義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!

ずー子

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夕食を終え、客室で暖炉の火を眺めていたレイナードの元へ、ヴィルヘルムが意気揚々と戻ってきた。その手には、学園長の名前が記された許可証らしき紙が握られている。
「レイ、見て! 先生にちゃんと許可をもらったよ! これで夜の学園も堂々と見て回れる!」
ヴィルヘルムは得意満面だ。昼間の騒動を理由に『弟が不安がっているので、私がしっかり付き添って案内したい』と熱弁したのだろう。その必死さに学園長も折れたに違いない。
ちなみにあのおじさんは帰ったらしく、レイナードは結局今日も泊まることになった。
(いいのかなー…)
でも、目をキラキラさせたヴィルヘルムに言えるわけもない。
「さあ、行こう! 僕が完璧にエスコートしてあげる!」
ヴィルヘルムは当然のようにレイナードの手を取った。
「はい、兄さん。よろしくお願いします」
ヴィルヘルムはさらに嬉しそうに目を細め、レイナードの手を引いて部屋を出た。

夜の学園は、昼間とは全く違う顔を見せていた。しんと静まり返った廊下には、二人の足音だけがこつこつと響く。壁にかけられた肖像画の瞳が、暗がりの中でこちらを見ているような気がして、レイナードは少しだけ身を縮める。
(はわ…中々これは…)
「大丈夫だよ、レイ。僕がついている」
ヴィルヘルムはレイナードの不安を察したのか、握る手に力を込めた。
「は、はい…」
しばらく歩くと、廊下の向こうからひそひそとした話し声が聞こえてきた。昼間レイナードを倉庫に閉じ込めた女子生徒たちだ。彼女たちは二人に気づき、気まずそうに顔を伏せたり、あるいは敵意のこもった視線を向けてきたりした。
「……まだいたんだ」
「ヴィルヘルム様も、あんな子がいいのかしら……」
(あ、あの人たち…)
聞こえよがしな囁き声に、レイナードは唇を結び、ヴィルヘルムの空気がピリッと張り詰めた。彼は足を止め、冷たい視線を女子生徒たちに向ける。その威圧感に、彼女たちはびくりと肩を震わせ、足早に去っていった。
「……兄さん」
「気にする必要はないよ、レイ。さあ、こっち!」
ヴィルヘルムは何事もなかったかのように、しかし少しだけ早足でレイナードを引っ張る。

最初に案内されたのは音楽室だった。立派なグランドピアノが月の光を浴びて静かに佇んでいる。壁には様々な楽器が飾られていた。次は美術室。学年ごとに展示されているが、ヴィルヘルムの作品は一目で分かった。
「…兄さんは絵も上手なんですね」
「だろ?今度帰ったらレイをモデルに描きたい。いいだろ?」
「その間動けないのはイヤかもです」
「ケチ。お菓子たくさんあげるから」
ふふっと2人は顔を見合わせて笑った。
次に訪れたのは、様々な器具が並ぶ科学室だった。フラスコやビーカーが棚にずらりと並び、複雑なガラス管が組み合わされた装置が机の上に置かれている。いくつかの液体は、月明かりを受けて妖しく光っているように見えた。
「ここでは色々な実験をするんだよ」
「そうなんですね」
レイナードは棚に並ぶ薬品のラベルや、実験器具の構造を興味深く観察する。二重に鍵がかけられている。何があるのだろう。
さらに奥へ進むと、ひときわ重々しい扉が現れた。「錬金術研究室」と書かれた札がかかっている。扉を開けると、むわりと硫黄と薬草の混じったような独特の匂いがした。部屋の中央には大きな魔法陣が描かれた床があり、壁際には怪しげな鉱石やドライハーブ、動物の骨らしきものが詰まった瓶が所狭しと並んでいる。天井からは天球儀のようなものが吊り下げられ、ゆっくりと回転していた。
「ここは…あまり不用意に触らない方がいい。ちょっと変わった先生が管理していてね、たまに変なものが錬成されていることがあるんだ」
ヴィルヘルムは少し声を潜めて注意する。レイナードは目を輝かせながら、棚に置かれた古びた羊皮紙の巻物や、鈍い光を放つ鉱石に視線を走らせた。
「はわ…すごい…」
好奇心旺盛な気持ちと同時にレイナードの頭脳は冷静に情報を処理していた。

やがて、二人は大きな両開きの扉の前にたどり着いた。重厚な彫刻が施された、学園の中でもひときわ立派な扉だ。
「さあ、ここがとっておきの場所だよ」
ヴィルヘルムはそう言うと、ゆっくりと扉を押し開けた。
「わ…」
息を呑むような光景が広がっていた。そこは天井が非常に高く、床は磨き上げられた大理石でできた大広間だった。壁には大きな窓がいくつも並び、降りしきる雪を照らす月明かりが、ステンドグラスを通して幻想的な光の帯となって差し込んでいる。雪明りに反射した光が、磨かれた床にキラキラと映り込み、まるで星屑を撒いたかのようだ。しんと静まり返った広間には、二人以外、誰もいない。
「わぁ……」
レイナードは思わず感嘆の声を漏らした。まるで物語の世界に迷い込んだような美しさだ。
月光が、すぐ隣に立つヴィルヘルムの横顔を白く照らし出していた。普段の快活さとは違う、静謐な美しさ。彫刻のように整った鼻筋、長い睫毛、少しだけ開かれた唇。その神々しさにも似た光景に、レイナードは心臓が跳ねるのを感じた。
(キレイ……)
ぽつりと、心の中で呟いた言葉は、兄には届かない。けれど、その輝きが眩しいほど、自分の足元に落ちる影がいつもよりずっと暗く、濃く感じられた。キラキラと輝く光の中で、自分だけが抱える秘密と嘘。それが形になったかのように、影は床に深く沈んでいる。後ろめたさが、冷たい影のように胸に広がった。
そんなレイナードの心の内を知る由もなく、ヴィルヘルムは目の前の光景に魅入られたように、静かに息をついた。そして、まるで独り言のように、それでいてレイナードに聞かせるかのように、ぽつりと呟いた。
「……結婚式みたいだね」
言った瞬間、ヴィルヘルム自身がはっとしたように息を呑んだのが分かった。だが、一度口から出てしまった言葉は、もう飲み込めない。その声には、憧憬と、そして諦めにも似た切ない響きが滲んでいた。
レイナードは一瞬、兄の言葉の意味を測りかねて戸惑った。けれど、すぐにいつものように穏やかな微笑みを浮かべて応えた。
「そうですね……キラキラしてて、とても素敵です」
レイナードの落ち着いた反応を見て、ヴィルヘルムは何か言いかけた言葉を、ぐっと飲み込んだようだった。
言えない秘密が月の光を浴びて大広間に漂っている。レイナードはどこかで、無邪気な時代が終わろうとしている予感がしていた。
***
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