その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Eight

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 凍える指先に、ハーッと息を吹きかける。唇から溢れた白い吐息が、細く流れて夕暮れの空気と溶けた。

 学校の駐輪場の屋根の下。細かな霧雨を見つめながら、わたしは小さく身体を震わせた。

 少し前までは、これほど寒くなかったのに。月が変わった途端に冬がやってきたのか、急に気温が低くなった。特に雨が降ったあとの放課後は、手先の感覚がなくなるほどに寒い。

 これから、手袋とカイロを持ってこようかな。もう一度手の指に息を吐きかけながら、制服のスカートの下から剥き出しになっている膝を擦り合わせる。

 午後の授業が終わって教室を出てから、かれこれ二時間。少しずつ弱まっていく雨を眺めながら駐輪場で待っているが、那央くんはまだやってきそうもない。

 二学期の半ばを過ぎた頃から、那央くんを訪ねて放課後の化学準備室にくる三年生が増えた。それも、性別問わず。

 受験が近付いて本格的に危機感を覚えた三年生たちが、那央くんのところに質問にきているらしい。

 あまりに毎日いろんな生徒がやってくるから、那央くんはついに三年生のために放課後の化学準備室を開放した。そのせいもあって、最近の那央くんは晴れだろうが、雨だろうが、化学準備室に足止めをくらい、なかなか学校を出られない。

 質問に来ている三年生たちのいる化学準備室に乗り込むわけにもいかないから、雨の日はいつも駐輪場で那央くんを待っている。


 二時間前、昇降口で別れた唯葉には「寒いのに、今日も待つの?」と、呆れたように笑われた。唯葉には「平気だよ」なんて強がってみせたけど、思ったよりも平気じゃない。

 今日は特に寒い。あんまり寒いから、学食の外の自動販売機まで走って温かい飲み物でも買いに行きたいくらいだけど、そのあいだに那央くんが出てきてすれ違っても困る。

 震えながら葛藤していると、校舎のほうから黒い人影が近付いてきた。

 那央くん、やっと出てきた。嬉しくなって、我慢できずに駆け寄ると、那央くんがわたしを見下ろして呆れたように目を細めた。

「やっぱり、また外で待ってた」

 ため息とともに、那央くんの口から漏れた白い息。直接言葉にされたわけではないけれど、迷惑だと態度で示されたような気がして落ち込む。

 うつむいて、シュンと肩を落とすと、那央くんがわたしの頬にハンドタオルを押し付けてきた。だけどそれは、タオルにしては温かい。そして、固い。

 顔を上げると、那央くんが呆れたように笑いながら、ハンドタオルに包まれた何かをわたしの手に握らせる。

「砂糖入りなら飲めるんだよな?」

 渡されたハンドタオルを開けてみると、そこにはホットカフェオレの缶が入っていた。

 わたしが無糖のコーヒーが飲めないと言ったのを覚えてくれていたのか、缶にはミルクたっぷりという表記がされている。

「これ……」
「寒いから、身体冷えてるだろ」
「うん、ありがとう」
「そろそろ寒くなってきたから、待っててくれるなら室内にいて。特に雨の日は冷えるし。三年のやつらに勉強教えながら、風邪ひかせないか気がかりでしょうがない」

 那央くんが僅かに眉を寄せながら、わたしの頭に手をのせる。

「うわ、髪の毛まで冷てぇな」

 顔をしかめながらグシャグシャとわたしの髪を触る那央くんの手も、凍えた指先をじんわりと溶かしていくカフェオレも温かい。迷惑がられたわけじゃないことがわかって、ほっとするのと同時に、心臓が押し潰されたみたいにギュッとした。

「待たせて悪かったな。帰るか」

 お昼過ぎから降り始めた雨は、今はもうほぼやんで、傘も必要がないくらいだ。それなのに、車のロックを開けた那央くんが、あたりまえみたいにわたしを助手席に乗せてくれる。

 運転席に座った那央くんが、フロントガラスについた水滴をワイパーではらう。最近の那央くんは、小雨程度では震えなくなった。フロントガラスを打つ雨を、虚ろな目で見つめることもなくなった。

 わたしが助手席でシートベルトを締めて、スマホで音楽を再生すると、晴れた日と変わらない様子で。何の躊躇いもなく、アクセルを踏み込んで車を発進させる。

「今日は歌わないの?」

 いつもかけている男性アーティストのバラードを再生して、那央くんの整った綺麗な横顔をぼんやり眺めていると、彼がわたしを横目に見ながら問いかけてきた。
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