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第3話 カルヴィンの恋 -2-
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カルヴィン十八歳、ミーシャ十六歳。
ミーシャは定期的にボークラーク邸を訪れていた。
ふたりでお茶を飲んでいるところに三歳年上の兄のアンディが通りかかると、ミーシャの顔がぱっと華やいだ。
「ねえ、アンディも一緒に休憩しましょうよ」
軽やかな声でアンディを呼び止める。しかし、兄はそっけなく返事を返すだけだった。
「悪い、友人が待っているんだ」
「そうなの……。残念だわ、また今度ね」
ミーシャの視線は立ち去るアンディの背中をじっと追いかけている。
「ミーシャ?」
カルヴィンが呼びかけても振り向きもしない。
「もしかして、兄さんが気になるの?」
「どうでもいいでしょ。カルには関係ないから」
不機嫌さを隠そうともせず、ミーシャはそっぽを向く。
ボークラーク侯爵家の長男であるアンディは、端正な顔立ちに長身と見た目もよく、話術巧みで人当たりもいい。
そして自信家でつねに堂々とふるまっている。弟の目から見ても男性的な魅力にあふれていると思う。
多くの女性に想いを寄せられるのも当然だろう。けれども、ミーシャもそのうちの一人だとは思いたくなかった。
こまめに屋敷に足を運んでくれるのは、婚約者である自分が好きだからだと信じたかった。しかし、こうも目の前でその事実を突きつけられては、彼女のお目当ては兄であると認めざるを得なかった。
アンディには許嫁がいる。名門マクシミリアン公爵家の令嬢で、ふたりが生まれる前から婚約が決まっていた。
才色兼備のローラ嬢とアンディは再来年に結婚式を挙げることになっている。兄が妻を娶れば、さすがにあきらめもつくだろうし、ミーシャの気持ちは自分に戻ってくるだろう。
アンディへの恋心は一時の気の迷い、若気の至りだったと、大人になったときにはそう笑って流せる過去になっているはずだ。
一年後、予想だにしていなかったことが起きた。兄の婚約者が早逝したのだ。王都で流行した疫病に罹り、発病してから二週間後、ローラはわずか十九年の短い生涯を閉じた。
結婚の準備を始めた矢先に大切な女性を失い、アンディは深い悲しみに打ちのめされた。
「よかったら兄さんを助けてあげてくれないか」
ミーシャがアンディを気にかけ、力になりたいと思っていることはわかっていた。だからカルヴィンの方から切り出した。
「いいの?」
「ああ、もちろん。君さえよければ、慰めてあげて欲しいんだ」
「ええ。カル、ありがとう」
ミーシャのことはなくとも、兄は大事な家族であり、弟としてできることがあるなら何でもしてあげたい。
正直に言えば、兄とミーシャを会わせるのは嫌だった。しかし、自分が我慢することで、アンディが早く立ち直ってくれるなら、それでいいと思っていた。
間もなくして、カルヴィンはこの決断を激しく後悔することになる。
ミーシャは毎日のように侯爵邸にやってくるようになった。
到着したらまずカルヴィンと過ごし、それからアンディに会いに行くようにしていたが、そのうちアンディのところに直行しカルヴィンには顔も見せないようになった。ミーシャが来ていたことに気付かず、後から侍女に教えられる始末だった。
その日もミーシャが来訪していたことを知らなかった。アンディの部屋のドアが少しだけ開いていた。話し声がしたのでそっと中をのぞくと、そこには抱き合う兄とミーシャの姿があった。
目の前が真っ暗になった。
二人に気付かれぬよう、音を立てずにその場を離れた。そのまま自室へ戻ると、ふらつきながら寝台に倒れこみ、その夜は一睡もできずに朝を迎えた。
昨晩から何も食べていないが、まるで空腹は感じなかった。睡眠不足が原因なのか、激しい頭痛とか眩暈がする。立っているのも辛く横になってはみるが、目をつむると見たくなかった光景がフラッシュバックし、吐き気を催した。
午後になり、執事に声をかけられる。
「カルヴィン様、旦那様がお呼びです」
気力を振り絞ってサロンへ向かうと、父と母、ミーシャの両親が揃っていた。そしてカルヴィンの婚約者であるはずの少女は兄に寄り添っている。
重たい空気の漂う中、ミーシャの父親であるフィッツジェラルド伯爵が話を切り出した。
「カルヴィン、申し訳ないが、娘との婚約を白紙に戻してもらえないだろうか」
予想していたことだったが、頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。何か言わなければと思ったが、脳と体が切り離されたようにバラバラになって、言葉など出てこない。
「そして改めてアンディとミーシャを結婚させようと思う」
ボークラーク家は領地や事業を二人の息子に分割相続する予定だが、アンディの方が引き継ぐものが多い。せっかくなら本家になる兄の方に娘を嫁がせたいと思うのが親心だろう。
貴族の結婚は家と家との約束であり、本来は簡単に覆せるものではないが、カルヴィンとミーシャの場合は、正式な婚約ではなく、親同士の口約束だということで問題ないだろうということだった。
アンディも、ミーシャのおかげでローラの死から立ち直れそうだ、辛いときに懸命に支えてくれた彼女の愛情と優しさに報いたいという。
カルヴィンは自分一人が身を引けばいい状態に追い込まれてしまった。
「わかりました。最後にミーシャと話をさせてもらえませんか」
ミーシャに声をかけ、庭園へ誘うと、彼女はおとなしく後をついてきた。
十年前、ここで初めてふたりは顔を合わせた。
カルヴィンはその愛くるしい笑顔に一目で恋に落ちた。そして今も変わることなく彼女に恋焦がれている。親が決めた婚約者ではなく、いつか心の通じ合った本当の恋人になりたいという願いは叶うことなく潰えることになった。
「カル、あなたのことは好きよ。でもアンディを愛しているの」
ごめんなさいと謝りながら、どうしてもアンディと結婚したいと切々と訴えてくる。
ハンカチをくしゃくしゃにしながら、はらはらと涙をこぼすミーシャに対して、なぜか怒ることも責めることもできなかった。
これまでともに過ごしてきた時間は何だったのか。ただただ虚しくて、すべての感情が枯渇してしまったかのように心が空っぽだった。
「いや、もう、いいんだよ。ミーシャ、君は兄さんと幸せになって」
初恋の相手をその場に残して、カルヴィンはひとりで部屋に戻った。
ミーシャは定期的にボークラーク邸を訪れていた。
ふたりでお茶を飲んでいるところに三歳年上の兄のアンディが通りかかると、ミーシャの顔がぱっと華やいだ。
「ねえ、アンディも一緒に休憩しましょうよ」
軽やかな声でアンディを呼び止める。しかし、兄はそっけなく返事を返すだけだった。
「悪い、友人が待っているんだ」
「そうなの……。残念だわ、また今度ね」
ミーシャの視線は立ち去るアンディの背中をじっと追いかけている。
「ミーシャ?」
カルヴィンが呼びかけても振り向きもしない。
「もしかして、兄さんが気になるの?」
「どうでもいいでしょ。カルには関係ないから」
不機嫌さを隠そうともせず、ミーシャはそっぽを向く。
ボークラーク侯爵家の長男であるアンディは、端正な顔立ちに長身と見た目もよく、話術巧みで人当たりもいい。
そして自信家でつねに堂々とふるまっている。弟の目から見ても男性的な魅力にあふれていると思う。
多くの女性に想いを寄せられるのも当然だろう。けれども、ミーシャもそのうちの一人だとは思いたくなかった。
こまめに屋敷に足を運んでくれるのは、婚約者である自分が好きだからだと信じたかった。しかし、こうも目の前でその事実を突きつけられては、彼女のお目当ては兄であると認めざるを得なかった。
アンディには許嫁がいる。名門マクシミリアン公爵家の令嬢で、ふたりが生まれる前から婚約が決まっていた。
才色兼備のローラ嬢とアンディは再来年に結婚式を挙げることになっている。兄が妻を娶れば、さすがにあきらめもつくだろうし、ミーシャの気持ちは自分に戻ってくるだろう。
アンディへの恋心は一時の気の迷い、若気の至りだったと、大人になったときにはそう笑って流せる過去になっているはずだ。
一年後、予想だにしていなかったことが起きた。兄の婚約者が早逝したのだ。王都で流行した疫病に罹り、発病してから二週間後、ローラはわずか十九年の短い生涯を閉じた。
結婚の準備を始めた矢先に大切な女性を失い、アンディは深い悲しみに打ちのめされた。
「よかったら兄さんを助けてあげてくれないか」
ミーシャがアンディを気にかけ、力になりたいと思っていることはわかっていた。だからカルヴィンの方から切り出した。
「いいの?」
「ああ、もちろん。君さえよければ、慰めてあげて欲しいんだ」
「ええ。カル、ありがとう」
ミーシャのことはなくとも、兄は大事な家族であり、弟としてできることがあるなら何でもしてあげたい。
正直に言えば、兄とミーシャを会わせるのは嫌だった。しかし、自分が我慢することで、アンディが早く立ち直ってくれるなら、それでいいと思っていた。
間もなくして、カルヴィンはこの決断を激しく後悔することになる。
ミーシャは毎日のように侯爵邸にやってくるようになった。
到着したらまずカルヴィンと過ごし、それからアンディに会いに行くようにしていたが、そのうちアンディのところに直行しカルヴィンには顔も見せないようになった。ミーシャが来ていたことに気付かず、後から侍女に教えられる始末だった。
その日もミーシャが来訪していたことを知らなかった。アンディの部屋のドアが少しだけ開いていた。話し声がしたのでそっと中をのぞくと、そこには抱き合う兄とミーシャの姿があった。
目の前が真っ暗になった。
二人に気付かれぬよう、音を立てずにその場を離れた。そのまま自室へ戻ると、ふらつきながら寝台に倒れこみ、その夜は一睡もできずに朝を迎えた。
昨晩から何も食べていないが、まるで空腹は感じなかった。睡眠不足が原因なのか、激しい頭痛とか眩暈がする。立っているのも辛く横になってはみるが、目をつむると見たくなかった光景がフラッシュバックし、吐き気を催した。
午後になり、執事に声をかけられる。
「カルヴィン様、旦那様がお呼びです」
気力を振り絞ってサロンへ向かうと、父と母、ミーシャの両親が揃っていた。そしてカルヴィンの婚約者であるはずの少女は兄に寄り添っている。
重たい空気の漂う中、ミーシャの父親であるフィッツジェラルド伯爵が話を切り出した。
「カルヴィン、申し訳ないが、娘との婚約を白紙に戻してもらえないだろうか」
予想していたことだったが、頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。何か言わなければと思ったが、脳と体が切り離されたようにバラバラになって、言葉など出てこない。
「そして改めてアンディとミーシャを結婚させようと思う」
ボークラーク家は領地や事業を二人の息子に分割相続する予定だが、アンディの方が引き継ぐものが多い。せっかくなら本家になる兄の方に娘を嫁がせたいと思うのが親心だろう。
貴族の結婚は家と家との約束であり、本来は簡単に覆せるものではないが、カルヴィンとミーシャの場合は、正式な婚約ではなく、親同士の口約束だということで問題ないだろうということだった。
アンディも、ミーシャのおかげでローラの死から立ち直れそうだ、辛いときに懸命に支えてくれた彼女の愛情と優しさに報いたいという。
カルヴィンは自分一人が身を引けばいい状態に追い込まれてしまった。
「わかりました。最後にミーシャと話をさせてもらえませんか」
ミーシャに声をかけ、庭園へ誘うと、彼女はおとなしく後をついてきた。
十年前、ここで初めてふたりは顔を合わせた。
カルヴィンはその愛くるしい笑顔に一目で恋に落ちた。そして今も変わることなく彼女に恋焦がれている。親が決めた婚約者ではなく、いつか心の通じ合った本当の恋人になりたいという願いは叶うことなく潰えることになった。
「カル、あなたのことは好きよ。でもアンディを愛しているの」
ごめんなさいと謝りながら、どうしてもアンディと結婚したいと切々と訴えてくる。
ハンカチをくしゃくしゃにしながら、はらはらと涙をこぼすミーシャに対して、なぜか怒ることも責めることもできなかった。
これまでともに過ごしてきた時間は何だったのか。ただただ虚しくて、すべての感情が枯渇してしまったかのように心が空っぽだった。
「いや、もう、いいんだよ。ミーシャ、君は兄さんと幸せになって」
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