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会場の中央で、優雅なワルツが流れていた。リリエットは子爵子息と軽やかにステップを踏み、ドレスの裾がふわりと舞う。
「貴女と踊れるなんて光栄です、クラウゼヴィッツ嬢」
「こちらこそ、素敵なダンスをありがとう」
にこやかに笑い合いながら、二人は曲が終わると同時に手を離した。息を整えながら、リリエットは少し満足げに微笑んだ。久しぶりに心から楽しめた気がする。
だが、その直後だった。
「次のダンスをご一緒してもよろしいでしょうか?」
不意に差し出された手。
リリエットは目を見開いた。
差し出したのは、クラウディオだった。
周囲の空気が一瞬にして張り詰める。驚いた視線が彼とリリエットに集まるが、当のクラウディオは平然とした様子で微笑んでいた。
――何が起こっているの?
リリエットは思考が追いつかず、ただ呆然と彼を見つめた。
「美しいお嬢さん、お名前は?」
会場がざわめいた。セシルが遠くで息を呑むのが見えた。兄のエドガーは驚きすぎて、グラスを傾ける手が止まっている。
――まさか、私だと気づいていない……?
リリエットは息を飲んだ。彼は普段、彼女のことを見ていなさすぎて、いつもと違う装いの彼女を別人だと勘違いしているのだ。
どうしよう。どう答えればいいのか。だが、クラウディオの真剣な瞳に見つめられると、言葉が出てこなかった。
「……リリエットです」
戸惑いながらも、絞り出すようにそう答えた。その瞬間、彼は少し驚いたように目を瞬かせ――そして、微笑んだ。
「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」
その言葉に、リリエットは凍りついた。
周囲の誰もが固まる中、クラウディオだけが優雅に手を差し出し、再び言った。
「ダンスを、踊っていただけますか?」
リリエットの手が、震えた。
ダンスの音楽が再び流れ始め、リリエットはクラウディオの手を取った。
――これは夢かしら。
そう思うほど、彼の態度はこれまでと違っていた。クラウディオはごく自然にリリエットの腰へと手を添え、リードする。彼と踊るのは初めてではないはずなのに、まるで知らない人と踊っているようだった。
「こんなにお美しい方と踊れるとは光栄です」
リリエットは、驚きと共に彼を見上げた。クラウディオの視線は、まっすぐに自分を見つめている。いつもは決して向けられないはずの眼差しが、今はまるで特別な何かを見つけたかのように注がれていた。
――今まで、私のことなんて見ていなかったのね。
胸の奥に、ひやりとした感情が広がっていく。
彼はこれまで、リリエットに冷淡だった。それは自分自身に何か問題があるのだと思っていた。足りないところがあるのではないか、気に障ることをしてしまったのではないかと、何度も考えた。
でも――違った。
ただ、彼はリリエットを見ていなかっただけなのだ。婚約者であるという事実があるにもかかわらず、一度もまともに向き合うことなく、ただ遠ざけ続けていた。その証拠に、今夜こうして目の前にいるリリエットが「リリエット」だと気づきもしなかったのだから。
クラウディオの視線は、リリエットの頬から髪、そして露出した胸元へとわずかに動いた。
――いつもは私のことを見ようともしないのに。
ほっとするような気持ちと、冷たい失望が、リリエットの中で交錯した。
クラウディオが冷淡なのは、リリエットに問題があるわけではなかった。それが分かっただけでも、気持ちは楽になった。けれど、その安心と同時に、心の中にあった恋心がゆっくりと冷えていくのを感じた。
ずっと憧れて、ずっと好きだったのに。
ずっと、彼に振り向いてほしくて努力してきたのに。
こんな形で、答えを知ることになるなんて。
「……どうかしましたか?」
クラウディオが静かに問いかける。リリエットは微笑みながら、軽く首を振った。
「いえ……少し疲れただけです」
そして、ワルツの最後の音が響き、二人の手が離れた。
リリエットは、そっと息をついた。もう、頑張らなくてもいいのかもしれない。
「貴女と踊れるなんて光栄です、クラウゼヴィッツ嬢」
「こちらこそ、素敵なダンスをありがとう」
にこやかに笑い合いながら、二人は曲が終わると同時に手を離した。息を整えながら、リリエットは少し満足げに微笑んだ。久しぶりに心から楽しめた気がする。
だが、その直後だった。
「次のダンスをご一緒してもよろしいでしょうか?」
不意に差し出された手。
リリエットは目を見開いた。
差し出したのは、クラウディオだった。
周囲の空気が一瞬にして張り詰める。驚いた視線が彼とリリエットに集まるが、当のクラウディオは平然とした様子で微笑んでいた。
――何が起こっているの?
リリエットは思考が追いつかず、ただ呆然と彼を見つめた。
「美しいお嬢さん、お名前は?」
会場がざわめいた。セシルが遠くで息を呑むのが見えた。兄のエドガーは驚きすぎて、グラスを傾ける手が止まっている。
――まさか、私だと気づいていない……?
リリエットは息を飲んだ。彼は普段、彼女のことを見ていなさすぎて、いつもと違う装いの彼女を別人だと勘違いしているのだ。
どうしよう。どう答えればいいのか。だが、クラウディオの真剣な瞳に見つめられると、言葉が出てこなかった。
「……リリエットです」
戸惑いながらも、絞り出すようにそう答えた。その瞬間、彼は少し驚いたように目を瞬かせ――そして、微笑んだ。
「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」
その言葉に、リリエットは凍りついた。
周囲の誰もが固まる中、クラウディオだけが優雅に手を差し出し、再び言った。
「ダンスを、踊っていただけますか?」
リリエットの手が、震えた。
ダンスの音楽が再び流れ始め、リリエットはクラウディオの手を取った。
――これは夢かしら。
そう思うほど、彼の態度はこれまでと違っていた。クラウディオはごく自然にリリエットの腰へと手を添え、リードする。彼と踊るのは初めてではないはずなのに、まるで知らない人と踊っているようだった。
「こんなにお美しい方と踊れるとは光栄です」
リリエットは、驚きと共に彼を見上げた。クラウディオの視線は、まっすぐに自分を見つめている。いつもは決して向けられないはずの眼差しが、今はまるで特別な何かを見つけたかのように注がれていた。
――今まで、私のことなんて見ていなかったのね。
胸の奥に、ひやりとした感情が広がっていく。
彼はこれまで、リリエットに冷淡だった。それは自分自身に何か問題があるのだと思っていた。足りないところがあるのではないか、気に障ることをしてしまったのではないかと、何度も考えた。
でも――違った。
ただ、彼はリリエットを見ていなかっただけなのだ。婚約者であるという事実があるにもかかわらず、一度もまともに向き合うことなく、ただ遠ざけ続けていた。その証拠に、今夜こうして目の前にいるリリエットが「リリエット」だと気づきもしなかったのだから。
クラウディオの視線は、リリエットの頬から髪、そして露出した胸元へとわずかに動いた。
――いつもは私のことを見ようともしないのに。
ほっとするような気持ちと、冷たい失望が、リリエットの中で交錯した。
クラウディオが冷淡なのは、リリエットに問題があるわけではなかった。それが分かっただけでも、気持ちは楽になった。けれど、その安心と同時に、心の中にあった恋心がゆっくりと冷えていくのを感じた。
ずっと憧れて、ずっと好きだったのに。
ずっと、彼に振り向いてほしくて努力してきたのに。
こんな形で、答えを知ることになるなんて。
「……どうかしましたか?」
クラウディオが静かに問いかける。リリエットは微笑みながら、軽く首を振った。
「いえ……少し疲れただけです」
そして、ワルツの最後の音が響き、二人の手が離れた。
リリエットは、そっと息をついた。もう、頑張らなくてもいいのかもしれない。
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