引退し息子が後任としてやってきた。
老執事めいたホルガーの容貌と一緒に理知的な雰囲気の美青年の顔も浮かぶ。
(ホルガーの息子はカーヴェルって名前で……エリカの初恋相手だったわね)
カーヴェルは赤い髪に緑の瞳の眼鏡が似合う美青年で読者人気も高かった。
文官として働いていたのに突然アベニウス公爵家の家令に起用された彼は、登場当初は公爵家の他の使用人たちと溝が有った。
そこをエリカが取り持ったり励ました結果カーヴェルは彼女の優しさや前向きな性格に惹かれ淡い恋心を抱く。
エリカも同じで、しかし決してお互いに好意を口に出すことは無かった。彼女は公爵夫人でカーヴェルは家令なのだから当然だ。
それに「一輪の花は氷を溶かす」でエリカはケビンと恋仲になる為彼の想いは決して叶わない。
カーヴェルは湖で溺れるエリカを助けて代わりに死ぬのだ。
ヒロインを庇って死ぬことで彼女と読者の心に強く印象が刻み込まれる薄幸キャラだった。
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