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5話 王女の自制とアルトの安穏
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(リリアーナ視点)
「……私が、直接行きますわ」
私はサロンの扉へ向かおうとして、レオナルドに、皮肉っぽい笑顔で遮られた。
「お待ちください、殿下。まさか、あのような“ゴミ溜め”に、その高貴な御足で踏み入るおつもりで?」
「……そこを退きなさい、公爵閣下」
「いえいえ。王女たる貴女が、誰かに会うためだけに旧寮へ突撃など……王家の威厳が地に堕ちます。お父様に知られればどうなるか!?」
侍女長も、青い顔で私の前に立ちはだかり耳打ちする。
「殿下! お考え直しください! 殿下が“特別扱い”していると知られれば、彼はどうなるか!」
「……っ!」
私は、侍女長の言葉に、動きを止めた。
公爵家の男が、扇子で口元を隠しながら、追い打ちをかける。
「そうですよ、殿下。この学園は『競り会場』。貴女の“お気に入り”というレッテルを貼られた男がもしいたなら、他の男たちからどう扱われるか……」
彼は、意地の悪い笑みを浮かべた。
「私なら、まず潰しにかかりますが」
「……卑怯だわ」
「これが貴族社会です、殿下。……今は、静観なさるのが、その男の“ため”かと」
私は、悔しさに唇を噛んだ。
ただ、公爵家の男の言う通りだ。
私が今、アルトの元へ駆けつければ、彼は入学初日にして、この学園の全ての男を敵に回すことになる。
それだけは、避けなければ。
(アルト……)
私は、旧寮の方向を睨みつける。
(……今は、耐えるしかないのね)
十年待ったのだ。
あの子に、余計な苦労をさせてはいけない。
私は、サロンのソファに深く座り直し、侍女に耳打ちした。
「……分かりましたわ。アルト・フォン・キルシュヴァッサーの動向、逐一報告なさい」
(アルト視点)
旧寮の一番端の部屋。
俺は、埃っぽい部屋を(前世の知識である)換気と水拭きで何とか住める状態にし、ベッドに腰掛けた。
……静かだ。
最高だ。
壁にはひび割れ、床は軋む。
だが、あの「競り会場」のギラギラした空気より、百万倍マシだ。
中庭の騒ぎを思い出す。
王女様が、新入生の品定めをしていたのだろう。
だが、俺には関係のない世界だ。
あんな、この世の頂点にいるような女が、没落貴族の、しかも俺に、何の用があるというのか。
釣り合うわけがない。
俺の母が、あの「イケメン」に走った時のことを思い出す。
この世界で「女」が「男」に求めるのは、地位か、美貌か、将来性だ。
俺には、そのどれもない。
あるのは、父の期待に応えるために詰め込んだ「知識」と、絶対に知られてはいけない「魔力」だけだ。
彼女が俺の名前を知っていたとしても、それは「推薦入学者のリスト」を読んだ程度だろう。
「ああ、こんなヤツもいるのね」と。
俺が旧寮に呼ばれた時点で、彼女の「興味」の対象外になったはずだ。
俺は、このまま卒業まで、この「安穏な日々」が続くことを願った。
そして翌日。
いよいよ、学園生活が始まった。
俺は、父の言いつけ通り「勉強」に集中することだけを考えた。
大広間での入学式。
俺は、一番後ろの隅、壁際の席を選んだ。
ここなら、誰も俺に注目しない。
新入生代表の挨拶は、公爵家の嫡男レオナルドと言う男だった。
流れるような言葉で、いかに自分が優秀か、いかに学園に貢献するかを語っている。
その視線が、チラチラと「ある一点」に向かっているのが、実に滑稽だ。
そして、中等部から上がって来た代表として、リリアーナ王女が壇上に立った。
彼女が立ち上がった瞬間、会場の空気が変わった。
男たちは息を飲み、女たちは憧憬《しょうけい》の眼差しを向ける。
これが、「頂点」の風格か。
彼女が何かを喋るたび、男たちから熱狂的なため息が漏れる。
「おお……」「なんと慈悲深いお言葉……」
……カルト宗教の集会か、ここは。
……俺は、一番後ろの隅の席で、その異様な光景をただ眺めていた。
王女は、一度も俺の方を見なかった。
……よし。
完璧なスタートだ。
俺は、このまま「モブ」に徹する。
父さん、見ててくれ。俺は、ここで「知識」の全てを吸収してやる。
最初の講義は、魔法理論。
俺は当然、一番後ろの席に座った。
教師が、この世界の「常識」を語る。
「魔力とは、女のみに与えられた神の恩寵である。男の魔力など、存在しないも同然――」
俺は、教科書の片隅に、誰にも見えないように魔力制御の数式を書き込みながら、欠伸《あくび》を噛み殺した。
この世界の魔法理論は、根本的な「前提」が間違っている。
男に魔力がない?
俺の体内で海のように渦巻いているコレは、一体何だと言うんだ。
この学園のレベルも、大したことはないらしい。
これなら、三年間「勉強」に打ち込見ながら、誰にも気づかれずに済みそうだ。
俺は、この時、本気で思っていた。
このまま三年間、平穏無事に卒業できると。
あの王女様が、俺の行動――「入学式で隅に座っていた」「講義で欠伸をしていた」ことまで、すべてを侍女経由で逐一報告させ、「なぜなの……」と頭を抱え、毎晩「アルト……私に会いにきてよ……!」と会えるのを願っていることなど、知る由もなかった。
「……私が、直接行きますわ」
私はサロンの扉へ向かおうとして、レオナルドに、皮肉っぽい笑顔で遮られた。
「お待ちください、殿下。まさか、あのような“ゴミ溜め”に、その高貴な御足で踏み入るおつもりで?」
「……そこを退きなさい、公爵閣下」
「いえいえ。王女たる貴女が、誰かに会うためだけに旧寮へ突撃など……王家の威厳が地に堕ちます。お父様に知られればどうなるか!?」
侍女長も、青い顔で私の前に立ちはだかり耳打ちする。
「殿下! お考え直しください! 殿下が“特別扱い”していると知られれば、彼はどうなるか!」
「……っ!」
私は、侍女長の言葉に、動きを止めた。
公爵家の男が、扇子で口元を隠しながら、追い打ちをかける。
「そうですよ、殿下。この学園は『競り会場』。貴女の“お気に入り”というレッテルを貼られた男がもしいたなら、他の男たちからどう扱われるか……」
彼は、意地の悪い笑みを浮かべた。
「私なら、まず潰しにかかりますが」
「……卑怯だわ」
「これが貴族社会です、殿下。……今は、静観なさるのが、その男の“ため”かと」
私は、悔しさに唇を噛んだ。
ただ、公爵家の男の言う通りだ。
私が今、アルトの元へ駆けつければ、彼は入学初日にして、この学園の全ての男を敵に回すことになる。
それだけは、避けなければ。
(アルト……)
私は、旧寮の方向を睨みつける。
(……今は、耐えるしかないのね)
十年待ったのだ。
あの子に、余計な苦労をさせてはいけない。
私は、サロンのソファに深く座り直し、侍女に耳打ちした。
「……分かりましたわ。アルト・フォン・キルシュヴァッサーの動向、逐一報告なさい」
(アルト視点)
旧寮の一番端の部屋。
俺は、埃っぽい部屋を(前世の知識である)換気と水拭きで何とか住める状態にし、ベッドに腰掛けた。
……静かだ。
最高だ。
壁にはひび割れ、床は軋む。
だが、あの「競り会場」のギラギラした空気より、百万倍マシだ。
中庭の騒ぎを思い出す。
王女様が、新入生の品定めをしていたのだろう。
だが、俺には関係のない世界だ。
あんな、この世の頂点にいるような女が、没落貴族の、しかも俺に、何の用があるというのか。
釣り合うわけがない。
俺の母が、あの「イケメン」に走った時のことを思い出す。
この世界で「女」が「男」に求めるのは、地位か、美貌か、将来性だ。
俺には、そのどれもない。
あるのは、父の期待に応えるために詰め込んだ「知識」と、絶対に知られてはいけない「魔力」だけだ。
彼女が俺の名前を知っていたとしても、それは「推薦入学者のリスト」を読んだ程度だろう。
「ああ、こんなヤツもいるのね」と。
俺が旧寮に呼ばれた時点で、彼女の「興味」の対象外になったはずだ。
俺は、このまま卒業まで、この「安穏な日々」が続くことを願った。
そして翌日。
いよいよ、学園生活が始まった。
俺は、父の言いつけ通り「勉強」に集中することだけを考えた。
大広間での入学式。
俺は、一番後ろの隅、壁際の席を選んだ。
ここなら、誰も俺に注目しない。
新入生代表の挨拶は、公爵家の嫡男レオナルドと言う男だった。
流れるような言葉で、いかに自分が優秀か、いかに学園に貢献するかを語っている。
その視線が、チラチラと「ある一点」に向かっているのが、実に滑稽だ。
そして、中等部から上がって来た代表として、リリアーナ王女が壇上に立った。
彼女が立ち上がった瞬間、会場の空気が変わった。
男たちは息を飲み、女たちは憧憬《しょうけい》の眼差しを向ける。
これが、「頂点」の風格か。
彼女が何かを喋るたび、男たちから熱狂的なため息が漏れる。
「おお……」「なんと慈悲深いお言葉……」
……カルト宗教の集会か、ここは。
……俺は、一番後ろの隅の席で、その異様な光景をただ眺めていた。
王女は、一度も俺の方を見なかった。
……よし。
完璧なスタートだ。
俺は、このまま「モブ」に徹する。
父さん、見ててくれ。俺は、ここで「知識」の全てを吸収してやる。
最初の講義は、魔法理論。
俺は当然、一番後ろの席に座った。
教師が、この世界の「常識」を語る。
「魔力とは、女のみに与えられた神の恩寵である。男の魔力など、存在しないも同然――」
俺は、教科書の片隅に、誰にも見えないように魔力制御の数式を書き込みながら、欠伸《あくび》を噛み殺した。
この世界の魔法理論は、根本的な「前提」が間違っている。
男に魔力がない?
俺の体内で海のように渦巻いているコレは、一体何だと言うんだ。
この学園のレベルも、大したことはないらしい。
これなら、三年間「勉強」に打ち込見ながら、誰にも気づかれずに済みそうだ。
俺は、この時、本気で思っていた。
このまま三年間、平穏無事に卒業できると。
あの王女様が、俺の行動――「入学式で隅に座っていた」「講義で欠伸をしていた」ことまで、すべてを侍女経由で逐一報告させ、「なぜなの……」と頭を抱え、毎晩「アルト……私に会いにきてよ……!」と会えるのを願っていることなど、知る由もなかった。
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