37 / 75
精霊のざわめき
しおりを挟む森に春の陽気が満ちる頃、温泉街の評判は外の世界に広がり、旅人や商人たちが次々と訪れるようになっていた。川沿いの小道では、荷馬車を引いた商人たちが道具や商品を運び込み、温泉街に新たな活気をもたらしている。街道の入口では獣人の子どもたちが商人の荷物に興味津々で駆け回り、村人たちは忙しくも楽しげに迎え入れていた。
紬も、最近は温泉街での雑務に追われる日々を過ごしていた。新たな商品や食材をどう取り入れるか、村の住人と相談しながら温泉街の発展を見守る。とはいえ、活気づく街並みを眺めるのは嬉しいものだ。あのぽつんとした森の一角が、こんなにもにぎやかになるなんて──。
「繁盛してるのはいいけど、忙しすぎてお客さんをさばききれない!」
温泉宿の受付で働くリルが愚痴をこぼすと、紬は苦笑いしながら言った。
「ありがたい悩みだよ。でもこの賑わいがずっと続くといいね」
しかし、そんな森の賑わいを静かに見つめる存在があった。それは森に住む精霊たちだ。
古くからこの森を守り続けてきた彼らは、人間たちが森に及ぼす影響に不安を感じ始めていた。いつしかその思いは、森の動物たちにも伝わり始め、最近では森の奥から不思議なざわめきが聞こえることが増えていた。
ある日、森の入り口で商人たちが大声をあげていた。
「馬が動かないんだ!まるで何かに怯えてるみたいだ!」
聞きつけた紬が駆けつけると、確かに数頭の馬が足を震わせ、荷物を運ぶのを拒んでいる。近くには、森の奥から漂ってくるような冷たい風があった。
その夜、紬は住人たちと対策会議を開いた。村の獣人たちは動物たちの異変を察知していたが、原因がわからず困惑している様子だ。
「最近、森の奥で妙な音がするって話を聞いたよ。精霊たちの怒りってこともあるんじゃない?」
リルが提案すると、グレンが低い声で補足する。
「確かに森の精霊たちは我々よりもずっと敏感だ。もしかすると、この急速な発展を嫌がっているのかもしれない」
翌日、紬たちは森の奥へ足を踏み入れることにした。道案内役として獣人の子どもたちも同行する。精霊たちとの交渉は一筋縄ではいかないだろうが、森の未来のためには対話が必要だ。
森の奥深くで紬たちは、初めて精霊たちと対面した。彼らは透き通るような姿で、森の木々や風と一体化しているようだった。彼らの言葉は静かだが重く、明確に人間たちへの不満を告げてきた。
「森を守ることが我らの役目。しかし、急速な発展はこの土地を歪ませている」
紬は必死に説明した。
「私たちはこの森を壊すつもりなんてないんです。ただ、森の恵みを借りて、みんなが平和に暮らせる場所を作りたいだけなんです」
グレンも低い声で説得を試みた。
「人間たちだけではなく、この森のすべての命が幸せに暮らせるように、我々も知恵を尽くすつもりだ」
その真摯な態度に、精霊たちはしばらくの間沈黙していた。そして、ようやく一人の精霊が穏やかな声で答えた。
「ならば、共に森を守る方法を考えよう。我らも力を貸す代わりに、お前たちは森を愛し続けることを約束せよ」
こうして、紬たちは精霊たちと協力することを決めた。森の資源を無駄にせず、自然と調和する発展方法を模索することになったのだ。森の動物たちも再び穏やかになり、商人たちも再び安心して荷物を運べるようになった。
村の生活はさらに活気を増し、紬はふと展望台から広がる風景を眺めた。温泉街と森、そして遠くの街道までが一望できる。「この景色を守りながら、もっと素敵な場所にしていこう」──そう心に誓うのだった。
森の平穏が戻り、春の穏やかな陽光が再び村を包み込んだ。温泉街には、遠方から訪れた客たちの賑やかな声が響き、森の中では獣人やドワーフたちが忙しくも充実した日々を送っている。
紬も久々に肩の力を抜き、日常を満喫していた。精霊たちとの交渉が成功し、森全体がどこか穏やかな空気に包まれているのを感じる。朝早く起きて、キッチンで仕込みをしていた紬は、小窓から見える活気づく温泉街に目をやり、心から安堵した。
「紬さーん!」
表の道から明るい声が聞こえてくる。獣人の少女・ミーナだ。黒い耳がぴんと立ち、彼女特有の元気な笑顔で駆け寄ってきた。
「今日はみんなでピクニックするんだ!紬さんも一緒に来てよ!」
「ピクニック?」
紬は手を止め、少し考えた。確かにここ最近、村の発展や精霊との対話に追われ、ほとんどゆっくりする暇がなかった。たまには息抜きも必要だ。
ミーナに促されて外に出ると、広場にはもうたくさんの住人たちが集まっていた。温泉宿の女将リルや鍛冶屋のグレン、そして行商人たちも顔を見せている。誰もが大きな籠に食べ物を詰め込んだり、飲み物を準備したりしていた。
「みんな、ずいぶんと楽しそうね」
紬が笑顔を見せると、リルが手を振りながら答える。
「たまにはこういうのもいいでしょ?森が元気を取り戻したお祝いみたいなものよ!」
その言葉に、紬も頷いた。そしてみんなと一緒に森の奥へ歩き出した。行き先は、精霊たちが教えてくれた森の特別な場所だった。そこは大きな花畑が広がる静かな場所で、春の柔らかな風が心地よく吹き抜ける。
花畑に到着すると、それぞれが思い思いにくつろぎ始めた。リルが手際よく広げたピクニックシートの上には、焼きたてのパンや新鮮な果物が並べられている。ミーナは獣人の仲間たちと追いかけっこを始め、行商人たちは新しい商品の話で盛り上がっている。
紬は少し離れた場所で、グレンと肩を並べて座っていた。彼の手には木彫りのナイフと小さな木片があり、黙々と何かを彫っている。
「何を作ってるの?」
紬が尋ねると、グレンは短く答えた。
「小さな彫像だ。記念に作っておこうと思ってな」
「記念?」
「お前が森を守ったことを、俺なりに形に残しておきたかったんだ」
不器用な言葉に、紬は少し頬を赤らめた。そして、彼の手元をじっと見つめる。彫像はまだ完成していないが、どこか温かみのある形をしている。
「ありがとう。大切にするね」
紬が微笑むと、グレンはわずかに目をそらした。
日が暮れる頃には、みんなが焚き火を囲み始めた。精霊たちがそっと姿を見せ、森の住人たちと一緒に笑い合う姿もあった。温かな飲み物が振る舞われ、疲れた体をほぐすような穏やかな時間が流れる。
夜空には満点の星が輝いていた。紬はふと、森の高台から見下ろす展望台を思い出した。
「この森も、村も、もっと素敵な場所になりそうね」
心の中でそうつぶやきながら、そっと星空を見上げる紬の目には、静かに輝く希望の光が映っていた。
73
あなたにおすすめの小説
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜
シュガーコクーン
ファンタジー
女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。
その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!
「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。
素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯
旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」
現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。
精霊さんと一緒にスローライフ ~異世界でも現代知識とチートな精霊さんがいれば安心です~
舞
ファンタジー
かわいい精霊さんと送る、スローライフ。
異世界に送り込まれたおっさんは、精霊さんと手を取り、スローライフをおくる。
夢は優しい国づくり。
『くに、つくりますか?』
『あめのぬぼこ、ぐるぐる』
『みぎまわりか、ひだりまわりか。それがもんだいなの』
いや、それはもう過ぎてますから。
料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します
黒木 楓
恋愛
隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。
どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。
巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。
転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。
そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
異世界で家をつくります~異世界転移したサラリーマン、念動力で街をつくってスローライフ~
ヘッドホン侍
ファンタジー
◆異世界転移したサラリーマンがサンドボックスゲームのような魔法を使って、家をつくったり街をつくったりしながら、マイペースなスローライフを送っていたらいつの間にか世界を救います◆
ーーブラック企業戦士のマコトは気が付くと異世界の森にいた。しかし、使える魔法といえば念動力のような魔法だけ。戦うことにはめっぽう向いてない。なんとか森でサバイバルしているうちに第一異世界人と出会う。それもちょうどモンスターに襲われているときに、女の子に助けられて。普通逆じゃないのー!と凹むマコトであったが、彼は知らない。守るにはめっぽう強い能力であったことを。
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています。
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる