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10話 王女の苦悩とすれ違う秘密
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(リリアーナ視点)
離宮のテラスで、私は夜風に当たりながら、侍女長が彼――アルト・フォン・キルシュヴァッサーを連れてくるのを待っていた。
ドレスの下で、膝が震えているのを必死に抑え込む。
心臓が、王女にあるまじきほど、早鐘を打っていた。
……やっと、会える。
十年。あまりにも長すぎた。
あの森で、岩に押しつぶされ、死の淵にいた私を救い出してくれた、不思議な少年。
男には使えないはずの神聖魔法で、私の命を繋いだ、たった一人の恩人。
ずっと、ずっと待っていた。
学園に推薦入学で彼が入ってきたと知った時、どれほど胸が躍ったことか。
すぐにでも駆け寄って、「ありがとう」と抱きつきたかった。
それなのに。
……なぜ、あなたは、私を避けるの?
彼は旧寮を選び、誰とも関わらず、ひたすら図書館に籠もる。
私が図書館の閲覧室から、どれだけ切ない思いで、ガラス越しに彼の横顔を見つめていたことか。
実技訓練での、あの一瞬の、けれど太陽のように激しい魔力の輝き。
間違いない。私を救った、あの温かい光だ。
だが、彼はその力を頑なに隠し、影に徹しようとする。
だから、私も、王女としての「権力」を最大限に利用するしかなかった。
……嫌われても、構わない。
他のあさましい女たちが彼に目を付ける前に、私が彼を「見定め」、そして「囲い込む」必要があるのだから。
そうでもしなければ、あなたは私の前になど来てくれないでしょう?
重い扉が開き、侍女長の硬い声が響く。
「……お連れいたしました」
私は深呼吸をして、「王女」の仮面を被り直す。
月明かりを背にしたまま、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、十年前の面影を色濃く残した、私のヒーロー。
――目が合った瞬間。
私の心臓が、ズキリと音を立てて痛んだ。
「…………え?」
彼の、呆然とした顔。
そこに宿っていたのは、私への懐かしさでも、再会の喜びでもなかった。
絶対的な権力者に対する、純粋な「恐怖」と「警戒」。
まるで、捕食者を前にした小動物のような怯え。
……そう。そうよね。あなたは、私があの時の少女だなんて、夢にも思っていない。
むしろ、私は今、彼を実験しようとしている、恐ろしい支配者にさえ見えているのだろう。
悲しかった。
泣き出したかった。
でも、そんな訳にはいかない。
「……待っていましたわ、アルト・フォン・キルシュヴァッサー」
込み上げる感情を喉の奥で押し殺し、私は完璧な笑みを浮かべて、彼に声をかけた。
案の定、彼は、私を睨み返してきた。
「……なぜ、俺を?」
その短く、低い問いかけが、私と彼の間の、あまりにも遠い距離を物語っていた。
侍女長を下がらせ、二人きりになる。
私がソファを勧めても、彼は扉の近くから一歩も動かず身構えている。
「御用件を伺います」
……その無礼な態度すら、今は愛おしい。
だが、許すわけにはいかない。私は彼を守らなければならないのだから。
「……このような形でしか、貴方と話すことができなかったこと、まずはお詫びしますわ」
本当は、こんな権力《ちから》を使わずに、普通に話し合いたかった。
「私の立場を、貴方はご存じのはず。……貴方を無用な嫉妬や危険から守るためでもありますの」
「……だから、こんな真似を?」
彼の皮肉が、私の心を抉る。
違う、そうじゃないの、アルト……! 分かって!
心の中で叫びながら、私は彼に、最大の「枷」をはめる。
「今夜のこと、ここでのことは、絶対に誰にも話してはなりません。……たとえ、父である『王』に問われたとしても、です」
これは、彼のためであり、私のためでもある。
私のこの行動は、「王女」としての公務ではない。
父にすら言えない、私の、たった一つの「秘密」なのだから。
彼の顔が、絶望に歪む。
……やはり、あの一件で、私に不審を感じてるのね。
私は、彼の真意を確かめるため、核心に触れた。
「……先日の、魔法実技訓練。……あの水晶玉の件ですわ」
彼の喉が、ゴクリと鳴った。
お願い、アルト。私にだけは、本当のことを言って……。私を信じて……。
私は祈るような気持ちで彼を見つめた。
だが、彼から返ってきた言葉は、私の期待を無惨に裏切るものだった。
「……あれは、教師が言った通り、機材の老朽化による誤作動です。俺には、魔力など……」
「『誤作動』」
私は、彼の言葉をオウム返しし、必死に口角を上げた。笑っていなければ、涙がこぼれそうだったから。
「……そう。貴方は、そう答えるのですね」
……悲しかった。
私を救ってくれた、あの偉大で優しい力を。
彼は、この私にすら「誤作動」だと言い張る。
そこまでして、彼は何を隠しているの? 誰を恐れているの?
いいえ、違う。
私が、信頼されていないのだ。
彼の目には、私は秘密を打ち明けるに値しない、ただの傲慢な王女にしか映っていない。
……これ以上は、無理。
これ以上彼と話せば、私の「王女」の仮面が剥がれてしまう。
今の私にはまだ、彼に本心を打ち明ける資格はない。
「分かりましたわ。今日は、もうお下がりください」
「……は?」
彼の、素っ頓狂な声。
……え? これだけ? ……そんな顔をしているわ。
可愛い、人。
「私は、貴方が『何者』なのか、このリリアーナが直接、見定める必要がありましたので」
そう。私は「王女」として、貴方という「イレギュラー」を見定めた。
そして、あの森の中で私を助けてくれた「昔のままの優しいアルト」であることを、確かに確認した。
それだけで、今は十分。
私は、侍女長を呼び戻し、あえて彼に背を向けた。
これ以上、「警戒」に満ちたアルトの顔を見ていたら、泣いてしまいそうだったから。
「……今宵のことは、誰にも話してはなりませんよ」
彼が退出していく背中を、私は見ることができなかった。
バタン、と重い扉が閉まる音がして、広い部屋に静寂が戻る。
一人残された離宮で、私は、彼が立っていた扉のそばに歩み寄る。
そこには、まだ、彼が纏っていた、旧寮の埃っぽい匂いと、微かな「恐怖」の気配が残っていた。
私は、彼がいた場所の空気を抱きしめるように、扉に額を押し付けた。
「……アルト。あなたは、やはり気づかないのね」
私を、助けてくれたことも。
……そして、私が、あの時、血まみれの中で貴方に何を誓ったかも。
『ありがとう。私、あなたのお嫁さんになってあげる』
私は、唇を噛み締めた。
十年越しの再会は、最悪の形で終わってしまった。
けれど。
私は、絶対に諦めない。
この歪んだ世界で、貴方を守り、そしていつか必ず、貴方に本当の私を見てもらうために。
私は涙を拭い、再び冷徹な王女の瞳で、夜空の月を見上げた。
離宮のテラスで、私は夜風に当たりながら、侍女長が彼――アルト・フォン・キルシュヴァッサーを連れてくるのを待っていた。
ドレスの下で、膝が震えているのを必死に抑え込む。
心臓が、王女にあるまじきほど、早鐘を打っていた。
……やっと、会える。
十年。あまりにも長すぎた。
あの森で、岩に押しつぶされ、死の淵にいた私を救い出してくれた、不思議な少年。
男には使えないはずの神聖魔法で、私の命を繋いだ、たった一人の恩人。
ずっと、ずっと待っていた。
学園に推薦入学で彼が入ってきたと知った時、どれほど胸が躍ったことか。
すぐにでも駆け寄って、「ありがとう」と抱きつきたかった。
それなのに。
……なぜ、あなたは、私を避けるの?
彼は旧寮を選び、誰とも関わらず、ひたすら図書館に籠もる。
私が図書館の閲覧室から、どれだけ切ない思いで、ガラス越しに彼の横顔を見つめていたことか。
実技訓練での、あの一瞬の、けれど太陽のように激しい魔力の輝き。
間違いない。私を救った、あの温かい光だ。
だが、彼はその力を頑なに隠し、影に徹しようとする。
だから、私も、王女としての「権力」を最大限に利用するしかなかった。
……嫌われても、構わない。
他のあさましい女たちが彼に目を付ける前に、私が彼を「見定め」、そして「囲い込む」必要があるのだから。
そうでもしなければ、あなたは私の前になど来てくれないでしょう?
重い扉が開き、侍女長の硬い声が響く。
「……お連れいたしました」
私は深呼吸をして、「王女」の仮面を被り直す。
月明かりを背にしたまま、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、十年前の面影を色濃く残した、私のヒーロー。
――目が合った瞬間。
私の心臓が、ズキリと音を立てて痛んだ。
「…………え?」
彼の、呆然とした顔。
そこに宿っていたのは、私への懐かしさでも、再会の喜びでもなかった。
絶対的な権力者に対する、純粋な「恐怖」と「警戒」。
まるで、捕食者を前にした小動物のような怯え。
……そう。そうよね。あなたは、私があの時の少女だなんて、夢にも思っていない。
むしろ、私は今、彼を実験しようとしている、恐ろしい支配者にさえ見えているのだろう。
悲しかった。
泣き出したかった。
でも、そんな訳にはいかない。
「……待っていましたわ、アルト・フォン・キルシュヴァッサー」
込み上げる感情を喉の奥で押し殺し、私は完璧な笑みを浮かべて、彼に声をかけた。
案の定、彼は、私を睨み返してきた。
「……なぜ、俺を?」
その短く、低い問いかけが、私と彼の間の、あまりにも遠い距離を物語っていた。
侍女長を下がらせ、二人きりになる。
私がソファを勧めても、彼は扉の近くから一歩も動かず身構えている。
「御用件を伺います」
……その無礼な態度すら、今は愛おしい。
だが、許すわけにはいかない。私は彼を守らなければならないのだから。
「……このような形でしか、貴方と話すことができなかったこと、まずはお詫びしますわ」
本当は、こんな権力《ちから》を使わずに、普通に話し合いたかった。
「私の立場を、貴方はご存じのはず。……貴方を無用な嫉妬や危険から守るためでもありますの」
「……だから、こんな真似を?」
彼の皮肉が、私の心を抉る。
違う、そうじゃないの、アルト……! 分かって!
心の中で叫びながら、私は彼に、最大の「枷」をはめる。
「今夜のこと、ここでのことは、絶対に誰にも話してはなりません。……たとえ、父である『王』に問われたとしても、です」
これは、彼のためであり、私のためでもある。
私のこの行動は、「王女」としての公務ではない。
父にすら言えない、私の、たった一つの「秘密」なのだから。
彼の顔が、絶望に歪む。
……やはり、あの一件で、私に不審を感じてるのね。
私は、彼の真意を確かめるため、核心に触れた。
「……先日の、魔法実技訓練。……あの水晶玉の件ですわ」
彼の喉が、ゴクリと鳴った。
お願い、アルト。私にだけは、本当のことを言って……。私を信じて……。
私は祈るような気持ちで彼を見つめた。
だが、彼から返ってきた言葉は、私の期待を無惨に裏切るものだった。
「……あれは、教師が言った通り、機材の老朽化による誤作動です。俺には、魔力など……」
「『誤作動』」
私は、彼の言葉をオウム返しし、必死に口角を上げた。笑っていなければ、涙がこぼれそうだったから。
「……そう。貴方は、そう答えるのですね」
……悲しかった。
私を救ってくれた、あの偉大で優しい力を。
彼は、この私にすら「誤作動」だと言い張る。
そこまでして、彼は何を隠しているの? 誰を恐れているの?
いいえ、違う。
私が、信頼されていないのだ。
彼の目には、私は秘密を打ち明けるに値しない、ただの傲慢な王女にしか映っていない。
……これ以上は、無理。
これ以上彼と話せば、私の「王女」の仮面が剥がれてしまう。
今の私にはまだ、彼に本心を打ち明ける資格はない。
「分かりましたわ。今日は、もうお下がりください」
「……は?」
彼の、素っ頓狂な声。
……え? これだけ? ……そんな顔をしているわ。
可愛い、人。
「私は、貴方が『何者』なのか、このリリアーナが直接、見定める必要がありましたので」
そう。私は「王女」として、貴方という「イレギュラー」を見定めた。
そして、あの森の中で私を助けてくれた「昔のままの優しいアルト」であることを、確かに確認した。
それだけで、今は十分。
私は、侍女長を呼び戻し、あえて彼に背を向けた。
これ以上、「警戒」に満ちたアルトの顔を見ていたら、泣いてしまいそうだったから。
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私は、彼がいた場所の空気を抱きしめるように、扉に額を押し付けた。
「……アルト。あなたは、やはり気づかないのね」
私を、助けてくれたことも。
……そして、私が、あの時、血まみれの中で貴方に何を誓ったかも。
『ありがとう。私、あなたのお嫁さんになってあげる』
私は、唇を噛み締めた。
十年越しの再会は、最悪の形で終わってしまった。
けれど。
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