18 / 23
18
しおりを挟む
クラウゼヴィッツ侯爵家の応接室は、静かな緊張感に包まれていた。
リリエットはソファに端然と座り、目の前には両親。母は穏やかに紅茶を口にし、父は腕を組んでじっと娘を見つめていた。
「つまり、お前は結婚の時期を先送りにしたい、と?」
父の低く落ち着いた声に、リリエットはゆっくりと頷いた。
「はい」
母は静かにカップを置き、優しく微笑んだ。
「理由を聞かせてもらえるかしら?」
リリエットは一瞬考え、それからしっかりと顔を上げた。
「婚約は続けるつもりです。でも、私はまだ……彼と向き合いながら、自分の気持ちを確かめたいんです」
父はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……そうか」
「今までのことを考えれば、当然の判断でしょうね」
母がやわらかく微笑む。
「あなたは十分に我慢してきたわ。だからこそ、急いで決める必要はない。私たちも、あなたの幸せが第一よ」
「ありがとう、お母様」
リリエットはその言葉に、心の奥がふっと軽くなるのを感じた。
父は少し考え込むように指で顎を撫で、それから厳かに言った。
「ヴェステンベルク伯爵家には、こちらから伝えておこう。彼らも文句は言えまい」
「ええ。クラウディオ様も、無理に急かそうとは思っていないでしょう」
母が穏やかに微笑んだ。
「本当に、それでいいのね?」
「はい」
リリエットは迷いなく答えた。
学園を卒業したらすぐに結婚する。そんな未来を当然のこととして受け入れていた時期もあった。
けれど、今は違う。
彼が変わり始めたのは分かる。だが、それをすぐに受け入れられるほど、過去の傷は浅くなかった。
だからこそ、彼女は時間をかけることを選んだ。
「よし。ならば、そうしよう」
父が静かに頷き、母も満足げに微笑む。
「リリエット、あなたの幸せを一番に考えなさい」
母の言葉に、リリエットは微笑んだ。
「はい、お母様」
こうして、彼女の結婚は先送りになった。
そして、その知らせを受けたクラウディオがどう受け止めるのか――
ヴェステンベルク伯爵家の執務室には、緊張した空気が漂っていた。
クラウディオは父である伯爵の前に立ち、無言で書状を受け取った。その端正な顔に浮かぶのは、何とも言えない沈黙。
「クラウゼヴィッツ侯爵家からの正式な通達だ」
アルベルト・ヴェステンベルク伯爵は書状を指で弾きながら、静かに言った。
「婚約は継続。しかし、学園卒業後すぐの結婚は見送る――とのことだ」
その言葉を聞いたクラウディオの指が、わずかに震えた。
「……そうですか」
「当然だろう」
父の声には、呆れと厳しさが滲んでいた。
「今までお前が何をしてきたか、考えれば当然の結果だ。むしろ婚約破棄されなかっただけでもありがたいと思え」
クラウディオは黙って視線を落とした。
それは彼自身が最もよく理解していることだった。
「文句があるのか?」
父の言葉に、クラウディオはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。彼女の決断を尊重します」
それだけを言い残し、クラウディオは書状を手に取ると、そのまま部屋を後にした。
扉が閉まると、伯爵は深くため息をついた。
――一方、クラウディオはそのまま自室へと向かった。
扉を閉め、手元の書状を静かに見つめる。
彼女が、自分との結婚をすぐに望んでいないことは、当然のことだった。
まだ完全に信頼を取り戻したわけではない。
「……当然、か」
小さく苦笑しながら、クラウディオは窓辺に歩み寄った。
外は静かに夕闇が迫っている。
だが、焦りはなかった。
むしろ、時間ができたことに安堵すらしていた。
――今の自分は、まだリリエットの隣に立つ資格がない。
ならば、その資格を得るまで、彼女が振り向いてくれるまで、彼はただ努力するのみだ。
「……待っていてくれ」
静かに呟くと、クラウディオは目を閉じた。
決意を新たにする彼の姿を、部屋の窓から差し込む月光が淡く照らしていた。
リリエットはソファに端然と座り、目の前には両親。母は穏やかに紅茶を口にし、父は腕を組んでじっと娘を見つめていた。
「つまり、お前は結婚の時期を先送りにしたい、と?」
父の低く落ち着いた声に、リリエットはゆっくりと頷いた。
「はい」
母は静かにカップを置き、優しく微笑んだ。
「理由を聞かせてもらえるかしら?」
リリエットは一瞬考え、それからしっかりと顔を上げた。
「婚約は続けるつもりです。でも、私はまだ……彼と向き合いながら、自分の気持ちを確かめたいんです」
父はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……そうか」
「今までのことを考えれば、当然の判断でしょうね」
母がやわらかく微笑む。
「あなたは十分に我慢してきたわ。だからこそ、急いで決める必要はない。私たちも、あなたの幸せが第一よ」
「ありがとう、お母様」
リリエットはその言葉に、心の奥がふっと軽くなるのを感じた。
父は少し考え込むように指で顎を撫で、それから厳かに言った。
「ヴェステンベルク伯爵家には、こちらから伝えておこう。彼らも文句は言えまい」
「ええ。クラウディオ様も、無理に急かそうとは思っていないでしょう」
母が穏やかに微笑んだ。
「本当に、それでいいのね?」
「はい」
リリエットは迷いなく答えた。
学園を卒業したらすぐに結婚する。そんな未来を当然のこととして受け入れていた時期もあった。
けれど、今は違う。
彼が変わり始めたのは分かる。だが、それをすぐに受け入れられるほど、過去の傷は浅くなかった。
だからこそ、彼女は時間をかけることを選んだ。
「よし。ならば、そうしよう」
父が静かに頷き、母も満足げに微笑む。
「リリエット、あなたの幸せを一番に考えなさい」
母の言葉に、リリエットは微笑んだ。
「はい、お母様」
こうして、彼女の結婚は先送りになった。
そして、その知らせを受けたクラウディオがどう受け止めるのか――
ヴェステンベルク伯爵家の執務室には、緊張した空気が漂っていた。
クラウディオは父である伯爵の前に立ち、無言で書状を受け取った。その端正な顔に浮かぶのは、何とも言えない沈黙。
「クラウゼヴィッツ侯爵家からの正式な通達だ」
アルベルト・ヴェステンベルク伯爵は書状を指で弾きながら、静かに言った。
「婚約は継続。しかし、学園卒業後すぐの結婚は見送る――とのことだ」
その言葉を聞いたクラウディオの指が、わずかに震えた。
「……そうですか」
「当然だろう」
父の声には、呆れと厳しさが滲んでいた。
「今までお前が何をしてきたか、考えれば当然の結果だ。むしろ婚約破棄されなかっただけでもありがたいと思え」
クラウディオは黙って視線を落とした。
それは彼自身が最もよく理解していることだった。
「文句があるのか?」
父の言葉に、クラウディオはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。彼女の決断を尊重します」
それだけを言い残し、クラウディオは書状を手に取ると、そのまま部屋を後にした。
扉が閉まると、伯爵は深くため息をついた。
――一方、クラウディオはそのまま自室へと向かった。
扉を閉め、手元の書状を静かに見つめる。
彼女が、自分との結婚をすぐに望んでいないことは、当然のことだった。
まだ完全に信頼を取り戻したわけではない。
「……当然、か」
小さく苦笑しながら、クラウディオは窓辺に歩み寄った。
外は静かに夕闇が迫っている。
だが、焦りはなかった。
むしろ、時間ができたことに安堵すらしていた。
――今の自分は、まだリリエットの隣に立つ資格がない。
ならば、その資格を得るまで、彼女が振り向いてくれるまで、彼はただ努力するのみだ。
「……待っていてくれ」
静かに呟くと、クラウディオは目を閉じた。
決意を新たにする彼の姿を、部屋の窓から差し込む月光が淡く照らしていた。
900
あなたにおすすめの小説
『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様
恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。
不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、
伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。
感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、
ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。
「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」
足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。
「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」
一度凍りついた心は、二度と溶けない。
後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、
終わりのない贖罪の記録。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした
今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。
二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。
しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。
元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。
そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。
が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。
このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。
※ざまぁというよりは改心系です。
※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。
【改稿版】光を忘れたあなたに、永遠の後悔を
桜野なつみ
恋愛
幼き日より、王と王妃は固く結ばれていた。
政略ではなく、互いに慈しみ育んだ、真実の愛。
二人の間に生まれた双子は王国の希望であり、光だった。
だが国に流行病が蔓延したある日、ひとりの“聖女”が現れる。
聖女が癒やしの奇跡を見せたとされ、国中がその姿に熱狂する。
その熱狂の中、王は次第に聖女に惹かれていく。
やがて王は心を奪われ、王妃を遠ざけてゆく……
ーーーーーーーー
初作品です。
自分の読みたい要素をギュッと詰め込みました。
婚約者は嘘つき!私から捨ててあげますわ
あんり
恋愛
「マーティン様、今、わたくしと婚約破棄をなさりたいと、そうおっしゃいましたの?」
愛されていると信じていた婚約者から、突然の別れを告げられた侯爵令嬢のエリッサ。
理由も分からないまま社交界の噂に晒され、それでも彼女は涙を見せず、誇り高く微笑んでみせる。
―――けれど本当は、あの別れの裏に“何か”がある気がしてならなかった。
そんな中、従兄である第二王子アダムが手を差し伸べる。
新たな婚約、近づく距離、揺れる心。
だがエリッサは知らない。
かつての婚約者が、自ら悪者になってまで隠した「真実」を。
捨てられた令嬢?いいえ違いますわ。
わたくしが、未来を選び直すの。
勘違いとすれ違いから始まる、切なくて優しい恋の物語。
幼馴染同士が両想いらしいので応援することにしたのに、なぜか彼の様子がおかしい
今川幸乃
恋愛
カーラ、ブライアン、キャシーの三人は皆中堅貴族の生まれで、年も近い幼馴染同士。
しかしある時カーラはたまたま、ブライアンがキャシーに告白し、二人が結ばれるのを見てしまった(と勘違いした)。
そのためカーラは自分は一歩引いて二人の仲を応援しようと決意する。
が、せっかくカーラが応援しているのになぜかブライアンの様子がおかしくて……
※短め、軽め
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる