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27. Side航 〜デキるふたり〜
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「それで、いい加減教えてくださいよ。降谷さんもいることですし、今日こそは噂の彼女のこと聞かせてくれますよね?」
「俺も年始からずっと気になってたんだからな」
3月末のある金曜日の仕事終わり、俺は降谷さんと中津とともに焼き鳥屋でお酒を飲み交わしていた。
人事部長である降谷さんは、採用活動や新入社員の入社で4月から本格的に繁忙期を迎えるため、その前に飲もうと誘われ集まったのだ。
そして二人から詰め寄られるように求められているのが“彼女”のことだ。
年始に既婚者を装うための指輪を外し、彼女がいると公言した際に、これまで口裏を合わせていてくれた二人にも手助けしてくれていた御礼とともにその事実は報告していた。
ただ詳細はまた今度と話したきり、なんだかんだタイミングを逃して今である。
「なにを話せばいいですか? 年末から付き合うことになったのは以前お話したのでご存知だと思いますけど」
「全然女性に興味なさそうでしたし、実際女っけなかったのにいつの間にって驚いたんですよ」
「中津の言う通り。しかも既婚者のフリしてたっていうのに、どうやって出会ったんだ?」
「出会ったというか、もともと知り合いだったんですよ。偶然の出来事で既婚者じゃないことを話さざるを得なくなって……というのが馴れ初めですかね」
ビールを飲みながら、相手が志穂であるとは思わせない何食わぬ顔でしれっと言い放つ。
俺の口ぶりから二人は学生時代の知り合いだと思い込んだらしく、まさか部下であるとは思い至っていないようだ。
「そうか、バレたことがきっかけになったのか。ともかくいつまでも既婚者のフリをしてるのはどうかと思ってたから速水に彼女が出来て良かった」
「本当ですよ! 前の彼女さんと別れてもう3年以上経ってましたしね。仕事しか興味ない感じに心配してましたから。それで、その航さんの気を変えた稀有な彼女さんはどんな方なんです?」
「どんなって……」
そう問いかけられて脳裏に思い浮かぶのは、ここ最近の志穂の姿だ。
先日俺が隠していたことを打ち明け、志穂がトラウマを乗り越える決意をしたことで、お互いに性的に問題を抱えていた部分がクリアになった。
デキナイふたりは、デキルふたりへ変わり、それから普通の恋人同士のようにイチャイチャにセックスも加わるようになった。
反応するようになって以降、俺を悩ませていたものは取り払われたと言える。
だが、また新たな悩ましさが発生した。
……志穂の可愛さに磨きがかかったんだよなぁ。色香まで纏わせだして心配も増したし。
それは彼女が可愛すぎるという明らかに贅沢な悩みだった。
謝恩会の日にホテルで初めてをした時の志穂は処女で、その後の数回こそ受け身だったのだが、その後言葉通りに勉強したのかどんどん積極的になってきたのだ。
どこで覚えてきたんだと突っ込みたくなるようなことをしてくる。
航さんがやってるのをマネしてみたとか、SNSで目にしたのをやってみたとか言う。
どうやら今まで出来なかったことが出来るようになったのが嬉しいようでその反動から、かなり探究心に火が灯っているようだ。
もともとイチャイチャするのが好きな志穂らしいといえば志穂らしい。
こんなふうに彼女の方から積極的に来られて嬉しくないわけがないし、可愛くて仕方ない。
落ち着いていると普段言われる俺はどこへやら、志穂を前にすると余裕がなくなる気がする。
「……そうだなぁ、俺の余裕をなくさせる人かな」
中津からの彼女はどんな人?という質問に俺はそう答えた。
その回答は二人にとって意外すぎるものだったらしく、ビールを持つ手を止めて揃って目を剥いている。
「速水の余裕のない姿なんて想像できないな。初めて会った新入社員の頃から今の落ち着きがあったしな」
「余裕がなくなるくらい航さんを振り回す方なんですか⁉︎ 魔性の女じゃないですか!」
「魔性の女って言葉はなんかピンと来ないかな。むしろ思ってることをそのまま口にするから分かりやすいし、駆け引きするようなタイプでもないしね」
魔性の女という単語にミステリアスで妖艶な女性のイメージがあった俺は、違和感を感じて否定する。
志穂はどちらかというと、言葉や行動自体はバカ正直だから分かりやすい。
だが、たまに何をするのか分からない感じがあり、そういう意味で目が離せないという振り回され方だ。
「なるほど、分かりました。そんな素直でストレートなところが可愛いって言いたいわけですね。航さんから惚気なんて初めて聞いた気がしますよ」
惚気たつもりはまったくなかったが、無意識にそういうニュアンスになっていたのかもしれない。
ニヤニヤと口元に笑みを中津は浮かべている。
……まあ、中津の言ったことはその通りだし否定のしようがない。行為中ですらいつもの調子で素直で可愛いからな。
志穂の反応は極めて素直で、「気持ちいい」「それ好き」と口から言葉が漏れ出すのだ。
ただでさえ、白く柔らかい肢体に豊満な胸、くびれた腰、細い手足と女性らしい体つきに視覚的に刺激されるのに、聴覚でも揺さぶってくる。
志穂は過去の彼氏が勃たなかったから自分に魅力がないと傷ついたことがトラウマだと打ち明けてくれたが、その志穂と実際にしてみて思ったのが、理由は“魅力がない”では絶対ないということだ。
最初の男は初めてだったそうだからたぶん極度の緊張が要因だろう。
緊張すると勃たなくなるというのはよく聞く話だ。
普段に増して可愛いあの志穂を目の前にしたら、10代の若者が緊張でうまく出来ないのは分かる気がする。
1回できなかったとなると、さらにそれがプレッシャーになって悪循環に陥ったのではないかと思う。
2人目の男はそれなりの経験者で他の女性ではそんなことならなかったのにと言っていたそうだが、おそらく志穂のことが好き過ぎたのではないだろうか。
たまに「彼女の顔もスタイルも完璧すぎて、好きすぎて勃たない」という人がいるという。
俺自身もEDだったから色々ネットで調べたことがある中でそういう悩みをQ&Aサイトに綴っている人がいた。
男にとって、好きという感情は理性で、ヤりたいという感情は本能らしい。
理性と本能は相反するものゆえ、好きという理性が大きくなると本能が抑え込まれ勃起しなくなるとも聞いたことがある。
つまり、どちらも皮肉なことに志穂が魅力的だったからこそ起きたことだと推測できる。
……志穂に悪いから絶対に口にはしないけど、志穂が初めてだったのは俺にとっては嬉しい誤算だった。
彼女の事情をあの謝恩会の日まで知らなかった俺にとって志穂が処女だったのは驚きだった。
なにしろ過去に彼氏がいたことは聞いていたから当然経験しているだろうと思っていたし、その過程でセックスが怖くなったと思っていたからだ。
結果的に、EDゆえに長らくデキない期間があり、治った途端に我慢を強いられる状況に陥って志穂を激しく求めていた俺だからこそ、志穂の三度目の正直になれたのかもしれない。
「ちなみに彼女と結婚は考えてるんですか?」
自分の思考に耽っていた俺は、中津からの問いかけで意識を引き戻す。
ニヤニヤ笑いを引っ込めた中津はやけに真面目な顔へと様変わりしていた。
「まだ付き合ったばかりって知ってて、ずいぶんいきなりな質問だな」
唐突な問いに俺はやや苦笑いをしながら中津を見る。
年末に付き合い出したと話したのだから、まだ3ヶ月くらいだと分かっているだろうに、質問の意図を図りかねたからだ。
「ほら、航さんって前の彼女さんの時に結婚プレッシャーが嫌だって溢してたじゃないですか。結果的にそれが別れの一因にもなったんですよね?」
「まあ、その一面はあるけど?」
「それなら今回は交際初期に結婚に対してお互いどう思ってるかはすり合わせしておいた方がいいんじゃないですか? 今も航さんがまったく結婚願望なくて、逆に相手が早くしたいって思ってるとまた同じことの繰り返しになるんじゃないかなぁ~と思ったんですよ」
「確かに中津の言う通りだな。速水ももう30代だろう? 彼女がいくつか知らないが、前以上に結婚を意識せざるを得ない状況だと思うぞ。速水に結婚願望が全くなくて、相手にあった場合、見ている未来が違うから彼女の時間を奪うことにもなるだろうしな」
中津に同意しながら降谷さんも付け加えるように言葉を重ねた。
既婚者である二人からの助言は確かに納得のいく見解だった。
過去の経験も踏まえて、適齢期と呼ばれる年齢での恋愛においては、そのあたりも意識しておくべきなのかもしれない。
「その意見参考にするよ。今は俺もまったく結婚願望ないわけじゃないし、将来的にはと思ってはいるけど」
「そうなんですか! 以前は結婚のけの字も考えられないって感じだったのに本当に航さんずいぶん心境の変化があったんですね。彼女も同じ考えだといいですね。最近は意外と女性の方が結婚願望なかったりもしますし」
「確かにな。新卒の採用面接していても、ガッツリ働きたいですって熱く語ってくれる女性も多い気がするな」
「最近の若い子はそうなんですかね。そういえば、うちの部署の神崎さんもそう言ってましたよ。仕事が楽しいから結婚はずっと先でいいって。あんまり結婚願望ないんですって笑ってました」
「若い子って。中津とそんな年変わらないだろう? まるで俺が年寄りみたいに感じるじゃないか!」
「はは、すみません、そんなつもりありませんよ! 降谷さんは見た目も若いし十分若者寄りですよ」
中津と降谷さんは結婚話から脱線して軽口を叩き合っているが、俺はそこに加わり損ねた。
ポロッと中津が溢した情報に気を取られていたからだ。
……結婚はずっと先でいい、か。そういえば付き合った当初に志穂から「全然結婚願望ないからプレッシャーかけないので安心して」って言われたな。
どうやら志穂とは亜佐美の時と真逆のシチュエーションらしい。
俺の方に結婚願望があって、志穂の方にないということだ。
……俺もそのうち亜佐美みたいに志穂に過剰な干渉や束縛をしてしまうんだろうか。いや、でもあれは不安に駆られておかしくなってたって言ってたからな。
つまりは不安を抱えないように、中津や降谷さんの助言通り、早めにお互いの考えをすり合わせておいた方がいいのかもしれない。
「そういえば神崎さんと言えば、ここ最近ちょっと雰囲気が変わりましたよね。航さんもそう思いません?」
降谷さんと軽口を交わしていた中津が、なにやらふと思い出したように切り出した。
中津は志穂の先輩であり、新入社員の頃からの指導役だったこともあって接する機会が多いからだとは思うが、また志穂の話だ。
そのたびに俺は平然を装い、上司の顔を作る。
「変わった? そうだったかな?」
「えー思わなかったですか? もともと容姿の整った子ですけど最近ますます綺麗になって垢抜けましたよね。あれは絶対男ができたなって僕は睨んでます」
思わずビールを喉に詰まらせて咳き込みそうになった。
なんていうか、人のことをよく見ている中津の鋭さは侮れない。
「俺もチラッと社食で見かけた時に確かになんか雰囲気変わったなとは思ったな。若い奴らは色めき立ってたぞ。なんでも男っ気がなかったから諦めてたが、今ならワンチャンあるんじゃないかだと」
俺は近くでいつも見ているから特に感じなかったが、第三者が目にすると志穂の変化は分かりやすいものらしい。
ここ最近といえば、その理由には心当たりがある。
セックスすると女はキレイになると言うが、きっとそれではないかと思う。
……ワンチャン狙うとかホントやめてほしい。志穂が簡単になびくとは思ってないけど心配だ。志穂の場合、以前のように変な男にちょっかいかけられたりしそうってのもあるしな。
これまで以上に気にかけておくべきだろう。
本当に志穂は色んな意味で目が離せない。
こうして志穂には関する様々な情報を期せずして得ることになった中津と降谷さんとの飲みは、その後仕事の話題に移り変わり、夜21時半過ぎには解散となった。
駅で2人とは別れ、まっすぐ家に帰った俺を迎えてくれたのは志穂だ。
付き合うようになって志穂には合鍵を渡していたため、今日は先に中で待っていたのだった。
「おかえりなさい。中津さんと降谷部長と飲んでたんですよね? 思ったより早かったですね」
玄関のドアが開く音がして、パタパタと小走りにこちらにやってきた志穂が俺を見上げながら微笑む。
もうシャワーを浴びたようで、ふわりと石鹸のいい匂いが鼻を掠めた。
「酔っ払ってないですか?」
「大丈夫。そんなには飲んでないし」
「でも、良かったら一応どうぞ」
一緒にリビングの方へ歩き、ソファーに座り込むと、グラスに水を注いで手渡してくれる。
志穂はソファーで映画を観ていたようで、そばに置かれたタブレットに映る画面が一時停止になっていた。
「飲み会はどうでした? 楽しかったですか?」
「楽しかったよ。志穂のことも色々聞いたし」
「えっ? 私のことですか?」
「最近志穂が綺麗になったって噂になってるって。狙ってる男が多いって聞いたけど?」
ソファーに並んで座り、顔を覗き込みながら尋ねる。
さて、志穂はなんと答えるだろうか。
「確かに最近妙に男の人に声掛けられる機会は増えたなって感じますけど、みんなただの体目当てなだけですよ? 私自身を見てる人なんてほぼいません。仮にいても私には航さんがいるからなんとも思わないです」
「ホントに?」
「もしかして焼いてくれてます? でも航さんのせいでもあるんですよ?」
「……俺のせい?」
心当たりがなくて不可解そうな顔になった俺の膝の上に志穂は向かい合うように乗り上げてくっついてきた。
志穂の顔の位置が俺より高くなり、今度は逆に志穂が見下ろしながら顔を覗き込んでくる。
「実は私も若菜から綺麗になったって言われたんです。自分ではよく分からないんですけど、肌が潤ってるし色気も増したらしいです。それってたぶんセックスで幸せホルモンが活発化した効果だと思います。つまり航さんが私をそうしたんですよ?」
志穂の理論によると、俺は自らの手で、志穂に男が寄ってくる状況を作り出しているらしい。
なんとも皮肉なものだ。
「でもだからといってやめないでくださいね? 私はもっとしたいです。だって気持ちいいし、心が満たされるし、すっごく幸せな気分になれるから。もちろんそれは相手が航さんだからですよ?」
こんなふうに言われてしまうと、たとえ男を引き寄せる結果になったとしても、抱き合いたいと思ってしまうのは自然なことだろう。
志穂はそのまま顔を寄せてくると、俺の唇を奪った。
そのキスにいとも簡単に官能を刺激される。
キスの合間には耳元で「今日は可愛い下着だから航さんに見て欲しいです」と誘うように囁かれた。
まったく志穂はどこでこんな誘い方を身に付けてくるのかと悩ましくなる。
「……映画は? 観てる途中だったんじゃないの?」
「今は航さんに夢中なので、映画はあとでいいです」
そう言って俺しか見えていないと言わんばかりに、志穂は再び口づけを落としてきて、舌を絡ませてきた。
もちろん俺がその行為を止めることなどなく、その日はそのままソファーで交わり合った。
可愛い下着を見て欲しいという志穂の要望に応え、俺は志穂から下着を脱がさなかった。
ブラは上にズラし、ショーツはサイドにズラして挿入し、最後まで志穂は下着を身につけたままの状態で一緒に果てたのだった。
「俺も年始からずっと気になってたんだからな」
3月末のある金曜日の仕事終わり、俺は降谷さんと中津とともに焼き鳥屋でお酒を飲み交わしていた。
人事部長である降谷さんは、採用活動や新入社員の入社で4月から本格的に繁忙期を迎えるため、その前に飲もうと誘われ集まったのだ。
そして二人から詰め寄られるように求められているのが“彼女”のことだ。
年始に既婚者を装うための指輪を外し、彼女がいると公言した際に、これまで口裏を合わせていてくれた二人にも手助けしてくれていた御礼とともにその事実は報告していた。
ただ詳細はまた今度と話したきり、なんだかんだタイミングを逃して今である。
「なにを話せばいいですか? 年末から付き合うことになったのは以前お話したのでご存知だと思いますけど」
「全然女性に興味なさそうでしたし、実際女っけなかったのにいつの間にって驚いたんですよ」
「中津の言う通り。しかも既婚者のフリしてたっていうのに、どうやって出会ったんだ?」
「出会ったというか、もともと知り合いだったんですよ。偶然の出来事で既婚者じゃないことを話さざるを得なくなって……というのが馴れ初めですかね」
ビールを飲みながら、相手が志穂であるとは思わせない何食わぬ顔でしれっと言い放つ。
俺の口ぶりから二人は学生時代の知り合いだと思い込んだらしく、まさか部下であるとは思い至っていないようだ。
「そうか、バレたことがきっかけになったのか。ともかくいつまでも既婚者のフリをしてるのはどうかと思ってたから速水に彼女が出来て良かった」
「本当ですよ! 前の彼女さんと別れてもう3年以上経ってましたしね。仕事しか興味ない感じに心配してましたから。それで、その航さんの気を変えた稀有な彼女さんはどんな方なんです?」
「どんなって……」
そう問いかけられて脳裏に思い浮かぶのは、ここ最近の志穂の姿だ。
先日俺が隠していたことを打ち明け、志穂がトラウマを乗り越える決意をしたことで、お互いに性的に問題を抱えていた部分がクリアになった。
デキナイふたりは、デキルふたりへ変わり、それから普通の恋人同士のようにイチャイチャにセックスも加わるようになった。
反応するようになって以降、俺を悩ませていたものは取り払われたと言える。
だが、また新たな悩ましさが発生した。
……志穂の可愛さに磨きがかかったんだよなぁ。色香まで纏わせだして心配も増したし。
それは彼女が可愛すぎるという明らかに贅沢な悩みだった。
謝恩会の日にホテルで初めてをした時の志穂は処女で、その後の数回こそ受け身だったのだが、その後言葉通りに勉強したのかどんどん積極的になってきたのだ。
どこで覚えてきたんだと突っ込みたくなるようなことをしてくる。
航さんがやってるのをマネしてみたとか、SNSで目にしたのをやってみたとか言う。
どうやら今まで出来なかったことが出来るようになったのが嬉しいようでその反動から、かなり探究心に火が灯っているようだ。
もともとイチャイチャするのが好きな志穂らしいといえば志穂らしい。
こんなふうに彼女の方から積極的に来られて嬉しくないわけがないし、可愛くて仕方ない。
落ち着いていると普段言われる俺はどこへやら、志穂を前にすると余裕がなくなる気がする。
「……そうだなぁ、俺の余裕をなくさせる人かな」
中津からの彼女はどんな人?という質問に俺はそう答えた。
その回答は二人にとって意外すぎるものだったらしく、ビールを持つ手を止めて揃って目を剥いている。
「速水の余裕のない姿なんて想像できないな。初めて会った新入社員の頃から今の落ち着きがあったしな」
「余裕がなくなるくらい航さんを振り回す方なんですか⁉︎ 魔性の女じゃないですか!」
「魔性の女って言葉はなんかピンと来ないかな。むしろ思ってることをそのまま口にするから分かりやすいし、駆け引きするようなタイプでもないしね」
魔性の女という単語にミステリアスで妖艶な女性のイメージがあった俺は、違和感を感じて否定する。
志穂はどちらかというと、言葉や行動自体はバカ正直だから分かりやすい。
だが、たまに何をするのか分からない感じがあり、そういう意味で目が離せないという振り回され方だ。
「なるほど、分かりました。そんな素直でストレートなところが可愛いって言いたいわけですね。航さんから惚気なんて初めて聞いた気がしますよ」
惚気たつもりはまったくなかったが、無意識にそういうニュアンスになっていたのかもしれない。
ニヤニヤと口元に笑みを中津は浮かべている。
……まあ、中津の言ったことはその通りだし否定のしようがない。行為中ですらいつもの調子で素直で可愛いからな。
志穂の反応は極めて素直で、「気持ちいい」「それ好き」と口から言葉が漏れ出すのだ。
ただでさえ、白く柔らかい肢体に豊満な胸、くびれた腰、細い手足と女性らしい体つきに視覚的に刺激されるのに、聴覚でも揺さぶってくる。
志穂は過去の彼氏が勃たなかったから自分に魅力がないと傷ついたことがトラウマだと打ち明けてくれたが、その志穂と実際にしてみて思ったのが、理由は“魅力がない”では絶対ないということだ。
最初の男は初めてだったそうだからたぶん極度の緊張が要因だろう。
緊張すると勃たなくなるというのはよく聞く話だ。
普段に増して可愛いあの志穂を目の前にしたら、10代の若者が緊張でうまく出来ないのは分かる気がする。
1回できなかったとなると、さらにそれがプレッシャーになって悪循環に陥ったのではないかと思う。
2人目の男はそれなりの経験者で他の女性ではそんなことならなかったのにと言っていたそうだが、おそらく志穂のことが好き過ぎたのではないだろうか。
たまに「彼女の顔もスタイルも完璧すぎて、好きすぎて勃たない」という人がいるという。
俺自身もEDだったから色々ネットで調べたことがある中でそういう悩みをQ&Aサイトに綴っている人がいた。
男にとって、好きという感情は理性で、ヤりたいという感情は本能らしい。
理性と本能は相反するものゆえ、好きという理性が大きくなると本能が抑え込まれ勃起しなくなるとも聞いたことがある。
つまり、どちらも皮肉なことに志穂が魅力的だったからこそ起きたことだと推測できる。
……志穂に悪いから絶対に口にはしないけど、志穂が初めてだったのは俺にとっては嬉しい誤算だった。
彼女の事情をあの謝恩会の日まで知らなかった俺にとって志穂が処女だったのは驚きだった。
なにしろ過去に彼氏がいたことは聞いていたから当然経験しているだろうと思っていたし、その過程でセックスが怖くなったと思っていたからだ。
結果的に、EDゆえに長らくデキない期間があり、治った途端に我慢を強いられる状況に陥って志穂を激しく求めていた俺だからこそ、志穂の三度目の正直になれたのかもしれない。
「ちなみに彼女と結婚は考えてるんですか?」
自分の思考に耽っていた俺は、中津からの問いかけで意識を引き戻す。
ニヤニヤ笑いを引っ込めた中津はやけに真面目な顔へと様変わりしていた。
「まだ付き合ったばかりって知ってて、ずいぶんいきなりな質問だな」
唐突な問いに俺はやや苦笑いをしながら中津を見る。
年末に付き合い出したと話したのだから、まだ3ヶ月くらいだと分かっているだろうに、質問の意図を図りかねたからだ。
「ほら、航さんって前の彼女さんの時に結婚プレッシャーが嫌だって溢してたじゃないですか。結果的にそれが別れの一因にもなったんですよね?」
「まあ、その一面はあるけど?」
「それなら今回は交際初期に結婚に対してお互いどう思ってるかはすり合わせしておいた方がいいんじゃないですか? 今も航さんがまったく結婚願望なくて、逆に相手が早くしたいって思ってるとまた同じことの繰り返しになるんじゃないかなぁ~と思ったんですよ」
「確かに中津の言う通りだな。速水ももう30代だろう? 彼女がいくつか知らないが、前以上に結婚を意識せざるを得ない状況だと思うぞ。速水に結婚願望が全くなくて、相手にあった場合、見ている未来が違うから彼女の時間を奪うことにもなるだろうしな」
中津に同意しながら降谷さんも付け加えるように言葉を重ねた。
既婚者である二人からの助言は確かに納得のいく見解だった。
過去の経験も踏まえて、適齢期と呼ばれる年齢での恋愛においては、そのあたりも意識しておくべきなのかもしれない。
「その意見参考にするよ。今は俺もまったく結婚願望ないわけじゃないし、将来的にはと思ってはいるけど」
「そうなんですか! 以前は結婚のけの字も考えられないって感じだったのに本当に航さんずいぶん心境の変化があったんですね。彼女も同じ考えだといいですね。最近は意外と女性の方が結婚願望なかったりもしますし」
「確かにな。新卒の採用面接していても、ガッツリ働きたいですって熱く語ってくれる女性も多い気がするな」
「最近の若い子はそうなんですかね。そういえば、うちの部署の神崎さんもそう言ってましたよ。仕事が楽しいから結婚はずっと先でいいって。あんまり結婚願望ないんですって笑ってました」
「若い子って。中津とそんな年変わらないだろう? まるで俺が年寄りみたいに感じるじゃないか!」
「はは、すみません、そんなつもりありませんよ! 降谷さんは見た目も若いし十分若者寄りですよ」
中津と降谷さんは結婚話から脱線して軽口を叩き合っているが、俺はそこに加わり損ねた。
ポロッと中津が溢した情報に気を取られていたからだ。
……結婚はずっと先でいい、か。そういえば付き合った当初に志穂から「全然結婚願望ないからプレッシャーかけないので安心して」って言われたな。
どうやら志穂とは亜佐美の時と真逆のシチュエーションらしい。
俺の方に結婚願望があって、志穂の方にないということだ。
……俺もそのうち亜佐美みたいに志穂に過剰な干渉や束縛をしてしまうんだろうか。いや、でもあれは不安に駆られておかしくなってたって言ってたからな。
つまりは不安を抱えないように、中津や降谷さんの助言通り、早めにお互いの考えをすり合わせておいた方がいいのかもしれない。
「そういえば神崎さんと言えば、ここ最近ちょっと雰囲気が変わりましたよね。航さんもそう思いません?」
降谷さんと軽口を交わしていた中津が、なにやらふと思い出したように切り出した。
中津は志穂の先輩であり、新入社員の頃からの指導役だったこともあって接する機会が多いからだとは思うが、また志穂の話だ。
そのたびに俺は平然を装い、上司の顔を作る。
「変わった? そうだったかな?」
「えー思わなかったですか? もともと容姿の整った子ですけど最近ますます綺麗になって垢抜けましたよね。あれは絶対男ができたなって僕は睨んでます」
思わずビールを喉に詰まらせて咳き込みそうになった。
なんていうか、人のことをよく見ている中津の鋭さは侮れない。
「俺もチラッと社食で見かけた時に確かになんか雰囲気変わったなとは思ったな。若い奴らは色めき立ってたぞ。なんでも男っ気がなかったから諦めてたが、今ならワンチャンあるんじゃないかだと」
俺は近くでいつも見ているから特に感じなかったが、第三者が目にすると志穂の変化は分かりやすいものらしい。
ここ最近といえば、その理由には心当たりがある。
セックスすると女はキレイになると言うが、きっとそれではないかと思う。
……ワンチャン狙うとかホントやめてほしい。志穂が簡単になびくとは思ってないけど心配だ。志穂の場合、以前のように変な男にちょっかいかけられたりしそうってのもあるしな。
これまで以上に気にかけておくべきだろう。
本当に志穂は色んな意味で目が離せない。
こうして志穂には関する様々な情報を期せずして得ることになった中津と降谷さんとの飲みは、その後仕事の話題に移り変わり、夜21時半過ぎには解散となった。
駅で2人とは別れ、まっすぐ家に帰った俺を迎えてくれたのは志穂だ。
付き合うようになって志穂には合鍵を渡していたため、今日は先に中で待っていたのだった。
「おかえりなさい。中津さんと降谷部長と飲んでたんですよね? 思ったより早かったですね」
玄関のドアが開く音がして、パタパタと小走りにこちらにやってきた志穂が俺を見上げながら微笑む。
もうシャワーを浴びたようで、ふわりと石鹸のいい匂いが鼻を掠めた。
「酔っ払ってないですか?」
「大丈夫。そんなには飲んでないし」
「でも、良かったら一応どうぞ」
一緒にリビングの方へ歩き、ソファーに座り込むと、グラスに水を注いで手渡してくれる。
志穂はソファーで映画を観ていたようで、そばに置かれたタブレットに映る画面が一時停止になっていた。
「飲み会はどうでした? 楽しかったですか?」
「楽しかったよ。志穂のことも色々聞いたし」
「えっ? 私のことですか?」
「最近志穂が綺麗になったって噂になってるって。狙ってる男が多いって聞いたけど?」
ソファーに並んで座り、顔を覗き込みながら尋ねる。
さて、志穂はなんと答えるだろうか。
「確かに最近妙に男の人に声掛けられる機会は増えたなって感じますけど、みんなただの体目当てなだけですよ? 私自身を見てる人なんてほぼいません。仮にいても私には航さんがいるからなんとも思わないです」
「ホントに?」
「もしかして焼いてくれてます? でも航さんのせいでもあるんですよ?」
「……俺のせい?」
心当たりがなくて不可解そうな顔になった俺の膝の上に志穂は向かい合うように乗り上げてくっついてきた。
志穂の顔の位置が俺より高くなり、今度は逆に志穂が見下ろしながら顔を覗き込んでくる。
「実は私も若菜から綺麗になったって言われたんです。自分ではよく分からないんですけど、肌が潤ってるし色気も増したらしいです。それってたぶんセックスで幸せホルモンが活発化した効果だと思います。つまり航さんが私をそうしたんですよ?」
志穂の理論によると、俺は自らの手で、志穂に男が寄ってくる状況を作り出しているらしい。
なんとも皮肉なものだ。
「でもだからといってやめないでくださいね? 私はもっとしたいです。だって気持ちいいし、心が満たされるし、すっごく幸せな気分になれるから。もちろんそれは相手が航さんだからですよ?」
こんなふうに言われてしまうと、たとえ男を引き寄せる結果になったとしても、抱き合いたいと思ってしまうのは自然なことだろう。
志穂はそのまま顔を寄せてくると、俺の唇を奪った。
そのキスにいとも簡単に官能を刺激される。
キスの合間には耳元で「今日は可愛い下着だから航さんに見て欲しいです」と誘うように囁かれた。
まったく志穂はどこでこんな誘い方を身に付けてくるのかと悩ましくなる。
「……映画は? 観てる途中だったんじゃないの?」
「今は航さんに夢中なので、映画はあとでいいです」
そう言って俺しか見えていないと言わんばかりに、志穂は再び口づけを落としてきて、舌を絡ませてきた。
もちろん俺がその行為を止めることなどなく、その日はそのままソファーで交わり合った。
可愛い下着を見て欲しいという志穂の要望に応え、俺は志穂から下着を脱がさなかった。
ブラは上にズラし、ショーツはサイドにズラして挿入し、最後まで志穂は下着を身につけたままの状態で一緒に果てたのだった。
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笑って、泣いて、つまずいて――それでも、前を向く彼女の姿に、きっとあなたも自分を重ねたくなる。
関西出身のヒロイン×無口な年上上司の、20話で完結するライト文芸ラブストーリー。
仕事に恋に揺れるすべてのOLさんたちへ。
「この恋、うちのことかも」と思わず呟きたくなる、等身大の恋を、ぜひ読んでみてください。
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