別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭

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武家の女(おなご)〈参〉

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 又十蔵は懐手をして、しばし目を瞑った。
 与岐はその間ずっと畳に平伏したままだ。

 理不尽でどうにも腹に据えかねることなれど、武家の嫁が離縁する際にいくら跡目を継がぬ娘たちといえどもその子らを連れて婚家を出るなぞ、到底許されぬ。
 されど、このまま縁がすっぱりと切れてしまえば手回しの良いあの姑のことだ、離縁後は与岐が娘たちに会えぬよう取り計らいかねない。

 ——そもそも御家おいえ同士の縁組……進藤の家など爪の先ほどの未練もあらねど、金輪際千賀と芙美の顔が見られぬのは……

 せめて、乳が張るからとか理由をつけて乳飲み児の芙美だけでも連れて里帰りすべきであったが、今となっては後の祭りだ。

 ——我が身を切り裂くほどにつろうござりまする……

 ようやく、又十蔵は目を開けると乾いた声で呟いた。
「……相分あいわかった」
 
 与岐の顔が畳からぱっと上がる。

「千賀と芙美がそなたに会いとうなったら、母上にではなくそれがしに申すよう云いつけておこう。
 母上を説き伏せるのは骨が折れるでござろうが、致し方あるまい。父上にも加勢してもらおうぞ」

「旦那様……ありがたきことにて存じ上げまする……」
 与岐は再び平伏した。


 後日、進藤 又十蔵と与岐の離縁が正式に認められた。

 すると、今まで与岐の心に立ち込めていた気鬱が霧の晴れるかのごとく一掃され、それに伴って弱っていた身体からだの具合も徐々に快方へと向かっていった。

 しかしながら、今度は同じ八丁堀の組屋敷で進藤の家の者といつ何時顔を合わせやしないかと、新たな気鬱がやってきた。
 如何いかがいたしたものか思案していた矢先、与岐は父から呼び出された。

 何事かと思いつつ、父が寝起きに使う座敷に入ると、苦虫を噛み潰した顔の父が開口一番告げた。
「早速、進藤の家が親戚筋の女を嫁に迎えおった。あやつら、どこまで我が本田家を愚弄する気でござるか」

 ——なんと、離縁してほとんど間も立たぬうちにもう後妻のちぞえを迎えるとは……

「……さようでござりまするか。新しき継母はは君に千賀と芙美が無体に扱われることはござらんか」
 何よりも案ぜられるのは娘たちの身の上であった。

「嫡男が生まれるようなことあらば、わからぬな。新しき嫁御はまだ十七らしい」
「わたくしが里帰りした間に、娘たちの世話を名目にすでに姑上ははうえのご親戚を進藤の家に入れたと小耳に挟みましてござりまするが……」
「なんだ、知ってござったか。——同心の小澤おざわの筋の者だ」

 縁組にあたって与力の御家に養女に入ったとは云え、姑の生家は同心の小澤家であった。

 同心は御公儀(江戸幕府)が直轄する町奉行所にて、与力の配下で手足となって仕える役人である。
 禄米が少ないのはもちろん、同じ組屋敷に居を構えるも三百坪を超える与力の家に対して、同心の家は百坪あれば御の字である。また、与力が認められている江戸府内での馬への騎乗は同心には許されていない。

 そして——同心は武家だと思われながらも「士分」ではない。
 武家である「士分」と「町人」の間に属する身分なのだ。
 ゆえに、如何いかに手柄を立てようとも、決して、同心が与力に取り立てられることはない。

「されど……進藤の家は二代続けて同心から嫁を娶るとはな」
 如何いかなる経緯いきさつで姑が与力である進藤の御家へ嫁したかは与岐は存ぜぬが、当時のことを覚えている父の口振りからして、相当無理を通したように思われる。

 ——此度こたびは再縁ゆえ、おのれの時分よりも容易たやすく事が運べると思うたに相違ない。
 さすれども、祝言は家族とごく親しい縁者のみのささやかなものとなり、与岐の時のごとく上役を迎え南町奉行所を挙げて皆に祝ってもらったあの賑々しさは望むべくもないであろう。

「——して、話はかばかりでなくてな。おまえの方にも再嫁する話が来てござってな」

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