あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ

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 僕たちが結婚してから、三年が経ったある日のこと。僕はアインスのお義父様に呼び出され、淡々とこう告げられた。

「アインスと別れてやってくれないか」

 僕は一瞬、何を言っているのか分からず、言葉を失った。確かに、お義父様が僕たちの結婚に乗り気でなかったことは、十分理解していたつもりだった。

 それでも、なんとか認めてもらおうとこれまで努力してきたし、国民や王宮内でもようやく僕という人間が受け入れてもらえるようになってきたはずなのに......。それなのに。

 ーー僕の何がいけなかったんだろう。僕が茫然と立ち尽くしていると、沈黙を破ったのはお義父様だった。

「とりあえず、座りなさい。」

「は......はい。失礼します。」

 お義父様と僕はテーブルを挟んで、向かい合うように座ると、お義父様は大きくため息を吐いた。

「ふぅ......。分かった。で、いくら欲しいんだい?」

「......は?」

「何だ?違ったかい?てっきり私は、君がアインスと結婚したのは金目当てだと思っていたのだがね。」

「そんなことっ......!一度も、考えたことはありません。」

 強く反論したい気持ちを必死に押し殺して、僕は膝の上で拳を強く握りしめた。

「アインスは私の息子であり、侯爵家の人間だ。君は働きぶりこそ素晴らしいもので、目を引くものがある。しかし、その栄光もすぐに消え失せるだろう。そうなった場合、君にはなにができる?子どもは産めるのかい?跡取りの問題はどう解決するつもりだね?」

「っ......そ、それは......」

 お義父様は、にやりと口角をあげて、僕を嘲笑うかのような目で見てきた。

「ふっ。目先の楽しさに溺れるのもいいが、アインスの将来をもっと考えてほしいものだね。アインスのことを本当に想うのならば......ね?賢い君なら分かるはずだ。アインスには今、何が重要なのか。」

「......はい。申し訳ありません。」

 結局、僕は何一つ言い返すことができなかった。それが悔しくて、惨めで、胸の奥が締め付けられた。

「ふむ、やはり聞き分けのいい子で助かったよ。だが、私もそこまで鬼じゃあない。これからも君の生活は支援しよう。何一つ不自由はさせないと約束しようではないか。」

 もう、早くこの場から逃げ出したかった。

「......お話は、それだけでしょうか。」

「あぁ、そうだ。」

「では、失礼します。荷物は......まとめて行きますので。」

「いや、待ちたまえ。君には、二年の猶予をあげよう。」

「猶予......ですか?」

「あぁ。アインスとの残り二年間を後悔しないようにと思ってね。その二年間は君の好きなように生活しなさい。君が何に、いつ、どんな金を使おうとも私は一切、口出ししないと誓おう。心配なら契約書でも用意するかね?」

 鼻高々に椅子へ腰かけ、ふんぞり返るその姿を見て、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

 ーーこの人は、どこまで僕を愚弄すれば気が済むんだ。

「失礼します!」

 逃げるように応接室を飛び出し、自分の部屋へと走った。扉を閉めた瞬間、張りつめていた緊張の糸がぷつり、と切れ、堪えていたものが一気に溢れ出す。

 口を両手で塞いでも、情けなく嗚咽は止まらず、その場にへたりこんでしまった。

 僕は、いつも首からさげているペンダントをぎゅっと握りしめる。今はもう亡き母に、心の中で問いかけた。

「母様......。もしあなたが生きていたら、俺はこんなに苦しむことはなかったのでしょうか。あなただけは俺の頑張りを......認めてくれたのでしょうか。」

 母は、僕を産んでから六年が経った頃、病に伏せて亡くなった。おそらくこの頃から父の様子は変わってしまったのだと思う。

 家系の力を強めることに躍起になり、僕のことは放っておいたまま。しまいには「いい事業が立てられそうだ!」と言い残して家を飛び出しで行った。

 そして、馬車で王都へ向かう途中、不幸にも事故に遭い、父様もそこで帰らぬ人となった。

 ーー僕はあまりにも早く、両親を失った。

 記憶の中の母はとても美しく、天使のような人だった。父の公務を淑やかに支えるその姿が誇らしくて、いつか自分も、ああなれたらいいな、と幼いながらに思っていた。

 でも、きっとあの頃にはもう、母様の身体は病に侵されていたのだろう。

 僕が四歳の誕生日を迎えた夜。子守唄を歌ってもらい、眠りにつこうとしていたときのことだ。

 ふいに、母は僕に語りかけてきた。

「いい?シューン。よく聞いて頂戴ね。この先、あなたの人生は決して楽な道ではないと思うわ。辛いことも不安なことも、苦しいことも、反対に楽しいこともきっとたくさんある。」

 母様は優しい手付きで、僕の髪を撫でながら続けた。

「でもね、私はシューンが『こう生きたい』と決めたのなら、それを全力で応援するわ。なにがあっても、私はシューンの味方よ。それだけは......忘れないで。」

「はい!!おかあさま!!ボク......いえっ!わたしは、ははうえのようなひとになりますっ!!!」

「はぁ~!シューン~!!ほんとうに可愛い私の自慢の子よ~!!大丈夫!!あなたなら、きっとなれるわ。」

 母は優しくいつまでも僕を抱きしめてくれた。過ごした時間は決して長くはなかったけれど、その温もりは、今も俺の心に確かに残っている。

「母様......。今も僕はあなたの自慢の息子でいられていますか......。あなたのように賢明で、慈愛に満ちた人に.....近づけていますか......?」

 喉が詰まり、言葉が震える。

「......かあ、さま。ぼくは......これから、どうしたらいいんだろう......。」

 そのときだった。

 ーーコン、コン。

 扉が二度、控えめにノックされた。鍵をかけ忘れていたらしく、扉は静かに開かれていく。

(アインスだったらまずい!早く涙を隠さないと......!)

「よぉ、シューン。この前言ってた本を......って、なに?!どうしたんだよ。目真っ赤だぞ。」

 部屋に入ってきたのは、アインスではなく、セフィラだった。

 ......なんだ、よかった。セフィラか。そう思ったとき、少しだけ気持ちが緩んだ。けれど涙で赤く腫れた目はどうやっても隠すことができなかった。

「......とりあえず、入って。」

 僕はセフィラを部屋に招き入れ、扉を閉めると、先ほどアインスのお義父様から告げられた言葉を、静かに話した。
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